十章/誰が為の英雄

 

 

 

  


 古いせいか、戦いの傷跡か。寒々とした風が壁の隙間から吹き抜ける。
 厚みのある絨毯は動きはしないが、足音が聞こえない城に響く風は死霊の雄叫びにも聞こえた。
 そんなことをつらつら考えていたせいなのか、足下に目を落としていた私は目の前にいる相手に気が付いたのはぶつかる寸前だった。
「あっ、カリ――」
 跳ね上がった声が言葉を続ける前に、
「ごめんなさいっ! ジャガイモ灰だらけにして済みません!!」
 力一杯謝罪をする。もう今日で頭を下げるのが何回目なのか数えるのは途中で止めた。
「あ、その事。気にしてないよ。みんなも気にしてないから良いんじゃないかな」
 大声にか、焦げ茶色の瞳を一瞬大きく見開いていたマインだったけれど手を軽く左右に振って可笑しそうに笑った。
「う。でも……」
 好意的なマインの言葉にも返答に窮する。でも、あの、あのディナーは……っ。
 塩が(握った物まで)灰へとすり替わるという異世界でも類を見ない異常現象を引き起こした身としてはいたたまれない。
 ハーブ類が掛けられて、必死に試行錯誤した痕が見られたジャガイモはささやかな抵抗を嘲笑うようなくすんだ色をしていた。
 口に運んだ時の食感と言ったら、ある意味唸る程。砂と粘度がすり込まれたような粘りとざらつき。イモの食感がそれを後押しして食後誰も口を開かない程だった。
 アベルには斬られる事すら覚悟していたけれど、彼は食事を終えると同時、口元を抑えてさっさと部屋に消えてしまった。その顔が僅かに青ざめていたのは恐らく気のせいではない。
 物資が少なく、戦う事が多いこの世界では娯楽がほとんど無いとアニスさんから聞いていた。
 マインは食べるのが大好きで、更に言うならみんなの楽しみは食事がかなりの部分を占める。
 本当に申し訳なさすぎて何度謝っても謝り足りない。
「魔法の練習の失敗でしょ。爆発したりしないだけよかったよー」
「え。あの魔法失敗すると爆発するんですか」
 だとしたらなんて物騒なものを練習させるのだろうか。私の言葉にマインの顔が曇った。
「ううん。失敗しても物が辺りにばらける程度、だったと思う」
 何でそこで口ごもって視線を逸らすんですか。うう、部屋を散らかすようなミスになるはずの事を厨房のモノと入れ替えてしまう程に大失敗してしまった訳ですか。
 傷つかないように気を使っているようだけど、その台詞だけで魔法とかのセンスが壊滅的だと言われてるも同然だ。
「あ、そうだ。カリンに用があったんだ」
 えへへー、と笑う姿は天使のようで。ナイフだけで魔物を捌いていた人物と同一人物とは思えない。
「私、ですか。何でしょう」
「あのね、カリン前に――じゃなくて、一緒に遊ぼう」
 掛けられた声の楽しそうな響きと、遊ぶの意味合いを数度考えて首を振る。
「え、こんな時間にですか? いえあの。勘弁して下さい」
 マインの遊ぶ=訓練だ。精神的に疲れたので今日はとても彼の遊びには付き合えない。
「そうじゃないよー。遊ぶというか、うーんと。頑張るカリンにご褒美だよ!」
 意味が飲み込めずに思わず首を傾けた。
「こっちこっち。早く行こう」
 有無を言わせずぐんと腕を引かれる。連れて行かれたのは自分の部屋の側の通りから、少し外れた廊下だった。
 躊躇いもなく人気のない扉のノブを掴む。
「え、あの。そっちは空き部屋で扉あいてないかも」
「いーのいーの。早く早くぅっ」
 潤滑油だけは足されていたのか、意外な程スムーズに扉が開く。やはり灯りはついていない。
 いつの間に先に行ったのか、微かな足音に取り残された事に気が付いた。慌てて暗い室内に早足で入り込む。
「あ、開いてるんですね。意外と綺麗に残ってますね、何で使わな」
 後ろでぱたんと軽く扉が閉じた。怖さを紛らわせようと口早に尋ねていると、ぐいっと袖を引っ張られた。
 え? と思う間に身体も一緒に引きずられて、私はそのまま地面に斜めに倒れ落ちた。
 カツ、と小石が跳ねる音がする。薄ぼんやりと自分の腕を掴んだ相手の姿が見えた。輝虫はいない。
