封印せしモノ-21





「血液を撒いて強い魔力を定着させることが出来、自らの魔力を通すことが出来るなら――」
「えぇ!? クルト血を……って、怪我は別に……あ、指先にあるけどこの位じゃ」
 少女の台詞に後ろで眺めていたルフィが周りを押しのけるようにクルトの前に立ち、強引に腕を掴んで傷の有無を確かめる。近くにいたせいで押しのけられたレムは少しだけ驚いたように、いつもは控えめに一歩引いたところにいる彼を眺めていた。
「あ、それは草で切っただけよ」
 心配されたことに照れを覚えたか、クルトは僅かに頬を染め、『何でもない』とでも言うように軽く掌を動かした。
 ルフィは動かされる掌をそっと握り、少女の顔を見た。髪と同色の混じりけのない空の色。空色の瞳の中には柔らかな光が満ちている。性別では男のハズなのに、少女であるクルトよりも柔らかな白い肌。握られた指先が視界に入り、何となく気恥ずかしくなり引っ込めようとした手が引き戻された。
「あ、あの……!? ちょ」
 クルトはやんわりと握られた片手を見つめ、赤くなった顔で大慌てで言葉を紡ごうとして、暖かな違和感に気が付き動きを止めた。
 一瞬掌が淡い翡翠色の光に包まれる。
 光が与えられた場所は掌。しかし、体の芯にジワリと暖かさが伝わっていく。
 少し熱めの湯に浸るような恍惚感。そんなに長い間ではなかっただろう。
 幼なじみの少年は傷を確認するように手を丹念に眺めた後、そっと掌を外し、にっこりと微笑んだ。指先が離れることで停滞していた暖かさが宙に解放される。
 そのことを少しだけ名残惜しむようにクルトは自分の指先を眺め、ルフィに視線を動かした。血の止まっていた指先の薄い傷は、跡形もなく消えていた。
「えっと、ありがと」
 少女は小さく感謝の言葉を紡ぐ。視線が合うと、先ほどまで手を握っていたはずの少年は、慌てたように大きく首を横に振り、
「き、きき気にしないで、し、したいからしただけだから。
 そ、その……えっと、全然気にしなくて良いよ」
 真っ赤な顔で何度も腕を振り回していた。
 少女は壊れたゼンマイ仕掛けのように慌てる少年を見つめてきょとんと紫水晶の瞳を瞬き、
「変なの」
 仕草のぎこちなさに思わず小さく笑みを漏らす。
「…………」
 何故か呆れたような、何処か疲れを混じらせた顔でチェリオやスレイの面々が少女を眺めていた。
 クルトは一瞬むっとしたように片眉を跳ね上げ、唇を尖らせるが「何よその顔は」と言い募る事はこらえる。コレまでの数々の経験から、こういう場合、スレイやチェリオに失望ならぬ絶望的な溜息を吐かれ、不可解極まりないが彼らは哀れむようにルフィの肩に手を置くのだ。
 不思議に思って幾ら尋ねても言葉を濁され、答えは返ってこない。
 そんな事を幾度も繰り返しているため、言い募ることは諦めて小さく咳払いをして話の続きを紡ぎ始める。視界の隅でレムが丹念に、先ほど押されたときに服に付いた埃を払っているのが見えた。
「まあ、そのつまり……爪とか灰にした髪の毛を混ぜて使った例もあることだし、術者の身の一部を混入させれば強力な魔力の媒体になる」
言葉をいったん途切らせ、ルフィを見る。ようやく火照りが収まってきたのか、少年は赤みの薄れた顔で頷いて続きを促すように瞳を見返してきた。答えの代わりに唇を開く。
「そう言うことをふまえて血液と同じく体液で、なおかつ余り時間を掛けずに採取出来る物が良い。そう言う条件下にある物と言えば――」
 少女が全ての言葉を吐き出す前に、レムは先の言葉を察したようだった。
 口元に当てた指先を外し、
「唾液……。もしかして唾液を使ったの?」
「そういうことに、なるわね。うん」
 言葉を曖昧に濁しながら頷いて肯定する。スレイの瞳が驚愕に満ち、そしてすぐに渋面になった。
「うえ、唾ぁ!?」
 何処か一歩引いた声。少女は頬を軽く膨らませて黒髪の少年を睨み付け、
「そこ。イヤそうな顔しないでよ。あたしだって結構抵抗あったんだから!
