十章/誰が為の英雄

 

 

 

  


 この世界には勇者候補というモノが居る。名前の通り勇者の側にいる、もっとも英雄に近い人達。
 大げさに言ってしまえば、この世界の守護者。
 今その守護者予備軍がなんか凄い事を言ってくれた。
 召還される前には平凡と地味が肩書きだった一般市民の私へ。
 守る為に勇者になると。あなたを守る為に勇者を目指します。
 なんだかもう本の中の事のようだ。なんですかそれ。
 笑い飛ばしたいけれど、向けられている瞳は真剣そのもの。ああ、めっ、目眩が。唇から乾いた笑いも漏れない。
「どしたのカリン」
 ダメ押しとばかりに尋ねられる。彼としては私が頭を抱えるなんて全く予想しなかったらしい。
「いえあのちょっと。いえいえいえいえ他意はないですよね他意は」
 下心はない純粋な告白だ。たとえるなら将来の夢を誓うような。でもですね、ちと目指すモノがヘビー過ぎやしませんか。
 しかも私の為と来た。これが同い年だったら告白通り越してプロポーズ。誰かうちわを下さい。脳が沸騰したのか、身体が熱くてたまらない。
「僕が勇者になっちゃえばもう召還しなくても良くなるからカリンみたいな事にはならないし、強くなってカリンも無事! わ、凄い良い考えッ」
 手を合わせて無邪気に笑って居るのを見てうっかり魂を旅立たせたくなる。楽観的すぎる考えに頭痛が増す。
「ええ、いろんな意味で凄い考えだと思います。というか私一人の為に人生曲げて良いんですか!?」
 一番言いたい台詞を吐き出して、思ったより興奮してしまったのか息が切れ両肩が上下に動く。
 マインは先がある。そりゃあ私だって先があるのは百も承知。だけど、マインは違った意味で未来があるのだ。
 強い上にこの容姿。今でも充分だが、数年経たずに美少年という確固たる地位を築くはずだ。将来有望な輝ける未来。戦時中でもその価値が失われる事はないだろう。はっきり言ってしまえば、今の段階でも美女を好きなだけ集めて選ぶ事だって出来るはず。
 そんな彼の未来を私の為≠ニいうひたすらに鎖に縛られた目標で壊して良いのだろうか。
 この世界の女性達から希望の芽を摘むに等しい行為。良くないだろう絶対に。
 私の心の問答すらはねのけて、自分の価値がよく分かっていないらしい勇者候補は何の問題もないと言いたげに曰ってくれた。
「良いよ。どうせこのままだとただの勇者候補その一だもん。
 生きるなら強くならなくちゃ駄目なんだし、だったら大好きなカリンを守る為に徹しても構わないと思うんだ」
 思うんだーって。なんという軽い口調。
「そんなあっさりと! 若い身空で人生投げては駄目です。命は大切にして下さい」
 ついでに未来を悲観しないで下さい。
「うん。だから、死なないように勇者になる。勇者は死なないんだって聞いたよ」
 それはそうだろう。
 誕生してから即行死んだら、違う意味で伝説になる気もします。
 だからといって勇者=死なない、の方程式は間違ってないでしょうか。
 勇者は生き残るだけであって不老不死ではない。生きているなら今頃世界は勇者で溢れている。それだけ本の中では英雄が多い。
「それに、なんかカリンを守るって目標出来る方がいい気もするし。もやもやしてたのがスッとする」
「そう、なんですか。私で良いんですか」
 私で良いのか本当に。胸ぐらを掴み上げたい気分になってきた。
 どの世界に落っことされても『村娘A』で通る私を守る為だけに、ほんっっとうにそんな重大な決断をするつもりなのだろうか。
「うん。カリンお願い守らせて。僕頑張るから!」
 疑問を吹き散らすように勢いよくお願いされる。邪気は微塵もない。
 お姫様でなくて済みません本当にごめんなさいごめんなさい。と、もの凄くもの凄く申し訳ない気持ちになる。
「お断りする理由はないんですけど。ちょっと……」
「ちょっと?」
 不安げにマインの顔が曇った。勘違いされる前に身振り手振りで守られる事は構わないと告げる。
 相手は私より強くて、有言実行できる程の実力がある。願ってもない申し出だ。OKカモン好きなだけどうぞという気分である。
 が、しかし。それはそれ、これはこれ。
「その、かなり、恥ずかしいです」
 言って更に顔が熱くなるのを感じた。おかしいな、アルコール摂取した記憶はない。もうなんだか熱すぎて頭がぼんやりしそうだ。
 正常な思考が吹っ飛びそうになる程の羞恥。いけない、熱暴走で脳がフリーズする。
 真っ正直な反応に平静を装う暇がない。
「そうかな」
 キョトンとした様子のマインが瞳を瞬く。
 とてつもなく、いたたまれない。一人だけ照れたり吃驚する事が。
 マインにとっては子供の頃し忘れた指切りげんまんみたいなものなのだろうけど。どうしても深読みしてしまう。
 確信して言ってるならまさしく超ド級の殺し文句だ。ああああ、私は好きな人が居るのにどっきんばっくん五月蠅い心臓をどうしてくれよう。
 落ち着け私。落ち着いて深呼吸、すーはーすーはー。まだドキドキ言ってるよ。
 止まったら困るけど緩やかに動け、マイハート。スゥイートだか、ウィークスポットに当たったからと言って狼狽えるな整列せよ!
 意味不明になりかけている思考を考えると、まだ混乱してるかもしれない。
 守ってくれる事自体は嬉しい。祭り上げて供え物をする勢いで助かる事だ。
 ただ、本当にマインが勇者になってしまったらどういう事になるんだろう。
 普通の物語なら、お姫様と勇者様は末永く暮らしたり、手に手を取って消えていく。
 私はお姫様じゃないけれど、言われたのだからその位置に当たる。
 相手が村人だったら戯れ言で済ませられるが、マインは勇者候補で。確かアベルの次の――

