封印せしモノ-28





「手を何か打ったのは分かりましたけど」
  本で築かれた山を呆然と眺めたまま少女は呻いた。全ての本には貸し出し禁止のシールが貼ってある。積み上がり方は絶妙で、無理矢理一冊引き抜けば大雪崩に発展しそうだ。
 クルトは目の前にあるくすんだ山を見つめ、嘆息する。崩れかけた積み木を一気に纏めてしまえばこんな感じに積み上がるだろう。
 昔懐かしい風景と本の山が重なる。そう言えばその後、どう片づければいいのか途方に暮れた覚えがある。
(一杯積み上げられるからってみんなで持ち寄るモンじゃないわよね。
 あの後どれが誰のか分かんなくなったし)
 結局綺麗に等分して持ち帰ったなぁ。と、遠い目をしながら懐古的な思いに浸る。羽を休めた鳥たちが梢を揺らす音で意識を現実に引き戻された。つい最近似たようなやりかたでしばしの現実逃避を図った気がするが、ずっと遠くを眺めている場合ではない。
 痛むこめかみを指先で押さえ、本の山を目で指し、
「でも、先輩どーするんですかこれ。見つかったら厳罰モノ」 
「見つからなかったら、持ってきてることなんて誰も気が付かないわ」
 抗議の言葉は歌うように紡がれた静かな言葉によってかき消された。
「そんなずさんな管理がいけないから拝借してもこれは何の罪にも問われないと思うの」 瞬時に硬直した少女に構わず、相手はゆったりと手を広げ、梢を見上げる。
「…………」
聞き覚えのありすぎる台詞にクルトとスレイの顔が引きつった。
「ちょこっとやってササッと返せば問題ないわ」 
 カミラは自分が言った言葉をもう一度口の中で呟いて、気に入りでもしたのか機嫌が良さそうに何度も頷く。かなり問題あるのだが、小さな声の割には堂々たる口調に誰も口を挟めない。内二名は台詞を聞いて固まっている。
 レムは本の山を見た時点で色々と諦めているようだ。我関せずという風体で倒れている樹を見つめていた。
「ごめんなさい。あたしが悪かったから許して下さい」
 過去の自分が何だかとんでもない犯罪の後押しをしている気がし、クルトはすぐさま謝った。
「問題ないわ」 
 青ざめた少女をしばし眺め、カミラはポンと新緑色のマントに包まれた肩を優しげに叩く。何処か絶望的に叩かれた肩を見た後、クルトは錆付いた笑みを浮かべ、がっくりと項垂れる。
(いや、大ありだろ)
色々と打ちのめされている少女を遠い目で眺め、スレイは心の内で小さく呟いた。
「まあ。そんな事はともかく」
 大量の蔵書を一時的とはいえ窃盗した事を「そんな事」の一言で済ませ、本の山を箒で指し示す。
「その時の本。分かる?」
「え、あ。はい。確か茶色っぽい……」
 クルトは僅かに血の気を取り戻した頬に指を当て、思い出すように瞳を閉じ、
「えーと。どんな表紙だったっけスレ」
 少年の方を向いて止まる。居ない。
 視線を巡らせ探すものの、目印である黒髪も赤いマントも見つからなかった。
「おっかしいわね。さっきまで――」
 眉を寄せ、口の中で呟こうとした言葉が喉奥で凍る。もそり、と本の山が動いた。
 ずる、一番上の本が滑り落ち、周りの本達もめくれるように落ちていく。
 悲鳴が喉元までせり上がりそうになったところで、
「あー。あった。ミルクチョコレート!!」
 聞き慣れた声と共に山の一角が崩れ、少年の顔が覗く。山に潜って探していたらしく、頭に開いた本が被さっていた。
 クルトは獲物ならぬ本を掲げているスレイを見つめ、
「みるくちょこれぇと?」
 先程耳に入った不可解な叫びに首を大きく傾ける。喜びの雄叫びを上げていたスレイは少女の声にはっと顔を向け、
「あ、いやいや。何でもない! コレだろ。色ちょっとかわっちまってるけど」 