 理論上は大丈夫なはずだから使ったんだけど……予想以上に使い物にはなったわね」
 抵抗は全て振り切った訳でもないらしく、大声で喚けずに唸るように後半部分の言葉が弱まる。カミラはクルトの説明にこっくり首を縦に動かし、
「そうね、確かにその理論は間違っては居ないわ。ただ……」
 少女の紫の瞳を見つめる。カミラに続きを促すか迷っているとレムの言葉が滑り込んだ。
「血より唾液に含まれる魔力の量は少ないはずだから、普通の場合」
「そうね。普通よりも魔力の強いクルトじゃないと無理なやり方。
 通常よりも強い魔力を持ってるから出来た事」
 先ほどのお返しとばかりに後を継ぐカミラ。
「……その位わきまえてるわよ。かなり荒技ってのもね、このやり方だと他の魔道具なんかを使うのに比べて自分の一部っていうのが影響してるせいか、通りが良すぎて使う分以上の魔力が持って行かれる。そういうのも理解してるわ」
 クルトは二人の言葉にぽりぽりと半眼で額を掻き、ぐったりと呻いた。
 少女の顔に疲労の色は余り無いが、引きずり出される魔力を抑えながらの放出は身体に幾分負担が掛かったようだ。
「はあ……しかし必要分量取り出すのに凄い苦労したのよ」
 独り言のように呟きトントンと肩を軽く叩く。
 制御の苦手な少女にとっては、魔力を抑えながら少量ずつの魔力抽出は重労働だったらしい。
 後ろで傍観を決め込んでいたチェリオが、年寄りじみた仕草を見せるクルトに目をやり、
「髪を使えば良かったんじゃないか」
 不意にそんなことを口に出す。
 確かに毛髪は血液の次に魔力が強い場所でもある。
 呪術で強い効力を上げたい場合、相手の髪を使用する事が多いのはよく知られている。
 正論と言えば正論だ。が、
「なんてこというのよ!? コレだから乙女心の分からん男は。
 髪は女の命なのよ! 
 そんな簡単に切って燃やして使うなんて出来るわけ無いでしょ!?」
 少女は腕組み、ギッ、と青年を睨み付けて牙でも剥き出さんばかりにいきり立つ。
 その剣幕に彼は整った眉を微かにひそめ、
「…………すぐ伸びるだろうが」
 何を言っているんだという表情で言葉を紡ぐ。
「…………チェリオ」 
 デリカシーの無い台詞を吐くチェリオに、ルフィは少し困ったような顔で苦笑した。
 組んだ腕を解き、もう我慢できないとばかりに地面に向かって両の拳を振り下げ、
「ぅあーもう! 伸びるとか伸びないとか、そぉいう問題じゃな――」
「興味深いお話を聞いたわ。それはともかくとして」
 無神経な言葉の数々に、いい加減我慢できず詰め寄りかけた少女の後頭部にカミラの声が突き刺さった。
 クルトはびく、と肩を震わせて軽く硬直した後、チェリオの胸ぐらを掴みかけた手を下ろし、引きつった顔でカミラを振り向く。
 呪術師の少女は先ほどと同じ所で影のように静かに佇んでいた。ふらりと片手を動かし、何を思ったのか唇に指を軽く触れさせた。
「そろそろ経緯の説明をしてもらうわ」
 妙に赤い唇へ、そっと指先を当てる仕草にクルトはなんとなく寒気を感じながら、
「うっ、き、聞くんですか」
「手伝うだけ手伝わせて理由の説明がないのはいけないわ」
 首をすくませて尋ねると、相手は唇に添えていた指先を外し、ゆったりと振る。
 何処か妖艶さを含ませて、口元が小さく微笑んでいた。
「……う」
 その眼差しに気圧され気味にクルトは呻く。
「そうだね。僕も説明無しでここまで巻き込まれたんだし、ね」
「うぐ」
 鋭い追撃の声に、少女は先ほどより大きめの呻きを吐き出した。
 黒髪の少年は面倒そうに頭を掻き、
「なぁクルト。いい加減白状しちまったらどうだよ。どーせここまでオオゴトになっちまったんだから隠すのはムリってモンだろ」 
  少女の背をぽんと叩いて軽く肩をすくめる。
「で、でも」
「いーよ。オレとの約束なんて気にしなくても。っても、オレとの約束というかお前との約束だけどさ」
 俯き、口ごもるクルトに小さく笑って軽く片手を振った。
「そっ……ど」
「ん?」
 地面を睨み続けている少女の唇から微かに漏れた声に、スレイは訝しげに眉を寄せる。彼女は弾かれるように顔を上げ、
「そんなの今はどうでも良いのよ!」
 黒の瞳を射抜き、首を大きく横に振ってキッパリと言い切った。動きにあわせて跳ね上がったツインテールが、乾いた音を立てて新緑のマントを羽織った肩に掛かる。
「ええ!? ちょっとしんみりしたのにその返答はないだろオイッ」
 口元を引きつらせた少年を睨み付け、両手の平を固く握りしめ地面に向ける。
「だって、だって、だって、来るとき啖呵(たんか)は切っちゃったけどどう考えてもこれ法とかに抵触(ていしょく)しちゃってるじゃない! 更に立ち入り禁止区域に強引に入り込んだあげく国で雇われた伐採者殴り倒して脅しちゃったし!!」
