封印せしモノ-23






「封印だぁ?」
 幼なじみの少女から放たれた言葉に、少年はどことなく呆然と言葉を紡いだ。
 そんな様子も気にせず、二つ括りにされた髪をひょこりと動かし、
「そ。封印って言うより、一種の結界みたいなモノなんだけどね」
隣にあった樹に抱きつく。
「お、おまえ、そ、そんな大それた事。子供のオレ達で何とかしようとか……言わないよな?」
「スレイ。何とかしようとか、じゃなくて、何とか『する』の! 何度も言わせないでよ」
「マジでやんのか」
引きつり気味の言葉に大きく頷き、
「大マジよ。大体、ウチの村の大人連中頼りないんだもん。魔術は怖いとか言って全然魔術師なんて信用しないし。かと思えば、なーんの対策も取ってくれないんだから、あんなのただの文句付けよね」 
 腕を広げ、気合いを入れるようにだん、と地を踏みしめる。
 その姿を眺めながらスレイは腕組み、ぱす、と寝ころんだ。「んー。でも、お前とかオレみたいな奴の方が珍しいんじゃないかなーとオレは思う。
 魔術師なんて初めて見たし、それ考えると他の奴らの方がまともな反応だろ」
背中で擦れた草が潰れ、湿った土の匂いと青臭さが鼻孔に絡み付く。
 クルトは少しだけむっとしたように唇をとがらせ、正論だと言うことは分かっているらしく小さな息を吐いて樹の幹に身体を預ける。 
「……そうだけど、対策の方法があるのに活用しないなんてもったいないもの。
 で、思ったの」
「はぁ?」
 嫌な予感に両手の平を地に当て、勢いよく身体を起こす。起きあがりざまに少女と目があった。
 大きく丸みを帯びた紫の瞳が、うっすらと開かれ、口元がにんまりと歪んでいた。
 スレイも身に覚えのある悪戯前の子供がするような顔。それに近い物を感じされる気配だった。ぴし、と少年の鼻先に小さな指を突きつけ、 
「使わないんなら、使っちゃうのよ。やったモンがちって奴!
 使っちゃった後なら、いくら文句言っても無駄だもんね」
 空いた片方の手を腰に当てて無茶苦茶を言い出した。
「普通はその前に止めとくと思う」
 少年は頬を掻き、洋服に付いた草の切れ端と土を払い落とす。
 いつもは止められる位置にいるスレイの立場が今は逆転している。
 止めることを諦めているのか、止められないと感じているのか。半眼になった少年の瞳に倦怠感が垣間見える。
「あたしはお母さんが大事。スレイも家族が大事。ついでにあたしも痛いの嫌い。
 そんな村の魔術に対する偏見だけで、危ない目に遭いたくないもん」
 森の更に奥を見据え、拳を握る。スレイは、自分込みでか。と突っ込むのは諦め、溜息と共に言葉を吐き出す。
「むー。まあ、やるだけやってみるか。気休めでも、おまえやるまでここにかじりつくだろ」
 この少女はよく言えば根気強く的を逃さない。悪く言えばしつこく頑固で諦めが悪い。
 他の悪ガキはともかく、逃げ道を熟知し、脚力にそれなりの自信を持つスレイですらこの少女の追撃をかわせた覚えがない。()いても撒いてもどこからともなく現れて鉄拳制裁を下される。思い出すだけで恐ろしい。
「そうそう。気休めでも良いのよ、あたしこれやらないと落ち着かないもの」
 スレイの返答に満足したか、少女は腕組み、うんうん頷く。
 不意に樹の幹を振り返り、
「んんー。ここって暖かくて気持ちいいー」
 頬を寄せて瞼を落とす。森の深部とはいえまだ浅い場所。肌に暖かさを与える位の木漏れ日は来る。特に今日は絶好の昼寝日より。
「寝るな。起こすの大変だから」
 身をもって睡魔の手強さを覚えているスレイは、慌ててクルトを引っ張り起こす。
