十三章/なりゆき生贄

 

 

 

  


−vision− アニス

 何時の日か思った事がある。こんな事が起こったのならば皆どうするんだろうと。
 冷たい空気に身をゆだね、自分の金髪を指先で絡める。あの子が綺麗だと羨ましいと微笑んでいた姿。
 可愛い子。優しい子。人間らしい人。
 だけどそれだけではこの城にいる価値はない。だから、こんな日が起こっても、誰もが同じくいつも通りの日常へと駒を進め、使えないと判された駒を捨てる。
 そう考えていた。
『カリンが攫われた』
 その一報を理解するのにどれだけ頭を動かそうとしたか思い出すだけで頭痛がする。
 久方ぶりに、脳が現実を拒絶した。
 どんなに人が死のうと、同胞が朽ちようとも微動だにしていなかった感情が揺れた。
 激情をそのままシャイスにぶつけようとして止めた。彼の白い法衣には土と血が混じりこびり付いていたから。
 報告する前に追ったのだとすぐに理解出来た。無茶な事もしたのだろう、城にたどり着いた時にはボロボロになっていた。
 
 予想というのは予想であり、現実は違う。

 それを実感させられたのはその報告が来て数刻も経たない頃。
 自分は役に立たないと泣きそうな顔で本を読む少女に何度も言い聞かせていた。
 そんな事はない。
 告げた事は間違っておらず、そんな事は、無かったのだ。
 その証拠に、城がまともに機能しなくなった。
 別に結界を張っていたわけでも主戦力の一員というわけでも無いカリン一人が居なくなっても支障はないはずだった。
 現状を鑑みるにそれより最悪かも知れないとは思う。
 城全体の人間の活力が半減以下という有様になってしまったのだ。
 ルーイと策を練っている彼女は何時も頭を抱えながら皆の負担が軽減する事を考えていた。
 細かすぎないかと問うと、計画書を練りながらあの少女は何度も言っていた。
『兵も勇者候補もみんな人間なんですよ、感情があって当たり前です。優遇、出来るに越した事無いですよ』
 気配りという点においてはどの勇者候補も彼女には勝てなかった。
 調理場から厩舎(きゅうしゃ)まで暇がある日は顔を出していた少女は影で働く人間の支えになっていたらしい。
 コックは落ち込み食事が遅れ、馬を世話をする人間どころか懐いていたらしい馬まで元気がない。
「精神面のケアって大事なのね」
 口の中で呟いてしまうほど酷い状態だ。
 今まで使うだけ使って、使い捨てられていた彼らには声を掛けてくるカリンが希望に見えたのだろう。
 絶望に近い場所で光って見えるのなら尚更に消えたショックは大きい。
 獣王族に襲われた翌日の方がまだ活気があった。
 半日経たずにこの惨状。
「というかこの場が一番崩壊寸前なんだけど」
 ぽそ、と口を動かして視線を泳がせる。
 今は会議中だ。砦に攻撃をしかける敵へ次の策を張り巡らせる為の会議。
 本来ならば熱い議論が交わされているはずなのだ。
 はずなのだが、凍るように場が冷えている。
 今回はマインも同席するはずだったが、消えた。どこに行ったかは考えたくないので無視しておく。
 出ていく前に、他の人間に殺される位なら自分で殺す、と息巻いていたが大丈夫だろう。
 確かにカリンとマインは何か約束のようなモノをしたのかも知れないが、カリンは何も知らない少年に疑問と躊躇いを植え付けた。
 時には命取りになるだろうが、何も考えずに全てを潰す人形よりは良い。
 ――今はマインちゃんより目の前よねぇ。
 もう一度自分の髪を絡め、軽く引く。
 纏めたらしい分厚い計画書を持ってルーイがたどたどしく声を発する。
 最近戦場での策をルーイが仕切っているとはいえ、素案はカリンと共に決めている。
 異論は出ない。皆、上の空だ。
 鈍色の蒼い瞳が時折瞬き、呻くような言葉になる。
 聞く人はおらず、発言も曇り色。
 全体的に駄目だ。ルーイはカリン無しで会議を一生懸命回そうとしているが空回っている。
 虫の羽音のような小さな声に溜息が被さる。
「カリンの冷えた声が無いと、何となく物足りないな」
 いつもなら様々な発言でカリン、ルーイ共に攻撃するのに詰まらなさそうに自分の銀髪を見ている。
 冷静であり冷徹である事を自負するプラチナでさえこうだ。
 もうぐだぐだを通り越して城の芯が抜けきっている。ルーイ自体の能力が高いとはいえ、この空気は遺憾ともしがたい。
 城に来て日が浅い上、元々彼は気を締めるのになれていない。 
「カリン様……」
 プラチナの一言に持っている紙が歪む。
 虚勢が僅かにぶれ、瞳が潤む。
 今にも泣き出しそうな彼を咎める者は居ない。
「まだ、僕だけじゃ無理ですよ。早く帰ってきて下さいよ」
 ぽそぽそとした弱音を全員で聞かない事にしておいた。
 カリンが居なくても会議は進められる。生活も出来るのに、上手くいかない。
 ここ数ヶ月で、オトナシ カリンは確実に城の重要な位置を占めてしまったのだ。
 確実な場所もない、強さはない、だけど居ないだけでこれだけ人が乱れる。
「カリンちゃん早く帰ってきて」
 捜索をする前に魔法で検索も頼んだが引っかからなかった。
 魔法の結界のある場所を縫いながら進まれたせいで足取りが掴めない。
 実に計画的な人攫いだ。
 犯人を見つけたらシメる。いや、八つ裂きだ。取り敢えずアニスだけではなく城のほとんどの人間の総意である。
 印も付けていなかったから、魔法では見つけ出す事は困難。
 だから、柄にもなく手を合わせて目を閉じる。縋るモノがないのなら誰もがこうするはずだ。
 そう思いたい。勇者候補と言っても万能ではないのだから、カリンが言ったように人間なんだから。
 目を閉じて、少女が帰ってくる事を祈った。
 たとえカリン自身が、自分は居なくても大丈夫だと考えていても、城の人間はそうではないと。教えてあげたかった。
 足手まといだと言われても、力が無くても必要な人間が居る事をアニスだけではなく城の皆が肌で感じた事を。

 


 

 

 

 

 

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