十章/誰が為の英雄

 

 

 

  


 機嫌の良い時夜空をのんびり眺めようとしたら暴漢が出ました。そして守る対象だと数秒前に告げた相手に武器をかすらせた。
 この先は千差万別の反応が返るだろう。
 私を守ってくれると言った……護衛ではなくて、騎士さま。それも何か恥ずかしいな。まあとにかく、言ってくれたマインは簡単に言うと。
 ちょっとだけ切れました。とても怖いです。
 既に有言実行しちゃってます正面から向き合う勇気を下さいマナ、賀上君。
 マインは素手だった気がするんだけど、金属音がするのは何ででしょう。ボキって聞こえるのは多分剣が折れた音、だと思う。
 というかそう思わせて下さい。
 勇気をかき集めて固まりにする。その作業におよそ十秒程費やしてようやくその現場を直視した。
 うわぁ。思わず心で呻く。
「どうしたの? まだそんなに経ってないよ。もうちょっと遊ぼうよ」
 いつもより僅かに低く、それでも普段通りの発言が恐ろしすぎる。
 足下には十人ほどの人影。血はそれ程流れていないが、動かない辺り浅手とは言いにくい。
 半数近くの味方を失い、敵(なのか民間人なのか)は僅かに後退っていた。
「あ! やっぱり刃物がないと物足りないよね」
 うっかりしてた、と言わんばかりの微笑みを作って彼が小振りな果物ナイフくらいの刃物をおもむろに懐から取り出した。
「反射的にやっちゃったから武器取り出すの忘れてたや。このナイフで良いよね。これしか無くってゴメンね」
 にこにこにこ、お花にでも話しかけるような優しい声音。私に向けられていなくても内にこもった怒りが身体を強張らせる。
 向けられた相手は、可哀想だ。可哀想すぎる。ある意味自業自得に近くても、一方的すぎやしないか。更にマインは刃を煌めかせ、楽しそうにしていた。
 いけない。すんごい暴走し掛かっている。
「マイン。落ち着いて! 私は大丈夫です無事です髪にかすった程度です」
 羽交い締めの勢いで背後から抱きついて振りかぶろうとしていたマインを相手から引きはがす。
「かすった。かすったよ!? 殺して良いよね!?」
「良くないです!」
 なんていうか、恐ろしい事を言う。髪は女の命だけど、本当に人を殺してくれと思う訳はない。
 ああ、髪が。とは思ったけど数本切れたくらいだし。
「だって剣向けたよ。だったら死んでも良いって事だもん」
「いや、それは」
 言い返しにくくなってきた。マインの行動は過激だけれど、正論だ。
 殺傷能力のある剣を向けたのならばお前達を殺す≠ニ言う合図。確かに刃を向け返してもおかしくないのだが。
 そうなんだけれど。一方的に素手で殴り飛ばし、蹴り転がした後にするのはどうか。
 武器無しでこうなのだから結果はもう火を見るより明らか、なのにプラスナイフに替えようとしている。ここまで来ればいじめだ。
「もう充分以上に痛い目を見てます。なんか見ていて私まで痛いです」
 心が。
「えぇぇ。これから動けないように手足を地面に縫いつけようとしてたのに」
 怖ッ。なんて事をしようとしているのか。
「私の髪なんてそんなご大層なものじゃないですからそこまでしなくても良いです。というかそんなコトされたら私の方が確実にトラウマです。
 自分の血はある程度平気ですけど、他人の血が沢山流れてるのを見るのは苦手なんですよ。失神しちゃいます」
「嘘! こないだ平気だったのに」
 大げさに驚かれる。ですから、私は一般市民の普通の女の子なんですよ。
 なんか忘れられてませんかそこの所。
「あれはフレイさんが魔法というかおまじないしてくれたからマシだったんですよ。随分効いて助かりました」
 戦場に向かう前に恐れていたのは戦いだけではない。確かにそれも含めてなんだろうけど。人の血や何やらを直視出来る自信も肝があるはずもなく。
 どうしようと遠い彼方を見つめ途方に暮れていた私にフレイさんが声を掛けてきてくれたのだ『不安なら血やその手のものに鈍くなる術を掛けましょうか』と。
 勿論二つ返事で頷いた。微笑みながら、血とかぜんぜんこわくなーい、さあ大丈夫。と言われた時は激しい不安に襲われたものだが、効き目は驚く程だった。
 気持ち悪かったりはしたが、血の臭いで吐き戻すとまでは行かなくなって逃げる時も助けられた。嗅覚や視覚をその手のものから逸らす術なんだろう。
 あの詠唱はおまじないとする事で片付ける。流石に魔法とは言いたくない。
「そっか。じゃあ出来るだけ血は出さないようにしとく」
 出来れば血が出るような事態を避けたいところです。
「仕方ないかな、余り騒いでもアレだし。後処理も大変だから。いいや、カリンが許すなら見逃しても良いよ」
「そうですか。ありがとうございます!」
 後処理って、とは追及しない。ロクな事ではないのは分かるので、マインが怒りを静めてくれた事に感謝する。
 たとえ私の為だろうと、彼の怒りは自然災害を見ているような気持ちになる。声が届かなくても仕方が無い位の勢いだ。
 あの戦場の時のようにナイフが色々な場所に刺さるというスプラッタ映画も青ざめる事態にならなくて本当に良かった。
「なんでカリンが喜ぶの」
 とても不満そうだ。斬って何がおかしいと言わんばかりの顔である。