 少女は閉じかけた瞼を開き、欠伸をかみ殺して近くに置いていた袋を引き寄せ、肩まで腕を突っ込むとガタガタと音を立てながらかき回し、中から一冊の本を取り出してスレイの手に渡す。
「あ、うん。えっとね、はい」
「なんだこれ」
 疑問の声を上げながら受け取ったモノを見つめる。少し濃いめのチョコレート色をした本だった。
(ミルクチョコレート色か)
 ちょっと空腹を覚え、眉を寄せて本を開く。中には幾何学模様(きかがくもよう)にも見える魔法陣が描かれ、細かな魔術文字がびっしりと紙の上で踊っている。魔法陣の横に幾つも線が延び、付け加えられた説明がかろうじて空いている紙の空白を更に狭めていた。
(何語だよ。いや、魔術文字だろうけど。読めねぇって)
 少年の顔が見る間に渋面になる。入学して間もないスレイが魔術文字を読み解けるわけがない。が、少女は胸を張って口を開く。
「その封印のやり方が載ってる奴。ちゃーんと持ってきたの」
「……あのさ……」
 人差し指を立て得意げに言う少女を見つめる。もやもやとした曖昧な感覚がぬぐえない。
 薄れるどころか、表紙を見るごとに嫌な予感が肥大していく。
「ん?」
「それ、もしかして学園の」
 間違いであってくれと願いの込められた恐る恐るの問いに、得意満面の笑顔で胸を張っていた少女の動きが止まる。
「…………」
 しばしの硬直の後、スレイは勢いよく本を閉じ、背表紙と裏表紙を丹念に眺めた。
 指先に掛かる粘ついた感触と、おうとつのある張られた紙の手触り。
「しかも貸し出し禁止の奴じゃないかオイ。持ってくるなよ、つーか良く持ち出せたな」
 様々な人の手に触れられたせいか少々めくれ上がっているが、持ち出し禁止のシールが貼られている。裏返せばすぐ分かる位置にあるため、見落としたとは思えない。
 ついでに言うなら、貸し出し禁止の本は専用の本棚があり、そこで管理されているため偶然手に入れた、と言うこともありえない。つまり、故意に持ち出さない限りここに持ってくることは出来ないのだ。
「ね、スレイ」
「ん? 『ヤボなことは言わないで』とか言わないよな?」
 剥がれかけた目印を爪で軽く触れ、ジトッとした視線を送る。
 少女は頬に人差し指を添え、
「ううん。あのね、見つからなかったら、持ってきてることなんて誰も気が付かないわよね。というか、そんなずさんな管理がいけないからちょっぴり拝借してもこれは何の罪にも問われないかな、とか」
 えへ、とねだるように小首をかしげた。
「実は罪悪感あるんだろ」
「…………ううと。そんな細かいことはどうでも良いの、ちょこっとやってササッと返せば問題ないもの」
 半眼のまま呟く少年から勢いよく首を横に向け視線をそらし、額に汗などを流しながらブンブン片腕を振り回して言い切った。 
「あるんだろうけどさ、お前言ったところで考え曲げる気ないんだろ」
 黒髪に付着した枯れ葉を爪先ではじき飛ばし、長い息を吐き出す。
 落ちた葉が吐息に持ち上げられ、一瞬大きく舞うのが見えた。
「うん」
 スレイは真顔で深々と頷く少女を見たまま、強めに自分の髪をかき乱し、
「そだな。ちょこっと借りるだけだと言う事にしとこ」
 少しだけ空を見上げ、同意した。首を縦に振ると同時にぱっと少女の顔が明るくなる。
「きゃースレイいいやつ。そう言うところ好き〜。
 よぉし、じゃあ早速始めましょ」 
 満面の笑みを浮かべ、勢いよく少年に抱きつくと、なついた犬のように肩に頬をすり寄せて元気いっぱいに告げる。真横にある紫の髪の束を軽く引き、
「へいへい。ったく調子良いよな〜。
 で、どんなこと書いてあるんだ。材料とかは?」
