十三章/なりゆき生贄

 

 

 

  


「……そうですか。あれ」
 納得しようとして止まる。
 イヤ、ちょっと待て私。何か凄く重大な事忘れている。
 ええと、彼を保護するとき私何した。
 手近な入れる場所がないから服の中に――
「ぎゃーーーー!?」
 思い出して悲鳴を上げてしまう。い、いいいい入れた。
「っわ。なんだ!?」
 びくりと彼の肩が跳ねる。
「わ、わわわ私。ふ、ふふふ服に入れ」
 指さして言葉にならない声を紡ぐ。紅い瞳が少し泳いだ。
「ふ、不可抗力」
「おや、服に入れられたんですか」
「男の人だと知ってたら入れてませんでしたーーー!!」
 静かに問われ、思わず顔を手で覆う。
 コウモリだから平気だったのに。ま、まさか人だったとは。吸血鬼だけど多分人の括りで良い。
 人型だし、お兄さん見てると尚更恥ずかしい。顔を合わせなかったのは、これも理由か!
「しかも触りましたね!」
 顔が熱い。あわわわ、私なんて事をしてしまったんだろう。
「問答無用だったじゃねぇかよ。いきなり放り込まれたんだぞ!?」
「だって緊急だったんですよ。あんなに触らなくても良いじゃないですか」
 一回じゃなくて、ぺたぺた何度も触られていた。この世界に裁判所があったら訴えよう。
「……そんなに触りましたか。不肖の弟は」
「ご、誤解! 服の中だって知ってたら触ってないッ」
 数拍ほど自分の弟を眺め、彼は薄く微笑んだ。
「コウモリになりなさい」
 コウモリ? 何でコウモリに。
「い、いや、いやだ。ならないっ絶対ならないッ」
 よく分からない単語に、サッと一気に弟さんの顔が青ざめる。
「優しい兄は薬草を採って煮込んでおきました。コウモリの姿にならないと鍋で煮込めないでしょう」
 煮込っ!?
 穏やかに諭すような声音で恐ろしい事を述べるニーノさんを凝視する。
「あ、あの。煮たら死にますよ」
 入れるという可愛いものではなく、煮込むと言ったら、ぐつぐつしてしまうんだろうし。
 お仕置きだとしても、いくら何でもそれはいけないんじゃないだろうか。
「そうだよ熱いんだって。怪我治ったばっかりなのになんて事言うんだよ!」
 後退っていた身体を留め、彼が赤い瞳で兄を睨む。
 え、熱いだけで済む問題!?
「怪我していたのはお前が弱かったからです。だから、我がレイス一族直伝の秘蔵の薬で強化しましょう」
 甘い声音で酷い事を言っている。弱いって、そんなストレートな。
「とか言いながら何十回煮込んだよ! 熱いだけで変わんねぇだろ!?」
 何十回も煮込まれているんですか弟さん。意外と過激な躾ですねお兄さん。
 言って良いのか考え物だけど可哀想な気がしたので口を開いた。
「薬草なら普通一緒に煮られるより飲むものではないのでしょうか」
「…………はっ、そう言われれば確かにそうだ。何で俺煮込まれたんだ!?」
 突っ込まれないと気が付かないんですか。今まで素直に煮込まれていたのか、この人。
「いつも通りかき混ぜてあげますから、溺れているうちに飲めますよ」
 更にかき混ぜますか。容赦ありませんね。と言うよりも――
「煮込みたいんですね」
 今までの発言を考えるに、弟さんを煮込みたくてしょうがないのか。
「ええ。皮膚も強くなって良いかと」
 確かに煮込まれて熱いで済ます程には熱の耐性が付いているようですが。
「普通に飲ませてくれ」
「煮込まれれば美容にも良いですよ。肌から浸透しますから」
 美容、コスメ! 心が跳ね上がって反応する。お城では薬草自体が貴重で美容品なんてそれこそ贅沢。
 煮込まれるのはイヤだけど、ちょっと気になる。私は一応恋する女の子なんです。アニスさんまでとは言わないけれど、綺麗になりたい。
「いや、俺、女と違うし。美容より痛くないほうが良い」
 まあ、男の子はそうだろうなぁ。女でも煮込まれるのは勘弁だけど。
「……外見を気にしている癖にですか」
「そ、そんなこと」
 そう言えば、お兄さんの姿を見て延々と愚痴っていたような。あげく力の限り落ち込んでいた。
 何かトラウマでもあるんだろうか。
「弟さんは銀髪じゃないんですね」
「うっ!」
 触れてはいけない事だったらしい。びくりと彼の身体が跳ねる。
「そうなんですよ、人型になるとき銀髪に出来ても嫌がるんですよ。反抗期なんです」
「兄貴達と並んで銀髪なんて何の拷問だよ!?」
 悲しそうに告げるニーノさんに涙目で訴える彼。ああ、成る程。
