十一章/策略者カリン

 

 

 

  


 へりくだられるのは嫌いだった。自分はそんなに凄い人じゃないから。
 だから、様付けなんて遙か遠い雲の上の人が使われる事だと思っていた。
「どうしましたカリン様」
 そんな私の考えは、この世界に来たとたんに吹き散らされた訳ですが。
 勇者候補の名によって。勇者候補でなくても白い法衣の彼は様をつけてくれるだろう。そう言う人だ。
 最初は違和感を感じていた呼び方も、今は全く抵抗感がない。自分の柔軟性が嫌になる。 
 嫌悪感とまで行かなくても、多少違和感が残るくらいが身の丈に合っている。
 口元に手を当てる仕草をすると、シャイスさんがハッとした。
 城で呼ぶ癖が付いていると厄介だ。町中でもうっかり呼ばれてしまう。
「どうしたんだいカリンちゃん」
「いえ。発音、難しいなと思いまして」
 教科書代わりの魔物言語の本を軽く振る。
 訓練の合間に、魔物へ商売を吹っ掛けるという商売人の鏡である道具屋のおばさんに会いに来ていた。
 勿論、言葉を教えて貰う為だ。やはり、独学ではつらいものがある。手伝いついでに少しずつレクチャーして貰っている。
「さて、今日は店で受け答えの手伝いしてもらうかね」
 来た。手伝いという名の実地訓練。この間の悪夢がまざまざと蘇る。発音を幾つか間違えてもの凄く怒らせてしまった。
 魔物達が使う言語はとても発音が難しい。何故いらっしゃいませが口で到底言い表せないくらいの暴言に変わってしまうのか。
 だからこそ、私には練習が必要だった。とは言え、本物相手だと緊張する。
 この店に来るお客様(魔物)は人で言うところの民間人なので襲いかかってくる事はないが、少しずつ訛りがあって細かな対応が必要だった。
 からりと軽いベルの音。ゼリー状のお客様を認めた瞬間、絶望感が覆う。
 スライム様ですかどうしましょう。特別発音が聞き取りづらく同じだけ発音しにくい訛りを言えるか多大な不安を覚えながら私は元気だけは表そうとカウンターの下で拳を握った。
『いらっしゃいませぇっ!』
 今日も晴天。道具雑貨屋、マイウィード〈片翼の兎〉は開店中である。
 でもなんで兎なんだろう。ほのかな疑問を胸に看板を見つめつつ、注文を承った。


