封印せしモノ-2





 どのぐらい走り続けたのか。
 身体の周りは木々や葉に包まれている。
 空は枝で覆われて見えず、村の喧噪は聞こえてこない。
 密集した木々に叩きつけられる事を危惧したのか、脚に掛けた術は解いている。
「……ねぇ」
 どこか躊躇するように、レムは一端言葉を止めた後声を掛けた。
  少女は、答えない。
「理由くらい、教えてくれないと割に合わないんだけど」
 少年の唇から紡ぎ出される、静かな言葉。 
そこで、漸く口を開く。
「ん。分かってる。もう少ししたら、教える」
 深く問いつめることはせず、
「後一つ」
 積もりに積もり始めていた疑問を口にすることにした。
「ん?」
「さっきから地面に倒れてる丸太とかに身体ぶつけそうになったり、顔に枝とか刺さりそうになるんだけど。何で正規の道じゃなくて獣道に入るわけ?」
生木を折るような音に目を向けると、少女が振り払ったのだろう小さな木ぎれが視界に入る。
 会話を続けながら、先ほどその辺りで拾った枝を空いた片手で持ち、先端を軽く跳ね上げる。
 鈍い音を立て、跳ね上げられた木の切れ端が後方へ流れていった。
「そりゃ、近道だからよ」
 髪に付いた葉っぱを指先でつまみ、少女は鼻歌交じりにそう告げる。
「枝が迫ってくるから凄い危ないんだけど」
 言っているそばから顔面すれすれを枝が薙ぐ。
「レムって意外と反射神経良いのね。うん、まだ全然大丈夫そうだわ」
「ちょっと、誤魔化さないでよ。……まさか」
 憮然とした表情で枝先を突きつけ掛け、言葉が喉奥で凍る。
「うん。そのまさか」
 止まった台詞の先を察し、少女は楽しげにこくりと頷く。間をおかず、速度が上がった。
「こら、ちょっ。本当に冗談じゃないよ!? 殺す気」
 鋭い鞭のような動きで目に刺さり掛けた枝を、力任せに押しのけ、睨む。
「大丈夫大丈夫。もしぶつかったとしてもスレイ並みに頑丈になるだけだから」
「ぶつけたことあるの?」
気休めにもならない答えにイヤな予感を覚えつつ、尋ねる。
 少女は枝々から垣間見える空を眺め、
「え、と。ちょっとだけ」
空いた手を自分の頬に添え、呟く。
「……やっぱり手、放して」
「さあ、行こうか〜ガンバって避けてね」
 振り払おうとした手は逆に強く握り返された。
「ああもう、だから人の話聞きなよ!?」
 苛立ったような声に、
「ホーラ。ぼーっとしてると怪我するわよ」
 クルトは肩をすくめ、返答の代わりに大きく枝を振り払った。