 勇者候補、のナンバー……ツー。二番目に勇者に近い存在。

 幼げな姿で忘れかけていた事を思い出し、横合いから殴られたような衝撃が心を貫く。
 もしかしなくとも私は大変な告白を受けたのではなかろうか。
 たとえ本人に深い意味がなくても。何か後でややこしい事になる気がする。
 でもでも善意と好意で出た申し出で、既に私は頷いてしまった。
 …………
 頷いたーーー! またか、私の考えなしッ。契約書はちゃんと確かめる方だと思っていたのに。
 獣王族の時もそうだったが、どうも流されやすく勢いのままに行動するタイプらしい。今更気が付いても遅いけど!
 ああ、後、押しにも弱いな。心の中で涙する。うっかりマインが勇者になったらどうしよう。
 やっぱりゴールなのかゴールインなのか。うわーうわーうわあああ。
 も、もういいや。その時になって考えよう。マインにそう言う気配は今のところない。
 なぁに、と言わんばかりの不思議そうな顔で見つめてくる。深く考えない深く考えない。
 ようにしているつもり、なのだけど。むくむくと不安が沸き上がる。
 印象的な別れをしたいという理由だけでシャイスさんを殺害しかける位妙なところで行動力があるマインだ。
 結婚? しても良いよ。じゃあしようーとかあっさり言われたらどうしよう。大嫌いなら拒絶しやすいが中途半端に好意がある分扱いに困る。
 冷静になれ、音梨果林。あたふたするな。そんなのは時間が経たないと分からないんだから、慌てたって仕方がない。
「…………あ」
 ジッとこちらを伺っていたマインが表情を固まらせる。な、なに!? マインすら凍らせる何かが出たんですか!?
 彼が数度コクリと息を飲むのが音で分かった。壊れそうな何かを包むように、そっと言葉を漏らしてきた。
「こ、う」
 コウ?
 恐々と言った感じで人差し指で闇夜の一点を指す。震えで指先は定まらない。
「コウ、チュウ」
「へ。輝虫ですか。あ、本当ですね」
 何となく間の抜けた返答を返してしまう。
 もう見慣れた光の粒がふわりふわりと辺りを舞う。
 初めて見た時は驚いたけれど、慣れてしまえばどうと言う事はない。実体の見えない蛍だ。
 光量が強いから、光がない、というよりその手の魔法が使えない私には助かる存在になりつつある。
 夜の廊下の移動だとか、まだ壊れている燭台がある真っ暗な室内だとか。ある程度の隙間があれば気が付けば側にいて、何だかお供に囲まれている頼もしさを感じる。
 だから、輝く光があちこちで乱舞し、私の手を掠めようとも危険は感じなかった。これは怖くない生き物だ。
 いつもの綺麗な光景だ。いつもの事過ぎて、私を見ているマインが、絶句しているのに気が付くのにしばらく掛かった。
「どうしました」
 手の甲に乗った輝虫に軽く息を吹きかけると、抗議するように身体を震わせてふわりと浮く。離れたりはしない。
「なんでこんなに、居るの?」
「外ですから。居ても良いですよね、虫ですし」
 城とはいえ流石に虫にまで侵入の許可は要らないだろう。綺麗だし。
「輝虫、見れたの初めてなんだ」
 夢うつつの表情で、マインが呟く。
「そうなんですか。ああそう言えば……珍しいんでしたっけ」
 わんさか夜中には目撃できるので、貴重種だという事を忘れていた。
 負の感情を嫌うこの虫は、町にも城にも寄りつかないと聞いた。そのくせ私の周りに良く現れている気がする。
 今だって、月と星の光が消えてもランプが不必要なほどに辺りがぼんやりと照らされている。
「カリンは、よく見るんだ」
「よくというか……三日か二日に一度は出現してるだけです」
 せいぜいテラスか廊下でしか見られなかった幻想的な光景を堪能する。やはり外の方が柔らかな光を放つ輝虫は一層引き立つ。
