封印せしモノ-31






 本の中身は記憶していたが、念には念を入れページに目を落とす。
 空いた片手をゆったりと掲げ、舌先に言葉をのせる。陣から流れる風が少年の海色の髪を弄ぶ。
『轟きは全ての大いなる力の欠片。たゆたう風は大地の一撫(ひとな)で』
 光が強くなった。眩しさに目を少しだけ細め、静かに紡いでいく。
 カミラは後ろから聞こえる呪に耳を傾け、
「続けるのなら私の質問に答えて」
 刻まれた陣の中央に浮かぶクルトを見つめて口を開いた。 
『水は地の血脈(けつみゃく)。うなりは大地の咆吼』
 一定の間隔を置いて、句が辺りを踊る。
「躊躇いは」
「ない」
 少女は落ちそうになる膝を支え、襲い来る重圧に耐えながら答える。
『望むは全ての力。全てを引き出すはこの者の(めい)
 陣の向こう側で詠唱が淡々と読まれていく。
「死ぬつもりは」
「な、い」
 また、重みが増した。耳元で弾ける空気の軋み。
 時折膝が大きく揺れる。
『我は全ての根底を望むモノ。一は一の力。十は十の力』
 風のあおりを受け、文字の描かれた紙が震え、浮き上がる。
「良い返事。じゃあ聞くわ」
 少女の答えに満足したように、カミラは紙を揺らした。
「…………」
 漆黒の服に包まれた呪術師を眺め、息苦しさに肩を震わせながらも、クルトは力強い笑みを浮かべた。
『全てを吐き尽くせ。我は全てを蓄えよう』
 めくれそうになる頁を手袋をはめた指先で押さえ、レムは呪を口ずさむ。
 空気を震わせる抑揚のない冷たい詠唱。
「覚悟は」
「出来、てる」
 紫色の髪は、ずっと肩に掛からず上下になびいている。
『我が力、全てを引き替えに祝福を贈る力』
 辺りの空気が揺らめく。
「負ける気は」
「ない」
『風の一撫でを咆吼に。微かな轟きを怒りの雄叫びに』
 答えるように風が唸り、肯定するように梢が大きくその身をしならせる。
 風圧で、押さえられていた頁は指先の束縛を振り切り、中の文字が読み取れない速度でパラパラとめくれていく。
「最後の仕上げに入る。さっきよりも数段負担が掛かる。それでも」
「自分でやった事の続きだもの。落とし前は、自分で付けるわ」
 そっと見つめる黒の瞳に、悲鳴を上げ続ける身体を保ち、少女は不敵な笑みを返した。
『小さなかがやきを奇跡の光に』
 呟くような呪に、陣の光が揺らめいた。
「…………最後の詠唱を」
 確認するように陣を見、音がするほど素早く右腕を掲げる。
『……全てに等しく増幅《レウス》の加護を!』
 微動だにしないレムの耳が僅かに動き、最後の呪を紡ぎ出した。



