封印せしモノ-17





「やだやだ。こいつ、コイツを殺す。今すぐに! こーろーしーてーやーるーぅっ」
 地団駄を踏んで暴れる少女。
 全く静かになる気配を見せないピシアの襟首にカミラは箒の柄。先端部分を引っかけ、引っ張る。
「ふぎゃぅっ」
 流石に首が絞まっては大暴れできないのか、尻尾を踏みつぶされた猫のような悲痛な悲鳴を上げ、半泣きになる。
 カミラはブラウンの瞳を潤ませるピシアの顎に、ス、と箒を引き。すぐさまその柄を刃のように彼女の喉元にひたりと当て、
「止めないと駄目。頼んだモノが先」
 くい、と両手の平で軽く箒を上下に動かしながら冷ややかに告げた。
「あうう゛」
 動かされるたびに、少女の喉が『ぐ』と空気の詰まる音を立てる。
 黒い瞳からは全く表情が分からないが、拷問か脅迫まがいの事をしているにもかかわらず、箒を操る指先の動きから見ると微妙に楽しそうでもある。
「先輩。頼んだモノって?」
 彼女の性格の良さはある程度理解済みなのか、クルトは別に慌てた様子も見せず尋ねた。
 ちら、と時折カミラの手元を眺めるが、強攻策に出ようとはしない。
 ピシアに食い込んだ箒の柄がジリジリと締まっていく事が少しは気になるものの、代わりの標的にはなりたくない、と言ったところか。
「割れ物を持ってくるように頼んだの。暴れる前に渡して」
 片手で柄を押さえ、サッサと渡せとばかりに空いた片手を広げた。
 ピシアは不自然な体勢に苦労しつつ、背負った袋をカミラに渡す。
 呪術師の少女は中を覗き、小さく頷いて箒を首から放した。
「うう。はい、これでいい?」
 ようやくく解放され、ウンザリしたように呻いた後、
「よし、レム・カミエル死――」
 再度果敢に戦いを挑もうと疾走しかけた身体が、激しい抵抗を受け反り返る。
 蛙が捻り潰されたような情けない呻きを上げ、ピシアが後ろを振り向くと、
「渡しても暴れるのは駄目」
 猫の背を掴むようにピシアのシャツを掴んだまま、静かな言葉を紡ぐ。
 どうやら原因はカミラらしいとわかり、ピシアはギリギリと歯の根を軋ませる。
「ぐぁ。な、なななな何でなのさあぁぁぁっ。ボクの、ボクの渾身の三号のかたきぃぃっ。
 放せ、放せってばあぁぁぁぁ」
「駄目」
 力の限り抵抗をするものの、意外に力が強いのか、掴み方が良いのか、魔術でも使っているのかどんなに身体を動かしても力は緩まない。
 犬に掛けられた首輪のように、動けば動くほど首が絞まって窒息しそうになる。
「姉さんの……ねーさんのバカー分からず屋ーーーーーー」
 苦しさと悔しさのせいか、ピシアはうっすらと目に涙をため、小さな子供のように大きく腕を振り回した。激しい動きのため、胸程までしかない黒いシャツがめくれあがり、白いお腹が見え隠れする。
「姉さん? え?」
 呻き混じりに叫ばれた言葉に、ひく、とクルトの顔が強張った。
 いや、顔どころか全身が痙攣じみた震えを起こしている。
 シャツを掴んでいた指先を放してカミラは箒を持ったままゆっくりと頷き、
「妹がご迷惑をおかけしました」
 相も変わらない淡泊な口調でそう言うと、丁寧に身体を折り曲げ、お辞儀をした。
その拍子に艶やかな黒髪が流れ落ちる。
「うう。あれ? 先輩知りませんでしたっけ」
 グシャグシャになったシャツを直しながらのあっけらかんとした台詞。クルトはギギ、と固まりかけた身体をゆっくり向け、
「いや、ねーさんって」
 言葉を吐き出す。顔色は白を通り越して真っ青だ。
「ボクはピシア。ピシア・マクグレーシ。そう言えば名前しか言ってなかったかな」
 頬を指先で掻きながら、キョトンと瞳を瞬く。
「カミラ先輩は、カミラ・マクグレーシ。ピシアは、ピシア・マクグレーシ。
 マクグレーシ……?」  
 動揺のあまりか、意味なくクルトは指折りながらぶつぶつと口の中で反芻する。
 合致した名前の後半部分でぴたりと一瞬指先を停止させ、
「き、きょうだいぃっ!?」 
 信じられない物を見るような目で全く似ていない姉妹を見比べ、絶叫した。
「姉です」 
「妹です」
 大げさなほど身をそらすクルトとは違い、二人は静かにそれぞれを指さして、全く同時に首を縦に振る。
 ぐら、一瞬クルトの身体が傾いだ。
「きゃーーー先輩がーーーーー」
 それを見て両手に持った操作用の機械を放り投げ、ピシアが悲鳴を上げる。
 放られた鉄の塊が、地に叩きつけられ鈍い音を立てた。
 何処か遠くに感じる悲鳴を聞きながら、何とか体制を立て直し、