「多ッ。なにそれ、城の側に来るなんてないのに」
 詰め寄られて眉を寄せてしまう。私だってそう思うのだが、そう思うのだが。
「現に来てますし」
 身体にまとわりつく光達が「そんなの気のせいさ」とでも言いたげに舞い踊る。
 余りの出現回数に最近本気で希少種か疑っていた。
「そ、うだけど。カリンってこう、輝虫でも寄せる体質なのかな」
 それは薄々感じてました。でもこの虫が付いてきていいことってなんだろう。
 特に幸運が降ってくる訳ではない。どっちかというと不幸続きな気がする。いやいや、悲観したら駄目だ私。
 お天道様も照らしてくれるの言葉通り光源は強いけど、夜間の行動と灯り代わりにしか使えていない。
 助かりますが。
 無いと絶対廊下で彷徨う事請け合いです。
「カリンと外出れて良かった。凄く良かった」
「そ、そうですか」
 緊張していて上手く舌が回らない。うう、お礼を言うべきは私のはずだ。
 夜空を見たいという我が侭をかなえてくれて、世界の欠片を必死にかき集めて差し出してくれた。
 彼の好きでやるという私を守る事、それだけでも謝礼の言葉を言うべきなのに。
 逆にとても嬉しそうにお礼を言われてしまって、言いにくくなった。違うかな、臆病な私はその一言で飲まれてしまった。
 同時に、あんなに素直にお礼を言えない自分に嫌気が差しそうになる。
「輝虫見るとね、良い事あるんだ。だから、カリン、守れそうな気がしてきた」
「いえ……ありがとうございます」
 数拍程の間を置いて言った私の台詞に、マインが不思議そうに首を傾けた。
 なんで、と問われている気がして続ける。
「今日の全部ありがとうございます。凄く、嬉しいんです」
 頑張って言葉に出した。カタコトになりかけたけどこれで伝わる。ぱ、と彼の表情が輝虫の光関係なく輝いた。
「そう、そっか。カリンが喜んでくれて良かった……嫌われるかも知れないと思って止めなくて良かった」
「私は意外とタフなんです。そう簡単に嫌いになりませんし、なれないんですよ」
 やっぱり言って良かったと思うと同時に、マインの台詞に小さく苦笑してしまう。
 その程度で嫌いになる位だったら、私はシャイスさんと一緒には居ないだろう。シャイスさんの失敗は許さないが、シャイスさん自身は嫌いではない。
 マインだってそうだ。ここに来て思ったが、私は一度気に入った人間を嫌いになりにくい体質なんだと思う。
 傷つけられても、泣きたくなるような言葉を吐かれても、それでもはっきりと嫌いと断てない。刃としてはなまくらそのものだが、それが原因でこんな関係を築けて居るのだとしたらなまくらな刀も捨てた物ではない。
 それに折れていないんだから、私自身でその時に研ぎ澄ませばいい。今は、まだ生ぬるい私でも良いと思う。ここは戦場ではないのだから。
 私の笑顔で喜ばれるなら気楽に居られる環境が良い。
「なんか、分かる気がする。でもすっきりしたーすっごい良い気分。このまま転がってしばらくゆっくり星を眺めたい」
 ぱす、と寝っ転がるマインに笑ってしまう。あの深刻さは何処かに消えてしまったらしい。マインは切り替えが早いなぁ。
「あはは。そのまま朝まで寝入っちゃったらどうしましょう」
 ふざけて「プラチナに怒られますよ」、と軽く脅すと薄く、子供そのものの笑顔を浮かべた。
「その時は一緒に言い訳考えよう」
 悪戯っ子の表情。ああもう、私も共犯者なのか。仕方ない。
 夜空を見たかったのは確かだったし、後々のお説教も覚悟しよう。それになにより本当に気分が良いから寝るのも一興。
 それも良いですね。と相槌を打ちかけて、ふと辺りが暗くなっている事に気が付いた。