 もうここら辺から私と思いっきりズレがあるなぁ。
 ふうと彼は大きく息をつき、側にある折れた剣を蹴り飛ばし相手を睨め付けた。
「気が変わらないうちに出てけ」
 可愛い顔して言う事酷い。微かにアベルの顔がよぎる。あの人の影響がある、絶対。
 対する群衆は狼に唸られた兎そのもの。怪我人を引きずって、大急ぎで消えていく。
 しばしそれを見送るか、気配が消えてしまうのを確認して、マインが大きく肩を落とす。
「あーもう、良い気分台無し。カリン怪我無い」
「はい。全然大丈夫です。心配しすぎです」
 まさか掠めた程度で流血沙汰になりかけるとは思わなかった。しかし、あの人達は民間人なのだろうか。
 ……盗賊とかのほうが良いな。村人は嫌だな。
 折れた剣の破片を見つめ、心中で溜息をつく。
「はー……心臓が縮んじゃったかと思った」
 こちらは寿命が五年くらい縮んだ気がします。
「訓練受けてますからあの位よくある事じゃないですか」
 追われる、殴られる、蹴られる、刃物を振り下ろされる。我ながら物騒な事ばかりされているが、一応その手のハードな訓練は日常茶飯事。
 やってるのは主にマインだったのだから、知らないとは言わせない。
「なんか、駄目なんだもん。こないだ戦場で、カリンが強くないって、よく見てないと死んじゃうって意識してから、上手く力加減できそうになくて」
 ちょっと目を離した隙に私が殺され掛けた事がトラウマになったのか。確かに弱いのは認める。
 だがそこまで心配させるのもなんだか悪い。
「それで訓練できないですか」
「うん。と言うより腕が止まりそう」
 尋ねると曖昧にマインが頷いた。
「確かにそれは訓練では致命的ですね。軽く打ち合わせるのは」
 強くない私に目一杯刃物を振るうのに抵抗があるのなら、ゆっくりとなら大丈夫ではないか。
「どう、かな」
「それも駄目ですか!?」
 そんな事を考えていた私の思いを一蹴するように歯切れ悪い返答。
「う、うん。叩けないかも、訓練で手加減しすぎたら駄目だってプラチナにも言われてるのに」
 頷きながら目が泳いでいる。あれだけ楽しそうに訓練していたのだ。本人も戸惑っているのだろう。
 だが、それは私も同じだ。というか死活問題。
「困りますよ。アニスさんと戦えとか言うんですか。死にますよ私!」
 あの、死のスパルタ講師のアニスさんと訓練を毎日。絶対死ぬ。きっと死ぬ。
「ごめんなさい」
 泣きそうな顔をされた。
「ああ、いえ。マインは私の事大切にしてくれてるんですよね、虚弱体質でもないので、痣が出来たくらいでは死にませんし」
 虐めたような気分になってきて慌てて首を振る。軽傷なら喜んでアニスさんが治してくれる。
 何が楽しいかは未だに分からないが、アニスさん曰く『カリンちゃんのお肌が触れるなら幾らでもっ』らしい。
 毎回強烈な抱き締めをしているというのに不思議な人だ。
「アザ」
 気にせずどうぞと続けようとして口を閉じる。呟いたマインが暗闇でも真っ青に見えた。
「駄目駄目絶対駄目! 痣なんて駄目!」
 痣もいけませんか!? そ、それでは私にどうしろと。
「あの、それも駄目だったら私訓練全滅なんですけど」
 打ち込みも体術の訓練も無理。この調子では石なんて投げて貰うのも難しい。
「あう。そう、だよ、ね……じゃあ戦う時は僕の後ろにいよう」
 困ったような顔でおずおず提案してくるマインは、いつもとは別人みたいで少し可愛い。
「この間みたいにはぐれた時の為に少しは護身出来たほうが良いと思うんです」
 戦場は広い。私は弱い。で、強い相手から逃げ回る為に先日のようなことが起こると考えて良い。
 それに、マインの側は安全で危険な気もした。言わずもがな、彼は強い。強い人間は絶対確実に前線に連れて行かれる。
 私がその場で持ちこたえられるか疑問だ。下手に怪我でもしようものならさっきのようなことになるし、本当の足手まといになりたくはない。
「うん。分かってるんだけど、僕疲れてるのかな。なんかカリンが外に出る事すら全部駄目な気がしてきた」
 俯いて悲しげに言う姿は愛らしいですが、外出禁止令は流石に困る。城の中にずっと居たら湿気ってしまう。
「マインは心配性過ぎますよ」
「カリンは楽観的すぎなの!」
 この間まで人を放り投げていた人物とは思えない台詞です。
「まあまあ落ち着いて下さい。血圧上がりますよ」
「僕まだ若いよ!」
 なだめると、ぷー、と頬を膨らませてマインが腰に両手を当てる。
「最近は若者も病気に掛かりやすい世の中なんですよ。若いからって気を抜いたら駄目なんです気をつけましょう」
「う、うん」
 嘘は言ってません。私の世界ではそう。この世界では、恐らく無い。
 なにしろその病気になる為の糖分や塩分の過剰摂取が困難だから。
「寒くなってきましたし、もう中に入りましょうマイン」
「カリンって、ですとか言うよね。もう少し砕いた言葉でも良いんだよ」
「え、と」
 いきなり言われて言葉に詰まる。その手の話題は振られると困る。
「カリン、幾つ」
 問われて思い返す。年齢は確かに教えていなかった。
「あと少しで十四、ですけど」
 マナは同学年だけど私より早い生まれだから年上なんだよね。
 と遠い目をしてみたりする。
