十一章/策略者カリン

 

 

 

  


 ぼんやりと雨音を音楽代わりにシャイスさんとお茶を飲む。
 無機質な部屋に私が摘んだお花が妙に浮いて見えた。
「雨、続いてますね」
 絵でも置こうかと思いながら呟く。
「カリン様、あの。落ち込んでないんですか」
「私が浅慮だったんですよ。仕方ないです」
 おずおず尋ねてくる彼に微笑んでみせる。本音を言えば苦笑したいところだ。
 泣いてもふて腐れても仕方ない。自分が招いた事なので、潔く今回は受け入れた。
 それに、あれだけで済むとは思えない。それも私がやった事。
 僅かな時間目を閉じて、脳裏で図面を軽く引き直す。
 ふふ、と笑えてしまう。自暴自棄にも等しい行いなのに、それでも止められない。
 還りたいけど、みすみすこのまま見過ごす事も出来ない。優柔不断な自分が嫌になる。
 本当に大馬鹿者で、間抜けな自分。道化みたいではなくまさしく道化。
「シャイスさん。この間の作戦、いつ実行でしょう」
「え。ああ、雨脚が弱まっては居ますがぬかるむので晴れた日にと」
「部隊自体の準備は整ってるんですよね」
 大勢の人達と馬車を城からこっそり見送ったのを思い出す。
 進み具合ではなく、違うものを訊ねられたと分かったかシャイスさんが頷く。
 いつもより空気が引き絞られている。
 表向きはプラチナの名で、実質上の作戦の指揮は私が執っている。
 勇者候補未満のカリンではなく、その仮面を付けた問い。
「はい。確かいつでも可能です」
 付け加わる言葉もない。部隊自体の状態に異常はないようだ。
 もうたどり着いたという事か。後は指示を待っている。
 さてと。
 再度瞳を閉じる。飲んでいたお茶を置いて、私は告げた。
「プラチナに、ちょっと言ってくれませんか。大変だろうけど、すぐに行動に移せと」
 幾つか注意点を教えるとシャイスさんが書き写す。
「何でですか」
 目蓋をあげると不可解そうな顔が映る。自分の心が何処か虚ろに思える。
 作戦にもうこれ以上手を加えるものはないから、紡ぐ言葉は決まっているのだ。
 その行為に感情は不必要。邪魔だと分かっているからの行動だけどやりきれないのは確か。
 お茶の香りも味も、分からずに。口に含んでも私の気持ちが癒される事はない。
 ロボットみたい。言っててそう思うのだから、彼から見た私は空虚な眼差しをしているだろう。
 事実シャイスさんの目が心配そうだ。本音を言うなら心配は掛けたくない。
 でも心を一旦切っておかないと感情で作戦がぶれる。人が死ぬ。指示を与える私が動揺するのは許されない。
「あの作戦。ある程度雨が強い方が効果があるんですよ」
 霧と幻影で混乱させる基本的な作戦。足音や匂いは誤魔化せない。
 懸念される事態は、この天候で無くなる。多少の物音は雨でかき消され、自然の霧が長続きしている雨で発生している。
 足下の霧が増えたところで不自然とは思わない。そして嗅覚も視角も濁る。
 対してこちらは隊長に目を瞑っていても移動出来るほどの地図を叩き込ませている。指示をきちんと守れば目は要らない。
 音も魔法を使えば通信可能だから関係ない。寧ろ好都合。魔法も種類を変えればいい事。
 軍隊の細部にわたって調べ、魔法を使える勇者候補の人達に出来る限り本物そっくりの幻影を作る事を教え込んでいる。
 下地も完璧。舞台も整って、天候は頃合い。そして成功率と生存率が上がる。
 現場への細かな指示はその場の状況に応じて臨機応変に与えればいい。戦況はかわりやすい。
 いつでも対処出来るように、しばらく私はこのままで居よう。
 策という名の網を丈夫に練り上げ獲物を包み込む為に。
「そう、なんですか。でも」
「私、我が侭ですからね。弱い分、手助けできることはしたいんです。
 それに、打開策があるなら尚更見捨てる事も出来ないんですよ」
 尋ねる彼に感情を切り替えて笑ってみせる。もう、ホント馬鹿だと言いたくなるだろう。
 自分で自分の首を絞めるどころか釣り上げる勢いだ。でも、国の人は捨てられない。
 世界はどうでも良いけど、道具屋、雑貨屋、来る人達を思い出す。
 魔物も本当は殺したくない。矛盾ばっかり。
 けど――助けられる人が増えるに越した事はない。
 成功すれば、私はまた一目置かれる。還る事も諦めていない、還りたい。
 同時に。世界平和もこなしたいと思うぬるま湯に浸かっている自分が居るのだ。
 もう一度、感情を切り替えて準備を整える。丈夫に広げた網だけど、これから少し騒がしくはなるだろう。
 溜息をつく前にお茶を飲み。後ろで閉まる扉の音、シャイスさんの居ない部屋でぼうっと天井を眺めた。
 舞台の幕が上げられる。数日も経たぬうちにそれも終幕。成功すれば大喝采、私はもう引き返せない。
 分かっていても、策を弄した。馬鹿な理由で無駄に人が死ぬのが嫌だった。
 唇から離したカップを置き、溜息。
 成功しても失敗しても、私は策を練り与え、実行させた。それすなわち、人命を操るに等しい行為。
 人殺し、か。
 死人が出れば言い逃れは出来ないし。弁解するつもりももはや無い。
 ただ、そうだ。これが終わったら、必要なものが出てくるだろう。
「軍師、参謀……か」
 私は一般人だから、それ以上の事は出来ない。成功すればきっとプラチナは私をそう言うものにしたがる。
 早急に人材が必要だ。今この国に力はいらない、知を武器とする人間が城では枯渇していた。


