封印せしモノ-19





淡い光が風を薙いだ。刃の先にも似た輝きに一瞬瞳を閉じる。
 だが、少女の耳に空を裂く音は聞こえなかった。
 薄く(まぶた)を持ち上げる。
「さあ。私の、言う事を聞くの」
 ゆっくりと腕を掲げ、呪術師の少女が告げるのが見えた。
 感情の表れない声は、何処か冷えていて、残酷だ。
 箒は痙攣するように小刻みに身体を震わせる。カミラが指を一本立てた。
 同時に、箒はまた微かな光に捕らえられる。
「……そうすれば……苦しく、ないわ」
 苦しげにのたうつ箒を見つめ、呪術師の少女は最終宣告を向ける。
 言葉に合わせ、幾つもの見えない手が獲物を締め上げるように糸を引く。宣告を下すまでもなく、箒の抵抗は最初の頃に比べてかなり弱まっていた。
「私の支配下に」
 静かに指先を跳ね上げる。点在していた糸達はカミラの掌の中に収まっていく。
 糸の数は十数本。ひとふさの髪にも似て。
 掌から伸びた糸が獲物を捕らえる様は、蜘蛛の糸。
 少女の瞳にはそう映った。
「先輩。それ、なに」
 展開される光景に見入っていたクルトが、ようやく唇を開く。
 初めに出たのは引きつり気味の言葉。
 カミラは腕を掲げたまま、
「束縛用の魔術。本来なら手を掲げなくても良いのだけれど」
 ぐい、と腕を横引く。捕らえられた箒が抵抗虚しく引き寄せられた。 
「箒を束縛する程度の制御であれば詠唱無しでも出来るわ」
 空いた掌でばらつく糸を纏め、貼り付けた蝶を見定める蜘蛛のように、しっとりとした眼差しで獲物を眺める。
「す、凄い。凄い凄い凄い!! 格好いいーー、ねえ先輩それ教えて!?」
 バタバタと童女のように両腕を動かし、カミラに声を掛けた。
「……私自身から、は……教えられないわ」
「…………」
 歯切れの悪いとも思えるカミラの返答。クルトはぐっと両の拳を自分の胸元に当てたまま、少しだけ潤んだ紫の瞳でカミラの瞳を見つめ続ける。
「魔導書だけなら、教えてあげられるけれど」
 熱のこもった視線に降参したのか、僅かな譲歩。魔導書のタイトルだけは教えて貰えるらしい。
「いい。それで良いです先輩。十分です! 自力で会得するからっ」
 拳を握りしめたまま、クルトはパッと顔を輝かせる。
「わかった。後で教える」
「やったぁっ。って、先輩とピシア以外の無言の視線が痛い」
 微かな返事にガッツポーズを取り掛けてぴた、と動きを止める。
 恐る恐る後ろを見るとカミラとピシアを除いたほぼ全員が半眼になってクルトを眺めていた。
「なんか。制御できるわけ無いだろうというか無茶っつーか無謀じゃないのかお前。的な視線がひしひしと」
 人差し指をあわせ、ふて腐れたように唇を尖らせる。
「使えない魔術覚えてどうするの」
 視線どころか言われた。
 腕を組んだまま、冷たい青の瞳で少年が見つめている。
「し、しっつれーね。覚えておいて損な事はないわよ。きっと」
 頬を膨らませ抗議する少女を横目で見ながらチェリオがは、と吐息を吐く。
「多分無駄な時間の浪費じゃないのか。ああ、たぶんじゃなくて絶対か。
 何しろ暴走迷惑散布の魔術師見習いだからな。
 まかりまちがって何が起きるかわから――」
余計な事を言ったチェリオの腹に拳が入った。
「先輩の悪口を言う者には、死を!!」
 クルトに関しての話題には元々高性能な地獄耳の能力をフル発揮するらしく、ピシアは大きく胸を反らし、びしぃと青年に指を向けた。
「……この……ガ」
「チェリオ。ややこしくなるから、しーっ」
 なにやら言いかけた青年の口を大あわてで塞ぐ。一言多い彼の事だ、放っておけばぼやに油をふりかけて大火事にするどころか、山ほど積まれた爆弾の起爆剤になりかねない。いきなり口を塞がれてチェリオは『むぐ!?』と反射的に抗議と抵抗するものの、見た目とは違うルフィの腕力には敵わず、息苦しさに眉をひそめる。
 少年は両手で彼の口を塞いだまま振り回される腕をさり気なく脇で押さえ、何もなかったようにピシアを見た。
「ふんっ。やっぱり男って言うのはがさつでイヤだよね。無神経なんだからさ。
 ね、そこの人もそう思うよねー」
 うんうんと頷いて、チェリオを抑えるルフィに同意を求める。
 笑顔の問いかけに困ったような表情になり、
「…………えっと。あはは」 
  微妙に引きつった笑みを返し、力なく笑う。
「むぐ? むぐうぐ……んむぐぐうー」  
『おい? コイツは男だぞ』と言おうとしたチェリオの言葉は奇怪な呻きにしかならなかった。
 ピシアは気を取り直すように腰に手を当て、
「む、それはともかくとして! レム・カミエル!! 