 確かにこんなに美形過ぎるお兄さんだと銀髪なら比べられる。確実に。
 髪を黒くしているのは見比べられないようにか。
 彼だって普通に格好良いのに、肉親がこれほど人外の美貌だと落ち込むだろう。
 吸血鬼って時点で人外だという点は置いておく。
「人型になれるなら顔の作りも変えられませんか」
 でもコウモリに変身出来るって事は、身体も変えられるはずだよね。そう思い、尋ねる。
「出来ますよ。私は、この愚弟はちょっと駄目なんですよ。一番弱くて手の掛かる弟です」
 少し困ったようにニーノさんは微笑んだ。優しげな顔で見事な一刀両断。
「弱いって言うな!」
 弟さん、もう泣きそうだ。目尻に涙が溜まっているので泣いてるのかもしれないけど。
 ニーノさんはじーっと深紅の双眸で弟を眺め、ポツリと呟いた。
「じゃあ何で洞窟で行き倒れてたんでしょうかねぇ。羽まで折って」
 ぐ、と呻きが響く。そう言えばどうしてあんな場所に居たんだろう。
 まさか吸血鬼が吸血鬼の生贄にされる訳もないし。
「いや、それは。アイツらがよってたかって追いかけてくるから逃げてたら」
 ああ、あのコウモリ達に虐められたのか。それで顔見知りだったんだ。
「それで洞窟まで追いつめられてボコボコにされたと。情けない」
 はぁぁ、と思いきり溜息を吐き出してニーノさんが首を振る。
「五匹も六匹も一気に来るなんて卑怯だろ。だから弱い訳では無い、だろ」
 まあ、多勢に無勢だとは思います。逃げ場所間違えた感が強いですが。
 それで私は助けられたから良いけれど。
「弱い。兄はとても泣きたい。
 何で魔物崩れの大コウモリ相手を瞬殺出来ないのか理解に苦しみます」
 瞬殺。紳士的な物腰かつ穏やかな声で恐ろしい事を仰る。
「昼間に襲われたんだぞ。兄貴が強すぎるだけだと……思う」
「まだ陽の光が駄目ですか。はあ」
 沈痛極まる表情で息を吐く。
 いや、普通吸血鬼って日に弱いのが相場では。それでも出歩けてる弟さん凄いと思うんだけれど。
「ああ、普通の下等吸血鬼はともかく、レイス一族は陽の光くらいでは灰にもなりませんし焼けたりもしません。
 生半可な十字架もあまり効きません。愚弟も血を引いているので、結構丈夫なはずなんですが。
 まだ焦げるんですね、兄は情けなくて土に潜りたいです」
 私の視線を受けて、丁寧に説明してくれた。ニーノさん、親切だなぁ。
 家は既に潜ってますと突っ込むのは止めておく。
 下等吸血鬼って、この人達もしかして凄く強い? 本の通りの吸血鬼が居たのには安心したけど。
 天敵である太陽に平気って。弱くても焦げるだけで済むのか。
 折角十字架も携帯してるのに。
「……だってしょうがないだろ、原因は兄貴達にもあるんだからさぁ」
 ぶう、と頬を膨らませて弟さんが腕組みする。思わず頬に手を当て笑おうとして気が付いた。
 ベタベタしていた身体に、生乾きの髪がサラサラしている。
 土の汚れは残っていたけれど完璧に乾いていた。
「原因。あれ、私の服と髪が」
「ああ、風邪を引きかけていたので魔術で乾かしておきました。気が利かない弟で済みません」
 凄い事をあっさり言われて思わず口を開く。そんな事まで出来るんですか。
「そんなん出来てれば苦労しないって」
 彼は出来ないのか、と思った後水場を嫌がった理由に見当が付いた。出来ていたら濡れるのは嫌がらないか。
「寒さと暑さに強いからと練習を怠った報いです。お嬢さんには非はありませんよ」
 吸血鬼でも勉強は必要なのか、と感心する。やっぱりこの異世界って結構厳しい。
「ううう、悪かったってば」
 鋭い声に彼が俯く。本当に反省してくれているらしい。
 そこまで罪悪感持たなくても良いのに。
「まだ少しふらついていますね。この弟の術だけでは効き目が薄いようです。
 無茶なかけ方して負担を掛けたようですし」
 頭を優しく撫でられる。ふっ、と暖かいけれどちょっとだけ痺れを伴う冷たさが全身を覆う。
「……ありがとうございます。少し楽になりました」
 頭がスッとして、よろめいていた身体が安定する。倦怠感は残るものの随分楽だ。
 微笑んでお礼を言うと、私の頭に手を乗せたままニーノさんが止まっている。
「どうしました」
 深紅の瞳に凝視され、思わず頬が赤くなるのが自覚出来る。見つめられると恥ずかしい。
「済みません、効きが甘いみたいで。もう一度おかけします」
 はっとしたように私から僅かに視線を外し、柔らかく告げてくる。
