封印せしモノ-14




 日差しは強いとは言えないが黒い鍔広のとんがり帽子を目深に被り、黒の瞳でぼんやりとクルト達を眺めている。
 彼女はずっとその場にいたような素振りで地面からさほど離れていない宙にゆったりと浮いていた。微かに風が吹くたびに腰まで届く漆黒の髪がしっとりと流れる。
 袖口から見える腕は、病的に思えるほどの白さを持っている。
 クルトは反射的に警戒するように軽く飛び退り、
「カ、カカカカミラ先輩! い、いつのまに!?」
 引きつった顔をして無意味にじたばたと腕を振り回す。彼女が羽織った新緑色のマントがバサバサと喧しい音を立てた。
「今さっき来たの。面白そうな話を、していたから、ちょっと見てたわ」
呂律の回らないクルトの言葉に悪びれた顔もせず即答した。元より感情の起伏が余り無く、悪びれた顔をしても分かりにくい表情だが。
 相変わらずしゃべり方に独特の癖があるカミラの言葉は、時折思い出したようにぶつ切れになる。
「先輩。盗み聞きなんて趣味悪いなぁ、もう。あの」
 から笑いをするクルトに、帽子の鍔に隠れて見えにくい人形のような顔を向け、
「なぁに」
 唇から吐き出すのは蝶の羽ばたきにも似た静けさと緩慢さを併せ持つ返答。
「……来てくれたって事は、引き受けてくれると」
 首を傾け、上目遣いで見つめると、
「違うわ。交渉に来たの」
 相変わらず大きいとは言えない返事。
 が、その台詞の中身はクルトの言葉を遮るには十分だった。
「は?」
 カミラは表情のよく分からない顔で箒に横座りになったまま、
「この人が来た。頼みは聞いた。でも頼んだのはクルト。その対価は誰がくれるの?」
 歌うような言葉を紡ぐ。内容を察し、ひく、とクルトの顔が引きつる。
「…………あの。先輩……やっぱり。というかレムもしかして」
「…………」
 救いを求めるように少年に視線を動かすが、彼は顔を伏せたままゆっくりと首を左右に振る。この先は自分で何とかしろとでも言いたげなそぶりだ。
 カミラは白い指先を自らの唇に当て、微かに笑った。
「私は無償では動かないわ」
 に、と口元が怪しく歪む。交渉が終わるまで地に足をつけるつもりはないのだろう。箒からは降りない。
「ただ働きは嫌だから、なんかくれと」
 どことなく青ざめたクルトの言葉に彼女は静かに頷く。
「…………言われると思った。うー……で、先輩。ナニがお望みなんでしょうか」
「難しいことは言わないわ。ただ」
 風が、上質の糸を思わせる艶やかな黒髪をなびかせる。
 いつもは心地良い柔らかな風が、今は粘液に覆われた蛇がのたうつような感触で。肌にまとわりついた生ぬるさが場の不気味さを後押ししていた。
『ただ?』
 細まった漆黒の瞳に不吉なモノを覚え、思わず二人同時に尋ねる。
「一回ほど生け贄になってもらいたいの」
 闇夜であれば爛々と光りかねない眼差しでカミラは告げた。
「いやですッ。というか一回生け贄にされたら死にます。無理」
 反射的に。
 淡々とした口調だが、目一杯真面目な望みを少女は悲鳴混じりに却下する。
「予想の範囲内だけど、平然と恐ろしいこと言うね」
 この上なく簡潔で率直な恐ろしい頼みに、流石のレムもおののいている。
 二人の脅えた瞳もお構いなく、カミラはうっとりと……だろう。
 そんな風に自分の頬に手を当て、
「痛くはないわ。余り味わえない未知の体験よ。
 ふふ……人類がまだ制覇したことのない領域……未踏の世界へのチケットをあげるわ」
 陶酔気味の口調でクルトを見つめる。
「片道切符は要りません!」
 言葉の内にこもる熱をすぐさま察知し、クルトは危ない台詞を一刀両断にした。
 愛想のない知り合いが多いせいか、話していれば感情が見えにくい相手の僅かな変化はある程度は分かるのだ。
 それが良いか悪いかは分からない。
(分かんないより分かるだけマシだけど)
 なんとなく半眼になりつつ、心の中で自分を納得させる。
「生け贄じゃなくても、陣の中央に立つか横になってくれるだけで良いの」
 カミラは視線をずらし、眉すら動かさず首を傾ける。
 端で見ていると譲歩しているようにも見えたが、
「そう言うのを生け贄って言うんですッ。言い方をいくら変えてもあたしは断固として嫌! 絶対拒否します」
 遠回しの『生け贄になって』という台詞をキッパリとはねのける。
「…………封印の詳細分かる人、私以外には少ないと思うの。
 代わりが居るなら、帰る」
「うっ。そ、それは困るんだけど」
 ぼそりと呟かれた台詞に僅かに顔を歪める。子供じみたやり方だがこの手の脅しが一番困る。彼女の言うとおり、カミラほど魔術書を読み込んだ生徒はあまりいない。
「だからほんの少し呪術の実験に………」
 弱みを見つけたカミラはその部分を重点的に攻めてくる。このままでは力まかせに頷かされるのも時間の問題だ。
(マズイ。このままでは丸め込まれかねない!)
