十章/誰が為の英雄

 

 

 

  



 シャイスさんが言った、魔法を使いましょう。
 はい使います。私が答える。
 そんな簡単に物事がいくのか。異世界だから何でも成功するか。
 答えはNo。否定。
 私の暮らす世界のように、何事も努力と訓練。つまり積み重ねが物を言う。
 ごく一部の才能ある人はその限りではないみたいだけれど、平凡な私が楽に進めるはずがない。泥にまみれて茨だらけの道を進むように、ゆっくり地道に歩むしかない。
 幾千の魔道書に埋もれても、幾万の言葉に触れても。幾つもの剣戟を浴びても今まで何一つとして手に入らない。
「この空いたツボでやりましょう。
 私がさっき教えた通りにすれば何とかなる、と思います」 
 シャイスさんが私が持ってきたツボと同じ位の大きさの、極小タイプの容器を幾つかテーブルに置く。口の大きさは私の拳が入るか入らないか、微妙なところだ。
「あの、本当に。アレで良いんですか。やり方」
「良いんですよ」
 思わず疑惑の眼差しを送ってしまう私に、彼は笑顔で答えてきた。
 ううー。信頼して良いのかな。
「最初はともかく最後の一節、必要なんですか?」
「アレが一番重要なんですよ。さっ、実行実行」
 習ったけど。さっき教わったけど。やりたくない。
 むしろ教わった故にやりたくない。
 え、ええい。もうどうにでもなれ!
「プレム・ラルマン。ツボよ、たくさん……っ。入るようになっちゃって下さい!」
 くるんとターンしてウインク一つ。思わず顔を覆った。
 恥ずかしい! なんでいちいちこの台詞がいるの!?
「あっ。カリン様照れちゃ駄目ですよ、失格です」
 指導者から早速お叱りがでた。
「えっ。駄目ですか」
 シャイスさんが答えの代わりに塩や砂糖の代わりにテーブルに置かれた灰を一袋取り、無造作に詰め込む。
 二袋目の灰は山となってそれ以上はこぼれ落ちた。
「ほら、一袋しか入りません」
 あ。ホントに入らない……がっかり。
「よぉし。でも筋は悪くないですよ。もう一度やりましょう」
 褒められた。それは素直に嬉しい。だけど、次の言葉に身体が固まる。
「もっ、もう一度ですか」
 あの恥ずかしい台詞と仕草をもう一度。拷問か。
 魔法を覚える為として私は今まで色々捨ててきた。見栄、プライド、羞恥。
 かぶりを振って、捨てきれない感情をふるい落とす。
 ああもう、アニスさんには他にも色々やらされたんだし、この位っ。
 頑張れ、頑張れ私。家庭用魔法でもないよりはマシ。魔法ゼロ生活はもう嫌だ。
「プレム・ラルマン。ツボよ、沢山入るようになっちゃって下さぁい」
 ダメ押しにウインクの後、頬に人差し指を当てた。
 よく頑張った、自分。
「そう、その語尾です。今度は良い感じですよ。どうでしょうやり遂げた感想は」
「死ぬほど恥ずかしいです」
 正直な感想を伝える。色々なモノも失った気もした。
「初心者はよく言うんですよ。でも一番言いやすいやり方ってこれしかないんですよね」
 そうなんですか、と頷き掛けて止まる。一番言いやすいやり方≠ニ今言ったのでしょうか。
「じゃあシャイスさんは」
 つまりそれは何通りかの方法があるという事で。呟いて、引きつる口元を必死になだめる。
「あはははは。別のやり方するに決まってるじゃないですか。恥ずかしい」
 殴ろうか。最近物騒になり始めた私の思考が凶暴に囁いた。
「じ、じゃあ入れてみましょうカリン様」
 不穏な色をはらみはじめた私の目に気が付いたのか、彼が慌てたように口早に言う。
「そーですね。入れてみましょう」
 言い合っても不毛なやり取りになりそうな気もして溜息混じりに頷いた。
 ほっと胸をなで下ろす姿を横目で確認し、やっぱり殴れば良かったかもと心の隅で少しだけ、少しだけそう思った。
 顔に少し出ていたのか、シャイスさんが手早く灰の入った袋をツボに押し付け、縛ってあった口を弛める。
 どばどばどば。一袋目、二袋目。三袋目。
 入る、入る。まるで底なしだ。
「わー。凄いですね。まだ入りそう」
 四袋五袋、ブラックホールみたいだなぁ。お気楽な感想を頭の中で踊らせたのはそこまでで。六袋辺りまで来たところで好奇心が暗い不安へ染まってきた。
 何だろう。ここまで入ると不気味に思えてくる。
「ま、まだ入りますね」
 そして何故かまだまだ入る気がしてならない。七袋、八袋……
「……どうなってるんですかこれ」
 まじまじと見つめるシャイスさんと同じ台詞を頭で呟きつつ、九袋目を入れきる。
 十袋目も容易く飲み込まれた。ただのツボだったのに、段々気味の悪い生き物のように見え始めた。
『…………』
 余りの違和感にシャイスさんと一緒に黙り込む。
「入れるのはこれ位にして、出してみますか」
 更に入りそうでもあったが、飲まれる灰を見るのも怖いので頷く。
 ゆっくりツボを傾けると、さあっ、と涼やかな音を立てて粒子が袋に落ちていく。
 更に違和感。軽い。幾ら灰とは言え持ち上げるのが少し大変な程の重さが十袋入ったにしては軽い。
 中身が流出している袋は重くなっていく。
「……重さが全くないですね。まさか私、カリン様に抜かれた!?」
 ショックを受けているシャイスさんから視線を逸らし。
「う」 
