封印せしモノ-33






  一言。
 それだけだ。
 それだけで、全ては始まり、終わった。

 
「たた。先輩」
 心配するルフィを説得し、クルトはようやく立ち上がると鈍痛の残る頭を振りながら口を開いた。
「何」
 声のした方を向く。黒衣に身を包んだ呪術師の少女は、ふと気を抜けば闇夜と見間違えてしまいそうなほどに辺りととけ込んでいた。表情どころか姿さえ良く判別できない。
 帽子から下がった翡翠色の球と、手にした箒が薄く闇に浮かんでいる。
「無茶苦茶痛いです。あれ。ちょっと、死ぬかと思いました」
「頑張ったのね。偉いわ」
 カミラは肩を軽く押さえて呻く少女に暫く視線を向けた後、こくんと頷く。
「あ、ありがとうございます……ぅ!?」
 ねぎらいの言葉に、なんとなく頭を掻こうとして小さな悲鳴を上げた。
 筋を違えたような痛みが身体を一瞬で駆け抜け、思考と動きが完全に硬直する。
 二つ括りの紫髪が悲鳴の代わりに大きく揺れた。  
「い、ぁい」
 よろよろと酔っぱらいのごとき危うい足取りで横に揺らめき、近くの樹に縋りつく。
 重い筋肉痛に似た鈍痛に呂律が上手く回らない。額を幹に当て、小さく震える。
 決して触り心地が良いとは言えない粗い感触。
 肌が擦れることも気にならない位の痛み。樹の側面に額を押し付け必死に痛みの波が収まるまで紛らわせる。
「ク、クルト。大丈夫!? む、無茶は駄目だよ!?」
「う、うん……もすこししたら大丈夫になりそうだから」
 慌てて駆け寄る幼なじみを横目で眺め、力なく笑って片手を動かし、その動きが響いたのかいきなりその顔が引きつる。
 暫し彫像のように停止し、
「だ、だいじょーぶだいじょーぶ」
 乾いた声でそう言うと、ルフィに微笑んだ。
「あ、あの。クルト、もの凄く説得力無いよ」
「そ、そう……そんなことないわ。ほらほら、こんなに平気よ!!」
 はっは、と引きつった笑みを浮かべたまま腕を大きく振り回し、勢いよく胸を反らせる。
「わ、わ!? そ、そんないきなり動かしたら身体に響いて―――」
 ルフィの忠告も虚しく、少女の身体が一瞬大きく痙攣じみた動きを見せる。
 得も言われぬ緊張が一時流れた。
「っぅ〜〜〜。ぐ……だい、ダイジョーブ」
 クルトは苦痛の呻きをかみ殺し、数拍ほど間を開けて、後退る。樹に腕を絡めたままうっすらと目尻に涙などを浮かべつつ、だだっ子のように首を何度か振った。
「半泣きになってるよ。何処が大丈夫なんだよ〜」
 どう考えても不自然な状況に呆れたようなルフィの声。
「全面的に平気なのよっ」
 何だかよく分からない意地を張ってクルトは言い切った。
「あ、そうだわ。クルト」
「はぃ。な、何でしょう……が、ぅ!?」
 掛けられた声に振り向き掛けて悲鳴を上げる。普段では何でもない仕草が、今のクルトには痛みを与えるようだった。
「かなり圧力にやられたみたいね。何処か捻った?」
 少しだけカミラの声が変わる。良く吟味しないと分からない変化だが、どうやら心配しているらしい。やはり彼女の変化に気が付いたのは今のところクルトとレム程度。
 分かって嬉しいような特殊なモノの感知が得意になって悲しいような複雑な気分だ。
 カミラの問いに暫し痛む肩に掌を当て、考え込む。
「……いえ。あう。そう言うこともなかったようなあったような。
 何かご、用ですか」
 記憶としては力一杯捻られたり、上から潰されたり、挟み込まれたり、引き裂かれそうになった気もするが、横にいる幼なじみの反応が怖いので言葉を濁し、曖昧に笑った。
「等価交換」
 追及するつもりはなかったのか、カミラは僅かに沈黙した後、口を開く。
「は、はい。覚えてますけど」
 答える声には力がない。少しだけ困ったように視線を彷徨わせる。
「魔力をくれるのね」
「え、ええ。でも、宝珠の用意とかしてないから、帰って日を改めて」
 念を押され、頷くが少女は申し訳なさそうに首を横に振る。
 魔力を渡すためには宝珠のような魔力を込める媒体が必要だった。そして、そんなものを持っているのなら簡易結界時に自分の唾液を使う等という荒技は用いていない。
