封印せしモノ-22





「これはじゅうようなモンダイで、ゆゆしきジタイだと思うの」
 少女はいきなりそんな事を呟いた。
 後ろに見える空は透き通るような蒼。木漏れ日を受けた紫の瞳はいつものように煌めき、顔立ちの幼さに似合わぬほど真剣だった。
 しばらく目前にある輝く瞳を眺め、小さく溜息をついた後。
 『はぁ?』とも『あぁ』とも言わず少年は、額が触れるほどに隣接した彼女の顔を掴み、
「いや、すげー話しにくい。暑苦しい。ついでに離れろ」
ぐい、と力一杯前方に押す。
「あぶ〜」
じたばたと両腕を動かし、たたらを踏む。
「は、離れたわよ。これでいい?」
 二歩ほど離れた位置で少女は腰に手を当て、どうだとばかりに胸を張る。
「いいっていうかさぁ。何なんだよ急に、人がきもちよーく寝てるんだから起こすなよ」
 少年は半身を起こして欠伸をかみ殺し、滲み出た涙を拭う。いつもは鋭めの眼差しだが、今は眠気のためか黒い両の瞳に瞼がとろとろと落ちかかっていた。
「よい子は早寝早起きよ! そんな昼間に寝てしまうような子供に育てた覚えはないわ。
 不良になる前に早く起きるのよ! おかーさんは悲しい!!」
 少女は彼の黒髪に付いた葉っぱを取り、涙は出ていないのだろうがワッと顔を大げさに覆う。
「誰がお前に育てられたんだ。昼寝で不良になるかあほらしい」
 言い終わる前にぼと、と芝生に身体を落とす。
「うー」
 まどろみの中にいる少年を起こすためか、丸太で爪研ぎをする猫のように彼の身体に指をかけ、軽く引っ掻く。
 力があるとは言えない少女の攻撃。更に言うなら爪は余り伸びていない。
 だが、むずがゆさ程度は生まれたのか、
「……ねーむーいーんだって。良い天気で絶好の昼寝日より。
 だから、ケリーにでも遊んでもら――」
 ころんと寝返りを打ち、パタパタと片手を上げて眠たげに言葉を紡ごうとした口元が引きつる。
「スレイじゃなきゃヤダ」
 少女が大きな紫の瞳を潤ませ、唇を尖らせていた。間の悪いことに、寝返りを打ってしまったせいで真正面から見てしまう。
「…………」
「う〜〜」
 捨てられかけた子犬がぐずるような呻きを漏らし、じっと見つめてくる。
「そんな目で見んな」
「聞いてくれる?」
 大きめの瞳を輝かせ、微かに首を傾け尋ねる仕草は小動物に近い。
「聞く。聞いてやるからそんな夢でうなされそうになる程気色悪い目で見るな」
 ついに根負けし、スレイは折れた。深々と息を吐き出して勢いよく起きあがる。
 拍子に少女がそのままの姿勢で後ろに転がるように倒れるが、茂った草がクッションになったのか、
「気持ち悪くない! かわいーとかいうところなのここは」
 すぐさま跳ね起きて威嚇してきた。厚手の青のスカートは土と草の欠片で汚れているが全く気にしていないらしい。手で払うこともせずにぶぅ、と頬を膨らませて眉を寄せている。
(まぁ、オレと木登りを競う事すら躊躇わない奴だしなー)
 なんとなく疲れつつ、ぽりぽり頬を掻いて半眼で口を開く。 
「あー。で、何がユユシキジタイで……えーと」
 少女とは同い年だが、スレイは運動はともかく物覚えは良くない方で、難しそうな言葉を一度聞いただけで覚えるなど、ほぼ不可能に近い。
「ジュウヨウなモンダイ!!」
 言葉の出てこないスレイに代わり、呆れたように付け足してくる。
 その単語にポン、と手を打って頷き、 
「そうそう。で、何がだよ。非常事態には全く無関係な感じだろ」
 空を見上げる。柔らかな風が梢を撫で、木漏れ日を軽く揺らす。
 鳥たちが楽しそうに青空を切って行く。柔らかな陽の光は暖かく、心地よい。
 特に空が赤くなったり黒くなったりはしていない。
 空気には瑞々しい葉の薫りがとけ込み、不穏の匂いは微塵もない。
 スレイの言葉に『良いところに気が付いた』と言わんばかりにずず、と身体を近づけ、
「そう、今はへいわなの! でもその内魔物がこの大陸にも現れて、凄いことになっちゃう。ハズ」
 先ほどより拳一つ分空けた距離でぐぐ、と拳を握って力説する。
「はず」
「で、なにか手を打たないとこの村はぜつぼーよ、めつぼーよ。ジュウヨウなモンダイでユユシキ事態で緊急事態なの! きっと」
 うわごとのように反芻するスレイを置き去りに、少女の語りは更に熱くなる。
 まるで伝承の盛り上がる場面を語る吟遊詩人のように。
「きっと」