 重い箱を運び終え、伸びを一つ。
「ふあぁ〜」 
 ついでに欠伸。もう少しであの結果が出る。
 状況を聞きながら指示を細かく与えた。出来る事は全てやった。後は野となれ山となれ。
 並の神経の私はよく眠れなかった。不安でもあり、怖くもあり、希望もある。変な気持ち。
 今日も雑貨屋のお手伝い。粉の詰められた袋の入った木箱をピラミッド状に積む作業は骨が折れて半日以上費やした。
 訓練には良いけれど疲れた。一段落して休憩を取ったら残りを乗せて正方形状に積み上げる。
 さて休憩しよう。痛む腕を揺らし、辺りを眺めてぎょっとなる。
 すすり泣く声が聞こえる。一つではなく、複数。
 全員泣いて居るんじゃないかという量のすすり泣きに肌が粟立つ。
 ――まさか。
 幾らか死傷者は覚悟していた。
 全滅とか無いよね。
 それは最悪の展開。あの策ははめれば有効であると同時に、気が付かれて読まれれば下策へと転じる。
 何しろただでさえ少ない軍隊を三つに分けている。回り込まれたり数で攻められればひとたまりもない。
 相手が興奮した後に混乱するのが狙いだからだ。冷静な相手には使えない。
 出来る限り天候にも配慮して、更にシミュレートとして練習もした。だが、絶対はない。
 危機に陥ったという報告は全く聞いていないが、魔法を使える人間が始めに叩かれたなら情報も来なくなる。
 そんな事になった時の用意もしてある。危なくなったら足の速い人を寄越せと言うのも重ねて言った。
 伝令は真っ先に私に来るようにもした。瞬く間に全滅しない限りは最悪の事態は無くなるはずなのだ。
 いつ来るか分からない使いを待つより、今はこの場で聞き込む方が早い。
 とにかく確認しないと。
 慌てて辺りを見回す。うずくまって泣いている人さえ居る。
「あの、そのっ。すいません!」
 声を掛けるがみんな声を殺して泣いている。
 ああ、どうしよう。と困っていたとき、一人の女性に気が付いた。
 女性というには年をとりすぎている。けれど、私は彼女を知っている。
 相手も私を知っている。
「あの! ご免なさい聞いても良いですかっ」
「なんだい。こんな時に」
 彼女も泣いていたのか、ベールで覆った口元を抑え初老の女性はくぐもった声で答えた。
「私です。あの時の私!」
 今まで一度も外さなかったベールを外してみせる。
 初老の女性は、あの、初めて城の外で出会ったその人だった。
 僅かに細められた目が大きく見開かれる。
「あんたかい! ああ、やっぱりあんたか」
「はい、えっと私。カリンって言います。でもナイショにしてて下さいね」
 流石にあんたでは呼びにくいだろうと唇に手を当てながら名乗る。
「カリンか。私はメイベルだよ、良ければ覚えておくれ」
「はい、メイベルさん」
 ベールを直し頷く。なんとなく前より空気が穏やかだ。
「えっと、何かあったんですか。皆さん泣いてますが」
 死人が大量に出たとか、と言おうとして耐える。
 言えば現実になりそうな気分に陥り、声にならない。
 いきなり両腕を掴まれた。初老とは思えない力に驚きを覚える。
「そう、そうだよ! ああ、アンタを逃がして良かった。私は間違えるところだったよ」
「は?」
 涙目のその言葉に、間の抜けた声を上げていた。
「今回出た兵。みんないつものように全員死んじまうと覚悟してたんだ」