「大丈夫。その点問題はないわ」
「は?」
 虚を突かれたような声を上げるクルトに構わず、
「ちゃんと持ってきているから。宝珠」
 袋の中から闇夜に薄く光る宝珠を取り上げる。用意周到な事だが、ピシアに持ってこさせていたらしい。
「え。あの、もしかして……」
 カミラの台詞にルフィが空色の瞳を大きく見開いて、硬直する。
 宝珠を渡そうとする、と言うことは魔力を球に込めろと言うことだろう。
 いつもの充実した状態ならまだしも、少女は先ほどの魔力放出でかなり魔力が減っているはず。普通なら考えられない申し出だ。
「了解先輩。分かったわ、じゃ、すぐに」
 固まっている幼なじみに構わずクルトは小さく肩をすくめただけで軽い返答を返した。
「止めた方が良いよ」
「あら、何か問題があるかしら」
 後方から掛けられた静かな言葉にカミラは瞳を僅かに伏せる。
 顔を上げると何時の間に近づいたのか、レムが呪術師の少女の背後に佇んでいた。
 汚れた本を片手に持ち、表紙に付いた泥を指先で払い落としながら口を開く。 
「あるに決まってるでしょ。今の規模の魔力放出でかなり魔力が無くなってるはず。
 それから更に搾り取ろうなんて、無茶を通り越して自殺行為に近いよ。
 カミラさん、君、彼女を殺す気?」
 零すような言葉。だが、その口調は強い。
「貴方の主観や意見はもっとも。けれどそんなモノ関係ないわ。
 要は彼女がどう思うか、よ」
「やだなぁレム。あたしはまだ元気よ元気! ささーっとやって終わらせちゃうからすぐ済むわ」 
 更に言い募ろうとしたレムを留めたのはクルトだった。
 グルリと肩を回し、パタパタと片手を振る。
 痛みを噛み殺した笑顔で強がる少女を見て諦めたのか、レムはそれ以上何も言わず、小さな吐息を漏らした。
 二人の会話を気にした風もなく、カミラが水晶球に似た宝珠を掌に載せて差し出す。
「コレを使って。魔力を込めるのに使うための宝珠だから」
「あ、はい。たしか触れるだけでも勝手に魔力が籠もるから、短時間持つだけで良いはず」
 そう発しながら指先を伸ばす。触れる寸前で躊躇うように指を離し、カミラを見る。
 無言のまま頷く呪術師の少女を見て覚悟が決まったか、今度はしっかり掌で包み込み、集中するように宝珠を睨み付けた。ピリ、と研磨した水晶の塊にも見える球が僅かに震える。
「あ……ッ」 
 指先に感じた違和感に慌ててカミラへ宝珠を渡そうとする。
 甲高い音が響き、掌の中で宝珠に無数の亀裂が走った。
 カミラは慌てるクルトの手から宝珠を取り、
「許容量を超えたみたい。魔力の量に耐えきれなかったのね」
 掌に収めた球を見つめ、ポツリと呟く。
「ご。ごめんなさい先輩」
 クルトは今にも崩れ落ちそうな宝珠を一瞥し、気まずそうに紫の瞳を伏せた後、上目遣いで自分より頭身が少し高めのカミラを見上げた。
「いいわ。気にしないで、亀裂が入っていても、耐久度以外問題はないわ」
 つ、と人差し指の腹で光沢のある宝球の表面を撫で、零す。
「す、済みません。次はもう少し気をつけます」
「ええ」
 少女の言葉に、カミラの被った帽子が揺れる。
(そうよね、少し触れるだけで補充器は満タンになるんだから。注ぎ込むつもりでやったら不味いわね。軽く、浅く、すぐに引かなきゃ)
 すう、と呼吸を何度か繰り返し、慎重に球に両指を当てる。
 過多の注入を防ぐため、握ることはしない。
 カミラに視線で目配せすると、呪術師の少女は視線の意味に気が付いたか、小さく首を縦に振った。そして広げた指を軽く折り曲げ、割れやすい宝珠が落ちないように水平に保つ。
 珠がカミラの手に握られた事を確認し、クルトは宝珠の表面に先ほどより浅く触れ、魔力を撫でるように放出する。
「こ、これで……あ、ちょっとヒビ入ってる」
 タイミングが意外に難しく、二度目の挑戦は失敗した。
 先ほどのような激しい亀裂は見あたらないが、透明な水晶を思わせる側面に白い筋が幾つか走っている。
「仕方がないわ。先ほどよりは浅いモノだし。後少し貰える?」
 ヒビの入った宝珠を見つめ、小さく溜息をつくと『気にしないで』と首を振る。