 つ、つかれた。
 何故か今日はスライムのお客様が大行列。おかげでスライムの訛りは大分覚えたが。
 あのお店は今日も大繁盛。たまにしか行かないとは言え、スタミナが根こそぎ削られた気分に陥る。
 魔物言語を思い出す。いけない、ギャーとかシャーとかにしか感じなくなって来た。
 食堂までたどり着いたは良いものの、動けなくなって数分。シャイスさんがお茶を淹れてくれると言ってくれたのを思いだし、本を眺めて一息。
 次は魔法の勉強、と。我ながらハードスケジュールだなとも思う。
 魔物の言葉は半ば私の趣味に近い為に文句を言えた義理でもないんだけど。
 テーブルに前のめりになって猫みたいにぐーっと背筋を伸ばす。目と腰、頭に指を酷使する作業の準備だ。最近の心配事は視力低下辺りか。
「カーリーン! やっぱりいたいた。本持ってきてあげたよ。これからお勉強でしょ」
 軽い足取りで、それとは正反対の量を積み上げてマインが駆けてきた。多分マインだろう。顔が本で見えないけど。
 自分の身長を優に超した本達をどす、とテーブルに置いてくれる。否が応でも次なる宿題がインプットされる瞬間だ。
 マインはあの日、私を守ると言ってくれてからちょっと変わった。前は戦う訓練しか手伝ってくれなくて、本を見ると渋面になっていたのに今ではこうやって私の為に見繕ってきてくれる。
 そんなのより訓練! と言っていた彼がだ。本棚の前で百面相をしながら選んでいる姿を想像すると頬が緩む。
「途中でシャイスにあったからついでに僕のもお茶頼んだから」
 言葉を引き延ばす様に一冊本を取ってから口の中でしばらくもぐもぐ言葉を転がす。言いたい事は分かっている。
「はい。じゃあ一緒にお勉強しましょう」
「うん!」
 大きな瞳が輝く。
 お勉強。
 あの日から変わったのはこれもか。訓練が余り出来ない代わりに、本を読む事を付き合ってくれる様になった。
 朗読して貰ったら私の勉強にならないので本当に隣で見ているだけ。
 あれだけ強ければ呪いとか要らないだろう。でも、私の四苦八苦している様子が面白いのか、マインは嬉しそうにそれを何時も見ている。
 そろそろ日常になり始めた行為の一つでもあった。
「そう言えば今日は書庫閉まってませんでした。入れたんですか?」
 道具屋に行ったのは気まぐれではない。本来なら読書という名の自分の能力探しをしようと思っていたのだが――肝心の書庫が閉まっていた。
 いい加減開いているだろうという思いもあって勉強するつもりで帰ってきたし、開いてなかったら魔物言語の発音練習をするつもりだった。
「ううん。まだ開いてなかったよ」
 手元に適当に置いた本の一冊を軽く捲って首を捻る。
 見ているのは人の呪い方だ。……彼は誰か呪いたい人でも居るんだろうか。
 恐らく読めないだけだろうなとも思いつつ、本の出所が気にかかった。マインが気を利かせてあらかじめ持って置いた物なら良いけれど。
「じゃあ。これは何処から」
「アベル兄の部屋からちょっとねー」
 恐々尋ねる私を余所に、気のない返事。ザ、と血の気が引く音がした気がする。
「なにしてんですか!?」
「だってアベル兄が一番本持ちなんだよ。借りてた奴をちょっと借りただけだし」
 確かにいつ見てもアベルは本を借りている。かなりの読書量で読書家だと思う。
 が、それはそれだ。アベルに、借りた。しかもその口ぶりだと許可無し拝借!?
「か、返してきて下さいッ」
 開いていた本を閉じ、山に戻す。勿論マインの読んでいた本も没収。
「何で〜」
 ふて腐れて睨んでくるが罪悪感が芽生える程の余裕はない。アベルの部屋から無断拝借。
 ただでさえ私は嫌われているというか疎まれているというか。心地よい関係ではないと言い切れるのに。
 なんとか剣で切られないように機嫌を損なわないように気をつけているのに。こんなの知れたらバッサリです。
 殺される!
 私は本気で命の危機を感じた。
「殺されますから早く返してきて下さい。早くっ」
「でもアベル兄の本良いの多いよ。カリンもそう気にしない気にしない」
 半泣きで叫ぶも大げさだと言わんばかりに肩をすくめられた。
「あの心狭そうな人が私に貸したの知ったら怒らない訳ありません。
 死にたくないので返して下さい!」
「カリンは大丈夫だよ」
 守ってあげるから、ね。と言わんばかりの微笑み。
 いえ、出来れば危険は出来るだけ回避したいんです。
「心が狭そうで悪かったな」
 冷えた声に、ぎくりと身体が強張る。
 そーっと本の山から冷たい空気に視線を向けた。
 感情のよく分からない顔に、笑みを貼り付け。アベルが私を見ていた。
 ぞっとするような美しさという表現があるが、現在の寒気は違う類の寒さだろう。
 氷のように冷たい翡翠色の眼が細められる。一瞥されるだけで氷像になりそうだ。
 片腕に数冊の本。 
 マインではなく、私を見ている。しかもじっくりと。背筋に嫌な汗が噴き出す。
「丁度良い。読みたいのなら使え。返却はして貰うが」
 ふ、と疲れたように息を吐き出し、本の山に更に腕の荷物が載せられる。揺れはしたが崩れない。
 一言も発せない。喉が凍り付いてしまっている。
 斬られる事を覚悟したが、足音が遠ざかる音で呪縛が解けた。
 こ、今度こそ終わりかと思った。人生よさらばとか言うところだった。
 胸元を押さえて深く息をつく。
「カリンそんな怖がらなくても良いのに」
 ふふ、と笑うが素手で床を切り刻める人間相手に緊張するなと言うのが土台無理だ。
「そうだ、明日の朝はここに来てね。ちょっと色々あるみたいだから」
「あ、はい」
 本の山から器用に本を二冊引き抜くマインに頷いてみせる。
 また光量削減とか。壁を砕くなとかそう言うのかな。
 節約中のお城を考える。ふわりと漂う香りで思考が乱された。
「お茶をお持ち致しましたよ」
 シャイスさんがそう告げた後山となった本を見て苦笑を漏らす。
 わーい、とマインが歓声を上げた。
 じゃあお茶にしようかな。明日は何があるなんて後回しにして、私は本を閉じた。 
 

 

 

 

 

 

 

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