 無駄に気合いの入った説明を、少年は冷めた眼差しで流し聞き、後半部分の単語を口の中で呟く。
 不意に、彼女はそれまでの勢いが何処かへ行ってしまったかのような普通さで拳を解き、
「と、村のみんなとお母さんが言ってたの聞いた」
 そんなことを言う。話の最中と今とのギャップに地面に頭を打ち付けそうになりながら、何とか堪え、
「聞いたのか。あー、又聞きで弱気だからなんか後ろに変な言葉が付いてるんだな」
 先ほどの煮え切らない台詞部分の理由に納得し、頷いた。
 スレイの言葉に彼女は首を軽く横に振り、
「ううん。みんな後ろに多分、きっと、危ないかもしれない。でも大丈夫だろう。とか付けてた」
 あっさり告げる。後ろに傾けた頭が鈍い音を立てて近くにあった樹の幹にぶつかった。
「そのままかよ」
(うちの村の連中って)
 半眼で呻いて体勢を立て直す。色々と鍛えられたためか、元からの頑丈さからか、かなり勢いよくぶつかったが、余り痛まなかったようだ。
 特に心配はしてないらしく、少女はぐっと拳を掲げ、
「で、あたしは思ったの。スレイ!」
 何か決意するように宙を見る。釣られるように少年も空を見上げるが、特に意味はないのか何も居ない。
 空をずっと見上げていても仕方がないので、視線を元に戻し、少女の顔を見て渋面になる。
 輝いていた。何か希望に充ち満ちた光が瞳の中で踊っている。
 どんな極上の宝石でもここまで光は詰め込めないだろうという純粋な輝き。
「は……はぁ。思ったのか。
 お前がそーゆー目でキラキラしてる時はなんっか嫌な予感がする」
 スレイはその純粋な輝きに、今は恐怖を覚えた。
 少年の短い人生経験の中でこの少女の無駄に煌めく瞳を見て、面白いことが起こった試しがない。スリルあふれる事柄や、ドタバタの連続なら幾度かあった。
「ノリが悪い。スレイ」
 スレイの気を知ってか知らずか、少女は不服そうにむくれた後、腰に空いた片手を当てる。少し経って気を取り直したのか、勢いを付けるためか先ほどから握っていた拳を限界まで天に突き上げ、
「そう、思ったの。魔物が何時来るかが分からないのなら、こっちから手を打つのよ!」
「はぁ!?」
鼓膜に突き刺さった突拍子のない台詞に、スレイは黒い瞳を見開いて口元を大きく引きつらせた。




体の半分近くある布袋を背負った少女は、スレイの手を引き森の奥に入っていく。
 長く背を伸ばした草たちを踏みしめ、真っ直ぐ突き進む。
「ちょ、ちょっと待てってば、こらクルトお前なに考えてんだよ!?」
大きく震えた空気に、枝で翼を休めていた鳥たちが慌てて飛び立っていく。
 騒がしい羽音にも少女の歩みは止まらない。
「ナニって、手を打つの。大人は話し合ってばかりでなにもしないから。
 あたしたちがやるの」
 二人の歩みが遅くなり、足が棒になりかけた頃。少女はようやく立ち止まり、言葉を紡いだ。
 先ほどから漏れていた木漏れ日がかなり弱まり、うっすらとした明かりしか見えていない。ほんのりとした暖かさは肌で感じられるが、天井には湿り気のある梢達が幾重にも重なっている。
 どさ、と重い音を立てて布袋が地に着いた。
「何で奥に来るんだよ。その袋いつ持ってたんだ」
「聞かれたくないから。怒られちゃうもの。
 袋は最初から。家からこっそり持ってきて、茂みに隠しておいたのよ」
 近くにある樹の幹に腰掛け、肩にかけていた紐を下ろして少年を見上げる。
 小さく溜息を吐き出し、スレイも習うようにその場に座り込んだ。
「……で、オレ達だけで魔物をどーたらこーたら出来るわけ無いだろ」
 あぐらをかき、憮然とした表情で両肘を膝に当てて頬杖をつく。
 クルトは下ろした荷物を両腕で抱きしめるように抱え、樹の幹に身体を預けていた。
 少年の不機嫌そうな声に紫のツインテールが項垂れたように沈む。 
「まほう」
 ぽつりと、俯いた少女の唇から吐息混じりの言葉が漏れた。
「は?」
 スレイは不意を突かれたように漆黒の瞳を瞬き、しばしの沈黙の後ぎこちない動きで少女を見つめた。  
「魔法! それでどうにかするの!!」
 困惑の混じった視線をはねのけるように少女は勢いよく顔を上げ、スレイの瞳を見つめ返す。
 数瞬ほどたっただろうか。梢をかき乱す音によって静寂が破られた。
 揺れる梢に目をやると、枝を僅かに揺らしながら小さな鳴き声が遠くへと消えるのが見えた。恐らく鳥か獣かに襲われたリスか何かだろう。