 古さか、傷を付けられたのか、天井の隙間から月の光が零れて辺りを薄く照らす。目をこらさないと隣の相手もよく見えない。
「もう、カリンは危ないなぁ。ここも危ないから使えないんだよ」
 先程まで進んでいた部屋の中央を指さすマインに、起きあがって噛み付き用に選んでいた台詞を飲み込む。
 床が、無かった。しかも床板一枚のレベルではない。分厚い石造りの床を突き抜けた後、それでも止まれなかったかのように。地下室あたりまでめり込んでいそうな深さだ。
 鉄球を一、二発叩き込んでもこんな有様にはならない。そして先程自分が取ったルートを思い出して背筋が一気に冷え込んだ。血が冷える音が聞こえる。
 あのまま進めば奈落に真っ逆さま。ミンチどころの話ではない。危うくそのまま土を被せられて永眠になるところだった。
 暗いから気をつけないと、とマインがけらけら笑っているが、この深さは笑えない。危ないと思うのなら明かりを灯せばいいのに。
 やはり勇者候補は夜目も一般人とは違うんだろうか。それとも感で気がつけるのか、慣れていない私はぎゅっとマインの袖を握ろうとして強張った指が布を掴み損ねる。
「怖かったら腕掴んでて良いよ」
「いえ、でも……」
 た、確かにこの暗さは怖いし。落とし穴も怖い。しかし(恐らく)年下に怖がってしがみつくというのも情けない話ではないだろうか。
 それに一応マインは異性でもある。プライドと恥じらいが混ぜ合わさって渦になる。
「ひっ!?」
 悶々と考え込む私の思考は背後の軽い、産毛が触れる程度の一押しで消し飛んだ。
 反射的に近場にあった頼れるもの、と脳が認識したマインの腕にしがみつく。
「ほらー。怖がってる」
 うっすらと漏れる笑い声で先程の犯人に見当が付いて、睨み付ける。
「何するんですか。落ちるじゃないですか」
「あの位じゃ小鳥だって落っこちないよ」
 涙目の私の顔を真正面から見たマインが更におかしそうに肩を震わせた。酷い、酷すぎる。
 いじめっこだ。
「うんうん。そうしてる方が瓦礫に躓いたりしなくて良いよ」
「私ってそんなに鈍くさそうに見えますか」
「うん」
 言い切られた。
 反抗のつもりで腕を解こうと思うものの、腕は意志とは反対にがっしりマインに絡み付く。
 うーちょっと動きにくい。と言われたのは反抗的に見えたと捉えるべきか、じゃれた猫をなだめる程度の感覚なのか。
 多分、後者だろうな。ふとした振動が命取りになりそうで、溜息をするのも怖くて飲み込んでしまう。
 マインが前触れ無くしゃがみ込んだ。あっ、と思う間に躰が傾いて地に膝をつく。僅かに擦れて痛いが、勿論腕は外さない、というより指が外れない。
「これこれっ」
 人の気を知ってか知らずか、僅かな月明かりの下屈託のない笑みを浮かべ、地面に近い石壁の一つを指さす。
 周辺の壁もだが、表面に僅かなヒビが入っている、何かがぶつかったのか、くぼみも出来ていた。
 何だか、そのうち割れそう。
「ここをね、こうしてー」
 私の心中を無視して、マインはくぼみに指を入れ、引き抜く。
 …………
 え?
 思わず壁を叩く。マインの引き抜いた壁の一部。レンガの一ブロックのように一カ所だけぽっかり穴が開いてしまっている。
 人が通れる隙間ではないが、上から壁が崩れてくる気配もない。
 だんだん、と力を少し込めて叩いても、同じように引き抜こうとしてもびくともしない。
 どうなって居るんですかーー!?
「こうやってー」
 混乱する間にも、マインの奇っ怪な行動は続いていく。一ブロック分の隙間に手を入れ、今までブロックで塞がれていた横の壁を押す。
 ズ、と鈍い音がして壁がずれた。
 壁がずれた!
「マ、ママママママ」
 あまりの事に声が出ない。気のせいではない証拠に開いた隙間から冷たい夜気が流れ込んでくる。
「面白いでしょー。他の部屋ではしないでね、ここが特別なんだから」
 そ、そうか。よかったここが特別なんだ。
 私の部屋まであっさり壁がずれたりしたらどうしようかと思った。
「前宝探ししてたら、見つけちゃったんだ」
 見つけちゃったんだ。って、どれだけ詳しく調べればこんな物見つけられるんですか。
