十三章/なりゆき生贄

 

 

 

  


 瞼が固まったように開かない。身体が、鉛よりも重い気がする。重圧が上から掛かっているみたい。
 手首がずきりと痛む。浅かったけど、太い血管が切れていたようだったから頭がぼんやりする。
 ふ、と軽い光が瞬く。腕が一瞬暖かなものに包まれた。
「っ、あれ。っかしいなぁ」
 若い少年の声。
「何ですか、そんな事も出来なくなったのですか貴方」
 あの人の声だ。私と話していたときとは違う、冷たい口調。
「違う! 何か効きが悪ぃんだよ。もう治ってるはずなんだけどなー」
 確かに腕の痛みは引いた気がするけど、指が動かせない。目も開けないから真っ暗。
「はあ、唯一の取り柄まで駄目だなんて。良いです、私がやりますから下がりなさい」
「う、やだ。駄目だ! これは俺がするの! こいつ治すのは俺!」
 うう、五月蠅い。頭に、響く。けど身体が重たくて動けない上に口も開かないので文句が言えない。
「女性を濡らしたままでそのままにしておくからです。
 お茶だけでは駄目でしたね。ずいぶん衰弱していますから」
「だからこうやって頑張ってるだろが」
 ふて腐れた声と共に、ふわりとまた暖かい光が私の身体を包んだ気がした。気持ちいい。
「うう……」
 やっと声は出たけど、舌が動かない。目もまだ開かないし。
「ん、まだ駄目か。あーもう、なんなんだよこの女。治癒が上手く行かないぞ」
 ち、ゆ。治癒が……なんだろう。
「下手くそなだけでしょう。治癒だけが一番の取り柄だったのに」
 溜息が響いた。耳はちゃんと聞こえている。
「俺のせいだけじゃねぇよっ。精神面の方も結構イッてる……精神の傷はどうやって治すんだよ。
 こんの、こうなりゃ意地だ。徹底的に治し尽くしてやる!」
 何か燃えているらしい。どうにかして動きたいけど、指先に力が入らない。
 最近ちょっと無理しすぎたか、な。
 身体もだけど、心を削りすぎた。癒す暇もないくらいに絶え間なく。
 それだけ切羽詰まっていたのだけど、精神面の影響が体に来てしまっている。
 ここ数日は、心の休養を兼ねた休日だった。で、これだから悪化。トドメが今までの走馬燈。
 気分は最低。動けないしもう本当にイヤだ。このまま眠ってしまいたいのに、意識は覚醒していて無理。
「はいはい、期待しないで居ますが、あんまり長いと悪化するのでそろそろ治して下さい」
「これで、どうだッ」
 呆れ混じりの声に勢いよく何かが私に叩きつけられた。
 見えない何かに一気に侵入されざわりと総毛立つ。害意がないのは分かっていたが、身体が驚いている。
 頭も少しパニックを起こしかけていた。無理矢理傷が元に戻らせられる違和感。今まで感じた事のない感覚。
「あ、馬鹿。いきなりそんなに掛けたら彼女に負担が」
「あ、やば」
 叱咤と上擦った声。そんなのがどうでも良くなるくらい吐き気がする。
 気持ち悪い、気持ち悪い。来ないで欲しい、触らないで欲しい。癒さなくて良いから離れて欲しい。
「………っう、嫌!」
 思い切り身体の反動を使って起きあがり、それらを弾き散らす。ぜえぜえと息が切れる。
 身体の傷は消えているのに、まだ執拗に傷口を探すのが分かる。
「あの、大丈夫です――」
 目を瞑っているから余計分かる感触。這いずる何か。
 気持ち悪すぎる。出て行け出て行け出て行け。
「で、で……」
 頭を抱える。頭痛がする。こめかみが熱い。
 来るな、触らないで。寄るな。もう良い、充分だ。
 治ってる、もういいのに。いい加減に、して。
「出てけ! もういい、もういいです充分治ってますッ」
「いっ!?」
 ぱん、と身体の内側から光が押し出され、弾けた。継いで少年の呻き。
「大丈夫です、か」
 目蓋を開くと視界が滲んでいる。それが涙と気が付いて指先で拭う。