 大したことではなかったが、緊張の糸を解く切っ掛けにはなった。
 スレイは大きく肺から息を吐き出し、
「まほーって、オマエなー。オレ達入学したばっかだろ」
 ポリポリと頬を掻く。少年の言う通り、彼らが魔導師育成の学校『ヒュプノサ学園』に入学してまだ間もない。長く見積もったとしてもいいところ三、四ヶ月ほどだろう。
 魔導師の見習いが一人前になるための年月は五〜十年。場合によってはそれ以上の月日が掛かると言われている。
「う。ちょっと火の玉出せる」
 スレイの珍しく鋭い台詞に、クルトは小さく肩を震わせて気まずげに眉を寄せる。  
 入学したばかりの二人では、実技用の術はおろか基礎もろくに出来ていない。
 良いところ炎とも言えない小石程度の火の玉を出すだけで一杯一杯だ。
 慣れていないが、やや弱めとはいえ火炎の球が出る分、クルトはマシな方とも言える。
「出してどーすんだよ。森の丸焼きなんて旨くないぞ」
 口を尖らせて反論する少女にげんなりとスレイはこめかみを押さえる。
 獣と同じく火炎が苦手な魔物も多いが、拳より小さな火炎球が当たったところで何とかなるとも思えない。逆に怒らせて更に被害が増えるだろう。
 かといって、森に火を付けて丸焼けにしたところで火に強い魔物が残るだけだ。
 更に村の資源等も壊滅的な被害を受ける可能性があるため良い手段とは言えない。それに何より、森一つ燃やして何とかなる程度だったら各国の大陸、特に魔物の猛攻にあっている北の大陸は早々に自ら森を燃やしているだろう。
 魔術の基礎も危うい子供がたいした手を打てるはずもない。
 だが、少女は奥歯を噛み締め、
「何とかするの! 魔法なら多分何とか出来るはず。
 あたし前聞いたの。魔法は千差万別の、無限の可能性を秘めた凄い物だって。
 だから、何とか出来るはず。ううん、何とかしなくちゃ駄目なの!!」
 両手の平で拳を形作り胸元で固く握りしめて叫んだ。
 瞳はやはり、ずっと真剣なままで冗談を言っているようには見えない。
「お前……」
 スレイは俯く少女の肩にそっと手を当て、
「魔術師が初めて村に来たとき近寄ったな? 
 怪しくて危なそうだから近寄るなって村の奴らにきっつーく言われてただろあの時。 
 それ村ん連中に魔術師が魔法のすばらしさを教えてたときの言葉じゃねーか」
 半眼になる。少女は力を入れていた掌を解き、バタバタと振り回して弁解しようとし、あることに気が付いてスレイを見た。
「う。何故それを……って、そう言うスレイも知ってるって事は!?」
「あ、ヤバ。しまった」
 ばっと掌で自分の口元を覆うがもう遅い。二人の間に妙な珍な静寂が漂った。
 空気を変えるためか、スレイは大きく咳払いをし、
「オレはふつーに茂みに隠れてたけど、どうやって近寄ったんだよ。お前の姿なんて見なかったぞ」
「お昼寝してるところに『たまたま』通りかかったあっちが悪いのよ」
 そっぽを向いて木上を眺める。その様子を見ながらスレイはその時のことを思い出した。
 確かあの日。魔術師が村に来た時。
 村がいつもより騒がしく、村人達の警戒も厳重で昼寝等を出来る雰囲気ではなかった。
 魔術師と長老、村長の会談は普通の人間の立ち入らない森の奥であったはずだ。
 それも周りに魔術師、村の人間が数人見張りに立っていた。
 森を遊び場にしていた少年ですら、彼らに見つからないように入り込むのに苦心した。
 帰りの道で会うはずだ、そこにいなかったとすると答えは一つ。
「お前、いつから樹の上で昼寝するようになったんだ」
 木上しかない。そのことに思い当たり、溜息を漏らす。
「あの日一日限定なの」
 しれっとした少女の表情に少年の口元が引きつった。
 恐らく見つかったとしても彼女は今の台詞をそっくりそのまま言うつもりだったのだろうと気が付いて。
(……コイツの方がタチ悪いんじゃないのか実は)
 スレイは一応悪ガキで名の通った方だったが、それすらも上回る少女のふてぶてしさと悪気のなさには唸るしかない。腹の中で色々と感心している少年を無視し、
「とにかく。やるのよ。あたし達で」
立ち上がって腰に手を当てる。サラリと吐き出された続きの台詞に、スレイの目はまた点になった。





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