十三章/なりゆき生贄

 

 

 

  

 非日常。たまには香辛料(スパイス)になる事も、続けざまだと胸焼けする。
 異世界での一風変わった生活。一度は考える事ではある。
 現在一風どころか死ぬ思いばかりで旨みを全く感じませんが。
 で、今はと言うと生贄です。
 異世界に間違って召還され。
 要らないとか要るとか言って戦場にさんざん連れ込まれて。今度は生贄。
 召還されて吸血鬼の生贄。まあ、美麗。素敵かも。
 本に出来そうな感じであるけれど。
 後ろから迫る羽音に足を速める。
 巨大コウモリに襲われてついばまれるってのは絵的にも美しくないし、何より生物的に嫌である。
 もう、好きな人がどうのではなく、死ぬのが嫌という範囲を超え。
 人間の存亡というか。私自身のアイデンティティーが許さない。絶対嫌。
 無数のぎらつく双眸に怖気が走る。喰われてたまるか。
 数拍前の『吸血鬼に吸われるなんて』というのは取り消す。お願いします吸って下さい。
 こんな大きなだけのコウモリに襲われて食い尽くされるくらいならそっちの方が良い。
 (しもべ)にでも何でもなってやる。
 見目麗しいなんて望まない、殺される相手が大きなただのコウモリはぜったいイヤ!
 魔物言語は聞こえるのも理解してる。
 だけど私だってだれかれ構わず交渉をするほど馬鹿でも節操なしでもない。
『腹を割いて臓腑をエグリ喰う』
『眼球はオレノモノ』
『ツギノ皮は綺麗に剥こう』
 とおっそろしい事を楽しそうに談笑混じりでして頂いているのだ。
 知能はあるらしいが話し合いにもならない。というか理解してくれるかも不安だ。
 どう考えても獣を少し賢くした程度。会話だってカタコト。
〈―――か……すけ〉
 耳と脳裏に響いた声に思わず足が止まりそうになった。
 マイクを間違えて機器類に近づけたような甲高い音が一瞬して、キンキンとした声が聞こえた。
〈誰か、助けろ。助けろ。助けろー〉
 声はふてぶてしいものの、涙が混じっている。
 ああ、私のお仲間が居る。思念っぽいけど私返せない。
「誰か居るんですかーーー」
 声を限りに叫びながら走る。
〈こっち。こっちだ!〉
 喜色満面の笑みが浮かぶような尻上がり気味の答え。
 ああ、申し訳ありませんが私も追われています。でも一緒に逃げましょう。
 一人よりちょっと怖くない。後ろからはバサバサ音がするけど。
「どこーーーーーー!?」
 こっちと言われましても見えません。
〈お前の足下の近ちょ、止――〉
 靴でぐにゅ、と何かを踏みつけて。思念が止まる。
 あ。
〈うご……っ踏むなぁぁ〉
「すいません見えなくて」
 ずいぶん変な感触だったと首を捻りながら涙声に謝り、慌てて引き返して踏んだ何かを確認した。
 地面に落ちた、モルモットくらいの大きさの黒っぽい固まり。
 袖口の輝虫を散らして確認する。それは、大きなコウモリだった。
 思わず大声で叫んで逃げ掛ける。
〈待て、置いていくな〉
 思念と共に、器用に片方の翼でむくと起きあがって私を睨みあげる。
 堂々とした態度を示すかのように反り返るコウモリ。金色の瞳、不遜な態度。
 明らかにおかしな生き物なんだけど。この世界、別にコウモリが喋っても不思議じゃないのかも知れない。
 世の中は不思議が一杯で、私はまだまだ世界を知らない。
〈助けろ〉
 むんっ、と胸辺りを更に突き出して大きいと言うよりずんぐりしたコウモリが命令する。
 ……なんか、可愛くないなぁ。けど虚勢だとすぐ分かる。彼(?)の羽が両翼とも折れ曲がっている。
 これでは飛べない。
「お願いはしないんですかコウモリさん」
〈う、こっ、交換条件でどうだ!?〉
 何か下手に出る事でもの凄く自尊心が傷つけられるらしい。
 必死に交渉を持ちかける姿は哀れを誘い、逆に格好良く見せたいらしいものを粉砕している。
 思念の言葉に愛らしさの欠片も無いけれど、声も姿も衰弱しきっている。
 もこりとした大きめのコウモリは縫いぐるみにも見えて、後ろのコウモリと違って可愛いと思えた。
 交渉は後回しにして取り敢えず彼を出来る限り傷めないように両掌で包み込んで走る。
 後ろの羽音が近づいている。
〈あいったーーも少し丁寧に。ぎゃぁぁぁアイツら来たーー!〉
 ああ、あなたもやっぱり顔見知りですか。
 このコウモリは危険じゃないと、なんだか思った。


