封印せしモノ-8






 見晴らしの良い小高い丘に、その家は佇んでいた。
 植えられた花々が辺りを飾っている。
 そこは、下界を見下ろすには絶好の場所。
 街は精巧に作られた玩具のよう。流れゆく雄大(ゆうだい)な川の様子も、ここから見下ろせば一本の線に見える。雰囲気に飲まれやすい者であれば、自分が支配者になったような感覚すら覚えるだろう。 
 だが、少女にしてみれば下に広がる景色は現実味が無く、まるで良くできた絵に見えた。
 少し下れば家々が連なる場所に出る。しかし、ここはクルトの家以外一軒も見あたらない。壁面を覆うように森が広がり、人を避けるように少女の家だけ丘によって一段高い場所に追い上げられている。
そのためなのか。時折、不意に一抹の虚しさを覚えるのだ。
あまりの人気のなさに、小さな頃少女は幾度も『お母さん、みんなに意地悪されてるの?』と尋ねたものだ。母親は少しだけ驚いたように目を丸くして、
『違うのよ。お母さんはここがとっても気に入ってるの』
 少女の髪を撫でながら、こうも続けた。
『ここは、素敵な場所。この村全てが見渡せる、一番素敵な所。
 だから、お母さんは悲しい顔はしていないでしょう?』
 言い聞かせるように柔らかく言葉を紡ぐ彼女の顔は、優しく微笑んでいて、少女は素直に『うん』と頷いた。
 昔、言われたとおりここは景色が良い。だが、便利とは言い難く、買い物をするにはかなりの時間を掛けて村へ行かなければならない。
 今でも時折、クルトは下に住まないかと尋ねている。けれども、返ってくるのは、
『お母さんは平気よ。ここが気に入ってるから』
 その言葉。どんなに粘り強く続けても、返答は同じだった。何か思い入れでもあるのか、頑固にここから動こうとしない。一度、理由を尋ねた事がある。
 その時母親は少し沈黙を挟んだ後、『いつか、あなたにも分かるわ』そう言って、少女の頭を、子供の頃と同じように優しく撫でた。
「…………我が親ながら。頑固なんだから」
 住む場所を変えるように勧めたのは、別の訳もある。確かに孤立状態も良くなかったが、一番の問題は家の側にある森だった。
 やはり魔物が潜みやすいのは平原ではなく隠れる場所の多い森や茂み。
 その辺りの事も心配して勧めていた事を今になって思い出す。余りの母親の頑固さに諦めの方が勝ったのか、それとも魔物が長年でない事に安心したのか、勧める事も年々少なくなっていた。
そして現在。さっぱり忘れ去ってしまっていたのだから、笑えない。
 手遅れにならない内に気が付いて良かった。心の中で呻きを上げて自分の家を眺める。
 延々と続きそうな考えを頭を振り、振り払う。長く深い吐息を吐き出し、
「ねぇレム」
 ようやく現実に立ち戻って横を向いた。
「何」
 玄関から眼をそらさず、表情無く少年が応える。
「家に寄るのは良いんだけど、何で隠れるの」
茂みに身を半ばほど沈め、幹に抱きついた格好のままで半眼になる。
 レムは黙し、僅かに視線をそらした。少女と違い茂みに隠れていないとは言え、幹に身体を上手く隠している。 
表情は何時も通り無い。海色の髪に一枚、木の葉が付いている辺りがまた泣けてくる。
 視覚から送られる光景は激しい違和感となって少女の脳の中で転げまわっている。現実逃避に深々と現状を見つめ直しつつ、昔の思い出に浸って懐古的になってもおかしくないだろう。
「レム。そんなにお母さんに会いたくないの?」
「……そう言うわけじゃないよ」
 言いつつも視線が微妙にずれているのに、小さくため息を付く。
 酷く警戒した様子で、前に連れて行ったときの事が尾を引いているらしい。