 片眉を軽く跳ね上げ、呆れたように肩をすくめる。
「ぬかりなし、ちょっと集めるのに苦労したモノもあるけど、何とか大丈夫よ」
 少年の言葉にクルトは抱えていた袋を引きずり寄せ、にっと笑った。
 スレイの掌から本を取り上げ、確認を取るようにしばらく眺めた後、
「えっとね、役割分担があるの。スレイは魔力を込める側と、文字を書き込む側、どっちが良い? 魔力込める方は魔力が少ないとちょっと命に関わるらしいけど」
 微笑んで両手の平をあわせる。
「さわやかに言うなよ。んじゃ、オレは文字を書き込む」
 悪気が無さそうな分恐ろしい台詞に、頬を僅かに引きつらせながら彼は答えた。
「無難な選択ね。魔力切れかけてちょっと死にかかってるスレイ見たかったかも」
 少女はその返答に考えるように顎へ手を当て、手元の字に視線を落とすと本気で残念そうな沈痛な面持ちで首を振る。
「…………」
「うー。オトメのかわいい冗談じゃない、そんなすっごいめで睨まなくてもぉ」
 元から柔和とは言えない目つきのスレイに険悪な眼差しを送られ、クルトは本を地面に置き、いやいやと可愛く指をあわせて誤魔化すようにふて腐れた。
 睨み続けていたスレイは急に睨むのを止め、
「ほら、さっさとやって終わらせようぜ。オレ腹減ってきたし」
 脱力気味に肩を落とし、お腹に手を当てて呻いた。
 息なりのことにちょっとだけ呆然としたように少女はぱち、と瞳を瞬き、
「うん。えっとね、やり方はこの魔術の本を参考に文字を間違えないように書くのよ」
 地面に置いた本を取り上げ開いて見せる。
「ん」
 内容はちんぷんかんぷんだったが、文字の模写程度なら出来ないことはない。
 少女はパラパラとページをめくり紙に視線を滑らせる。
「陣の描く順番はあたしが教えるわ。えっと、核……基となる中心の魔力を蓄え発する物体。なるべく大きな、大きくなるものを使って」
(そんな大きくて倒れそうもないものなんて)
 口の中で呟き、答えが見つからず天を仰ぐ。後頭部に固い感触。
(そうよ、これだ!)
 ザラリとした幹の感触に梢を見据えた。
「そうだ! ここにしましょ」 
 寄りかかっていた細めの樹の幹にたん、と掌を付き、波音似た音を立てながら揺れる枝を眺めた。
「良いのかこんな頼りなさそうな外見の樹で」
 いつの間に立ち上がったのか、スレイは後頭部を支えるように腕組み、不信げに幹を眺める。彼の言う通り、クルトが力任せに押しても折れないとはいえ、激しい台風でも来ればあっさりへし折れてしまいそうなほど樹はか細かった。
 クルトは幹から手を外し、両手を腰に当て、
「いーの。細身の方が太い奴より細い分成長できる。
 ため込んで大きくなれるんだから。きっとおっきくなるわよ!」
 きっぱりと断言した。
「ふーん。そんなもんか」
自信ありげに言う少女に、まだ信用しきれないのか曖昧な返答を返し頷く。
「そんなもんよ。じゃ、さっき言ったことを忘れず、間違えないように書いて」
「りょーかい」
 適当に頷きながら落ちている木の枝を取り上げ、本に並んだ文字を睨みつつ近くの地面に出来る限り正確に複写していく。
「魔力も込めるの忘れないでね」
「また、初心者に無茶言うなよ」
 気楽な調子で掛かった声に僅かに顔をしかめ、後ろを見る。
「あたしも初心者で子供だけど、魔力を提供するのよ。男の子なんだから泣き言言わないでよ。あたし達に、この村の将来が掛かっている……かもしれないんだから」
 下手な獣より迫力のある声で言葉を紡ぎ、ぐぐっと顔を隣接させる少女から逃げるようにスレイは一歩引き、