 呻きが漏れた。なにこれなにこれなにこれ。声がつっかえて頭の中で反響する。
「どうなさいまし――」
 彼の声も止まった。 
 白く、僅かに透き通った粗い粒が灰の代わりに延々と流れ落ちていく。
 サリサリと落ちる音に違和感があったのは否定しない。目視してようやくその違和感の正体に気が付く自分も自分ではある。
 灰は研磨されると透明感を持つようになるのかと、一瞬馬鹿らしい事を考えがよぎり頭を振った。
 ありえない。どう見てもこの砂粒のような粉は灰ではない。粒が粗すぎるし、何より透明感も重量もある。
 純白の、パールを砕いたような輝きだ。
「シャイスさん。この魔法って物が変化するんですか?」
「いえ、そんな高度な術じゃないですよ。でもこれは、どう見ても灰では……無いですよね。実は灰が研磨されたらこうなったりするとか」
「無いと思います」
 即座に否定して心の内で僅かな苦みを覚える。シャイスさんが、私と同じ事を思っていた。
 私とシャイスさんって実は似たような思考回路なのか、いや早まるな自分。幾ら何でも城の勇者候補全員に『役立たず』と呼ばれる人と全く同じ思考回路は嫌だ。
 実に失礼な考えだとは思うが、やっぱり同じは嫌だ。研磨されたり凝固してこの固形物になった案は無し! 口に出さなかった事に安堵しつつ灰ではないそれを見つめて脳の片隅に鎮座していた案を蹴り飛ばした。
 それ以上交わす言葉も見つからず、二人でツボを見つめる。
 必然的に沈黙が落ち、砂の流れるような涼しげな音が響く。
 そして、その音も緩やかになり、止まった。
 粒の収められた袋の数を見て、よろめきそうになる身体を辛うじて留める。
 丁度十袋。入れた灰と同じだけの量、灰ではない粒子が吐き出された。
 明らかに異常現象だ。これが普通なら、シャイスさんは拍手でもくれるだろう。
 彼を見ると、ツボと袋に視線を泳がせるだけで微動だにしない。
 これは何だろ、呪文間違えた? それとも灰がまずかった?
 考えすぎたせいか、何だか頭まで痛くなってくる。
 こめかみを押さえていると、静寂を扉の音が切り裂いた。
「あ。カリンちゃんシャイスの所いたっ」
 何時もの露出度高めの服装。赤いビキニのようにも見える服の上から黒い上着を羽織っている。
 流石に寒さがこたえたのか、それともたまの気まぐれか、いつもより厚着だ。一般的な目線から見ると、夏のビーチとでも尋ねたくなるような服装には違いないが。
 金髪を跳ね上げ、扉を叩く事すら忘れた様子に持っていた袋を落としそうになる。
「え、あ。はい。何ですかアニスさん」
「賊が侵入したのよ、賊が!」
 ゾク。ゾクというと、暴走族のゾクでもなく家族のゾクでもなく。この世界的には、盗賊とか。強盗とか、そんな感じの賊ですか?
「カリンちゃんは大丈夫!? 変な奴ら来なかったかしら」
 問われて思わず考え込む。魔法に熱中していたのもあって、些細な音は聞き逃している可能性が高い。
 大きな音は別に立たなかったし。始めて召還された時の城の空気を思えば、特に変わった感じは受けない。
 空気の臭いも、澱みも、身体をはい回る違和感も皆無だ。
「カリン様はずっと私といましたから、今のところ何も問題は起きていません。物理的には」
 白い法衣の袖を揺らし、シャイスさんが答えた。本当の事だが、妙に意味ありげな台詞に聞こえる。
「はい、シャイスさんに魔法教わってました。一応使えたみたいなんですけれど、でも灰を入れたのに別の物に変わってて……」
 深く追及するのは止めて、こくこくと頷いた。
「どういう理屈なんでしょうね、と。そうだアニス様は忙しいですね」
 ひとしきり唸っていた彼が顔を上げて手を合わせた。
「あ、済みません足止めをしてしまって」
 ああ、いけない。アニスさんは犯人捜しの最中だった。
「今夜のディナーの事なんだけど」
 先程とは打ってかわり落ち着いたアニスさんが瞳を細めて私の手元を見、やけに静かで、呑気な口調でそう告げてくる。
 夕食って、今それどころじゃないんじゃ。賊は?
「今日はジャガイモの灰の香りソテーですって。新メニューだってシェフがむせび泣いてたわよ」
 灰。灰? 聞き覚えのある単語に硝子にヒビの入ったような音が耳奥から聞こえた気がした。
『…………』
「調味料が無くなったの。塩。てっきり賊の仕業だと思ったんだけど」
 沈黙を縫う絶妙なタイミングの彼女の台詞。
 恐る恐る、それまで触らなかったそれに指をつけ、舐める。
 ――しょっぱい。
 同じようにシャイスさんも自分の指を舐めて硬直する。
 調理場の塩が消えて、ここに塩がある。
 まさかまさかまさか――
 どうやら調理場の物と交換してしまった、とか。
「調味料掴んだとたんに灰に変わったと腰を抜かしていた」
 いつの間にか開いた扉の向こうに佇んでいたプラチナは呆れたのか怒るのも止めて溜息を吐く。
 私も同じ顔をして居るんだろうか。シャイスさんが笑顔のまま真っ白になっていくのが見えた。

 今夜の夕食は灰かぶりのジャガイモソテーで決まりのようだ。
  
 

 

 

 

 

 

 

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