十章/誰が為の英雄

 

 

 

  


 ゆらゆらと揺れている。不快感はない。
 ――ゆりかごとは少し違う。昔遊んだ、ブランコを思い出した。


 そういえば相手が自分を暖かいと言っていた事を思いだして、思わず側にあった頬に指を触れていた。
「なに?」
 赤みが差しているように見えるのに、確かに暖かくない。生物的には暖かいけど、私よりは冷たい。
 ひやりとした感触に夜気の冷たさを今更思い出した。露出した頬が赤くなるのは当然かと思いつつ、自分はマインに抱えられているせいでそれ程寒波に晒されていないのだと認識する。
「ええと。いえ」
 はっ、つい手で頬を触ってしまった。
 大それた事をしていたと今更ながらに気が付いて、手を下ろし、拳を握る。これ以上ベタベタ触ってはいけない。
 召還された時も宝石みたいなのに触れたし、無意識にあちこち弄る癖があるのかも知れない。
 ほっぺたをふわりと何かが撫でた。やり返されたのかと思ったらどうも違う。
 撫でるだけではなく、それはぐいっと押し付いて、左右に揺れて離れた。
 生暖かくて、僅かに弾力がある。
 何。何ですか今の。
「カリンあったかーい」
 尋ねる前にマインが頬を寄せ、私のほっぺたにすりつけた。
「!?」
 余りの衝撃に声が出ない。なっ、なっ、なななな。
「女の子って柔らかいんだね。あーずっと抱っこしてようかなぁ」
 ずっとって。柔らかいって。結構なセクハラ発言をしていませんか。女の私すら羨ましいと思う可愛い顔で。
「いい、いえ。私なんてその……アニスさんと比べますと無い無い尽くしですし」
 言ってて悲しくなるけど、それは本当だ。見た目もスタイルも。能力だって叶わない。
 もう一度近づいてきた顔をやんわりと指先で押しとどめた。マインがふて腐れたような顔をする。
「……アニスはこんなコトした事無いし。カリンは組み手で何となく柔らかいなーとか思ってたけど」
 そんな余裕を持ちながら私は毎回跳ね飛ばされていたのでしょうか。自分の無力さが恨めしい。
「で、でも。プラチナとかも居ますよね」
 勿論プラチナにだって勝てる自信はない。見た目とか能力で。
「ううん。剣術はともかく格闘ってカリンしか一緒にした事無いし。後は同じくらいだったり大きかったり。
 大体僕より大きい男の人だから。男はごつごつって感じなんだよね」
「男の人と一緒にしないで下さい」
 確かに強くはなりたいと思うけど、男の人と体格を比べられると泣ける。
 そんな大きくないし。とか、もう少し小さいです。とか。
「女の子ってやっぱりそうなんだー」
 じーっと見つめられて居心地が悪い。私は珍獣ですか。
「城以外にも勇者候補の人って女の人も居る……んですよね」
 居るじゃないですか、と断定し掛けて止めた。前に会話の端で聞こえた別の勇者候補だろう人の名前が女性のような響きだったが、男だったらどうしよう。
 私の内心の動揺も何処吹く風。マインがにぱ、と笑う。
「うん。居るよ。でもこんな風に抱っこは無いかなー。みんな全部自分でするし、稽古なんてつけたりもしないし」
 それだけ私が落ちこぼれって事ですね。と舌先にのせ掛けて止めた。いけない、自虐的になってしまう。
「だから、女の子持ち上げたのはカリンが初めてで、わくわくする」
「そう言うものですか」
 持ち上げるだけでわくわくなんだ。私的には様々な意味でどきどきなのに。
「うん!」
 元気な返事。しかし、結構揺られている気がする。マインの声も潜めた物から通常に近いボリュームになっていた。
 そして私は何時地面と再会できるんでしょう。嬉しそうに歩いているマインを見ているとまだしばらく拘束されるのかも知れない。
 時折持ち方を変えてくれるのは、重いからとかではなく単純にこちらに気を使ってくれているのだろう。
 同じ格好はきついから助かるけれど、下ろしてくれれば歩くのに。誰も見ていないと分かっていても、非常に恥ずかしい。
 ああでもこれがマインでよかったとも思う。基本的に私は人と触れ合う事自体が苦手だ。男子となんて滅多に話した事もない。この世界では別として。
 前から投げたりされているせいか、マインに抱えられる事には抵抗感がない。頬ずりは流石に困るが。
 これが違う人だったら、今の私なら蹴り飛ばしてでも逃げている。マインからはそんな事しても逃げられない気もするけど。
「カリンはね」
 不意に声を掛けられてはっとなる。段々持ち方が慣れてきているせいか、歩く速度を変えているせいかうたた寝するところだった。
「は、はい」
「アニスと違うから良いと思うよ。カリンはカリンのままで」
「体型的にでしょうか能力的にでしょうか」
「えー…っと。体型的に」
 少し言葉を詰まらせて、目を泳がせる。
「なんでですか。重いとかではないですよね」
