私とシャイスさん以外忙しくその日の訓練もお休みだったから買い出しに出かけたワケで。帰ってきてから特にすることもなかった。
することもないのでお茶の時間を楽しむことにした。
銘柄はよく知らないけれどカップに淹れられた紅茶から、良い香りが漂う。マインから貰ったクッキーを数枚お皿に並べる。
「でも凄いですよね。シャイスさん」
白いカップを渡すと、彼は小さく頷いて受け取った。
「何がですか」
ヒマなのでシャイスさんもここにいる。と言うより、ここは彼の部屋なのだけれど。
室内はこぢんまりしていて、何もない。
カップすらなかったので私の部屋から持ってきた。
自室、よりも事務用に近いので異性の部屋に入り込んだという抵抗感もあんまり無い。
さっきのことがまだ心辺りに刺さってるらしく、彼は始終俯き気味。
「魔法ですよ、魔法」
ぼーっと天井を眺めるシャイスさんを見ながら口を開く。やっぱり部屋から持ってきた小さなツボを二つ置く。色は白とベージュ。
ん。えーっと、どっちがどっちだったかな。
「ああ。アレですか」
彼は慣れた手つきで右側の白いツボの蓋を開け、中から黄色い粒を一つ取り出し自分のカップに入れ込む。パキ、とガラスにヒビが入るみたいな澄んだ音。
ひとさじ分の大きさの玉はベッコウ色の液体に瞬く間に溶けてしまった。
いつ見ても面白い。白が黄色だったっけ。
私も習うように左側のツボの蓋を開き、中に入った白い粒を一つ取り出して紅茶の中に泳がせる。シャイスさんの粒とは違いみるみるうちにカップの中身が白濁していく。
パリ、卵の殻を潰すような音。溶けきった合図だ。
スプーンで軽くかき混ぜて、口に含むと微かに混じるミルクの味。立派なミルクティ。
シャイスさんの分はレモンの味がするはずだ。うう、異世界だけど不思議すぎる。
砂糖も欲しいけれど、前聞いた話だと恐ろしいほどの値が付いているらしい。
塩も勿論高いが、必要な分は仕方なく購入しているらしい。
まさに戦時中って感じだ。クッキーをかじる。甘い。
そして固い。クッキーというよりもビスケットや乾パン寄りの固さだ。爪先を強めに立てても割れない。
貰ったときはそんなに凄い物に思えなかったけど、今考えると相当高価な品なんだろうな。これ。
クッキーを押し付けられた時も何となく悪い気がして返そうとしたら、力負けした。袋の中身は無事なまま。
持ってきたツボと共に、ぐすぐずそれを見つめていたらシャイスさんからカビさせる気ですか。ともっともな言葉を頂いた。
一人より二人、である。同席相手がいるに越した事はない。私の居た世界から持ってきたお菓子各種を思い出し、たまに気分が沈む。今度、マインに何かあげよう。
「そんなにたいした物じゃないですよ。へっぽこですから」
シャイスさんが口を尖らせ、たっぷりと残った紅茶を銀スプーンで渦が出来るほどかき回す。
う。まだ気にしてる。私の口の中で鈍い音を立てて固いクッキーが割れた。
あの時不覚にも堪えきれず少し、少しだけ私も笑ってしまったのが相当傷ついたらしい。
「凄いと思いますよ。魔法。便利じゃないですか、たくさん入って」
「重さは全く変わらないですよ。不完全魔法ですから」
う、うう。拗ねてる。
「私なんてまだ全然ですから、本当に凄いと思いますよ」
「あれ。カリン様、合うものがまだ見つかってなかったんでしたっけ」
「見つかってませんよ。幾らあると思ってるんですか、剣技に魔法に武器各種。
一生掛かっても覚え切れそうにありません。まさに星を掴む話です」
「……はぁ。よく考えればそれもそうですよね。私なんて血筋がこの筋、主に召還を得意としてましたから適合検査はすぐに終わったんですけど、カリン様は異世界の人ですからね」
「あ、じゃあエリートなんですね」
扱いが悪い気もするけど。
「いえぇ。私なんて劣等生の劣等生ですから。私の遠縁の方がよっぽど」
「その人はどうしてるんです?」
向こうの世界では日常の中に織り込まれる、ほんの相槌。
困ったような笑顔で答えが返ってくると思っていた。
「…………」
けど、彼の表情が一瞬凍った。
「あ、あの。何か私不味いこと聞きました?」
両手で持っていたカップをそっと皿に戻す。
彼は自分のカップに目線を落として無言のまま。
私の手元で、ゆらゆらとミルク色の丸い水面が揺れる。沈黙が刺さる。
「亡くなりました。配属された先で砦ごと破壊されて、遺体も見つからなかったらしいですよ。こんなご時世ですから、私の親戚も散り散りで生死はみんな不明です。
他の街も、ここも。魔物があふれるこの世界では全員がそんな境遇ですけどね」
彼が笑う。少しだけ寂しそうな眼で。
「ご免、なさい」
胸の奥が抉られるような痛み。良心が呻いた。こんな言葉では足りない気がしたけど、私は俯き気味に謝罪の台詞を口にした。
そうだった。ここは私の世界とは全然違うんだ。
みんな笑って生きているけど、家族がいない人も多い。
事故じゃなくて、彼みたいに強制的に奪われた人が大半なんだ。
『親戚の人、どうしますか』今思い返すとなんて無神経な質問なんだろう。
「いいえ。湿っぽくなりましたね、済みません。そうだ、カリン様。物は試しと言っては何ですけど」
冷えた紅茶を一気に飲み干して、一息ついたところで声を掛けられた。
「え。はい」
吃驚したせいか置いたカップが僅かに震えて固い音を立てる。
「やりますか」
さっきの表情が思い出せないほど、シャイスさんはのほほんと笑って言ってくる。
「ナニをですか」
「魔法」
彼はカラオケに誘う友人並みに気軽にそう言って、自分も紅茶を飲み干した。
顔にはいつもの、人好きそうな笑顔が浮かんでいた。
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