 呪術には確かにヒビの入ったものでも使用できるが、それでも完全な球体。無傷が一番良いに決まっている。傷のない宝珠は強めの呪術に使用したとしてもちょっとやそっとでは壊れない。だが、僅かにでも亀裂の入った宝珠は脆く、弱い術でも砕ける可能性がある。
「え、あ。はい。えっと……」
(また魔力が強かった。これ以上先輩に損害出させるわけにはいかないわね)
 売るにしても使うにしても魔力の籠もった宝珠はただの宝珠より効果になる。
 たとえヒビの入った宝珠でもそれは同じだが、骨董品と同じように傷がある分価値は落ちる。酷いときには売値が無傷の魔宝珠半額にも満たず三割、二割程で叩き売られる。
 クルト自身売ったことはないが、その程度は魔力の籠もった品を扱う魔道具屋の品々を見ていれば分かる。等価交換を約束したからには、無傷の宝珠の一、二個は作らなければならない。カミラの働きがクルトの予想を上回っていた事もあるが、少女自身の気分的にも割れた品だけですますわけにはいかなかった。
 ぐっと拳を胸元に当て、宝珠に意識を集中する。
「カミラ先輩、しっかり握ってて下さい。今度はヒビなんて入れないようにしますから」
「…………分かったわ」
 少女の言葉に頷き、側面を軽く押さえていた指先をきつく閉じる。
 クルトはしっかと球を見据えたまま慎重に、標的へ魔力を触れさせる。注ぐことはせず、ただ漂わせるだけだ。一点に集中して魔力を込めるより、力の加減が必要でコントロールの要る作業だった。
 緊張のため顔が強張っているのか、こめかみの辺りが痛くなる。 
 宝珠から力があふれ出ない程の適度な間を置き、魔力の放出をゆるめた。
 努力のかいあり、球状は保たれたまま。
「よーし、成功! 先輩えーと。あと何個の約束だったっけ!?」
 興奮を抑えるよう、ぐ、と両拳を握り喜色満面で顔を上げると、
「あと三つほど、よ」
 お面のように無表情な顔で、カミラが答える。
「み、みっつも……です、か?」
 さらりと出された要望に僅かに口元が引きつる。
(それ以前にあたし先輩と数の打ち合わせしたっけ?)
 愛想笑いをする片隅で、冷静な思考が僅かな疑問を発した。額に人差し指を当て、その考えを振り払う。
(先輩には頑張ってもらったもの、その位!)
「ま、まあいいや。今日はすっごく助かったし、奮発して……その、位」
 肩をすくめ、笑顔で答えようとカミラを見た。
 とたん、瞳の前にある自分の指が霞む。
 景色が歪む。一瞬辺りが僅かに色素を薄めた。 
(なんか、目眩が、する)
「あれ。おかし……」
 眉を寄せ、額に当てていた指先を外す。
背筋に嫌な汗が流れる。少しだけ、体温が下がった気がした。
「ク、クルト。大丈夫!?」
 聞こえる声が動揺で微かに上擦っている。
 空色の瞳に映る、自分の姿がぼやける。
「せんぱ、い。ゴメン……なんか、今日は無理みたい。
 しばらく間を開けてから必ず渡しますから」
 ぐらつく頭を思わず左右に振り掛け、思いとどまる。今の状態で無理矢理目眩を収めようとしてもマシになるどころか、悪化する。
「いつでも良いわ」
 そう答えるカミラの姿が少しずれて見える。
 僅かにぶれたカミラを一つに纏め、焦点を合わせた。
「ちょっと魔力、抜きすぎたみたい。あはははは」
 こめかみを軽く押さえ、肩をすくめる。
「あ、あははじゃないよ。顔色悪いよクルト!? 本当に大丈夫、息苦しかったりしない!?」
 揺さぶろうとして躊躇ったのか、少年の指先が肩先に軽く触れる。
「へ、平気平気。その位の加減は出来てるわよ」
 瞳を瞑り、ぱたぱた手を揺らして小さく笑う。
「具合が悪いのなら、今までの分だけでも私は十分よ」
「いえ。それは駄目。それはあたしがイヤです。絶対調子が良くなったら渡しますから!」
 塞ぐようなクルトの言葉。睨むようにカミラを見つめ、一気に告げる。
「そう、分かったわ。覚えておくから」
一瞬瞳を瞬いた後、カミラは漆黒の瞳を微かに細めた。





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