 え、効きが甘いって。かなり楽になったのに。
「やっぱ気のせいじゃないだろ。兄貴まで効きが悪いって変だ」
 ふて腐れた声に継いで、先程より強い光。冷たさはない。
 身体はそのままでも、変化は激しかった。
「…………わあ、凄い! 身体が凄く楽です」
 倦怠感どころか目の疲れまで消えてしまっている。城で朝を迎えた時よりも快調だ。
 うずうずして止められる間もなくベッドから飛び降りる。ぱたぱたと両腕を動かして確認する。
 うん、凄く楽。気分爽快!
「お、やっと効いたな」
「元気になられて何よりです」
「ありがとうございます。朝より疲れが取れたみたいです」
 はしゃぐ私を呆れたように眺める紅い瞳と微笑ましそうに見つめる同色の瞳。
 兄弟なのに全然違う。雰囲気も空気も口調も。だけど家族である事は間違いなさそうだった。
 邪険にしていても弟さんを嫌っているようには見えない。虐められても素直に従っているから、彼だってお兄さんが嫌いな訳でもないんだろう。
 コンプレックスなだけで。
「では、服を着替えましょうか」
「へ。いえでも」
 着替えと言われても、何も持ってきていない。
「丁度、女物の服も余って居るんですよ。グリゼリダ、居ますね」
 女物が余っているってどういう意味、と問いかけようとして。
「ええ、居ますわ、お兄様」
 声と共に出現した人物を見て反射的に後退る。
 一人の女性が気配も足音も立てずに現れた。瞬間移動なのだろうか。
 新緑色のドレスに身を包んだその人は腰まで銀糸のような髪を緩やかに伸ばしていて。
 瞳はニーノさんに近い深紅。恐ろしいほどの美貌に腰が引けてしまう。
 兄姉だ。すぐさま確信する。先程彼が並びたくないと言った理由がよく分かった。
 確かにこの二人に同色の髪のまま挟まれるなんて地獄だ。家族でも遠慮したい。
「女の友達が欲しいと言っていましたよね。着替えさせたいのですが」
 ぼんやりと佇む姿は表情がよく分からない。視線はずっと私に注がれている。
 二十歳前後位の年齢に見えるけれど、外見と年齢は一致しないだろう。
「初めまして、私はグリゼリダ・レイスですわ」
 ゆったりとドレスの裾をつまみ、優雅にお辞儀をされ急いで両手を膝で合わせ、頭を下げる。
「あ、初めまして。私は音梨果林です。突然お邪魔しまして済みません」
「オトナシ……?」
 眉をひそめられて慌てる。
「あ、カリンで良いです。名前と名字が逆なんです」
 そう言えばここは異世界だった。人相手にフルネームで名乗るのが久しぶりだったのでうっかり元の世界の名乗りをしてしまった。
「ええ。分かりましたわ。でも謝らないで、多分そこの馬鹿な子が原因でしょうし」
 口元を抑え、上品に笑う。
 お姉さんも弟さんに厳しいんですね。しかも馬鹿って言った。
「うっせぇ」
 拗ねる弟さん。なんか可哀想だ。味方が居ないのかこの家では。
「どうせ名乗りもしていないのでしょう。この方はちゃんと名乗ってくれたのに」
「あ、あの。私も今名乗ったばかりですし」
 あわあわしながら手を振る。名乗る前に気絶して大変迷惑かけた身としてはフォローしなくては。
 初めの治療は彼がしてくれたのだし。……だけど。
「あ、でも名前は知りたいです。えっと、お名前教えて頂けますか?」
 そっと尋ねると、座り込んでふてていた彼が顔を上げる。少しだけ目線を逸らして、
「……カルロ・レイス」
 ぶっきらぼうにそう教えてくれた。
 ……カルロで良いのかな。なんとなくさんを付けると怒られそうな気がする。
 考えていると右腕を掴まれた。少しだけ頬を紅潮させたグリゼリダさんが嬉しそうに笑っている。
 人形のようだった空気がそれで緩和される。笑うとますます美人だ。
「さ、こちらですわ。着替えは幾らでもありますから好きなものを見て下さいませ」
 細腕に見合わない力に引かれ、連行される。ええと何処に連れて行かれるんだろう。
 多分着替えにだろうけど。
「そんなええと、気を使って頂かなくても」
「良いのですわ、私、女の子に着て貰いたい洋服が沢山ありましたの。遠慮しないで!」
 ああああ。この強引さアニスさんとマインを思い出す。
 確実に拒否出来ないんだろうと諦めて、私は素直に絨毯の上を歩いた。
 


 

 

 

 

 

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