 輝虫が居ない。星は瞬いて、そのままなのにいきなり消えてしまった虫達に言いしれぬ違和感を感じる。
 なんか、嫌だ。
 楽しそうに隣で談笑していたマインが不意にムクリと起きあがった。
「……誰。出てきなよ」
 心地よい微睡みを邪魔されたような、剣呑な響き。先程隣で笑っていたとは思えない位に冷えた声音。
 枝葉を掻き分ける音が思考を僅かに乱す。誰だろうこの人達。城のコックさん馬車の世話をする人達、御者さん。
 全部覚えた訳ではないが、この人達は知らない人だ。何処かで見た人達の目とぶれ、被る。ざわりと背筋の毛が逆立った気がした。
「夜中は立ち入り禁止。それがルールだよ、おじさん達知ってるよね」
 答えの代わりに煌めく刃が無数に突き出された。ああ、そうだ。シャイスさんと一緒に出かけ襲われた時に目にしたぎらめく双眸。
 一緒だ。飢えた獣の目だ。
「ふぅん。じゃ、お仕置きしても良いんだよね。プラチナ言ってたし。痛い目を見せて良いって」
 マインが目を細める。嫌な兆候だ。
「どの位のにしようかな、どれが良いかな。まず腕を固定させるほうが良いかな、大丈夫殺さないよ」
 確か城に入るだけでも相応の罰則があると聞いた。マインの様子を見る限り、罰則というより私刑のような物だが。
 しかし、やばい。
「あっ、あのっ!」
 慌てて声を上げる。相手はあのマインだ。アニスさんでもプラチナでもなくマインだ。
 民間人だか盗賊だか強盗だかはよく分からないが、相手が悪すぎる。
「早く逃げたほうが良いです。この人手加減あんまり知らないので」
「何、カリンこんなの庇うの」
 冷たい眼差しにすくみそうになるがブンブンと頭を振って否定と共に恐怖を投げ飛ばす。
「そうじゃありません。出来れば血とか流さないほうが良いと思います。プラチナになんて説明するんですか」
 中途半端な説得ではマインは止まらない。なら、プラチナの名前をちらつかせつつ理攻めにする。
「うー……カリンに強いところ見せようと」
 いりません。
「危なくなった時お願いします」
 というかあまり見たくない。切れたマインが怖い事はこの間の戦いで身にしみている。
 拗ねたような表情を置いておき、振り向く。
「この場は引いて貰えませんか。というか見逃すというか見なかった事にしますから。後、あんまり挑発しないで下さい止められなくなりますから」
 と、風が揺らぎ。
 がぎんっ、と鈍い音がした。大きく離れた場所に突き刺さる短剣。
 ただの腹いせだったんだろうけど、運良くか悪くか私の側を掠めていった。
 闇夜に混じっていた私の髪が数本宙に舞い、暗闇にとけ込む。身体が固まる。
 剣が投げつけられたからじゃない。うっかり横を向いてしまった自分自身を呪う。
 隣にいたから月光の元見えてしまった。微かにだが穏やかな色を混じらせていたマインの瞳に影が差すのを。大きな瞳が肉食獣が宿すような凶暴な色に染まるのも。
 見えなければ良かった。振り返った事をもの凄く後悔する。
 交渉、決裂。マナではないけれど、おーまいがっ! とか言って顔を押さえたい。
 空気が切れそうに痛いのは、寒いだけではないからだ。横合いから寒気がする程の何かを感じる。静かに静かに、私が帰れないと聞かされた時シャイスさん達に向けられていたそれが広がる。
 殺意に近い、空気。元の世界では感じる事も余り無いだろう研ぎすまされたそれをじっくり味あわされている。
 子供みたいに無邪気な顔で、そして子供と同じような感覚を持つ加減を知らない勇者候補を。
 彼らは敵に回した。

 

 

 

 

 

 

 

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