封印せしモノ-6





「結界!?」
 掠れた声に少女はマントから指を外し、ゆっくりと手を広げる。
「そう。結界よ、この村全体を包むくらいの大きさの。
 この森も例外じゃなく」
 そこで言葉をいったん止め、思案するような表情で倒れた大木を見た。
「いや、違うわ。結界に近いこの森が、一番結界の庇護(ひご)を受けやすいの。
 魔物が出入りしやすい場所だから厳重に張られてたはずよ」
 一つ一つ、相手にでは無く自分に言い聞かせるように言葉を舌にのせる。
「知ってたのか!? お前、結界なんて一言も言わなかったじゃないか!」
弾かれたような男の言葉。少女はその反応も予想済みなのか落ち着き払った様子で声の上がった方を見る。
 少しだけ眉根を寄せ、
「かなり昔の話で、上手く起動しているか分かんなかったのよ。それに、あたしが『結界張ってるから駄目!』とか言ったところであんた達が止めたとは到底思えないわね。
 実際、力尽くで止めようとしても、この有様だもの」
 吐息混じりに腰に手を当て、地に伏せた大木に視線を落とす。 
「そ、それは……そ、そうだ。仲間が怪我を。血が出て」
 先ほど少女の言葉を嘲笑した手前、否定できないのだろう。小さく口を動かし、言葉にならない呻きを漏らす。はっとしたように、倒れた男を見、クルトとレムに助けを求めるような視線を送った。
 少年は丹念に調べる事もせずチラリと傷口を眺め、
「致命傷にはほど遠いね。その位じゃ死にはしないよ。
 変なことで手間取らせないでさっさと帰って」
 皆まで言わせず切り捨てる。
「ひでぇ……話くらい聞いてくれても」
「時間の無駄」
「無駄ね」
 クルトもレムの言葉に同意する。相手の傷の浅さもさることながら、少女自身治癒系統が得意とは言い難いため、術での回復は控えたいところだ。多少の痛みは我慢してもらうしかないだろう。男の言ったように脇腹には出血がある。しかし、かすり傷だ。少女は医学に精通しては居ないが、ある程度までなら授業で習った。現役の冒険者には及ばないモノの、必要最低限の知識は持っている。
 それにレムは興味のない人間を無視する事はあっても、傷の具合を偽る性格では無い。色々な本を読んでいるためか医療の知識は高く、彼が言うのなら致命傷には至っていないのだろう。クルトにとって今の言葉は医者のお墨付きをもらったに等しい。
 少年は軽傷の男から視線を外し、直ぐに話題を切り替えた。
「で、クルト。確認はすませたんでしょ。当てはあるの?」
「当て、ねぇ。うーん、無いことは無いわね。心当たりならあるけど」
 濁すような言葉に反応したのはレムではなく、男の方。
 落ち着こうとくわえたのだろう。火を付けたばかりの煙草が地に落ちる。
 少女はゆわりと薄く煙が上がるそれを、火事になる前に踵で慌てて踏み消す。
 男はその様子が目に入って居ないのか、
「クルト!? お前、あのクルト・ランドゥールか!?」
 悲鳴のような声で言葉を紡ぎ、何故か引きつった顔で後退った。
少女は火が消えた事を確認し、顔を上げる。
 そして相手の反応に少しだけ驚いたように紫の瞳を瞬かせ、
「え? うん。あたしってそんなに有名?
 でも、『あの』って何」
 頬に手を当てあっけらかんと首を傾けた。
 男はごくり、と息を飲み込み、
「何ぃっ!? あの、恐怖と破壊を辺りにまき散らす、紫の破壊神か!? 
 そ、そうだ。確かに伝承通り髪の色が紫だ!」
 少女を指さす。先ほどの魔物より、数段恐ろしいモノを見てしまったような強張った顔で、周りが一斉に引きつった恐怖の声を上げる。
「おい」
 あまりといえばあまりの反応に、クルトは思わず突っ込みを入れた。
「いや、こんな小さくてかわいげがある顔に見えるが、内側にある本体はグロい緑色の粘液(ねんえき)に覆われてるって話だ!」
「待て。本体って何よ」
 突っ込み所は山ほどあるが、取り敢えず気になる部分を尋ねておく。
「それだけではなく口から飛び出る凶悪な細菌は、全ての生き物が死滅する程の威力らしい」
だが、少女の台詞をさらりと無視し、話は続く。朗々と紡ぐ言葉は途切れるどころか興奮が高まり声高になっていく、それに応じるように周りのざわめきと悲鳴が一層大きくなった。
「そんな物騒なモノ口に仕込んだ覚えも、出した覚えもないわ! あたしは生物兵器か」
 勿論身に覚えなど欠片もあるはずが無く、否定する。
 そんな暗器があれば便利だろうが、現実的に考えるとよほどの生命力や抗体がない限り、自分の口から吐き出した空気を吸い込み本人までお陀仏だ。
 とかなんとか訳の分からない事を冷静に分析している自分の思考を振り払い、口の中にそんなモノを隠し持っている等目の前で疑われる辺り乙女としていかがなものかと胸の内で呟いてみる。心中で呟いた台詞のため、誰も否定も肯定もしない。
 少女の中で繰り広げられるちょっとした葛藤を無視し、尾ひれ所か胸びれや背びれの付いた言葉はなおも続いていく。
「俺の聞いたところに寄ると、手の平でふれるもの全てを破壊し尽くすと言うぞ。