「なんだー、思ったより年が近いね」
 にぱっと笑って首を傾ける。癖のある髪が風に吹かれて揺れている。
 ん? どんな風に近いんだろう。
「マインは幾つですか」
 言葉のキャッチボール代わりに私も尋ねる。
 私と同じように彼も少し考えて、唇を開いた。
「確か、十六」
 じゅう、ろく。十六さい!?
 ラリーは出来ずに言葉が叩き落とされた。
「私より年上ですか!?」
 見えない。というかもの凄い年下だと思っていた。
 不思議そうに私の顔を見た後、む、と不満を露わにする。
「酷いカリン。うーん、でもこの世界とカリンの世界だと基準が違うかも知れないからどうなんだろ」
 あ、そうか。そう言えば違う世界だった。
「年上だったら尚更口調、変えにくいんですけど。むしろさんとか付けないと」
 基本的に年上はさん付けだ。アニスさんだってそういう理由で呼び捨て出来ないのだし。
 今までマインを呼び捨てていたのは、年下だと思っていたからなのだ。思っていただけで違っていたんだけれど。
 賀上君と言いマインと言い。ああ、私の見る目無し!
「駄目。もうこっちが年下で良いから『です』と『ます』を付けない事。命令!」
「うえっ。横暴で……いえ、横暴すぎ」
 お願いの次に命令をされ、しゃっくりを引っかけたような変な声を出してしまった。
 思わずいつも通りに話しかけ、睨まれて言い直す。
「これでカリンと同じになるから良いの」
「そういう、ものかなぁ」
 マナと同じだと思えば良いのだけど、あんまり使わない口調に言葉がぎこちなくなる。
「そうそう」
 思い出したみたいにマインが空を見上げた。
「あとそれから」
 嬉しそうに、私の方を向く。
「次は何を!?」
 何のお願いだろう。私に出来ることでありますように! 必死にお星さまとお月さまにお願いする。
「そんな構えなくても。約束するのまだだったなーって」
 恐怖心の垣間見える反応に少し傷ついたのか、マインの顔が暗くなる。
「約束」
 口の中で呟いて首を傾けた。
「カリンの勇者になる約束、そうだなぁ。アリィムの実が熟すまで、とかどう?」
 ああ、指切りげんまんみたいなもの。
 にこにこしていてとても幸せそうだ。約束は本当にあまりやった事がないのだろう。
 約束が必要かは分からないけど、マインが嬉しそうならそれでも良いかなとも思ってしまう。
「実が熟すまでですか。いつ頃の季節に熟すんですか」
 半年後とかかな。それとももっと先?
「時期的だとしたら、もう数ヶ月頃辺りに熟すと思うよ」
「……勇者になる前に熟すと思うんですけど、大丈夫ですか」
 キッパリと答えられて思わず尋ねる。数ヶ月で勇者になるつもりなのだろうか。
「平気平気。カリンまた敬語になった」
 パタパタ軽く手を振って気安く笑う。言葉に突っ込まれてう、と呻いた。
「難しいですよ。私もそれに乗っかって熟すまでに敬語じゃなくなりますようにと願ってみましょうか」
 お星さまならぬ見た事のないアリィムの実にお願いというのもオツではなかろうか。
「そんなに掛からないから平気だってば」
 少しだけマインが驚いたように目を見開いた後、苦笑した。敬語抜きがそこまで苦手だと思わなかったのだろう。
「そうですか?」
 困った時にお願いしたくなるのは人の性。何かに縋らないと不安でたまらない。
「そう。敬語」
 また突っ込まれた。だから不安なのだ。
 静かに息を吐いて、ゆっくり右の小指を差し出す。
「あ、じゃあ……約束。そのアリィムの実が熟すまでどうか私を守って下さい」
 じっとそれを眺めてから、マインは自分の小指を差し出して、不安げにこちらを伺ってくる。
 少し笑って見せてから絡めて、一、二、三。それだけゆっくり上下に振って解く。
「約束、はいこれでいいよ」
 終わった事にほっとしたように。そして出来た事を喜ぶみたいにマインが満面の笑みを浮かべる。
 見てるだけで癒されるなぁ。
「でも星に誓ってとかじゃなくて良かった」
「なんで」
 不思議そうな問いに思わず転びそうになった。なんでって。
「だって期限付きだから、マインの負担にならないと思って」
 永遠に消えそうにない星とは違い、実が熟す期間くらいなら良いだろう。
「…………」
 瞳を軽く動かして、マインが本当に分からないといった顔になる。
 しばしの沈黙。妙な違和感を感じた。
「じゃ、カリン」
 不審な気配に声を掛ける前に、楽しそうにマインが両腕を横に大きく伸ばす。
「なんで手を広げてるのですか」
 嫌な予感しかしないが一応尋ねる。
「抱っこ」
 当然だとばかりの顔で答えられた。
「何故」
 なにゆえあんな恥ずかしい真似をもう一度しなくてはならないのか。
 きらり、と焦げ茶色の瞳が光った気がした。
「道覚えてる? 壁、登れる?」
 うっ。
 小首を傾げて尋ねられ、心で呻く。
 抱えられて連れてこられたので当然道なんて覚えているはずもなく。
 そしてあのバンジーさながらの高さの壁を素手で登り切る自信も、ある訳がない。
 というか絶対無理。
「お手数をおかけしますが、お願いします」
 肩を落として頭を下げると、私とは違ってマインがとても嬉しそうに頷いた。
 楽しそうだ。私は恥ずかしいのに。



