十一章/策略者カリン

 

 

 

  



 地図をまじまじと眺める。最初から気になっていた事がある。
「一つ尋ねたい事があるんですが」
「な、なんだろうか」
 どうしてか引きつった声が返ってきた。何故に脅えますかプラチナ。
「この黒い軍団というか点は何でしょう」
 城の側に点々と数十以上黒っぽい点が点在というか、密集している。
「鉄の玉だ」
「鉄の玉というと鉄球ですか。何でこんな城の近くに」
 ほ、と息を漏らして答えるプラチナを横目に見、地図を確認。
 魔物を示す赤で染まっているその場所に、鉄球。
「大砲を使って数度魔物を蹴散らした残骸だ。鉄自体はまだ使えるだろうが……魔物が居る上に重すぎて回収は不可能だ」
 苦い口ぶりで回収したいのかな。とは思うものの、まあそれは興味本位で聞いた話。
「そうですか。じゃあ状況整理いきましょう」
 軽く頷いて好奇心を満足させて思考を切り替える。
「――う、うむ。分かって、いる」
 強張るプラチナの声と、揺れる冷たいはずの眼差し。
 また、フレイさんが笑うのが気配で分かった。



 悪夢だ。パンドラの箱より酷い。底に希望が残ってるのかすら疑わしい。
 ずきりと何度も頭が痛む。
 あまりの事に現実を直視したくはないが、認めるしかない。
 前に見たときよりも戦況は確実に悪化していた。
 私が訓練で武力や知識を詰め込んでいる間に、魔物達がぼーっと佇んでいるはずもなかった。
 確実に支配下を広げ、地図を蝕んでいたのだ。
 首の皮一枚。いまやこの城は喉元に毒蛇が牙を突き立て掛けているも同然。
 染められていない布陣用と、青が減った戦況の地図を見比べる。
 城が赤く塗りつぶされるのも間近。水際ギリギリで留めている。
 今回の策、失敗は出来ないのは素人目でも明らか。安全ラインである一定の空白に突出する赤い印達。
 城の真正面の次の目標。迎撃対象。これを見るに防衛線を突破されたと言わざるを得ない。
 一度失敗してしまえば勢いに乗って敵勢が攻め込んでくる。国は、耐えられない。
 絶体絶命――その単語がよぎる。
 相手の魔物が悠長な獣の思考と告げられても安心なんて出来ない、翻せば気が変わればいつでも向かってくるという事である。
 今日、明日にでも攻めてくるかも。召還されたときの悪夢がまざまざと蘇る。
 血まみれの城、食いちぎられて弄ばれる城下の人。恐怖、絶望、悲痛な叫び。
 それは、困る。もう他人ではなくて知り合いも多数居る。
 下唇を軽く噛んだ後、唾を飲み込み。自軍を表す青いピンと敵を表す赤を交互に示し、尋ねた。
「敵の種族は足がそこまで速くないんですね。飛んだり跳ねたりしませんね」
「うん、それは確かだと思う。こないだみたいな硬いのも居ないはずだよ」
 濁るような返答に眉をひそめる。……はず?
 人命がかかっているから、はずでは困るのに。
「曖昧ですね、じゃあ弓が使える兵も予備策として入れて下さい。
 余裕があれば、硬いのが出てきた時用に出来れば折れにくい武器を積みたいところです」
「カリン、慎重なんだね」
 感心したような声に冷たく答える。
「…………この戦況であの作戦が大雑把すぎるんですッ」
 わー、と悲鳴を上げるマイン。
 大雑把。んん?
 あり得ない事だが、あり得るのではないか。
 っていうかそれで負け続けているかも知れない。もう一つの可能性。
「ちょっとこの戦場の部分を細かく記した地図ありますか」
 膨れて弾けそうな不安と予感を抱えて私は尋ねた。
「あるけど何に使うの?」
「すこしだけ、気になる事があるんですよ」
 とても不思議そうな問いかけが、暗澹(あんたん)となりかける気持ちを濃くする。もしや、もしや。
 勇者候補の人達って。無策で突っ込んでるのではなかろうか。
 先程から気になっている地図の一点を眺めて、いろんな意味で吐き気を催した。 