 わざと自意識の強い箒なんかを渡し、その手のアイテムをこよなく愛す姉さんを懐柔しようとは卑劣な!」
 胸を張った状態でレムを鋭く睨み付ける。
「手に余るから渡しただけなんだけど」
 懐柔する以前にこよなく愛している事すら知らなかった。
 カミラは妹に目をやり、
「…………気にしないで。妹はいつもああだから」
 レムに小さな声を掛け、静かに首を横に振る。
「いつもなのか。落差の激しいキョーダイというか、なんというか」
 呟く言葉を聞きとがめ、スレイが呆れたような溜息を吐くのが見えた。
 周囲の言葉などそよ風にも感じないのか、ピシアは更に胸を反らし、
「この程度で、幾ら姉さんがちょっとお気に入りだとか言ったとはいえ!」
 気合いを入れるように一区切り。すぐに気を取り直し、姿勢を正す。
「物言いたげな素振りで興味を相手に持たせ、背後からばっさりしびれ薬を盛ったあげく更に生け贄にする事すら躊躇わないと誓って言える姉さんの気が引けるとは思うな! 絶対だからね。君が姉さんの恋人候補だなんてボクは断固として認めないんだから!」
 指を突きつけたまま、間をおかず一気に言葉を吐き出す。
 カミラに目をやるが、漆黒の瞳からは何もくみ取れない。
「…………先輩。やったんですか」
「未遂、よ」
クルトの疑問に呪術師の少女はそう言って首を横に振る。
 やろうとしたんなら一緒だろう、という突っ込みは誰からも入らなかった。
「ピシア」
声を掛けられ、牙を剥いた小動物のように背を軽く丸め、
「何だよ姉さ……いや、何でしょう姉さん」
 ぶっきらぼうに返そうとした言葉を、慌てて途中で改める。レムに対する不遜な態度や誰かれ構わず突っかかるピシアがこの反応。よほど姉が怖いのか、それともオシオキなる内容がかなり過激なシロモノなのか。
「あなたを呪うのと生け贄にしなくて良い方法があるの」
 警戒心むき出しの妹に、カミラはぽつりとそれだけを告げた。
「え。本当!? って、姉さん、お仕置きの話でフツーは生け贄とか呪うとかにはならないんじゃないかなーとかボク思ったりするんだけど」
 ぱっと嬉しそうに顔を上げ、尋ねかけたところで喜ぶ部分が普通の人と微妙に間違っていることに気が付いたか、渋い顔になる。
 カミラは不服そうに半眼になっている妹を見て、不思議そうに軽く首を傾け、
「仕方ないわ。交渉は無しで生け贄へ」
 サラリと相談自体をなくそうとする。どうやら二者択一の道しか無いらしい。
「文句ないです姉さん。いやお姉様ッ」
 流石に問答無用で生け贄はイヤなのか、ピシアは姉の腕を握りしめ、必死にブンブン首を横に振っている。カミラはしばしそれを眺めた後、
「そう。じゃあさっきの宝珠(オーブ)とこの箒を持って帰って掃除。
 でも掃除にこの箒使ったら駄目」
 箒を妹の手に握らせる。
「え。それだけで良いの!?」
持たされた箒を握りしめ、告げられた言葉にピシアは大きな焦げ茶の瞳を更にまん丸に見開いた。
「それだけで良いわ。
 仕舞う場所は分かるとおもう。そこに戻して。掃除の後は家で自由行動でもしておいて」
 箒を指差し、
「この箒で帰って行けばすぐだから」
言う瞳は何処か優しげだ。ピシアは瞳を僅かに潤ませ、
「姉さん、姉さんがこんな優しいなんて。ボク感動だよ。
 でもなんか裏とか無いよね? ボクに内緒で陣を作って箒にそのまま魔法陣の中へ運ばせるとか」
 感激しつつも手放しで喜べないのか、恐る恐る問いかける。
「無いわ。そんな事をしたら、あなたごと箒の魔力が抜けるもの」
 失礼とも思える妹の台詞に動じずに、カミラはあっさりそう言って首を横に振る。
「あーうん、そだね。箒が駄目になっちゃうね」
 しみじみと頷くが、その瞳は『妹より箒なんだ。やっぱり』と嘆いている。
「床を綺麗にしてね。今日中に。その後は好きにして」
 告げる言葉は淡泊で、笑みも浮かべない。が、ピシアは勢いよく頷き、
「了解姉さん! ボク頑張っちゃうよ。すぐ終わらせて戻ってくるからね」
 よほど嬉しいのか、箒を持った片腕をぶんぶん振り回す。背負った袋がかちゃりと重い音を立てた。
「来るのは良いけど。床を綺麗にしないと駄目、よ」
 白い指先を箒の柄にかけ、カミラが呟く。仕草のせいでピシアにではなく箒に言っているようにも見えた。
「うん、じゃクルト先輩ボクいったん帰りますねー」
 そんな姉の行動にも慣れているのか、ピシアはご機嫌な様子で箒を片手で持ったままクルトを振り返る。
「あ、うん。気をつけてね」
 ピシアの瞳から零れる、瞳一杯に宝石を詰め込んだような輝き。
 あふれる光に飲まれそうになりながらも頷き、言葉を紡ぐ。
「は、はい! 箒の扱いは下手だけど飛ぶ程度なら何とか出来ますし。じゃあ姉さんコレ借りるね!」
 箒を軽く傾け、呪術師の姉に視線を向ける。
 カミラは妹の瞳をしばらく眺めた後、返答がわりに静かに首を縦に振った。





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