〈速く走れ。頼む! アイツら見境無いからやだ!〉
 その言葉を聞きながら自分の服を考える。貫頭衣にも似たミルク色の法衣。
 フードにも袖にも入るけど。落ちたらいけない。
 ポケットもない。仕方ない。
 ぐい、と襟元を広げてその中にコウモリを放り込んで片手で抱える。
〈暗い。暗い。こわっ。でも暖かいここ〉
「要らない感想は止めて下さい!」
 良く喋るコウモリだ。口から生まれたに違いない。
 コウモリが闇を怖がってどうするんだとも同時に思ったりする。
〈……助けてくれるのか。というかここポケット?〉
 羽でぺちぺちと肌が叩かれる感触。う、くすぐった。
 これが人間なら即刻セクハラで訴えられる。
「服の中。他に入れる場所がなかったから我慢して下さい」
 溜息混じりに答えると思念が動揺した。ごう、と頭が揺さぶられる感覚によろめき掛ける。
 思念って、感覚をリアルに伝えるせいで衝撃がモロに来るのか。
〈服!? む、我慢するから外見せろ〉
 何故か上擦りつつ、ふて腐れた呻き。
「自力ではい上がって下さい」
〈――冷たいとか言われた事無いか〉
 助けてる人間にその言い草は失礼だと思いませんかコウモリさん。
「贅沢言わない。こっちは走ってるんで余裕無いです!!」
〈……いつ出られる?〉
 知らないですよ!
「探し中ですッ!」
 こっちも困っているのに、呑気な台詞に吐き捨てる。
〈……!……〉
 てっきり出られると思っていたらしく。
 声にならない悲鳴と。またしても頭を吹き飛ばさんばかりの衝撃。
 うあーー。鬱陶しい。
「いちいち動揺しないで下さい。転んだら潰れますよ」
〈ううう。ああ、ツイてない……何でこんな目に〉
「あー、それは同感の極みですね。私だってこんなのに喰われる気は毛頭ありませんよっ」
 悲観に暮れるコウモリに同意する。私だって力一杯叫びたいですよ。
〈……迷子?〉
 不思議そうな声で聞かれた。
 何が悲しくてこんな薄暗いところで自ら迷子に。というかこのコウモリ迷子なのだろうか。
「違います。生贄とか言われて放り込まれたんですッ。もうあれの何処が吸血鬼なんだか」
〈いやぁ、アレが吸血鬼に見えるとは世も末だねぇ〉
「緊迫感を持て」
 お気楽な、口笛でも吹きそうな口調に思わず脅しつける。
〈いや……居心地良いからついつい〉
 告げてくる声音はもう、コタツの中でくつろいでいる猫そのものだ。
 自分でも口元が引きつるのが分かる。
「胸元から引っ張り出して石代わりに投げつけても構わないんですからね」
 投げますよホントに。
〈胸元?〉
「逃げる女の子の胸の中で何悠長にくつろいでるのかと聞いてるんですけど」
 ごん、と後ろ頭を殴られたような感覚に目の前が白くなりかけ、慌てて持ち直す。
 な、なに。後ろを振り向いても突撃された感じではない。
〈胸元ーーー!?〉
 叫び声に理解する。また驚愕したのか、しかも今のは半端無かった。
 転ぶ前に意識ごと吹っ飛ばされるかと思った。
「動揺しないで下さい。思念からモロに衝撃波っぽいのが来るんですよ!?」
〈あ。悪い。うっかりしてた〉
 分かってるなら気をつけて欲しい。
「はあ。コウモリなのになんでそこまで慌てるのか」
〈……女には分かるまい。繊細なんだよ〉
 何か煙草か酒でも含んで、呟かれそうな渋い台詞だ。
 まあ、もこもこ動いているのが分かるだけだから全く格好付かないけど。
「知らないですよ。ていうかですね、出口くらい知りませんか」
〈罠ならある。そっちのレバーを引くと落とし穴に真っ逆さま〉
 訊ねると嫌そうな返答。それ出口だろうか。
 辺りを軽く見回せば、棒状の何かが斜めに突き立っているように見えた。
 折れた剣ではなくレバーなのか。近寄って光で確認すれば確かに取っ手もある。
「……落ちたら無数の槍が」
 この世からさらばという洒落でもかましているのだろうかと疑いつつ、聞く。
〈いや、外に出るがちょっと大変な目に遭う〉
 もぞもぞ動く彼。むぎゃーくすぐったいんですってば!
 丸まって拗ねたような体勢になっているのが分かる。そんなにイヤか。
「どんな目です」
 外にどでかい獣王族でも居るのかと不安になりながら更に続ける。
〈濡れる〉
「よし、それにしましょう。喰われるより濡れる方が万倍マシ!」
 情けない答えに私は即決した。
〈いやだーーー濡れたくないぃぃ〉
 猫ですかあなたは。
「女々しいっ。死にたくないなら我慢です」
〈羽が濡れるぅぅ〉
 命の方が大事でしょうよ。
「乾かせば大丈夫」
 笑いながらレバーに向かう。さあ脱出ー。
〈しーぬー〉
「ここより安全。いざ行きましょう」
 錆びてはいるけど動かせそうだ。絶望溢れる声にレバーを握った。
 対する私の返答は弾んでいる。
〈教えるんじゃなかった!〉
 もう遅いですけどね。後の祭りという奴です。
 コウモリの悲痛な絶叫を聞きながら、重いレバーを引く。
 鈍い音と同時、私の身体は真っ暗な坂にも思える滑り台に転がり落ちた。
〈ぎゃーーー〉
 ごうごうと風が唸る音。泣いても笑ってもこれで引き返せない。 
 往生際が悪いコウモリはまだまだ悲鳴を上げていた。
 観念して下さい。ていうか服で暴れないで下さい。
 もがもが動くコウモリを手の甲で軽く弾いて静かにさせた。



 

 

 

 

 

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