「そっ、そそそそそそそうなんだぁ。ピ、ピシアがカミラせんぱいの、いもーと」
 後頭部に重い拳を叩き込まれたような衝撃に、クルトは頭を振りながらも引きつった笑いでパタパタと手を振って何とか平静を取り繕おうとする。
「言われてみれば僕もクルトには彼女のフルネームは教えてなかったね」
「そっか、姉妹……姉妹なんだ」
 レムの呟きに、何処か打ちひしがれたように地を見る。レムに教えられていなかった辺りは気にしていないようだ。どちらかというと、天と地ほどに違いのあるピシアとカミラの性格にショックを受けているらしい。
 苦手とする人物の妹ともなればその衝撃は三割り増しだ。
「ピシア」
 不意に、カミラがピシアに視線を向けた。
「なに、姉さん」
 焦げ茶色の瞳を動かし、首を傾ける。
「余り、人に……迷惑を、掛けないでね」
妙な心配をするカミラに訝しげな視線を向け、自信満々に胸を張ろうと身体を反らす。
「何言ってるの姉さん。ボクは人様に迷惑を掛けたことは一度たりとも無いよ。
 人外のレム・カミエルは除き」
 ドス。
 刹那。砂の詰まった布袋を叩くような音を立てて箒の柄の先端が身体にめり込む。ピシアは続きを発する前に、『げぐぅ』と肺にたまった空気ごと悲鳴を漏らし、仰け反った。
 背が低いとよく言われるクルトよりもピシアは更に小さく、カミラと大分身長差があるため反射的に柄を当てる事は困難だ。
 が、目深に被った帽子がかなり視界を遮っていたはずの攻撃は、僅かな動きで的確に彼女の妹の鳩尾を捉えていた。 
 端で見ていたチェリオなど、遠くから眺めつつ『見事な棒捌きだ』と感心している。
「……ピシア。そんな、差別をするような妹に、私は……育てた覚え、ないわ」
 箒をそっと引き、口元に手なんかを当てながら、嘆く。
 言葉は悲しげだがやっている事は容赦がない。
「げほっ。いや、姉さん。ボクも育てられた覚えないんだけど。
 というか今、鳩尾(みぞおち)に箒の柄がめり込んだよ!?」
 言い返し、意外と重い攻撃に噎せ返りながら口元を拭う。
 妹の抗議の声を完全に無視し、
「ごめん……なさい。礼儀の……なっていない妹で」
 箒の先端でピシアを指しながら、レムに謝る。
「別に。人外というのは本当だから」
 謝罪されたレムの方はと言えば、あまり気にした様子も見せず端的にそう告げた。
 真正面から見ようとせず、謝られる事自体が面倒だとでも言いたげな口ぶり。
 ピシアは起伏のないレムの台詞と反応にムッとした顔をし、
「な、なんだよ姉さん。そんな奴の肩持っちゃってさー」
 次にカミラを見て面白く無さそうに頬を大きくふくらませ、腕組む。
「…………」
 妹のふて腐れた言葉に、ちら、と視線を向けるものの、反論はしない。
 ぷう。ピシアの頬が更にふくらむ。
「可愛い妹が虐められてても良いんだね。実はこんな奴が好きとか言わないよね!?」
 びしぃ、と八つ当たり気味に指先をレムに向け、姉に噛み付く。
「好き」
 酷く端的な答え。ザワザワと木立がざわめき、葉を震わせる。
『…………』
 辺りは沈黙し、指先を突きつけたままピシアは硬直した。
 カミラは全く気にせずに飛びそうになった帽子を押さえて直す。
「それは……どう、も」
 しばらく迷っていたようだったが、一応好意を向けられたレムは歯切れの悪い口調で曖昧に礼を言った。普通なら『こっちは好きじゃないけど』位は言いそうだが、カミラに面と向かって言う無謀さは持ち合わせていないようだ。
「なっ、なななな。こんな冷淡で冷血な親の七光りの何処が良いっていうのさ。
 何処が好きなんだよ姉さん趣味悪い。絶対趣味悪ッ!」
 地団駄を踏み、真っ赤になってまた両腕を振り回す。そのうち腕が千切れそうだ。
 激しく靴底に叩かれる地面。舞い落ちる間を与えて貰えず、土埃は辺りを彷徨い空気を黄色く染める。
「名前が」
「なま、え?」
 ぽつりと落ちた一言。ピシアは毒気を抜かれたように、姉の言葉を反芻する。
 レムが小さく安堵の吐息らしきモノを吐いた。
 しばし視線を左右に彷徨わせていたが、少女は半眼になると、はっ、と吐息を吐き出し、
「ふーん。そーぉ。姉さんの人を気に入る基準って名前の善し悪しなんだぁ。
 初めて知ったよ。へー」
 腰に手を当て、馬鹿にするように肩をすくめた。
 妹の台詞に怒りもせず、口を開く。
「そう言うピシアは……又聞きの噂で人を嫌いになるのね」
「ぐぅ……だ、だってさ」
 更に言い募ろうとして冷たいカミラの切り返しに言葉を詰まらせる。