 手にした本は、少年が見た頃よりもくすみ、汚れている。
(ミルクがビターチョコになった)
 そんなことを思いつつバタバタ手を振りながら首を振る。 
 ばさり、と帽子代わりに被さっていた本がずり落ちた。クルトは「むぅー」と納得ならないと言いたげな呻きを漏らした後、大きく息をついてスレイの掌から本を取り上げ、
「う、ん。そう。この文字と癖のある構成法……間違いないわ」
 何度か紙面に視線を滑らせ、確信に満ちた顔で呟いた。
「確かに、この文字は樹に書かれていた字の一部と一致するね」
 覗き見たレムも小さく同意する。
「じゃあ、それね」
 カミラは二人の顔を見て頷き、箒を脇に挟んでクルトから受け取った本を開く。
 不意に、カミラの動きが止まった。
 じっと紙の上を見つめる姿にクルトは眉を僅かにひそめ、
「先輩。どうです」
 伺うように声を掛けた。
「……成る程。でも、変ね」
 カミラが指先でなぞるように紙面に触れ、零す。
「はい?」
 見返してくる黒の瞳に首を傾ける。
「この魔導本に間違いがなければ、この陣は木が切り倒された程度で壊れないハズ。
 けれど、この樹が切り倒された直後に魔物が――」
「ん。ちょっとまって。この文字、樹に描かれている魔術文字と似ているけど。
 僅かに違う」
 疑問の混じったカミラの言葉にレムが待ったを掛け、砕けた幹の破片を足下から拾い、カミラの目の前に差し出した。呪術師の少女は破片を受け取り、ボール程の大きさのそれと本の文字を交互に見比べた。クルトも破片に書かれた文字と、本に書かれた字を焦げ付かんばかりに凝視する。
 そして、レムが告げた言葉の意味に気が付いた。
 クルトが納得の声を上げる前にカミラが口を開く。
「文字が幾つか間違っている。良く見ないと分からないけれど、この手書きの魔術文字……跳ねや引きが強いわ。たまにいるの、字が致命的に駄目な人」
 何か酷い言いぐさに、目を落とす。確かに彼女の言う通り、その文字は酷く読みにくかった。ミミズののたくったような、とよく言うがこの文字の歪み方は、何匹もの瀕死の虫が必死跳ね回り、文字を歪めていった跡にも見えた。
 筆者の握力が強いのかペンを持った指先に変な力が掛かっていたのか、良く注意してみないと全く違う文字と見間違える。
「駄目って。
 確かにこの辺り酷い歪んでたりするのよね。すっごいくせ字だも……」
 苦笑し掛けてなにげなく呟こうとした言葉に思考が停止する。
 ……違う文字。
 違う文字。頭の中でその言葉が反響し、その単語にはっとなる。
「てことはもしかして正確に模写したから」
「全く別の文字になってる可能性が強いね」
 恐る恐るレムを振り向くと、少年は静かに首を縦に振る。
「げ。マジかよ」
 文字を描いた本人であるスレイが渋面になった。小声のつもりだったのだろうが、元より声量のある少年の台詞。響く声にレムは迷惑そうに獣耳を伏せた。普通の聴覚を持つクルトですら顔をしかめ、耳を掌で覆う。
「くせ字じゃないところも間違っていたところがあったけどね。模写した部分」 
 興味なさげにそう言ってカミラの持つ樹の破片に視線を戻す。
 少女は耳を押さえていた手を外し、ぎぎ、と首を横へ向け、
「……スゥーーーレェーーーーイィィ?」
 地から這いずり出てくるような、怨嗟の声にも似た呻きを上げる。彼は紫の瞳を眺めたままたっぷり十秒ほど固まった後、
「し、仕方ないだろ魔術文字読めなかったんだからッ」
 千切れそうなほど首を振り、不可抗力だと言わんばかりに両手を振り回す。
「文字が違うせいで効力が変わったのね」
「多分間違いないよ」
 二人を無視してカミラの台詞に肯定の声を上げると、比べるように幾つかの文字を指し、樹の表皮に目をやる。呪術師の少女は帽子の鍔を掴んで格好を整え、