 どの位しがみついていたのか。結構長かった気もするし、短かったのかも知れない。
 城の壁際に付くと、マインは私を抱えたままひょいひょいと――壁をそのまま登った。
 手も掛けずに僅かなくぼみに爪先を立て、足がかりにして。いろんな意味で信じられない。
「到着っと」
 カラクリ仕掛けの壁の側に下ろして貰って一息つく。
「お疲れ様です」
「この位平気だよ。あ、結界ほころびてるのフレイに知らせなくちゃ」
 壁が静かに閉まり、ブロックが戻されると薄い明かりしか零れない。もう完全な密室だ。
「今からですか。怪しまれません?」
 不安を感じる前に手を握られて、先導される。怖いので素直に後を付いていく事にした。
 確かに結界が綻びているのは困ったものだが、今から教えに行けば夜間外出していましたと言うも同然だ。
「大丈夫。フレイはシャイスより五月蠅くないからそう言うのは目を瞑ってくれるんだ」
 くすくす笑って扉の前で足を止める。
 シャイスさんは真面目だもんなぁ。フレイさんはやっぱりそうなのか。
「そうなんですか。納得しました」
 想像していたフレイさん像が固まるのを感じる。シャイスさんは手を抜かないようにするタイプだが、彼は違う。
 真面目にやるところはやり、手を抜いて良いものと判断するものは放っておく。さじ加減が上手いというか、適当というか。
 自分に降りかかるほどの問題を出さないのなら好きな時に夜遊びしてくれと言う手放し状態なのだろう。今は助かるけれど。
 先に扉を開いてマインが出た。
「じゃ、早めに知らせてくるね。お休みカリン」
「はい。お休みなさい」
 微笑み返してそれを見送る。すぐに開こうとして思い直す。同時に出た時に誰かと鉢合わせるとマズイ。
 暗闇は怖いけれど、ちょっとの辛抱。
 さあ、もう少し時間を空けて私も出よう。



