十章/誰が為の英雄

 

 

 

  


 ――カリンともう訓練できないかもしれない。

 マインの一言に、私は大いに混乱した。
「どういう意味ですか。怪我ですか。体調悪いとかですか!?」
 暇さえあれば遊びと称した訓練を抱えてくるマインの台詞とは思えない。
 遊ぼう遊ぼうが毎日の挨拶だったのに。
「あーえっと。正確に言うとね、カリンに本気で打ち込めなくなった。かなぁ」
 物憂げに溜息なんかついている。だ、大丈夫ではなさそうだ。
「……今も昔もそんな事されたら死にます」
 ちょっとだけ拗ねるような仕草をしてみる。マインは微かに頷いて、
「そうだね。そうなんだけどー…ちょっと違う、と思う」
 ぶち、と雑草の先端を無造作に千切った。
「すっごい曖昧ですね」
 それにマインの様子を見るとどことなく落ち込んでるようにも見える。何時もにこにことした笑顔を絶やさないと脳に勝手にインプットされているのに。
 笑顔が欠片も見えない。
「うん、言っててすっごく変だって分かってる」
 けどほんとうだしなぁ、ともごもご口の中で呻いて渋面になっている。
 何が起きたんですかマインの中で。
「カリンはさ。どう思う、この世界」
「えっと。自然が豊かですね」
 いきなり振られて無難な返答をしてしまう。
「そう、じゃなくて、この世界変とか、おかしいとか思う?」
 ああ、そう言う意味か。珍しい質問に返事を間違えてしまった。
 私の答えはずっと同じだ。
「思います」
 勝手な召還がまかり通る世界。強くなければ邪魔だと追われる世界。私からすれば、普通ではない。それは強くなれない私の希望でもある。
「……はあ」
 溜息をついてマインが星空を見上げた。ほ、本当にどうしたんだろう。思春期!? それとも星で感傷的になってしまった、とかなのだろうか。
 心の中で慌てる私を見て、マインが小さく声を漏らした。
「ふふ、おかしいよね。うん、おかしい」
 おかしくなってるのはマインだと思い始めてます。とは言えずに黙ったまま耳を傾ける。
「だってみんな勇者がなんの為に必要なのか知らないんだから。おかしいよね」
「え」
 ずっと尋ねたくてもぼかされていた答え。陽炎のように曖昧な言葉しか戻ってこなかった世界の核心。
 勇者候補の一人である彼は、気を抜けば聞き逃しそうなくらい自然な声音でそう呟いた。
 続きを促そうと考えて、止めた。下手につつくより黙っているほうが良い。何より、マインは続きを言おうとしている。
 ぼんやりと星空を眺めて唇を動かす姿は、おとぎ話の語り手のようにも思えた。
「この国……世界では、勇者候補は凄く待遇が良い」
「はい」
 少しだけ迷って相槌を打つ。確かに一般的な人々よりも待遇は良い、と思う。町人か村人か、に襲われた時にそんな台詞を投げつけられた。
「でも、勇者になろうなんて考える人は少ない。僕もそうだから」
 思わず隣にいるマインを見つめる。淡々と、本を朗読するみたいに表情は動かない。
 それだけに、寒気がする程の現実味を覚える。
「決められてなった訳じゃなくて、ただ単に残れたからここにいるだけ」
 そこで一旦、彼は言葉を飲んだ。千切れて飛ぶ枯れ葉を掴もうと手を伸ばす。
 からかうように木の葉はマインの指をくるりとすり抜け、遠くに飛ばされていった。
「狭いこの城と敷地が世界の全て。だから、カリンが来るまで召還は普通だと思ってた」
 一気にそう告げて、彼が俯く。
 マインはもしかして。
 ざわり、と肌が粟立つのを感じる。
「……ごめんなさい」
 頭を下げられても寒気が続く。
 酷く悲しそうな瞳に笑顔を向ける余裕も出ない。
「マインは……マインのご家族はどうしてるんですか」
 痛い。頭が酷く痛む。頭蓋骨を鷲掴まれたみたい。自分の声が反響する。
 シャイスさんと同じ答えならまだ良いと思う自分が嫌だ。
 ただ、予想通りの答えが来るのが怖かった。
 星の光に照らされて、マインは薄く微笑んだ。いつもよりも大人びた顔で。
「知らない。生きては、居ると思うよ。顔は知らないけど」