 一定の間隔でこもったような鈍い音が響き渡っている。
 時折、葉擦れの音と何かを引きはがすような音がする。
「つ、着いた!」
転がるように勢い良く、茂みのカーテンを突き破って開けた場所に出た。
 靴底に体重を掛け、何とか踏みとどまる。
 後ろの方でレムが荒い息をついたまま座り込むのが見えた。
 握っていた手を放し、近くにあった元樹とおぼしきモノに近寄る。
 辺りは涼しいはずなのに、生ぬるい空気が喉に絡み付く。
「樹が、無い……」
 苦労して唾液を飲み込み、言葉を吐き出す。
 前、樹があった部分には虚無が広がるのみ。
 残っているのは根っこの部分だけで、幹の部分はいびつな断面を見せている。
何度も切り込みを入れたあとから察するに、斧で切断されたのだろう。
 切り株は、片手に余るほどの数があった。
 軽く見回すが、ザッと十は超えている。
「切り口から、見ると、ここ数日、に、切られたみたいだね」
 絞り出すような声に振り向くと、レムが息を整えながら幹に指を這わせている。
 少年にゆっくりと近寄り、
「レム。生きてる?」
 クルトは心配そうに顔をのぞき込む。
 蒼の瞳で小さく睨み、
「何とか。生死の心配するくらいならスピード落としてよ」 
 軽く胸に手を当てて毒づき、息をつく。
 ぽりぽりと頭を掻き、
「聞いてみただけ。
 いやーあのスピードで迫り来る枝や幹をよく避けたわねー」
 険悪な視線にあはは、と笑いながら小さな拍手。
 気楽な少女の言葉に、
「本当に、死ぬかと思ったよ」
 肩に付いた葉っぱを払い落して呻く。
「あ。さっきの数日とかいう続き聞きたいんだけど」
彼の息が整い始めたのを見計らい、尋ねた。
 レムは考えるように口元に手を当て、
「そうだね。恐らく人数は一人以上。
 断面から見るとここ数日中と……昨日か今日くらいに切り倒されたモノと見て」
確認するように断面を眺め、小さく頷く。
「うん、間違いないね。この音と幹を見る限り、そう遠くには居ないんじゃないかな」
「近く……ありがと!」
言葉が終わる前に礼を言い、少女ははじかれたように駆けだした。
「あ、ちょっと。連れてきておいて置いていく、普通」
 背後で聞こえる文句を無視し、先ほどから響き続けている音に集中する。
 さっきよりも大分音がはっきりと聞き取れる。
「こっ、ちか」
 バキバキと剥がすような音は、少女が踏みしめる枝や、落ち葉を蹴散らす音よりも強くなっている。もう騒音に近い。
 目の前の草をかき分け、進む。唐突に指先の手応えが無くなり、肩が茂みにめり込む。
倒れそうになった身体のバランスを保ちつつ、転がるように前方へ抜け出た。
 そこにあったのは、切り株のあった場所よりも狭いとはいえ、開けた場所。
 後ろを見ると、草むらが不自然な状態で途切れていた。
 地面には新緑色の葉が絨毯のように散らばっている。茂みの近くにある切り株に、鎌が突き刺さっている。
 今出たのがあそこでなくて良かった、と安堵しつつ顔を正面へと向ける。
 幾つもの切り株を挟んだ先に、数人の男達が何かを手にし、樹を取り囲んでいた。
「ここね」
 小川のように並ぶ邪魔な切り株を、飛び越え、彼らの真後ろにしゃがみ込むように着地する。
 立ち上がると、動きに合わせてふわりと新緑色のマントがなびいた。
「は?」
 いきなり飛び込んできた少女を見、中の一人が間の抜けた声を漏らす。
 見かけからすると年は二十前後か。汗を拭き取るためだろう、首に布を巻いている。
 その所々が黒くくすんでは居るモノの、そう汚れは目立たない。
 人数は、十人程。
 年齢は目の前の青年ほどから、壮年の男性まで。力仕事に向いているとも思えない者も斧を持ち、疲れのためか幾人かが汗を拭っている。
「おい。どうした」
 少女が見定めていると、横合いから野太い声が上がる。
 恐らくここを指揮している現場監督のような者なのだろう。
「まずいわね」
 辺りの男達の顔を軽く見回し、小さく呟く。
 あたりには知り合いと呼べる者が一人もいない。
 クルトの住むモーシュ村は五年前に比べ、人が増えたとはいえ、住人の数はそれほど多くない。人混みがあったとしても人通りの大半は観光客や旅人だ。
 住人が少ないのは、恐らく住宅地が少ないせいだろう。それを変えるために今目の前で土地開発が行われているのだ。
 スレイは王からの命令だと言った。幾ら村から多数の賛成が出たと言っても、全ての人間を納得させる事は出来ないだろう。
 村の人間を伐採に協力させれば情が動き、切り倒す事をやめる所か、反対側に付く可能性もある。
 それをもし、頭に入れていたら。
 見越してモーシュから離れた場所……例えばクルスシティ辺りから出稼ぎに来させて居るとしたら。
 男達の服装の生地や仕草からすると地元はそう遠くは離れていないだろう。多分クルスシティで間違いない。
「やるわね」
 賢王の名は伊達ではないという事か。
 村人との仲は良い方で、言いくるめて止めさせる自信はあった。しかし、男達がクルスシティから来た者だとすれば頼んだとしても簡単に止めてはくれないだろう。
 これはかなりの誤算だが、ここで諦めるつもりはない。
 瞳を瞑り、
「さすがに今の状況は、賢王でも予測は無理だったみたいね」
数度深呼吸をし、その場の光景を見直し息をのむ。
 周りにある細身の木々はあらかた切り倒され、肌色の断面を見せていた。
(酷い)
辺りの惨状に思わず眉根を寄せる。
 荒らされた草花。倒れた木々。踏み散らされた地面。
 冷たい空気が肌を舐める。
 昔見た暖かな森の面影は消え失せて、そこは何処か荒涼とした砂漠を思わせた。
(確か、アレは……こっちに)
 記憶をたどるように、ゆっくりと視線を動かす。  
 そして、それを見た。
漸く少女の存在に気が付いたのだろう。男の一人が、くわえた煙草を吐き捨て、
「嬢ちゃんどっから来たんだ。見ての通りここは伐採中だ。
 危ないからお家にかえんな」
注意を促す言葉も耳に入らない。
「…………」
 フラフラと、引き寄せられるように彼らの方へ向かっていく。
「お、おい!?」
 口々に叫ぶ男達を、ゆっくりと押しのけ、
「何、してるの」
 呻くように呟く。
 彼らが囲んでいたのは、一本の樹だった。
 幹の太さは少女の胴体ほど。ゆったりと伸びた枝々は、辺りを包み込むように緑の手を広げている。
 明らかに他の樹とは違う、大樹。
その幹に幾つもの斧が食い込んでいる。金属の部分は埋まり込み、見えない。
 少女の隣にいた男が、大きく斧を振りかぶる。
「止めて」
 呟くような制止の言葉と共に、少女の肘が相手の鳩尾へめり込んだ。 
 濁ったような呻きを発し、男が地に伏せる。
 倒れた相手には目もくれず、
「忠告よ。これは切ったら駄目」 
風に押されるようにゆっくりと振り向き、少女は静かに口を開いた。

 




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