「へいへい。まあ、お前もオレも子供」
「違うもん。子供じゃないもん!」
 肩をすくめ、首を振ろうとしたところで顔面に拳を喰らう。モロに真正面から殴られたため、鼻先がツンと痛み涙がにじむ。
「いっ……て、お前自分で言っただろ!?」
 手の甲で涙を拭い、少女に向かって怒声を上げる。鼻を押さえたために抗議の言葉はこもり気味になった。
「自分で言うのは良いけど、言われるのはイヤなの」
 頬を膨らませ、びし、とスレイの額に指を突きつける。少年は両手を広げ、降参のポーズを作ったままぎこちない言葉を漏らした。
「わ、我が儘な奴」
「むぅ。そんなことは良いから、早く始めましょ」
 不機嫌そうに本を広げ直し、樹の幹に向き直った。
「引き延ばしたのは誰……何でもない」
 噛み付かれかねない程の殺気が籠もった一瞥であえなく沈黙する。
 静かになった背後を確認し、少女は小さく息をついてそっと幹に頬を押し当てた。
(あたたかい)
 ここは陽があまり当たるとは言えない場所。だが、幹は日なたにさらされた布団のようなぬくもりを持っている。
(生命力、かな)
 僅かに受けた授業で、魔力、生命力、普通の人間には感じない力。それらは独特の空気、色、におい、温度を持っていると聞いた。人によってそれらの感じ方は様々だとも。
 陽から受けた温度だけではないとすれば、コレがこの樹に宿った生命力と言うことなのだろう。
(違うとしても、この樹は生きてる)
 掌から伝わる暖かさ。瞳を閉じ、スレイには聞こえないほどの声で言葉を吐き出す。
『ゴメンね。あたし達が手を加えた時点であなたは普通の樹じゃなくなる。
 でも、村を守りたい。だから、手を止めない。やめない』
 恐らく、術が成功するにしろ、しないにしろこの樹は魔力を幾らか持つ事になる。その時点で普通の樹、とは呼べない状態になるだろう。巨大になるだけか、色が変わるか、変形するか、全く別のモノになるか。それは魔力を込めてみないと分からない。
 良いことではないのは理解しているが、結界作成のためには要である礎が必要だ。
 紫の瞳を開き、樹の姿を焼き付けるようにじっと見つめる。
『そのかわり、きちんと結界にしてみせる。
 ワガママな願いだけど、この願い手伝って。あたし達と一緒に』
 名残を惜しむかのように強く掌を押し付け、放す。じんわりと掌に残った暖かさがゆっくりと引いていく。
「ナニしてるんだお前」
 不思議そうに後ろで見ているスレイに小さく笑いかけ、
「お願い。樹にお手伝いしてって言ってるの。あたし達三人で頑張るのよ」
 本を抱きしめて少しだけ遠い目で樹を眺めた。
 スレイも同じように眺めた後、難しげな顔をして顎に手をやり、
「そっか。じゃ、オレも。おねがいします一緒に頑張って下さい――」
 ポン、と手を打つと両手をあわせ、祈った。スムーズではなくカクカクしい動き。文面だけだと心がこもっているように感じられない。形もなっていなかったが、祈る姿で真剣なのは伝わってきた。 
「とこんな感じでどうだ」
「そうね。良いんじゃない。気持ちがこもってれば棒読みでも手伝ってくれるわよ。気持ちのモンダイよ、気持ちの」
 嬉しそうに小さく笑みを零し、少女は大きく頷いた。『そんなに棒読みだったか』とスレイはしばし眉を寄せていたが、
「じゃ、気を取り直して」
その言葉通り気分を入れ替えるように頷き、固めた拳をぐい、と肩まで持ち上げる。
「結界を作る大作戦、開始!」
 動きに合わせるように少女の声が響いた。





戻る  記録  TOP  進む


 

 

inserted by FC2 system