 心配そうに紅い瞳がのぞき込んでいた。指先が柔らかな感触を伝える。腰掛けていたソファではない。
 天蓋付きのベッドに寝かされていたらしい。うわあ、お城でもこんなの見ないよ。
「……俺の術、拒否された。凄い拒絶された……」
 下の方から沈んだ声が聞こえてのぞき込もうとしたら身体が傾いてベッドにもう一度倒れ込む。
「大丈夫ですか。まだ完全に回復はしていませんから動かない方が宜しいかと」
「済みません。ちょっと身体が上手く動かなくて」
 身体もだけど、気絶する前に見た映像と今までの無理が一気に来たらしい。ふらふらする。
 赤い垂れ幕みたいな天蓋。なんだかお姫様みたい。
「そう言えばさっきのコウモリさんはどうしたんでしょう」
 辺りを見回す。膝に乗せていたから一緒に落ちたかもしれない。怪我してたのに。
「ああ、あの馬鹿コウモリはお仕置き中です。思念をゆらす癖は直せと言っているんですけれど。
 お菓子を奪う為に噛み付くなんて、はあ。意地汚くて済みません」
「あ、いえ。その急に取っちゃった私が悪かった訳ですし。
 多分、今までの疲れが原因だから切っ掛けにしかなってませんし怒らないであげて下さい」
 慌てて首を振る。いきなりお菓子を奪ったから反射的に噛んだのだろう。あの悲鳴からすると悪気はない。
「優しいですね」
 微笑むニーノさん。
「うぅぅぅ」
 また下から声が聞こえた。なんか苦しそうだ。
「あの、誰がもう一人いますよね。とても苦しそうですが」
「耳障りでしょうが、放置して結構です。ただの愚弟ですから」
 にっこり答えられて止まる。愚弟、と言うと弟。
「弟さんですか!? 放っておくってのはちょっと」
 挨拶くらいしないと駄目じゃないだろうか、こんな状態で悪いけれど。
「大丈夫です踏んでも潰しても死なない丈夫さだけが取り柄の弟です」
 微笑んでいるが目とか口調が笑っていない。なにかとても怖いのですが。
「貴女の前に出すほどの者ではありません。事実顔を見せないでしょう」
 言われて眉を寄せる。確かに下の方で声聞こえるし、いるのだって分かるのに姿を見せてくれない。
 避けられて、いる?
「……何か私嫌われていたり、とかでしょうか」
「いえ、それはあり得ません」
 即答される。苦悶らしい呻きが更に酷くなる。本当に踏まれているとかじゃないよね。
 す、と息を吸い込んで心を落ち着ける。一拍二拍。瞳を閉じて自分の存在を確かめる。
 足下に誰かの気配。チリチリと炙られるような痛みが背中付近でした。
 思わず跳ね起きて背中を確認する。
 ……違う、もう少し後ろの方だ。痛みを感じたのは空中。おかしいけれど、たぶんそう。
「どうしました。痛みが……」
 心配そうな声に首を横に振る。
「あの、弟さん。ちょっと来てと言うか立ち上がって貰えますか」
「ううっ!?」
 悲鳴が上がった。
 本当に私は嫌われていないのだろうか。不安になってきた。
 もそりとベッドの側に黒い固まりが覗く。それが黒髪だと気が付くのにしばらく掛かった。
 ニーノさんと同じ深紅の瞳が拗ねたように細まっていて。目尻に少し涙が浮いている。
 私より少し年上の少年、だと思う。顔を半分しか出してくれてないのでよく見えないけど。
「何故泣いているんでしょう」
 うめき声と目尻の涙で何か泣いていたのは理解した。
「色々ありまして自己反省中です」
 質問にニーノさんが軽く首を傾けた。意味がよく分からない。
「少し立って頂けますか。嫌なら良いんですけれど」
 しばし沈黙が流れ、のろのろと立ち上がる。しゃがみ込んでいたのか。
 失礼にならないように腕に力を込めて半身を起きあがらせる。
「あ、別に起きなくても良いから!」
 私の動きに慌てたように相手が素早く立ち上がった。
「いえちょっと、気になる事があって」