(まあ、気持ちは分からなくも無いけど)
心の中で深々と頷く。少女の母親は穏やかな見た目に反し、かなり人使いが荒い。
 『お洗濯少し手伝ってくれる?』などと言われた時不用意に頷くなりなんなりしてしまうと、丸一日は家事責めだ。タチが悪いのは言っている母親本人に悪気がない辺りか。
 更に悪い事に妙に人を乗せるのが上手く、巧みな誘導で気が付けば箒を握っている。
「…………」
(あー。良くあったわね……
 気が付くと買い物してたとか、気が付くと周りに埃一つ落ちていなかったとか)
 少女自身何度引っかかった事か。連鎖的にその辺りの記憶を思い出し陰鬱な気分になる。
以前一度だけ、成り行きでレムを他の知り合い共々母親の前に連れてきた事がある。そのときの事は、色々と……不憫すぎてあまり思い出したくはない。
 適材適所、という事で機械を直す係に少年はさせられたのだが、母親は一抱えでは飽きたらず、一山程の機械を修理させた。直せる彼も凄いが、頼む母親も母親だ。
 一番の原因は、機械を直せるモノがこの大陸にはあまりいない事か。
 あの後、少年は研究を半日ほど止めていた。
 食事するより機械、寝るより研究。研究一辺倒で他の時間を惜しむレムが、である。
 母親の注文がどのぐらい過酷だったかが分かるというモノだ。
彼は口には出していなかったが、よほどその過去が身にしみているらしく、魔物を警戒するより慎重に辺りの様子をうかがっている。
 いや、そこまで脅えなくても。と言いかけた少女の言葉が嚥下される。     
ぎし。軋んだ音を立てて扉が開かれた。
 出てきたのは淡い緑色のエプロンを付けた細身の女性。長い黒髪を軽く結わえている。
 美人と言うよりも穏和な印象が先に立つ。先ほどからの動作も素早くは無い。
 彼女は扉を軽く閉め、側に立てかけてある箒を手に取ってゆったりとした動作で玄関を掃き始めた。
『ふんふんふーん〜』
そう離れていない場所のせいか、楽しそうに鼻歌を歌いながら辺りを掃き清めていく音が耳に聞こえる。
 一刻も経たず、掃く音が収まった。気が付かれないようにそっと顔を覗かせて見ると、
『あら大変。お洗濯物干すの忘れていたわ……早く干さないと生乾きになっちゃうわね』
 彼女は片手に箒を持ったままのんびりとした仕草で頬に手を当て、首を傾ける。
 クルトは『もうとっくに遅いわッ』という叫びをかろうじて堪え、茂みに身を潜めていた。辺りは昼、と言うよりももはや夕方だ。なんというか、もうだいぶ手遅れな気もする。
『嫌だわ。年を取ると物忘れが酷くなって。あら、早くしないと駄目ね』
 急いでいる割にはゆったりとした仕草でほどけかけたエプロンのリボンを結び直し、やたらと年寄りじみた台詞を呟いて、彼女は箒を扉の脇に立てかけた。
 茂みで眺める少女には『年は関係ないと思う』等の突っ込みを入れる気力すらない。
『お洗濯お洗濯』
 ぱたぱたと遠ざかる足音を、クルトはなんだか疲れた面持ちで見送った。
「相変わらずよね。お母さん」
 深々と溜息混じりの言葉を吐き出し、
「レム。家に寄るなら今の内が良いわよ。
 多分、表に出てくるまで大分掛かると思うから」
 肩をすくめながら少年を見る。
「ウチのお母さん、あの通りおっとりしてるでしょ。だから、なんかヤケに洗濯物干す時間掛かるのよ。さっきの口ぶりだと結構あるみたいだし」
 疑問が投げ掛けられる前に答えた。
「そう。じゃ、行こうか」
「オッケー」
後に続いて、少女も身軽に抜け出した。

 




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