 その鬼気迫る表情に魔物すら恐れて近寄らないとか何とか」
 微妙に身に覚えのある言葉に一瞬ぴくりと肩を震わせ、そこまで自分は化け物ではないと言い聞かせつつ頭を振る。
 全く収まる様子のない捏造話にいい加減苛立ったのか、少女はすっと瞳を細め、
「……いい加減にしとかないと殺すわよあんたら」
 手の平を広げ、僅かに殺気のこもった低い声を唇から漏らす。
「ひいぃっ。こ、殺さないでくれっ」
「ど、どうか、どうか街を破壊しないでくれ。俺達には可愛い子供と妻が!」
 効果は絶大だった。
逃げる事などを忘れたようにその場に留まったまま誰もが絶望の声を上げる。
 いや、本能的に逃げられないと感じているのだろう。懇願するように地べたに額をこすりつけた。
 ひれ伏す男達を見て人として少しだけ大事なものを失ったような気がした。
「あの。そこまで怖がられると、こぉ乙女というか、人間として色々と傷つくんだけど。
 どんな噂が広まってるのよ、と言うより伝承って何」
 大仰なぐらい地に貼り付く彼らを眺め、少女はなんとなく肩身の狭い思いで尋ねる。
 ぽつりと紡がれた言葉に、滑稽なほど身体を震わせ、
「そ、それは……」
 男は青ざめた顔のまま首を振る。
 にまり、と少女の顔が面白そうに歪んだ。
「言えない程酷いこと言ってるの? どうなのそこの所。言いなさいよ。
 サクっと言っちゃえばすっきりするわよ」
 悪役になりきる事にしたのか、それとも聞き出すには手っ取り早いと思ったのか。口元を小さく吊り上げ、猫のように瞳を細める。
 まるっきり悪女のような仕草だが、何故だか非常に違和感がない。
「し、しかし……」
 ぐずる男の側に歩み寄り、しゃがみ込む。
「何。可愛い女の子が聞きたいなーとかお願いしてるのよ。それでも言わない、と?」
恐る恐る顔を上げた男へ肩を寄せるように顔を近づけ、甘く微笑む。
 柔らかな空気をたたえる少女を見て、男の身体が大きく震えた。
 紫水晶色の髪と瞳に小柄の身体。魔物を殴り倒したのがまだ信じられない程の華奢な腕。
 本人は無意識なのか、優しげな笑みを浮かべたままその指先が不気味に開閉されている。
 更に恐ろしい事に口元は笑っているが、目が全く笑っていない。笑顔のままで流れるようにくびり殺されても不自然ではないだろう。
 死の恐怖を間近に感じ、男は慌てて口を開く。
「う、噂で聞いただけで俺達は詳しくは」
呂律の回らない言葉に当てが外れて、立ち上がり、
「ち。使えないわね。触れ回った奴根こそぎ吹き飛ばそうと思ったのに」
 クルトは残念そうにため息混じりの言葉を小さく吐き出した。ひっ、と周りから悲鳴が上がった。
 どうやら素で言ったらしく、少女は悲鳴の理由が分からずに首をかしげる。
 しきりに首を傾ける少女にレムは冷ややかな視線を送り、
「そういうこと言ってるから変な噂立つんじゃないの?」
「う」
 告げられた言葉に少女は怯んだような呻きを漏らした。
「あ……あぁっ、こ、こいつは」
 ある意味和やかな風景に、わななくような男の声が制止をかけた。 
「ああっ。お前!?」
 連鎖するように他の男達も驚いたように顔を上げ、目を見開く。
 ふう、と疲れたように頬を掻き、
「……今度は何よ。熊でもいた?」
少女はウンザリとした様子を隠さずにそちらを見る。
「お、っ……お前、レム……レム、カミエルか!?」
 声を上げる男の顔は、引きつった笑みを浮かべていた。原因は恐怖なのか、驚きなのか、それとも喜悦なのかも分からない。良い笑みでない事だけは確かだ。
「そうだけど。それが何か?」
 相変わらず起伏の少ない表情で、腕組んだまま肯定の言葉を発する。
 名指しされた事に不愉快そうに片眉を軽く跳ね上げるが、声音は変わらない。
「お、おい。コイツを」
「……あ、ああ。出来るか!?」
 口々に言い合う男達を振り向かせたのは憤慨(ふんがい)したような少女の言葉。
「ちょっとあんた達、レム虐めたら駄目だからね!
 確かに耳の形状とかあたし達と違ってプリティだけど、害とか無いんだから虐めたら駄目なのよ。寧ろこのふこふこ加減を楽しみ、可愛がるべきだわ」
 最初の内はまともな事を告げていたが、何故か容姿の事になるにつれて話の核がずれていく。最後辺りになるとレムの耳を指さしたまま、うっとりと瞳を潤ませ、触りたいのか指先を微妙に揺らし、頬をちょっとだけ上気させていた。どうやら可愛い物好きである少女の悪い癖が出たらしく、獣耳を見る目が愛おしげなペットを見つめる瞳に変わっている。
「クルト。微妙に話がずれてない? 可愛がるってどういう意味」
「……はっ。つい本音が! と、ともかく、石なんて投げたりしたら承知しないわよ」
 げんなりとした少年の言葉に正気に返り、首を振る。気を取り直すように指を男達に突きつけて、背筋を伸ばし胸を張った。

 




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