寒くて凍えそうな冷気が肌を刺し、ケープを纏わないと起きあがるのさえ嫌になるくらい。
それはいつも通りの朝だった。食卓に並べられたのもジャガイモと多少香辛料が増やされた豆のスープ。
ああ、そう言えばマインに念を押されていたと思い出して食堂に留まろうとして思い直した。
何かあるとしても、後片づけの後だろう。何となく服装を整えた方がいい気がして一旦私は自室に戻った。
予感と言われればそうかも知れないし、移ろいやすい気持ちが招いた思いつきだと言われても頷く。
そんな行動。自分の部屋のベッドに腰掛けて髪を梳き、飾りの革のリボンを両脇の髪を一房掴んだ程度の量だけ綺麗に結ぶ。
皺になっていたミルク色の服とキュロット状になったスカートをパンパンと叩いて伸ばす。
普段ならそこまで気にしないのに、その時はやけに目に付いた。靴の状態を確かめて軽く回転して違和感がない事を確認する。
「よし。じゃあ行きますか」
なんかデートの時みたいだなと自分でも不思議に思いつつ、食堂に向かった。
そして、扉を開いて目にした面々に疑問を覚える。
開いた音に顔を上げる事もなく食堂の机の上に広げた紙に目を落としている。
何となく声を掛けるのが躊躇われる雰囲気に、少し遠くの椅子に腰掛けた。
なんだろう。
違和感。そして不安。
シャイスさんは居ない。居るのはプラチナ、マイン、アベル、フレイさん。
奇妙な取り合わせに首を傾ける。しかもみんながみんなして机上を凝視しながら指を動かしているのだ。
ピンのようなものが紙に刺さっているのが見えた。まるでチェスでもしているかのようにそれを何度かずらして動かし、唸る。
ええと、私ってもしかして場違い? でもマインに呼ばれたのは覚えているし。
「そっちはこうだよ!」
「しかし、ここはもっと」
マインはプラチナと真剣に駒を進めあっている。ゲームの最中ですか?
あのプラチナまで? と興味を引かれて静かに近寄る。
何やってるんですかー、尋ねようとして。広げられた紙が地図のようなものだと気が付いた。
地図自体に色は付いていないが、ピンの後ろに丸いものが付いているのが分かる。
疑問を覚えつつ、もう一歩近寄る。
なんか、この地図……見覚えが。
更に近寄った足が、引いてあったらしい椅子に引っかかって机を軽く揺らし。
よろめいて転び掛けた私はごだ、と思いっきり胸を机にぶつけてしまう。
『あ』
盤上の駒を熱のある視線で睨み付けていた全員の顔と声が上がった。
かちん。と言う音がして、何かが転がる音も続く。
ぱらぱらぱら、固い雨音にも似たそれらが聞こえる。
――やってしまった。
視界の端で転げ落ちたピンが見えた。
ピンらしきものを慌てて拾い集める。
「ご、ごごごご免なさい!」
後ろの辺りに色が付いていて、何となく覚えていた場所に見当を付ける。
ええとこの辺りだった?
あ、全部は落ちてない。
固定してあるものが多く、落ちたのは一部だけ。でも落とした事には変わりがないから出来る限り記憶通りに刺す。
ええと、こっち?
「ちょっと待って下さい。戻しますからっ」
さく、さく、と刺すたびに視線が痛い。
間違ってる、のだろうか。うろ覚えだから間違えているかも知れない。なにしろこの地図大きいし。
「あ、カリンだ。おー、そう来る」
「ふぅ……ん」
パタパタ手を振るマインが何か感心したような声を上げ、プラチナが眉を寄せる。
何かまずいのか。私何かしたか。落とした以外の事とか。
「確かに最近は常套手段は読まれているから、奇策ってのも有りだよねープラチナ」
へ?
腕を組み真剣な表情で唸るマイン。プラチナがこめかみを細い人差し指で押さえる。
いつもの面倒ごとを考える仕草ではなく、違った真面目な考え事のようだった。
「そうだが。大胆、過ぎはしないか。後ろではなくわざわざ正面撃破とは」
正面撃破、ってなんですか。
「でもちゃんと後ろと斜めに軍勢が! カリン可愛い顔して意外とえげつない」
なんの話、だろう。私、えげつない?