「ふふふふふふ」
 笑う。砂漠化した笑い声を発して地図を睨む。
 全員。アベルすら引いているのが分かるが知った事ですか。
 これが笑わずにいられるか。あとは喚くか頭を抱えるしかない。
  
 地図で少し気になっていた黒い染み。
 確認してみたところ。

 沼地である。 

「あ、はははははは……は」
 乾いた笑いを用いて誤魔化していた気分がいろんな意味で壊れそうになってきた。
 今までのルートを考える。底なしだと聞いたその沼のように泥沼になりそうな思考。
 笑い声すらもう出てこない。
 完全に笑みを消してそれを見つめる私を、全員が硬直したまま眺めていた。
 アホですかあなた方は!
 唇に出したい気持ちを飲み込んで、上に乗っていたピンを掌で払う。
「な、何を――」
 抗議を上げかけたプラチナに、もう恨みにも似た視線を向けた。
 自分は駒だとは言っていたが、盤上の駒ならもう少し上手く動かして欲しい。
「無いです! やり直しです、全部練り直し決定!」
 怒りと共に拳を地図に叩きつけるとマインがビクリと震えた。
「なにか、あのー。悪いところが」
 悪いところ?
「あるに決まってるじゃないですか」
 黄泉路からはい出てくる怨霊の気分で言葉を返す。
「デスヨネ。えへへ」
「鎧付けたまま沼地を横断するなんて無謀も良いトコです。信じられない何ですかこの無謀なルート!!」
 もう理解不能な域に達するが、信じがたい事に軍隊を底なし沼に突入させる直線ルートで進ませるつもりだったらしい。
「その程度なら、普通は飛び越えられて当然だ」
 成る程、と一応頷いて見せて地図をみる。森や国の比率を考えると直線距離が軽く百メートルはある。
「だから、その勇者候補基準を直せと言っているのが分かんないですかいい加減!」
 勇者候補は飛び越えられようが、並の人間には不可能である。まして鎧と武器抱えたまま。
 沼に自殺しに入りに行けと言うも同然。はい上がれてもクタクタで身体はべちゃべちゃ。そして魔物がお待ちかね。
 
 勝てるか!
 
 叫びたいのを我慢する。沼に板を載せる事も考えたけど――駄目、底なしで泥も少ないと聞いたから沈む。
 橋でも架けないと無理だ。多少遠回りになっても迂回するしかない。
 部隊を分けるか、分けないか。こめかみが痛む。
 まず味方の戦力の再確認か。
「フレイさん。ちょっと死者名簿と兵法書数冊。あと今までの戦況報告持ってきて頂けますか」
 既に葬式の最中のような沈黙の中、発した声は自分の耳を疑うほどに冷えていた。
「は、はい」
 笑っていたフレイさんもへらへらっとした表情だが無理に貼り付けているのが分かる。
「死者名簿どうするの」
「見たくないですけど。現状把握ですよ」
 何で私こんなコトしてるんだろう。だけど、やらないと。
 今は勇者候補の人達だけで本当に保っているこのお城。この人達に任せてたら本気で城まで攻め込まれる。
 人さえ殺せないのに指示出来る立場でないと言われるかもしれないけれど。それでも。
 このままは確実にまずい。無駄に人が死ぬより、死なないようにしなければいけない。
 兵法書だって読んだ事無いけれど、戦争の仕方なんてとっても分からないけど。
 常識以前の人達に全作戦を任せるのは危険すぎる。彼らの基準が――勇者候補なら尚更だ。
 ああもう、胃薬欲しい。自分だけでも手一杯なのに何が悲しくて戦争の会議。
 逃げたいけれど、私がビシバシ指摘しないと自殺行為に出るから引っ込みも付かない。
 フレイさんが持ってくる兵法書に望みを託し。残りは頭を回転させて彼らに並の人間の出来る事を教えようと誓った。
 そして、もう僅かは……慣れないけれど地図の上の味方の配置だ。
 突っ込むまで沼に気が付かなかった人達の頭を理解するのは放棄して、じっくり赤く染まった地図を見た。
 私が示した袋小路も側にある。沼はもう少し手前。城の……真正面。近い。
 この底なし沼は安全ラインを抜いた場所だ。彼らの混乱の理由に目を細めた。
 突破されれば、最後。本当の防衛戦だと感じた。


 

 

 

 

 

 

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