「魔物が部屋潰したって聞いた時少し焦ったんだよー。この部屋使えなくなるかもっ、て。
 でも、近くの部屋が壊れたから逆に人通り少なくなってラッキーだけど」
 この部屋の床も壊れたけどねー、と更に逆の壁に手を掛けて少しだけ力を込める。
 またあっさり壁が滑った。
 ええと、ええと。これは隠し通路の類だという感じで流せば良いんだよ、ね。
 もしかしたら創った人の遊び心という可能性もあるけれど。
 気が付けば、人が一人通れそうな隙間が出来た。
「じゃじゃーん。開通!」
 マインが私の顔を見て、空いた手を広げた。声は潜めているけれど、楽しそうに語尾が跳ね上がっている。
「いや、あの。開通って……えっと。ああ、この仕掛けが私へのご褒美ですか」
 訳が分からなかったが、そう考えると納得いく。確かに面白いものではある。
「ちっがうよ。ご褒美はこれから。じゃあ先行くから早く来てね」
 パタパタと両手を振って微笑むマイン。しっかり握りしめていたはずの腕は無くなっている。
 何で!? 死ぬ気で掴んでいたのに。
「先行くって何処にですか」
「外だよー。ちゃんと付いて来てね」
 そう言い残すと身軽に飛び跳ねて。彼が消えた。
 消えた?
「!?」
 思わず隙間に躰を突っ込んで顔を向ける。
 暗い、底。ざわめく梢。血の気が引いてくらりと目眩がする。
 な、ななな何階!? ここ何階!?
 確かに二階くらいかなぁ、とは思ってたけど。この高さは三階位無い!?
 そりゃあ傾斜とかあるから階段が無いとか聞いたけど、そんなに高かったんですかここは!
「カーリーンーはっやーくぅ」
 歌うような声でブレ掛けた意識がクリアになる。
 早くって何を。何を早くしろと言うのか。
 付いて来てね、ってもしかして飛び降りろと。
 闇夜の中、三階は優にあるこの高さから落ちろと!
「む、むむむ無理です」
 歯の根は合わなかった。
「大丈夫、受け止めて上げるから。カリンは頑張れば出来るよ」
 頑張れば出来るよ、の範囲にはいるのですかこの高さ。
 確かに今までこれ以上の高さに放り投げられたりしたけど、それはマインが受け止めてくれるからマシだったわけだし。
 下を見る。今か今かとマインが手を広げて待っている。
 ……マインだから大丈夫だよね。受け止めてくれる。受け止めてくれる。
 というよりそうでないと困る。真っ暗のこの部屋から引き返す勇気がない。
「声だしたら駄目だからねー」
 うう、悲鳴もあげたら駄目なんですね。
 後ろには三階以上(多分)貫通した大穴。前には三階ほど下で手を広げて待つマイン。
 マインが居るだけ前のがマシだ。頑張ろう私。
 そっと壁に手をつく。前方に倒れる事はなく、固い手応え。
 杖代わりに寄りかかりながら立ち上がる。正直言うと、足がすくんで立ち上がるのもままならない。
「カーリーン」
 小さな声が聞こえる。とても嬉しそうで、恐らく、いや絶対に微笑んでいる。
 こっちは心臓がバクバク跳ねて気絶しそうなのに。無邪気な声が憎らしい。
 自分の呼吸の音まで大きく聞こえて、耳障りに感じてきた。
 返事の代わりに勇気を振り絞って手を挙げる。
 うう、落ちそう。怖い。違う、落ちなくては!
 怖がる自分自身と葛藤しつつ、前に踏み出す。小石が跳ねて外に吸い込まれる。
 ああああ、見なければ良かった。余計怖くなってきた。
 良し、口を塞いで目を少し閉じよう。それなら多分怖くない。
 これはバンジージャンプ。バンジーバンジーバンジー。
 暗示を掛けながら口を両手で押さえ、地面を勢いよく蹴った。
 投げられる事には慣れていても、自ら落ちる事は初めてだ。投げられるのに慣れるって言うのもどうなんだろう。
 ごうごうと風が唸る。冷たい夜気が体中に突き刺さって痛い。
 落ちる落ちる落ちる死ぬぅぅぅぅ。
 力一杯自分の口元を塞ぐ。そうしなければ悲鳴どころか絶叫を上げてしまいそうだ。
 息苦しいけど、指の合間から漏れる呻きは「ふぐぐー」程度で済んでいる。
 軽い衝撃と、すぐに来た浮遊感。何だかトランポリンに軽く落とされた気分。
 ぽすっとあるべき場所だと言わんばかりに私の躰はそこに収まった。