 呪文が途切れた瞬間。少女の身体が宙で大きく揺らめいた。
「っぐ」
 巨大な杭で背後から穿たれるような衝撃が全身を襲い、瞳を見開く。口の中にまで内部の臓器が押し上げられ、うごめいている錯覚を覚えて吐き気がこみ上げる。
 喉元を押さえ、身を仰け反らせる。地面はなく、自らの手で絞首を始めているような錯覚にとらわれた。
「う、あ」
(くう、き。足りな……)
 必死に開けた口の中に空気が入り込む。普通の空気とは違う異質な力を帯びた酸素を喉が拒絶する。吐き出そうとする唇を無理矢理押しとどめ、空気を飲み込む。
 カミラの話では魔力との反発で出来た圧力。先ほどはそれだけだったのだろうが、今は違う。恐らく、大量に放出している魔力が辺りに溜まり始めているのだろう。空気に混じる違和感はそのせいだ。
(ちから、魔力……重い……こんなの、あたしに入って)
 自らが放出しているとは思えぬ重みに口の中で悲鳴を上げ。
 肩の辺りで違和感を感じた。
(え……?)
 まるで右肩を、透明な人間に鷲掴みにされたような、寒気がする感触。
 空を踏みしめ続ける左足首にも冷たい感覚。ぐっと、その力が強くなる。
「う……」
 ぎし。溶けた飴を伸ばす子供にも似た容赦のない引き。左右から来るバラバラの痛み。
「うぁぁぁぁぁ!?」 
 体中が悲鳴を上げる。寸前までとどめていた絶叫が堰を切ったように押し出された。
 痛みと寒気と微かに感じる恐怖で自分でも何を言っているのか分からない。
 ただ、この痛みで気を失えば全てが終わると感じた。結界、身体、その前にクルト・ランドゥール自体が終わるとおぼろげに感じる。予想外の衝撃に心は混乱の喚きを続ける。
(なにこれ。なにこれなにこれなにこれ……身体が千切れそ、うに……なっ…て)
消えかける意識を辛うじて留め、飛びそうになる意識を繋ぎ止めるように、クルトは自分の肩を抱いた。
 耳が塞ぎたくなるほどの絶叫に耐えきれず、ルフィは宙で自らの身体を抱える少女に掌を伸ばす。
「クル――」
 刹那。
 間近で、鼓膜が耳鳴りに近い空気の唸りを捉えた。彼は反射的に伸ばした指先を丸め、腕をしならせる。重い手応えと、骨に伝わる鈍い衝撃。
 少女へ紡ぎ出そうとした言葉は、強制的に中断させられた。
 空気を震わせる荒々しい呼吸音。生臭い獣の臭いが鼻をつく。
「ふっ」
 ルフィは確認すらせずに、振り向きざまに肘を打ち込む。
『ギギャアァッ』
 甲高い声を上げ、それは大きく仰け反った。
 鋭い爪の生えた後ろ足で地面を何度も抉りながら後退し、灰色の針金のような剛毛を逆立て、不機嫌そうに自分を弾いた少年を睨める。
「ゲッ!? 流石に派手すぎたか……みつかっちまったぞ」
 声の主を確認し、スレイが呻く。
 風に乗って、幾つもの唸りが聞こえてくる。
「止めるぞ。一応生徒護衛は仕事だからな」
 青年はいつの間にか抜き身の剣をぶら下げ、そちらを見ていた。
「オレは仕事じゃねーっつの」
 スレイはチェリオの言葉に半眼で肩をすくめ、枝に引っかかったマントを救出する。
 学園生徒であるスレイは、どちらかというと守られる対象であって守る側ではない。
 風で乱れた栗色の髪を掻き上げ、
「まあ、それならそれでも構わんが。今のアイツらは結界に集中しているから、放っておけばそのまま――」
「誰が見殺しにするっつたかァッ!? 仕事じゃねーけど、それとコレは別問題だ。助けるに決まってるだろ。アホかてめーは!?」
 物騒な台詞を紡ぎ掛けたチェリオにビシ、と指を突きつけた。 
「ほう、練習試合で腕折られただけでは足りなかったようだな」
 少年の言葉に腕を組んだ青年の瞳が不気味な色を含む。
「足りるも足りんも、お前、アレ練習試合だろ。ドコの教師が手加減で腕を折るんだよ。プロなら手加減しろ手加減。それとも、加減出来るほど腕がある訳じゃねーとか。
 加減できない奴はへなちょことか言うよなー」
「…………ほう?」
 ついに、対峙するような格好になる。まさに一触即発。
「ふ、ふ……二人、とも。遊んでない、で……
 て、手伝っ……てぇぇ!」
 どことなくせっぱ詰まった少年の言葉と同時、生ぬるい風が頬を撫でる。
反射的に飛び退く二人の間を縫うように、木々をなぎ倒しながら倒れた魔物が滑っていった。
 森中に轟く鈍い音。遅れるようにもう一匹が後に続く。
 動かぬ魔物は二、三本ほど樹を根本からへし折り、茂みの奥で止まったのか姿は見えないが轟音が収まる。
「僕、一人で止めるの、ちょっと難し」 
 ルフィは結界に向かって走り寄ろうとしていた別の魔物を二匹をぶつけ、なぎ倒し、呻く。
 続けざまに近くにいた一匹の背を踏みつけ、陣に近寄る魔物を制する。
 暗くなり始めた森に、みし、と鈍い音が響いた。
流石に一人で多数の魔物を相手にするのはきついのか、息が上がっている。
『あ』
ある意味二人の世界に没頭していたスレイとチェリオは、ルフィの懇願で我に返ったか顔を上げた。
「これが、最後の質問よ。あなたはどんな結界を望む」
「けっか……い」
 飛び飛びになる意識の淵で、少女はカミラの問いかけをうわごとのように反芻する。
 陣の周りには、無数の魔物が殺到していた。




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