 それだけは絶対避けろ、と少女の本能が警報を発している。
「あ、あのあの先輩。あたしの魔力が欲しいんでしょ!?」
 誤魔化すようにバタバタと腕を振り回し、勢い込んで聞く。
 嘘をついても仕方が無いと思ったのか、カミラはゆっくり頷いた。動きに合わせて鍔広の帽子についた緑色の玉が揺れる。茶色い紐でぶら下がった掌大の重そうな玉なのだが、魔力か何かが掛かっているのか動きが羽毛のように軽い。
「だ、だったら確かに一回で一杯とれるかもしれないけど、死なない程度に取った方がまた何かにつけてあたしに恩売るとかした時取れるし、後々を考えるとあたしを生け贄にしない方がお得かと!」
 感情の起伏があまり感じ取れない漆黒の瞳を見ながら説得なるものを試みる。
 言っている本人自身後々思い返すと落ち込みそうな台詞だが、現在はなりふり構っていられる状況でもない。
「貴方を生け贄にした後の現象が見てみたいの」
 真っ直ぐクルトを見つめたまま、カミラは血も涙も人情もない台詞を吐いた。
「あう!? いやでも死んじゃったら終わりだし、何かにつけて魔力請求できた方が先輩としても便利じゃないかなーとか思うんですけど! 思いませんか!? ねえっ」
 予想していたとはいえ容赦のない台詞に一歩後ずさり、気を取り直すように縋りついた。
 引きつりそうになる頬を宥め、
 「ちゃんと死なない程度に何かに魔力詰めて渡しますからッ」
端で見ていて涙が出てくるほど、必死に自分を切り売りする。
 しばしの沈黙。
 箒に乗ったまま、カミラは遊ぶように地面すれすれの場所で地につま先を向けている。
 黙考するように僅かに瞳を伏せ、
「そうね。仕方ないわ、それで手を打つ」
 捨て身の交渉は功を奏したのか、しぶしぶカミラは頷いた。
「こ、交渉成立! ですよね?」
「クルト、気のせいか自分のこと乳牛並みの扱いにしてない。なんだかプライドとか色々捨ててるね」
 いつもとは違いひたすら平身低頭する少女を見つめ、レムは半眼で呟く。
 どうして教師である自分には敬意を示さない、などと問いたださない辺り、怯えを超越した行動を取る少女の気持ちが僅かにでも分かるのか。
「仕方ないじゃないの。命に勝るモノはないわ」
 半泣きでクルトはカミラに聞こえないよう少年に耳打ちした。
「約束。忘れないでね」
 その言葉が聞こえたわけでもないだろうが、カミラは箒に座ったままぽつりと念を押す。
「は、はい」
 びく、と身体をすくませ、こくこくと頷く。二つ括りにされた紫の髪が大きく揺れた。
 カミラの言動を見れば何故そこまで……と聞くまでもないが、呪術や言葉の怖さを差し引いてもクルトの怯えようはかなり異常だ。
「忘れたら……ちょっとだけ呪うから」
「は、はい! ええもちろん忘れません絶ッ対」
(せ、先輩。それ……やりそうで怖い)
 冗談とも本気とも付かぬ洒落にならない言葉で念を押され、クルトはぶんぶんと首が千切れそうなほど頷き即答した。
 それを確認した後カミラは首を傾かせ、音も立てずに地に降り立ち、
「そう、ね。詳しくこの簡易結界、みてもいい?」
 箒から足を抜いて軽く手をあげクルトを見た。
 掲げた掌に箒は瞬時に吸い付くように収まる。カミラは慣れた様子で柄の部分をゆっくりと持ち直した。
 その間、箒は大人しいモノで暴れる素振りも見せず、ぴくりとも動かない。
「あ。ええ。どうぞどうぞ気が済むまでじっくりとどうぞ先輩」
 引きつった笑みを浮かべ、クルトは激しく首を縦に振る。今の彼女になら生け贄以外なら何を頼んでも笑顔で引き受けそうな勢いだ。
「クルト。なんだかあからさまに態度が違うね。分からないでもないけど」
「放っておいて。人間は所詮本能には勝てないのよ」
腕組み、疲れたような眼差しを送るレムに、クルトは小さく寂しげに反論した。
 そんな彼女の気を知ってか知らずか、
「それに、見ている間に……来る。もうすぐだから」
 右手に収めた箒の柄で宙を指し、意味ありげな言葉を漏らす。
「来るって何がですか」
 キョトンとしたクルトの台詞に、
「ふふ。面白いこと。と、荷物」
カミラは二人を見つめて僅かに目を細め、静かに含み笑った。




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