「私は知識のある人は嫌いではないわ」
「親の」
「ピシアとは違うわ。そのカーディス博士も世間の噂も、私には興味のない事」
「うぐ」
 しらっ、とした姉の言葉にまたまた絶句。
「それからピシア、一つ言いたいことがあるの」
 文句を口の中にため込み、頬を膨らませている妹へカミラは視線を向ける。
「な、なんだよ。いっっくら姉さんに言われてもレム・カミエル抹殺は諦めないからね!?」
「頼んでいた宝珠(オーブ)が一つ傷ついてるのだけれど」
揺れない水面(みなも)を彷彿とさせる静かなカミラの言葉。不服そうに唇を尖らせていたピシアの顔がまともに引きつった。
 そして自分の持っていた布袋と、ブーツ。レムの姿を交互に見てはっとしたように口元に手を当てる。先ほど彼に豪快な跳び蹴りを食らわせたことを思い出して。
 布袋は肩に背負ったままで、地面に置いていなかった。
 トドメになにか固い音も聞こえた気がする。
「うわ。あの、ね、姉さん。その。こっ、これは」
「怒らない。でもちょっと―――」
「ね、ねねねねぇさんあの」
 続けられる言葉を恐れるように少女は顔を歪め、姉の機嫌を直そうとする。
 カミラはゆったりとした動きでピシアの肩を軽く叩き、
「呪うから」
 言われた言葉にピシアの喉奥から『ひぃ!?』と掠れた呻きが漏れた。
「あ、ああああ、あの。ね、ねねねねねえさん」
「……なぁに」
 脅えて慌て、呂律すら回っていない妹に、薄く笑みを浮かべ箒を傾ける。 
 意味のない行動だとしても、すぐさま呪術を使えるよう構えている風にも見える。
「姉さん、それだけは、それだけは止めて!」
 それだけで脅しには効果十分なのか、それとも別の要因か。ピシアは顔を青ざめさせ、懇願する。
 カミラは逡巡するように妹を眺めた後、
「じゃあ。生け贄に」
 酷い事をさらりと言い放つ。
「それもイヤーー」
「じゃあ一日にまけてあげる。生け贄」
 悲鳴を上げる妹を見て、仕方ないとばかりに肩をすくめ、小さく言葉を零す。
「え」
 まけるとかまけないとかそう言う問題じゃない、と突っ込む事すら忘れ、頭を抱えたままピシアは硬直した。
 今、一回ではなく一日と言われた事に気が付いて。
 ピシアはガクガクと肩を震わせ、グルグル回る思考を宥めるためにだろう。無意味に口を数度動かした。
 彼女の肩が激しく揺れ動いているのは、辺りで地震が起こっているわけでもなく、少女の重心が取れていないわけでもない。単純にピシアの身体が大きく震えているのだ。
 壊れ、錆付きかけたオルゴールのような動きをしながら、なんとか口を動かす。
「にっ、ににににに、日ってねぇさんそんなにしたらボク死んじゃうかなーというか何回ボクを生け贄にする気でいるつもりというかなんというか肉親のすることじゃないと今更ながらに思ったりするわけで、そもそもその……平和的、そう、平和的解決。平和的解決を望む!」
 自分は毎回問答無用でレムに襲いかかっているということは、本人の頭からさっぱり抜け去っているらしい。拳を握りしめて、降参して白旗を振る残兵のような言葉を吐く。
「一週間よりは少ないわ」
 歯の根の合わない声で必死にまくし立てる妹へ、薄い笑みすら浮かべ告げる。
 もはや生身の人間とは思っていない台詞。幾ら宝珠がタダではないと言っても、厳しいお仕置きだ。実質的な死刑に近い。
「い、生け贄自体イヤーーー!!」
 半泣きでブンブン頭を振るピシア。もしかしたら、一度か二度は被害にあったのか、異常な脅えよう。座り込みそうなほど震えた足で、必死に後退ろうとする。
「わがままね」
 抵抗は許さない、とでもばかりに妹の腕を掴み、引っ張る。
 その姿は、獲物を引きずり込み、愚かな犠牲者を咀嚼するどう猛な捕食生物に似通っている。
 妹を腕ずくで引き寄せようとする光景は、どことなく蟻地獄(ありじごく)を彷彿とさせた。
 特に怖いのは、いつもは無表情な漆黒の瞳が、今は妙に輝いている事だ。
 何処か暗澹とした光が見る者の恐怖を煽る。
「ワガママって、先輩」
無茶なカミラの台詞に、半眼になりつつクルトはぽりぽりと頬を掻いた。
「いーやーだーあぁぁぁぁぁ」
 生存本能か恐怖のためか。ピシアは地面に伏せ、土を爪先で抉りながらその場に留まろうとしている。
「頑固だわ」
それは仕方がないんでは無かろうか、とクルトは思ったが、口に出さず肩をすくめた。





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