 そこまで言うと頭を鷲掴むようにかかえ、苛立ちを紛らわせるように土埃が立つほど地面を踵で踏みならす。
「…………殴ったのかお前」
 少年の言葉にぴく、と身体を震わせ、
「えーと殴ったというか、肘で打ったというか。反射的に打ち倒したというか」
 僅かに視線を泳がせて、人差し指を無意味に軽く左右に振る。
「いや、全部一緒だろ。はり倒したんだな」
 スレイは揺れ動く指先を半眼で眺め、次に少女に視線を向ける。
「だ、だって樹を斬ろうとしてたから。結局無駄だったけど」
 呆れたようなスレイの目に、クルトは口の中で煮えきらない言葉を漏らし、視線をそらす。
 少女の紫の瞳をしばらく眺めた後、少年は大きく息を吐き出し、憮然とした表情で腕組む。僅かに苛立ったように片眉を跳ね上げ、
「ていうかさ、クルト。お前分かってるだろ、オレ達はもうかなり前からそう言うのに触れてただろうが」
 あまり似合っていない赤いマントを肩で跳ね上げ、少女の眼前に指を突きつけた。
「…………」
 クルトは口を開かない。ただ、黙したまま突きつけられた指先を眺めるだけ。
 反応がないことに少々拍子抜けしたのか、スレイは数拍程その姿勢で停止し、攻撃ならぬ口撃が来ないことを確認するように少女を見る。
 少女は黙したまま。紫の瞳はしっかりと前を見ているが何を思っているのかは分からない。訝しげに眉をひそめた後、彼は小さく吐息を吐き出し、軽く肩をすくめて手を引っ込め、頭を支えるように腕組んだ。
 気分を和ませるようにか、気楽な調子で口を開く。
「諦めろ諦めろ。ま、あれだ。
 長年の付き合いだし、オレも共犯なワケだから今更お前だけ処罰なんてさせねーって。
 断罪だったら一緒にいさぎよーく裁かれてやるから安心しろって」
「スレイ……あんたって」
 少年の言葉を引き金に、響く静かな声。一歩、少女が前に踏み出た。
 一歩、二歩。風に押されるように、ゆっくり確実に前方へ進む。
「ん?」
 両手を伸ばせば届くほどの位置に来た幼なじみを、スレイは不思議そうに見つめる。
 その視線がたたき落とされた。
「本物のバカね」
 鋭い声と、瞳によって。
「は?」
 いきなりの罵声。言われた言葉が脳に染み込まず、間の抜けた声しか出ない。
 硬直して目を見開いているスレイの事情は関係ないのか、少女の口撃は緩まなかった。
 先ほどのお返し、ではないだろうが指先を目の前ギリギリに突きつけ、
「バカバカバカバカ、どぉーしようもないバカね。
 犯罪だって分かってるならシラきってなさいよ、そして知らない振りしてるのよ!
 それが利口ってモンでしょ。二人そろって裁かれなくても良いのよ、っていうか今言っちゃったからその手が使えなくなる可能性が出たでしょうがこの大馬鹿スライムが!!」
 呪文を詠唱するときですら、ここまで早口でまくし立てられないだろう。その位の勢いで噛み付き掛かった。
 それだけでは気が済まないのか、スレイの襟首を掴み、地面に叩きつけかねない勢いでぶんぶんと上下に揺さぶり、
「主犯者はあたし、傍観者はアンタ。全部あたしがしたことにしちゃえば確実にあんた一人は断罪なんて荒っぽい真似されなくて済むでしょ。このバカスライムーーー」 
酸素不足にでもなったのか、そこまで言うと腕の力を緩め、大きく肩を揺らして息を切らせる。
「ス、スライムスライム言うなバカ。お前なーオレがそんな賢いこと出来るわけ無いだろうがそれに陣を書いたのはお前じゃなくてオレの方で――――」
「はいストップ。断罪、裁き、罪。そう言うのを論争する前に経緯を説明して貰えると嬉しいんだけど。経緯を」
 スライムや馬鹿を連呼され、流石にカチンと来たのか負けじと言い返そうとしたところで冷たい言葉が滑り込む。レムは二人を交互に見つめ、呆れたように肩をすくめる。
 青の瞳に見据えられ、少女は気まずげに頬を掻き、
「はー。仕方ないわね。約束だしちゃんと説明するわ。
 そうね。先に言っておくけど、言い出したのはあたし、それは間違いないって事頭に置いててね」
「分かった」
「オマエ、この期に及んで」
 頷くレム。犬歯を剥き出し、不服そうに睨むスレイを流し、
「そうねー。かなり前に遡るわよ。それを決行というか、決意したのは五年位昔」
「五年!?」
 上がった声に少女が振り向くと、青年がなにやら言いたげに見つめていた。
 更に子供の頃じゃないのか、と言いかけたのだろう事を察し、
「その時は学園が出来たばかりで、あたしとスレイも入学して間もなかったのよね」
 取り敢えずチェリオに殺気混じりの鋭い一瞥をやって、深々と頷く。
「ああ」
 少し固まっている青年を無視し、懐かしそうに瞳を細め、スレイもしみじみと同意した。




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