 背筋に冷水が流されるような感覚に、彼の領域に踏み込むべきか迷う。
「僕の世界はここだけだから」
 問おうとした私に気を使ったのか、答えは先に差し伸べられた。
 マインはさっきも世界は城だと言った。今も世界はここだけと言った。
 ああ、やはり。
 乾いた心にぽたりと雫が垂れる。染み渡る言葉。もうこの先は分かってしまった。
 この世界のもう一つの決まり事。やっぱり私はこの世界のルールは嫌いだ。
 なんでマインが勇者候補なのか、死すら分かっていて他の人達がどうして勇者候補を目指すのか。
 少し考えれば解けたのに。
「この世界って言えばいいのかな、ある程度大きくなったら勇者候補になるように育てられるんだ。それで、素質がある人はずっと囲われた中で訓練させられる」
 かちりと奥歯が合わさる音が聞こえる。意識しないと身体が震える。残酷な事実に脅えて泣き喚きたくなる。あり得ない、と。
 ならば耳を塞ぐ? 前の私なら確実にそうしていた。けれど、駄目。この言葉は聞かなければ。
 これは告白だ。マインの人生を振り返る懺悔に近い。側にいて、無意識にでも尋ねてしまったのならば。私は聞かなきゃいけない。それが蓋をされた傷口をこじ開けた私のせめてもの償いだ。
 だから、聞こう。
 この世界のルールを。
「素質があると認められたら、親は子をお城の人達なのかな……偉い人に渡す。そうすれば一生以上食べる事には困らなくなる。
 その後も少しずつだけ援助を貰える。一家で死ぬか、子供を渡すか。尋ねられたら答えは決まり」
 揺れない声にぞっとする。この世界の勇者候補はそうしてつくられていく。親が子供を、売り渡す世界。
「子供が勇者候補になれば援助の額も大きくなる。そして子供が死んだとしてもその額は変わらない」
 勝つ為に私は手段を選ばなかった。そしてこの世界も手段を選ばなかった。
「僕は良いほうだと思うよ。名前は売れてるから両親は生きてるって分かるだろうし」
 向けられた笑顔は屈託がない。彼は本当にまっさらだった。
 城という名の籠で囲われた小鳥。常識がないのではなく、すり込まれていないだけ。
 ずっと召還を見ていた。物心付く頃から剣を握るのも当たり前。
 私が泣いて喚いて叫んでも、不思議そうにしていた理由が分かった。
 マインにとって、嫌がる私が普通ではなかった≠フだから。
「これが僕達にとっての、多分普通。カリンにとっての普通じゃない事。
 勇者候補は嘘つきだから、余りほんとの事はよく分からない。
 プラチナも、アニスも、もしかしたらシャイスだって何か知ってるけど教えてくれない。
 そして、僕が教えられるカリンへの精一杯」
 唇を動かすのを止めて深く息をついた。少しだけ疲労の色が見える。
「マイン。あの、ありがとうございます」
 慌てて頭を下げてお礼を告げる。座ったままなので格好はあんまり良くない。
 多分それは言い辛い事、そしてタブーと呼ばれるものに触れている。マインの心すら削り砕かないと紡げない内容。
「でも、勇者候補が嘘つきって」
 何時か聞いた言葉と、さっき聞いた言葉が重なって自然と疑問が口を突いた。
 ――勇者候補じゃないシャイスは嘘付かないと思っていたのに。
 帰還前に、激情を露わにしていたマインの姿が脳裏に浮かぶ。あの時感じたのは怒りと、絶望。そして悲しみ。
「嘘つきだよ。みんなみんな嘘つき」
 ふう、と重い息を隠さずにマインが腕を伸ばす。届きそうに見える星には届かない。
 憧憬、羨望。無理だと分かっていても遠くにある輝きを掴みたくなる。マインもそうなのだろうか。
 広げるように伸ばしていた腕を弛緩させ、ぱたんと地に落とす。草の匂いが辺りに広がる。
「次の休みに町に行こうって言っても、来ない。キィの実を分けてくれるって言ったのに居なくなっちゃう。
 一緒に遊ぶ約束だっていつもいつも消えて無くなる。うそつきばっかり」
 ぽつりぽつりと呟き、身体を起こす。話の中身を理解するのにしばらく掛かった。
 すっぽかされた訳ではなく、来ない。約束して消えてしまう。それは確かに酷いと頷きそうになって、この世界の現状と照らし合わせ頭が真っ白になった。