 扉から出た後足早に離れ、ゆっくりとした足取りで書庫に向かう。
 星を見ていたら少し目が冴えてしまった。勉強でもしますか。
「あらカリンちゃん。まだ起きてたの」
 長い金髪をなびかせ歩くアニスさんの姿が見えた。
「あ、え。はい。ちょっと眠れなくて」
 慎重になっておいて良かったと心で大きく安堵しながら目的の場所にたどり着く。
「そう」
 同じく本を読みに来たのだろう。大きな本棚から今日はどの世界の本を読もうかと悩みつつ選ぶ。
「そう言えばアニスさん」
 ふと、気になっていた事が脳裏をよぎった。手を止めて、目的の本を見つけたらしい彼女に顔を向ける。
「なぁに」
 中身を確認するように数枚捲る音と共に返答。
「アリィムの実が熟すまでってどの位掛かるんですか」
「あら、誰かと約束したの?」
 私の問いに本を閉じ微かな沈黙を挟んで、艶っぽい笑みを浮かべた。私が男ならその表情でいちころだと思う。
「へ。ええ、まあ。そんなところですよく分かりますね」
 邪念を頭を振る事で追い出して曖昧に笑い返す。アニスさんは自分の唇にしなやかな人差し指を当て、
「素敵ね、ロマンチックだわ。誰が言ったのかしら〜マインちゃんはあり得ないわよね。そんな気の利いた台詞」
 うっとりと言ってくる。ろまん、ちっく……だったのでしょうか、あの会話。
 確かに月と星の下って言うのはロマンは溢れているけれど。
「ロマンチックですか」
 まさかその当人ですとは言えずに言葉を濁す。
「そうよ、だってアリィムの実よ」
 いつの間にか横にいたアニスさんが何処か興奮気味に詰め寄ってくる姿に思わず引く。
「一年くらいかかったりします?」
 熟するのに長期間かかる果物もあるだろう。ぴた、と彼女の動きが止まる。
 値踏みするように私を見て……なんでしょう。
 どことなく嫌な予感しか感じさせない笑みを口元に浮かべた。
「そうね、二千年くらいで熟すとか。まあ、伝説的なものだけど」
「にせっ」
 歌うような声に思考が真っ白になる。一瞬、脳みそが何処かに吹っ飛んだ気がした。
「実はあるけど熟すの見た人居ないのよねぇこれが。ほとんど永遠の約束よね」
 誰とそんな約束したのかしらねぇ、とアニスさんが嬉しそうに見つめるのが見えた。

 ――マイン。あなた、どれだけ生きる気なんですか。
 この場にいない約束した相手を思い、心で呻いた。




 数日後。

「果林あいしてる。結婚しよっ!」

 なんて言う発言が城に響き、私はあわてふためいた。
 聞くところに寄ればアニスさんの余計な入れ知恵で愛してると結婚になったらしい。好きなら当然なんだとか。
 じっくりマインを時間を掛けて説得した後、部屋でくつろいでいるアニスさんに詰め寄るとうふふぅと嬉しそうに笑って頬を染めたりしていた。
 遊ばれていないだろうか、私。
 そして、『カリン様とマイン様がそんな関係だったなんてちっとも知らな――』と大混乱しているシャイスさんをなだめるのに数日ほどの時間を費やしたのだった。
 アニスさん、この借りは何時か……返します。返しますとも。
 後始末を終え、精神的に疲労困憊の私は強く心に誓った。

 

 

 

 

 

 

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