 いつも死んでるんですか。いや、あの無謀な布陣を考えると当然かも知れない。
 じゃあ今回は少しはマシなんだろうか。でも泣きまくってるよ皆。
「そ、それで」
「無事だったんだよ! みんながみんな無事なんだ。ああ、こんなに嬉しい事があるかい。
 もう、嬉しくて嬉しくて。皆感激のあまり咽び泣いてるんだよ」
 ……ああ、そうなんだ。良かった、死人が凄く出たのかと動揺してしまった。
 成功したのなら、伝令が来る訳がない。心でふうと息を吐く。
「よ、良かったですね。あはは」
 乾いた笑いをしてみせるけど。何故か手は離れない、更に強く握られた気もする。
「有り難うよ。本当に、あの時は悪い事をしたね。
 帰ってきた皆の様子を見て、アンタがやってくれたと確信したよ」
 え。と思考がすっぽ抜けそうになった。何でそこで私に行き着くのでしょうか。
「な、なんでです」
「だって、いつもは帰った人間は無傷でも死にそうなんだよ。
 今回に限って、帰ってきた者達は元気な上に生気もある。
 正味な話、戦いに行く前より生き生きしていたんだ。使い潰された風もない」
 あああ、と思い切り納得する。確かにその通り、今までの超酷使法から一転して負担軽減へと方針転換したのだ。
 兵の負担を出来るだけ軽くと思い雨でも通りやすい経路を使い、休み時間もこまめに。食事も充分に。
 ご飯は城よりもかなりの好待遇にしておいた。質素な食事ばかりだった人達には充分な栄養だったろう。
 真面目に候補者と比べ、平民の体力を考えない勇者候補のとる作戦ではない。
 うん、かなり不自然ですね。私以前この人にあったとき『勇者候補じゃない』って言ったし。
 言葉を考えていると更に腕が引かれた。もがれるんじゃないかという勢いだ。振り解けないのは相手がもうボロ泣きしているからだ。
「それに戦い方も聞いて驚いた。勇者候補の力押しだけじゃない、兵を頼りにした戦い。
 普通の人間でも魔物は倒せるんだね、無力じゃないんだね。良かった、私らは邪魔者じゃないんだね」
 泣きながらのその言葉は胸に刺さった。
 私がいつも感じる事を、国民であって戦いにも出た事がない彼女が言った事に衝撃を覚えた。
 そうか、みんな……魔物は無敵の存在だと信じて疑っていなかったのか。
 勇者候補でないと倒せないとしか思っていないから、絶望していたのか。
 涙が少し滲んで視界が霞む。もらい泣き、かなぁ。
「そうですよ。魔物は絶対的な存在でも無くて、頑張れば私も手傷を負わせられる――勝てる生き物なんですよ」
 ああ、声を上げ、彼女が顔を覆った。この人は家族を魔物に殺された。だから、魔物が憎かったろう。
 兵は全て消えていくから、その強さにも絶望して。自暴自棄になりかけていた。
「大丈夫ですよ。人間は強いんですから、これからどうにでも足掻けますよ」
 気が付けば、私はそんな事を告げていた。
 泣き出すメイベルさんを眺めて、私は無意識に奥歯を噛み締めていた事に気が付いた。
 無力? そんな事無い。勝てる、絶対。
 いや、私は生きなきゃ駄目だから勝たないと。そしてこの人達が蹂躙されるのだって良いはずがない。
 すすり泣く声が一層増して。私は、拳を握りしめた。
 

 

 

 

 

 

 

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