 彼と同じ立場の勇者候補がいなくなる。もしかしたらもっと昔の勇者候補になる前の話かも知れない。
 けど、約束をして姿を消す。それは何だ。
「でも、それは……」
 答えを弾き出すのが怖くて唇が勝手に言葉を紡ぐ。
「分かってる。みんな本気だったって分かってるけど、もうやだ。凄く凄く楽しみにしてても全部嘘になるのがもうやだ。
 だから、カリンが。カリンが帰れなくて泣いた時、色々な事が変だと思った。残ってくれて嬉しいのに、凄く嫌な気持ちになった」
 膝を抱え、彼は更に言葉を続ける。今にも泣き出しそうに見えて、悲しくなった。
 やはり死んだのか、約束は永遠に果たされずに。脳の冷静な部分が呻く。死者名簿がある時点で予測すべき事だ。
 この間だって、私は死にかけた。殺されそうになった。忘れてないのに、記憶が目隠しをしたがる。
 幾ら心躍らせる約束をしても、叶うとは限らない。何時、誰が、何処で消えてもおかしくない。そんな世界。
「みんなカリンみたいに笑ってくれない。みんな怒ってもくれない。ふくれたりなんてしない。泣いたりしない」
 そりゃそうだろう。事故でもない限り私のようなある意味平和な人間が召還されることは無かったはずだ。
 結果的に戦いのスペシャリスト達が集まる事になる。笑顔も怒りもしないだろう。感情すらも捨てた人間が多いかも知れない。
 失敗すれば待つのは死、それも自己責任と言われるのだろうから
 その中にいるにしては、マインは感情的だと思う。だけどそれも子供のようなが付く。
 戦う時も無邪気に笑う。鮮血を浴びても、刃を受けても。場所はどうでも良いとでも言うように楽しそうに笑う。それが囲われて育てられた影響なんだろう。
 彼にとって戦場は命を賭けた遊び場だ。マインの感覚を考えれば勝てば褒められるから戦っているという点が強いのだろう。そう染み込まされた、分かるだけに胸がむかつく。
「強くないのにどうしてこうなるんだろうって。で、カリンが帰ってからずっと考えてみた」
 確かに強くはないけど、そう言われると少し傷つく。私が帰ってから、と言う事は一週間考え続けたのだろうか。
「ぼーっとしてて、プラチナにすっごく怒られた」
 悪戯っぽく舌を出して空を見上げた。一週間、勇者候補としては絶対に手を抜かなかったマインが集中力を乱すだけ考えてくれた。
 それだけでも充分だ。
「で、分かったのはこの世界は変だって事だけだった」
 なのに、彼は絞り込んだ答えを出してくれた。私は戦いの役には立てない。
 だけど、マインの心を揺さぶる切っ掛けにはなれた。
 普通である事を、日常を。それも世界の意志がおかしいと認めるのは大変だから、認めて受け入れられたマインは、とても凄いと思う。
「それから、カリンはこの事を知っていたほうが……知らないのがおかしいと思った」
 噛み締めるような言葉に何度も頷く。ちゃんと私は聞いていると示す為に。
「だから話してくれたんですか」
「うん。それに、謝りたかった。僕達は酷いコトしてる」
 呻き、マインの目が細まる。
「でもそれはマインが直接した訳ではないですよね。なら――」
「ちがう。止めようと思えば止められる。命を賭ければすぐに出来る」
 私の台詞に彼は前のめりに身体を出して声を荒げた。それは召還者、つまりシャイスさんやフレイさんを殺すという事か。
 怒りも苛立ちもなく静かに息を吸い込んで吐き出す。確かにマインには容易い事だ。だけど、意味がない。
 残酷、最低、非道、色々な文字を並べ立てても、勧善懲悪にしかならないだろう。ただただ、それは無意味な事だと分かり切っているから、私はマインの目を見つめ返した。
「それは、残念ですが無意味です。召還する人は少ないとは聞きましたが、一人しかいないとは言われませんでした。
 同じ事を考えた人も昔に、きっと出たんですね。だから、規則がある」
 そう、ルールは元からあったとして今存在する原則全てが組み込まれていた訳ではない。城での殺しを――特に召還者に対して厳しい措置をとるのは何故か。答えは単純、それを実行した者が居たからだ。