「ねえ、クルト」
 瞳を細めて微かに見える空を見つめ。不意に唇を開いた。
「え。はい?」
 慌てて姿勢を正し返事を返すが、カミラは帽子から手を外したものの空を見据えたまま。
 眉をひそめて疑問の言葉を紡ぎ掛けた少女に、カミラはようやく視線を向けた。
 漆黒の瞳に空虚な景色が映っている。
「あなたどんな結界を張りたかったの」
 視線を外さず、ゆっくりと口を開いた。絡む視線。
 気を抜くと瞳に宿る先の見えない深い闇に飲み込まれそうになる。
 緊張のためかいつの間にか止めていた息を吐き出し、気を取り直すように瞳を軽く閉じ、顔を上げてカミラを見据えた。
「どんな、って結界は結界じゃ。あたしは、村がいつものように笑える場所なら」
 望むモノはそれだけ。今も昔も変わらない。大きく、小さな望み。
 少女の答えを聞いて顎に指先を当て、
「……そう。分かった。
 となると、この結界。私では難しくなるわ」
 瞳を伏せるとカミラはゆっくりと本を閉じる。
「え。先輩でも!?」
 性格と言動の危うさはともかく、術関係に関しては大幅な信頼を寄せていたらしく、クルトが驚いたような声を上げた。カミラは微かに頷くと、
「レム・カミエル。あなたの力が必要」
 後ろで倒れた樹に寄りかかっている少年に言葉を投げ掛ける。
 剥がれかけた表皮へ指を当て、レムは肩を僅かにすくめ、
「僕? 魔術、呪術に関しては残念ながら僕は君には遠く及ばないよ」
 お手上げだとでも言うように片手を軽く持ち上げる。
「レムが引いた!?」
 驚愕の声を上げるクルト。恐ろしいモノを見たような眼差しで少年と少女を見つめている。頬に両手を当て、ぶんぶん頭を振っているクルトをカミラは一度視界に入れた後、
「構成ではなく、解読の力がいるの。あなたは恐らく私と同等の知識。
 それ以上の技術がある。謙遜、しなくて良いわ」
 表情すら変えず向き直り、会話を続行する。
「先輩が手放しで褒めた!?」
 褒めあいのような会話を続ける二人に恐怖を覚えたか。ずざ、と勢いよく後ろに下がり、近くの切り株に足を引っかけ、身体が浮き上がる。
 かろうじて数秒ほど片足のまま爪先立ちで堪えていたが、一気に重心が後ろにずれた。
 両腕を振り回し、派手に転倒し掛けたクルトの背を、慌ててルフィが支える。
「……五月蠅いから君はちょっと黙ってて」
 後ろの騒ぎに頭痛がしたか、レムはこめかみに手を当てながら呻く。
 カミラが思い出したように手を軽く叩き、
「静かになるついでに離れて。集中が必要な作業なの、彼と二人だけにして」
 クルトを見た。少女はルフィの腕から抜け出、
「あ、はい。先輩宜しくお願いします」
こくんと頷くと、小さく礼をして少し離れた所まで駆けていった。
 置いて行かれまいとルフィが続き、腕を引っ張られたチェリオ。スレイの順に見えなくなる。
 カミラはそれを見届けて、地面と本を眺めた後、レムに視線を移した。


かげり始めた緋色の光に顔を上げる。梢から落ちた葉の一つが海色の髪に軽く触れ、滑り落ちた。
 冷気を帯びた風が少年の羽織った上着を揺らし、固い音を立たせる。
 少女はなびく黒髪を掌で押さえつけ、彼の方を向く。二人は何処か見つめ合うような格好でしばらく止まっていた。
 その空気を振り払うように、レムは小さな吐息を漏らして軽く腕組む。
「さ、て。騒がしい人たちは居なくなった」
カミラに視線をやって、
「それで。僕に何か話があるんでしょ。カミラ・マクグレーシさん」
 含んだ調子で名を呼び、海色の瞳を細めた。
少女はフルネームを呼ばれたことにさしたる感情も見せず、考えるように少しだけ首を傾け、