 重い身体を両腕で支え、体勢を立て直す。そっとニーノさんが支えてくれる。
 ありがたい。そのまま甘えてベッドに腰掛けるように座り直す。大分頭がスッキリしてきた。
「気になる、事」
 紅い瞳を訝しげに細めて首を傾ける。艶やかな黒髪が揺れた。
 声の通り私より年上の少年だった。濃紺の黒に近いベストは同じでも、窮屈なのかシャツの前は緩く開かれている。
 黒いリボンは止める事が面倒なのか解け掛かっていた。美少年の範疇なんだろうけど、何か変。
 というか兄弟なのにもの凄く似ていない。同じなのは目だけれど、赤みはニーノさんの方が強い。
 近寄りがたい兄の美貌とは違い、弟である彼の方が親しみを持てた。なんだろう、親近感。
 綺麗なはずなのに素朴な印象を受ける。外見観察は止めて引っかかりを解消する事にした。
「背中向けて貰えますか」
「ん、う……これでいいか」
 口調まで違う。渋々ながら背中を向けてくれた。
「もう少し屈んで貰えますか」
 僅かな間を置き、ゆっくり背が下にずれていく。この辺りかな。
 痛みを感じた背中から少し離れた場所。空中に指先を伸ばす。
「え?」
 背に当てられた手が硬直する。ニーノさんが驚いたように声を上げた。
 指先に何かが触れた。何となく覚えのある感触。
 思わず掴む。ぐに、とした手触り。継いで背後から鋭い痛みを感じた。なんか、リンクしてるような痛みだ。
「いっ、てぇっ!? な、なななななにしやがるんだよッ」
 跳ね飛んで、私の方を睨む赤い双眸は先程より涙が滲んでいる。
 あの感触、この口調。態度。符合するはずなんてないのに、確信した。
「……コウモリさん?」
「えあ……なっ!?」
 動揺が答えだ。顔が青ざめている。
「羽、治してないじゃないですか。駄目ですよ折れているのに」
 なんだか不思議な感じがしたと思ったら、あのコウモリさんか。
「私ばっかり治さないで自分も治さなくちゃ駄目じゃないですか。重傷ですよ」
 落ち込んでいたのは私が怪我したせいかと微笑む。そんなに気にしなくても良い事なのに。
「う、うう。なんで分かるんだよ!?」
「いや、言動とか……雰囲気?」
 滲み出る空気があのコウモリとよく似ている。姿は人だけど。
「結構酷く折れてましたから、痛いですよ。主に私が」
「何でお前が痛いんだよっ」
 問われて考える。何でだろう。
 ジンジンとした痛みは彼の痛みの一端のはずなのに。私も痛い。
 見えないけどかなり痛い。骨が折れたのならこんな痛みではないはずだから、恐らく本人はもっと痛いはず。
「なんか、痛いんですよ。背中の後ろがジリッて……もしかして私の方優先してくれたんですか」
「うう、事故だけど怪我させたし。兄貴に喰われそうな目で睨まれたし」
 少し膨らんだ白い頬が僅かに赤く染まる。うわ、あのコウモリさんの仕草そっくり。
「当たり前です、女性に連れ帰って貰っただけでなく噛み付くなんて非常識です。
 ほら、痛がっているので治して上げます」
 酷く冷たく告げて、指先で羽があるらしい部分を弾く。苦痛の呻きと、ふわりと広がる淡い光。
「い、ってぇぇ」
 うずくまって彼が悶絶している。だけど私に痛みはない。
 羽自体は治ったらしいが、あの指の一撃が効いたのか。
「大丈夫ですか」
 声を掛けるとベッドの端を掴み、這い上がるように首を乗せる。
「だいじょぶくない。痛い」
 半泣きというか目尻から涙が零れそうだ。う、凄く痛そう。
「自業自得です」
 冷えた返答。気のせいかニーノさん弟さんに厳しくないですか。
「ええと、あのコウモリさんが弟さんなんですね」
「恥ずかしながら」
 私の確認に俯き気味に目線を伏せ、ニーノさんが頷いた。
 


 

 

 

 

 

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