「アニスは抱きつきにくいから」
「…………」
 それは私がまな板だと言いたいのですか。確かにアニスさんは色々とばーんとかだけど。
 イモイモ生活でどうやったらあの体型になれるのか。遺伝子レベルの問題なんだろうか。
「抱きついたら息苦しくなるし」
「それは」
 何度か窒息している身としては他人事とは思えない感想だ。
 そりゃ確かにそうなんですけど。息苦しいからあの体型じゃなくて良いってどうですか。
 なれるかなれないかはともかく! 
 あそこまでとは行かなくても、成長途中の私はもう少し高みを目指したい訳で。
 頭の中で言い訳をこねくり返しながら、視線は素直に自分の胸元に行った。
 無いとは言わないけど、ここに来てから体重が減ったせいか、平らに近くなった気がする。
 何時か男と間違われる日が来るんじゃ無いだろうか。そんな不安までよぎってしまう。
「つーいた。はい、カリン到着。
 あ、カリンが寒いならもう少し抱っこしてても良いよ。暖かいし」
「い、いえいえいえ。お構いなく!」
 軽いが本気で言ってそうな台詞に慌てて身体を持ち上げ、地面に転がす。
 夜露に濡れて身体が少し冷えた。土の匂いがする。
 ちょっとだけマインが不満そうに眉を寄せるのが見えたが気が付かない振りをする。
 放っておけばずっと抱えられそうで怖い。
 むー、と小さく呻いてから彼が地を指さした。
「ここ座って」
「はい」
 抗う理由もないので素直に従ってみる。お尻が少し冷たいが、我慢できない事はない。
 真っ直ぐ座ろうにも身体が少しずつ下にずり落ちる。僅かな傾斜があるらしい。
 丘、みたいなところかな。
「上眺めてみて」
「は、はい」
 素直さに満足したのか、それとも別の理由にか、何故かにこにこと上機嫌なマインに促されて、顔を上げる。
 ぱちんと、僅かな眠気が弾けた。
 上空は別世界だった。荒い宝石の粒を力一杯放り投げたみたいにあちこちで光の粒が輝いている。
 沢山の見えない子供達が星砂かけでもしたような、満天の星空だった。
「う……わぁぁ。凄い」
 最初は驚きで息が詰まっていた喉も、時間が経つと共に興奮でほぐれてくる。
 絶景と言って良い景色を見ても、悲しいかな、単純な感想しか出ない。
 すごい、としか言いようがない。綺麗、素敵、色々な言葉を持ってきても何だか物足りなく感じてしまう。
 何よりもそんな台詞で表すのは違うような気がした。ピタリとはまる表現がない。
「でしょ。とっておきの場所だよ」
 自慢げに胸を張る。
 うん、……うん。確かにこれはとっておきだ。私だったらずっと蓋をして秘密にしてしまいそうな程の穴場。
 だから、不思議に思う。
「どうして私に?」
「んーと、ご褒美! それにカリンが見たいって言ってたから、絶対見せようと思ってたんだ」
 ご褒美。そう言えばそんな事も言ってた気もする。
 元の場所に帰る前、私が告げたたった一つの我が侭。それをマインは覚えていた。覚えていてくれた。
 何だか無性に嬉しくて少しだけ鼻の奥がツンとする。
「あ、き、気に入らなかった」
 半泣きになっている私におろおろとマインが問う。ここは微笑んであげないといけないのに、何だか感激で涙が出そうだ。
 うう、おさまれ私の涙腺。
「い、いえ。なんか凄く……嬉しくて思わず涙が出そうに」
「そ、そっか。でもそのね、僕はあのー」
 珍しく歯切れが悪い。次の台詞は分かっているので、溜まっていた涙を指先で拭う。そして、目一杯。私が作れる限りの笑顔を向けた。
「とても嬉しいです。ありがとうございます」
 ぱっ、とマインの顔が明るくなる。
「うん。カリンの笑顔好きだから連れてきたんだよ」
 それだけの為に、真夜中にこんな所まで。……ええと、ここはドコだろう。
 多分城の側だと思うけど、抱えられてきたせいでどこをどう来たのか分からなかった。
 もしかしたら、抱えた理由に道順を覚えられない為。と言うのも入っていたのかも知れないな、とぼんやり思う。
 マインの顔から笑顔がフッ、と蝋燭から火が消えるように無くなった。
「……なんてちょっと嘘。お話ししようと思って」
「お話、ですか」
 少しだけ空気が重くなる。冷たい夜気のせいでも、湿気を含んだ風のせいでもない。
 風が手元の草を撫で、枯れ葉を舞い上げた。
「訓練の事だけどね」
 呟きながら、マインは足下の草をひとむしりして、パラパラと風に乗せる。
「はい」
「僕、カリンともう訓練できないかもしれない」
 彼の手元に残っていた最後の草が空に散った。
「は?」
 静かな一言に、私の思考は一時停止した。

 

 

 

 

 

 

 

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