「わかりやすすぎた?」
感情は乗っていなかったが、悪戯を失敗した子供のような言い方で脇に挟んでいた箒を片手に持つ。
「大体、よほど古い術を使うならともかく。核である品や生け贄を必要とする結界に複雑な文字の使われた物なんて多くない。僕の力……解読の能力なんて余り必要ないからね」
 言い切り、詰まらなさそうに瞳に瞼を僅かに落とす。カミラは空いている掌を自分の頬に触れさせ、
「一つ。正解。一つ間違い」
 呟くように言葉を紡ぐ。黒い袖が風に震える。
 頬に当てていた手を外し、ゆっくりと結界の代わりをしていた樹に歩み寄る。
「間違い一つ。この結界には、貴方の力が必要。それは本当。
 正解は、貴方の言う通り話がしたかったの」
 砕かれた今でも淡い光を放ち続けるそれを撫で、瞳を閉じる。
 上部は粗方無くなっても、根はまだ大地へ齧り付くように、残った身体を縛り続けていた。
「と言うことはかなり複雑で古い形式の術を使うつもりだね。クルトといい、君といい。まだ見習いの術師なのに、良くやるよ」 
 少年は返ってきた答えに耳を軽く伏せ、僅かに眉を寄せた。  
 視界の端で、薄れそうなほど弱い光はまだ瞬き続けている。
「褒め言葉?」
 振り向いた瞳に微かな期待の光。何処かで見飽きる位見たような前向きさに目眩を覚える。肩をすくめての言葉だったが、今の台詞のどの辺りをひっくり返せば褒め言葉に聞こえるのだろうか。常々疑問だったが、追及するのは諦め、
「その無謀さに呆れてるんだよ。まあ、書物を読み込み、制御力がある分カミラさんのほうがマシ、といえばマシだけど」
頭痛を抑えるようにこめかみに指先を押し当てる。
「……褒め言葉」
 答えを待っているのか、カミラは首を傾け続け、尋ねるようにしきりに呟く。
 埒があかないと感じたか、レムは痛み続ける頭を軽く押さえ、
「制御云々は一応褒め言葉だけど。それ以外大半は呆れだよ」
「褒められた」
 ウンザリとした視線混じりに断言するが、少女は後半部分は聞き流したのかそう解釈したらしい。表情はよく分からないが喜んでいるのか小さく何度もこくこくと頷く。
「で。僕に話って何。結界の解読ならすぐに済ませたい所だけど……カミラさんでも難しいんなら少し手こずるかもね」
否定の言葉を告げるのも面倒になったか、レムは褒めた云々には触れず、話を切り替える。頷くのを止め、
「いもうと」
 一言だけ口に出す。耳に入った単語に片眉を僅かに跳ね上げ、
「妹って。ピシア、さん……のこと?」
「そう。妹が迷惑を掛けるわ」
確かめるように視線を向けるレムを見返し、先ほど頷いていた時とは違い、深く首を縦に振った。微かな沈黙を挟み、
「何。ただ、それだけ?」
 追加の言葉が来ない事に、拍子抜けしたように僅かに首を傾けた。
「…………」
 カミラは答えない。横目で少女を見て軽く肩をすくめ、
「慣れたよ。元はと言えば君がまいた種だけどね」
 溜息混じりの言葉を吐き出す。カミラは浮き上がり掛けた帽子を目深に被り、
「そう。良かった」
 ぽつりと安堵の言葉を漏らした。白い獣毛に覆われた片耳が、少女の言葉を聞きとがめたように揺れる。不機嫌そうに腕組んで、
「良くないよ。慣れたけど無害という訳じゃないんだから」 
「もう一つ。話をしましょう」
 睨むレムには構わず、横たわった樹に腰掛ける。
 平然と話を続ける彼女に毒気を抜かれたように、言い募ろうとした言葉を飲み込む。
「レム・カミエル。名は何度か聞いたことがある」
 風と共に耳を撫でる静かな言葉。乱れた上着を直そうと伸ばした彼の指先が止まった。





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