封印せしモノ-32





「魔物全てを拒む結界。消し去る結界。害悪のあるモノだけを排除する結界」
 カードの柄を選ばせるような、淡々とした口調。何の意味も無さそうな、そんな言葉。
 それ故に、重い。それ故に、内に含まれた真意を汲まねばならない。
(魔物全てを拒み、排除。消し去る。害悪……排除)
 拷問にも近い痛みの中、少女はカミラの告げた言葉を頭の中で何度も繰り返した。
 吹き上がる魔力と風の雑音に紛れ、聞き慣れた声が交錯する。
「っちくしょ、次から次へとどっから沸いてきたんだこいつら!?」
 顎門を開いた獣の顎に蹴りを叩き込み、スレイは吐き捨てる。
 自分の舌を噛みつけた魔物が悲痛な呻きを漏らす。
「多分、結界の外にずっと張り付いてたんだよ。何時か隙間が出来るのを狙って」
 口の端から血を滴らせる魔物の姿を眺め、見るだけで自分も痛みを感じるのかルフィが眉根を軽く寄せて呟いた。
「だな」
 青年が同意だというようにコクリと頷く。
「あー、魔物はもう意地で止める! が、ちょい言いたいんだけどさ、先輩。
 クルトの奴いくらなんでも限界――」
 肩を抱き、微かに震える幼なじみに視線を向け、続けようとするカミラへ抗議の声を上げる。
「先ほども言ったはず。これは大事な質問よ。ただの質問ではないの」
 カミラはスレイを押しとどめるように、キッパリと告げた。そして、クルトを真っ直ぐに見つめた。
「この術は特殊な術。あなたの意思に、魔力に、大きく左右される。貴方の決断がこの結界を決める。
 続けるのなら、選んで。全てを拒むか、全てを消すか。
 それとも、人間以外の者達を受け入れるか」
 留まることなく、少年の掌の中で紙が走り続ける。
 乾いた音と対照的な、静かな問いかけ。
 クルトは指先に力を込め、奥歯を噛み締める。爪先が肩に食い込むが痛みは分からない。
(全て拒む。全てを消す。人間以外を受け入れる)
 言葉の欠片が波のように何度も脳裏を行き来する。激しく、弱く、静かに。
 頭がゴチャゴチャで、全てが不安定に見える。景色が霞み、揺らぎ、混ざり合う。気が狂いそうなほどの痛みの中、言葉達は少女に何かを訴え続ける。
「あ……たしは。村に……村が無事であるなら。
 みんな笑えるなら。誰も傷つかないのなら……」
 響く言葉を掬い集め、クルトは考える。全ての望みをかなえるために。
 軋む身体を押さえ、出た答えは一つだけ。
(あたしの、望む結界は)
「全てを消すことも、拒むことも……あたしは……」 
 最後の頁がめくれ、少年の掌の中で本が閉じた。
(そう、躊躇わない。それが最上の選択だよ)
 少女の声を聞きながら、レムは瞳を伏せて小さく息を吐いた。彼のもたれ掛かった樹に溜まっていた魔力が陣に吸い込まれ、薄れていくのが見える。
 刻まれた魔術文字が消えていく。
 最後の言葉を吐き出すために、クルトが大きく息を吸い込んだ。
 残った字の欠片に指を這わせ、海色の瞳を閉じる。
「望まない!!」
 気力全てを振り絞って、少女はそれだけを叫んだ。
 森中に響く願い。
「え……」 
惚けたような声を上げ、レムが弾かれたように顔を上げる。
 辺りに染み渡る少女の声。スレイはその内容に反論しようと陣を見つめ、
「ちょ、待てよ。お前、魔物を拒まない……て? なんだ」
 ふと違和感を感じ魔物の頭に踵を乗せたまま、困惑の表情で呻いた。
 近くの一体を斬り倒し、青年は大きく翻る白いマントを撫でつける。
「風? 嵐の前触れの割には妙だな」
 チェリオの側にいたルフィも、陣に引き寄せられるようにしていた魔物の数体を打ち倒し、止まる。少年は透かし見るように手の甲を額に当て、上空を見上げた。
「辺りが光ってる。他の樹も。なんだか、昼間みたい」
 闇は紅を飲み込み、空に深い藍が流れ出している。 
 それなのに、辺りは眩しい程で。木々は明かりを受け、自らが光を発しているように白く見える。開いた目が光の強さで痛みを覚える。
「魔力。高純度の魔力の空気――」
なびく髪を押さえもせず、カミラは陣を見つめたまま小さく口を動かす。
「あたしは、そんなの……望まない」
 刻まれた陣の中央、宙で膝をついた状態で少女が空を見上げた。
 光が一瞬薄れ、強くなる。一拍よりも遅い、ゆったりとした明滅。
「のぞま、ない……から」 
 結界を望んでいた少女の瞳は、何故か、少しだけ悲しそうだった。
「何で。っ……なに、これ」
 レムの酷くうろたえたような疑問の言葉は途中で呻きに変わった。突如強風が吹き、重いはずの本が掌からはじき飛ばされる。
 地面を踏みしめ、堪える間もなく後方に叩きつけられる。