「更にここでこうすれば、ひと味変わると思うが」
静かに眺めていたアベルが口を挟み、一つ駒を外してずらす。
「む、それは。そうだが」
「あ、良い感じ! 次これで良いよ。見学に来て貰うつもりだったのに助かっちゃったー」
「すいません余計な事して」
最後の一つは何処に刺すべきか見当も付かないので密集している駒から少しずれた場所に置いた。
しばし辺りが黙する。あ、なんかまた悪いところに置いてしまったか私。
「死角に更に伏兵!? やるねカリン」
「カリン様、憎い手をお使いになりますねぇ」
驚愕の声とフレイさんの潜めた笑い。さっきからなんかチェスと言うより本物のような。
いやーな気配に恐る恐る全員を見た。
「一つお聞きしても宜しいでしょうか。これなんですか」
「え。これ配置図だよ」
気楽な返答。答えを明確にすべく更に続ける。
「な、何のでしょう」
「魔物を倒す為の、軍の配置。今作戦会議中なんだよー」
にこっと微笑む若い勇者候補の発言に、後ろ頭を殴られたような衝撃が精神を襲い、目眩で倒れそうになった。
軍の配置図。見た感じ勇者候補だけではなく正規の軍。ってことはこれは――
戦争の配置図! なんてものを和やかな空気でやって居るんだ。とも思うが、揃った面々に幾らか納得する。
マインが居るのはちょっと不思議だが、初めて出会ったときの印象を思い出せばそこまで不思議ではない。
見た目より彼は頭の回転が良いのだ。すらすらと現状と現地での被害戦況を伝えられるくらいは。
待った、私、今落っことしただけでなく適当に刺したよね。良くないよね明らかに。
「ご、ごめんなさい。そ、そんな重要なものだとは露知らずに!」
折角配置を決めていただろうに落としたあげくテキトーに刺すとはヤバイ以前の問題だ。
「いや。基礎的な配置は固めてあったし、場所も以前のものは覚えている。気にする事はない……それで」
鋭い視線が私を射抜く。
「は、はあ」
反射的に引く身体を留めて曖昧に答える。
「無意識だと言う事は分かったが、更に意見はあるかオトナシ・カリン」
「え?」
いきなりフルネームで呼ばれてぽかんとなる。意見?
「適当に刺したにしては良い線行ってるよ。この地図の赤が敵として――青が味方」
で、こっちが森だからーとマインが地図を示す。
「前面に派手な奴を出して側面から叩きつつ、更に後ろに味方陣営。損害が出た予備と迎撃をかねて死角にも味方を置く」
「…………」
普通の大規模な囮作戦だが、確かに意識してみるとえげつない。地図を眺めるとその感覚が更に強まる。
胃が痛くなるほどに。なにしろ叩いた後逃げ込めるのは袋小路か崖なのだ。徹底的すぎやしないかと言わんばかりの配置図である。
しかも運良くでも逃げ出せるルートに味方を潜ませているから蟻一匹残さず壊滅出来る。
何この卑劣かつ冷酷な作戦。うっかり刺すにしても故意的じゃないか。にしても、奇策かなこれ。
「前のはどんなのだったんですか」
尋ねると駒が移動された。常套と言うだけあって手堅い配置ではあった。
前方には一切向けず、敵陣の背後から。危険な細道たどりつつ、後ろからグサリ。
人間相手なら有効だとは思うけど……相手魔物だったよね。
「嗅覚の鋭い魔物相手だと逆に不利だと思うんですが」
尋ねると僅かにプラチナの顔がしかめられた。
「それは考えているが、数名以外勇者候補ではない人間達だからな」
正面からぶつける訳にも……と呻くプラチナに疑問を覚えた。確かに魔物は強い、反則的だ。
けど不死身≠ナはない。強いと言われた獣王族も私の投げた燭台で手傷を負わせられた。
現状この国は劣勢。全てが勇者候補に任せきり。
それがいけないとも思ってはいる。魔物に一人で対抗しろなんて無茶は言わない。
だけど安全策と思って打ち出した策が裏目に出ているのだとしたら――それは逆に不利益ではないか。
チェスのルールはよく分からない。戦争もよく分からない。
だけど、プラチナ達の非常識さは分かっている。彼らは強すぎる。
そのために一般人がどの程度の力を有するのか把握出来ていない。なら、私は一般的な意見を出して上げたほうが良いんじゃないだろうか。
ピンを落としたのは偶然だったけど、私は自分の意志で質問をした。
「敵の勢力、種族。そして勇者候補の特徴はどんな感じなのでしょう」
私は強くないけれど。自分の考えが少しでも助けになるのなら、指を差し述べてみようと思った。
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