「お疲れ様ー。カリン偉い、頑張った」
 明るい声に九死に一生を得た事に気が付く。
 し、死ぬかと思った。
 バンジージャンプが終わった後は清々しくて心が洗われるよう、と言う人もいるが。
 どっちかというと魂も吹き飛びそうな恐怖だった。生まれ変わった気分だと言えば聞こえは良いんだけど。
 恐怖が毛穴からずるりと抜けて、冷や汗が出てくる。あー、生きてる。私生きてる。
 視界が滲んで見えるのはきっと気のせいじゃない。殺されかけるのと自分で死にかけるのもどちらとも同じくらい怖い。
 強張った身体のせいか、掌を動かす事もままならない。まだ息が苦しい。
 力一杯自分で口を塞いでいるせいだとは分かって居るんだけど、空気を思い切り吸い込めたら喚き出しそうで確認の為に指を動かすのが躊躇われる。
「カリン。もう外して良いんだよ。カリンー?」
 疑問系の口調にブンブン頭を横に振った。もうちょっと落ち着くまで待たないと自分が何叫ぶか分かったものではない。
「そう、うん。カリン抱っこ好きなんだね。なら良いけど」
 そうです私は抱っこが。
 抱っ、こ? 口を押さえたまま止まる。
 視界が滲んでいて分からなかったけど、感覚的に足が地に付いていない。
 落ちて受け止めて貰ったんだからそうなのは当然で。だから私の現状は。
「あ、わわわわ。ごめ、ごめんなさい」
 固くなっていた掌が緩み、謝罪の言葉が突いて出る。
 顔から火が出そうだ。卵をのせればすぐに温泉卵が出来ると思う。
 受け止めて貰った上に、今までずっと、なんと言いますか。
 お姫様抱っこされていたなんて! 恥ずかしすぎてさっきとは違う意味で死ねる!
 重くないですかと聞きかけて、それは愚問だと思い直す。何しろ初っぱなの訓練から放り投げてくれたのだし。
 今更重いとか尋ねるだけ無駄だろう。あの身の丈大ブーメランより重いとか言われたら傷つくけど、幾ら何でもそれはない、と思う。
 まん丸な焦げ茶色の瞳と眼があった。
「…………」
 何か用があるのかと見つめ返す。沈黙が流れる。
 特別な用はないらしい。でも何か言いたい事があったのか、口を開いた。
「カリンて……ええと。女の子って骨あるの」
「…………」
 次は私が沈黙した。
 骨あるの。それは新手の冗談か何かでしょうか。
 まじまじと見返す。相手は真剣そのものだ。
「ありますよ。無かったら立てません。何でそう思うんですか」
「だって、こうやって持つとぐにゃっとしてるし。やわいし。
 さっき受け止めた時もクッションみたいだったし」
 ぐにゃって、私はクラゲか何かですか。
 脂肪がですね、あるのは認めますけど。悪気は、無いだろうなぁ、この顔だと。
 はー、と脱力する。でもマインはたたらを踏む事はしない。きょとんと瞳を瞬くだけだ。
 普通重みが増したら揺れたりするんだけどなぁ。勇者候補だから普通じゃないのは重々承知してるけれど。
「あーじゃあ。その、もう大分緊張解れたので歩けます」
 良い意味でも悪い意味でもマインの一言が切っ掛けになったらしい。よろめく事はあっても普通に歩けると思う。
「やだ」
 満面の笑みで彼が答えた。
 うん。やだですね。
 何で!?
「どうしてですか!?」
 反射的に叫んでからマインに目でたしなめられた。あ、静かにだった。
 いやいや、でも疑問が。凄い疑問が!!
「カリン暖かいし、柔らかいし。もう少し持ってる」
 ゆたんぽ。私はゆたんぽですか、ねえ!?
「お気遣い無く。歩けます」
「お気遣い無く〜、抱っこしていくから」
 人の話を聞かないマイン。ああ、何度かこんなことあったっけなぁ。過去を振り返ってみる。
 びし、無言で頭に手刀を入れる。ついでにぽかぽか頭は忍びないので胸元を叩いてみる。
「暴れたら落ちるよ。いいこいいこ」
 効かなかった。ついでに子供扱いされた。悔しい。
 そう言えばまともに数発入れられたのこれが初めてだ。
 抱きかかえ、揺られながらふとそんな事を思った。
 

 

 

 

 

 

 

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