 真正面からの不規則な風に、自動的に張られた障壁ごと寄りかかっていた樹に何度もぶつかった。 
「う、あっ!? い、た」
 外側の衝撃はともかく、障壁内部での移動に伴う衝撃は緩和できず、少年は苦痛の呻きを漏らす。
「気をつけて。予想以上に彼女の魔力の濃度と、放出される勢いが強いわ。
 そのせいであおりが強くなっている」
 カミラは佇んだまま、少し苦しげにそう言うと、箒を構えたまま瞳を細める。
 障壁を張り続けているらしいが、吹き付ける魔力と風の強さを全て無効化することが出来ず、箒を持つ両腕が震えている。結界を維持するだけで随分身体に負荷が掛かっているらしい。 
「圧力と痛みで意識が消えかかっているのも原因みたいだね。彼女自身の意識が希薄になってるから、制御がおろそかになりつつある」
 体勢を何とか立て直し、レムはカミラの見ている方向。すなわち陣の中央へ視線を向ける。
 他の三名は何とか堪えているのか飛ばされた気配はない。もっとも、声を出す余裕もないようだったが。
 陣の中央にいる少女は意識が朦朧としているのか、時折瞳を閉じかける。
浮き上がった身体が、少しずつ降下し始めた。
 同時にぬるめの風が身体撫でる違和感と、首筋にチリ、とした痛みのような感覚。
 風が、止まった。
「あ……」
「な、んだ?」
 不意に訪れた異常な静けさにルフィとスレイが動揺の声を上げた。
 レムとカミラは変わらず視線を少女へと向けたまま。
『…………』 
 クルトが薄く唇を開いた。常人より鋭い聴覚を持つレムにすら、その言葉は聞こえない。 鼓膜に響くのは、耳鳴りがするほどの静寂と、自らの鼓動。
 全て言い終えたのか。唇が閉じる。地面に靴先が触れた。
 一瞬、視界がぶれる。
 異質な感覚に疑問を覚えるまもなく次の変化が訪れた。
 中央の地面に飲み込まれるように、光が外側から急速に消えていく。
 全ての光が消えた。
 闇にうっすらと浮かび上がる少女の姿。
 浮き上がっていた靴底が地に付く。大地の感触を確認し、クルトは小さく笑みを浮かべ瞳を閉じた。
 今までの静けさが嘘のように、魔力を纏った風と共に一気に光が吹き上がる。
 中央から湧き上がった光は陣を越え、木々を舐め、空を囓り、遠くへ伸びていく。 
 砂塵が舞い、辺りを濁す。
「わぷ!?」
 慌ててスレイは朱のマントを傘代わりにする。が、全ては止められず口の中に砂利が入る。
「げほっ。ちっ、砂埃が」
 吹き上がった砂に視界を奪われ、青年は舌打ちをした。
「ごほっ。ま、まえが見えないよ」
ローブの袖で目と口元を覆い、魔物の姿を探しながらルフィは呻く。
夜影にふっと明かりが揺れる。何の前触れなく風と、光が収まった。
『グガァァッ』
 砂煙で立ち往生していたのは人間だけではなかったらしい。砂に目をやられた魔物達が、痛みに咆吼を上げる。
 三人は体制を整え、迎え撃つ準備を始めようとして異変に気が付いた。
 目の前の魔物の指先が微かに透き通り始めている。あるものは背中、あるものは足。
 薄れ始めている場所は様々だが、起きていることは全て同じ。
 ゆっくりと、静かに。爪先から腕へ。鼻孔から喉元へ向けて透き通っていく。
 病魔にむしばまれるような着実な進行。
 魔物達自身も自分の身に起こったことが分からないのか攻撃の手を休め、辺りを見渡して戸惑う。
「魔物が、居なくなる。いや、何だよコレ。かき消えてくぞ!?」
 スレイの言う通り、魔物達はかき消えようとしていた。薄れかけた部分は僅かな光を発している。
 魔物達の半身を貪り尽くしても、浸食は止まらない。
 油が紙に染み込むように、魔物の存在は確実に薄れていく。
「結界、完成ね」
 カミラの言葉が終わる間際。残っていた魔物の身体が一気に何かへ飲み込まれる。
 光の粒子が刹那、魔物の影のような形になり、霧散した。
 残ったのは、辺りに漂う闇と。微かな魔力の残滓だけ。
 しばし放心状態でカミラを除く全員がそれを見つめ、黙する。
 何時終わるともしれぬ静寂は、何かが落ちる鈍い音に乱された。
 ルフィがはっと振り向き、
「あ……っ。そ、そうだ。クルト!? 大丈夫!?」
 陣の中央に駆け寄り、少女を抱き起こす。
「う……」
 数度軽く左右に揺すると、瞼が僅かに震え、クルトの唇から呻きが零れた。
「よか……た。クルト無事、じゃないけど生きてる!!」 
 安堵の声を上げるルフィを見て、スレイが小さく悪態を付く。
「ったりまえだ。馬鹿」
「うん。本当に、良かった」
 青ざめた少女の頬に指先を当て、ルフィは溜息混じりにもう一度小さく零した。





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