 凡人の私にだって何度かよぎり頭から振り払った考えを、勇者候補の人達が考えない訳がない。
 そして、それが実行され。今はどうなっている? またしても考えるまでの事ではない。変わらなかった。
 ただそれだけの話だ。
「わかっ、てるけど。でもなんかやだ」
 ぷ、と頬を膨らませて腕を組む姿は駄々っ子そのもの。
「まあまあマイン。地味にしぶといと思いますよ私。意外とタフに生きてると自分でも思ってますから」
 苦笑をかみ殺してなだめる。実際問題私はしぶといんだろう。ガラス細工のような性格だったらとうに崩れてしまっている。
「勇者候補は戦わないといけない。だから、カリンは勇者候補になったら駄目だと思う」
 真面目な顔で告げられて、また私は唸ってしまった。
「もう延長戦です。手遅れです。プラチナから候補者に含まれました」
 アベルに喧嘩をふっかけて、勝ってしまえば弱いなんて言葉は飾りにしかならない。時々思うのだ。
 魔物を吹き飛ばし、陣ごと切り刻む彼に二撃入れられたなんて夢じゃないかと。いや、夢じゃないからここにこうして居るんだけど。
「マインは今の話からするとこの世界の人なんですか。じゃあアニスさんもそうなのかな」
 先程からの話から考えると、マインはこの世界で生まれたんだろう。じゃあアニスさんは?
「アニスは確かそうだったと思う。ただ、僕とは違うから、普通のこの世界の暮らし、アニスの方がよく知ってる」
「……それってどういう」
 尋ねると、マインが僅かに目を泳がせた。
「国の全員が子供を連れてくるって決まりもないから。アニスもそうで、数年くらい前までは普通に暮らしてたとか聞いた事ある」
「分かりました。もういいです」
 マインの歯切れの悪さと、今までの話でその先は大体予測できた。引き離された、か。
 艶やかな笑みを思い出す。彼女も色々大変な人生を送っているらしい。
 幾ら人材不足だからってそこまでしなくても良いんじゃないか。人権とか無いのだろうか、この国は。
 無いだろうなぁ、平気で自分を駒という人が居るくらいだし。
「勇者が来たら候補者はどうなるのかな」
 星を見つめていたマインが、ぽつりと漏らした。
 彼相手に曖昧な返答は厳禁なので、率直な答えを告げてみる。
「……さぁ。ザックリ言えば要らないですよね」
 言っておいて何だが、我ながら率直すぎるかも知れない。
「潰される?」
 まん丸な瞳で尋ねられて言葉に詰まる。
「いや、そこまで無情じゃないと思いたいですけど」
 世は無常。勇者候補ですら駒と言われる世界が情愛豊かとも言いにくい。
「うー…」
 夜空を眺めて何やらマインは唸っていた。
「マイン」
「うん、うー」
 適当な相槌混じりに更に呻く。
「マインー」
 声に力を付けて呼びかけると、ぐるりとマインが振り向いて思わず腰が引ける。
「決めた! じゃあね、僕は勇者になる」
「は? ま、まあ候補者が勇者目指しても別段おかしくはないですけど」
 とても嬉しそうに宣言されて首を傾けた。
「で、カリン守ってあげる!」
「それは非常にありがたいのですが、別に勇者に絞らなくても」
 我が師匠(最近師匠呼びを禁止されたが)であるマインはとても強い。
 護衛としては申し分ない。
「駄目だよ。だって勇者が一番強いんだよ。一番強くないとカリン守れないよ」
 マインの人生なのに、そこで私を優先するんですか。
 嬉しいは嬉しいけど、一番強くって。
「そ、そうかもしれないですけど」
 魔王と戦う日でも来るんですか、私は。
「だからね、勇者どうでも良かったけどカリンを守る為に勇者になるね」
「ぶっ……」
 無邪気に微笑まれ、キッパリ宣言されて盛大に吹き出す。
 全くの不意打ちに、思い切り後頭部を地面に打ち付け掛けた。
 意識が暗転しそうな程揺らめいている。勇者どうでも良かったって候補者としてどうなんですかと突っ込む余裕は勿論無かった。

 

 

 

 

 

 

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