封印せしモノ-11




「うー」
家の近くの林の前。幾重にも重なる木々を見上げながら曇った呻きを漏らす。
 空は茜色に染まり掛け、梢達は紫に変わった葉を揺らす。
 小川のせせらぎにも似た心地よい音。普段であれば瞳を閉じて身体を弛緩させるところだ。だが、今聞こえる音達は何処か喧噪や罵声のように聞こえて、少女の心を波立たせた。
「ううう、ん」
 大見得を切ったが良いが、余り自信はない。と言うより、何をどうすればいいのか分からない。
「時間稼ぎ位しなくちゃいけないってのは分かってるん、だけど」
 レムのスパルタ授業のおかげで大分知識は上がっている。上がってはいるが、知識だけでは不安がある。剣術の本を読んでいきなり実践へ放り出されたような感覚に近い。
 特に防御や治癒系統。守りの術を不得意とするクルトとしては失敗をせずに結界を完成させる方法をとりたい。
「やり方は何となく分かるんだけど。間違えたら凄いことになりそうだわ」
 軽く親指の爪を噛み、連なる幹を睨む。
「けどでも、やるって言っちゃったし。ああもう、ヤケよ気合いよどうとでもなるわ!
 えっと……まずは、と」
唇から指を外し、落ち込み掛けた気分を振り切るように頭を振って森を見た。
ゆっくりと両掌を広げ、そろりと指先を持ち上げる。見えない水をすくい上げるように柔らかな動きで胸元まで掌を持っていく。
「大地と風の精霊よ 柔らかきその御手(みて)合わせ」
 溢れ出た魔力が指先に絡みつき、暖かな風が腕にまとわりついた。
 心地よい温もりに、口元に薄く笑みを浮かべ、次の段階に入ろうとしかけて気が付いた。
「材料が足りない」  
知っている術の中で強力で、安定して使えそうな結界。張る事ばかりしか考えていなかったが、今更になってある程度強い結界には魔術的な品々が必要だった事に思い当たる。
「魔力のこもった品、か。そんなの持っていないし。宝珠(オーブ)でも持っていれば良かったんだけど」
詠唱を途切れさせ、考え込む。あいにく、そこまで都合の良い物は持っていない。
魔術を込めるには便利なシロモノだが、割れやすい宝珠は持ち運びには適していないため、持ち歩く魔導師は少ない。特に行動派の魔導師ならなおさらだ。 
 魔物との小競り合いで派手に動き回れば簡単に壊れてしまう。
 駄目になる可能性のあるモノを持ち歩きたがる物好きはあまり居ないだろう。
 それに、ほいほい壊して気にならないほど宝珠が安い訳でもない。
 買えない額ではないが、儀式や広範囲にわたる術や結界を行使するとき以外はほとんど必要としない。少女が持っていなくても仕方がないモノだった。
「手元にあるのは、と」
 取り敢えず家から持ち出してきたロープと、何かの役に立つかも知れないと何となく作ってしまった泥人形。後、紙が数枚ほど。
 人を呪うには良さそうだが、残念ながら結界を張るには材料不足だ。
「魔力がこもっていて、更に魔力が伝わりやすい。って、そんな都合の良い物なんて落ちてないわよねぇ。はぁ」
焦げ茶色の人形を指先で弾き、ため息を付く。火炎の術で軽くあぶったせいか、カチンと意外に硬質な音を立てた。
「魔力ー……魔力ー。あたし自身は腐るほど持ってるけど、そのまま放出したんじゃ拡散しちゃうし。かといって延々魔力を抜いてあたしが干からびるのも笑えないわね」
 固い人形をグリグリと爪先でいじくり、吐息を吐く。
「魔力、って言えば」
魔力関連で思い出した事があった。そう言えば昔は魔力の付与された供物が整わなかった場合、幾人もの魔術師の身を裂き、散らべて代えにしたらしい。生け贄の方がマシなやり方だ。
 確かに術を行使できる者の身体には確実に大量の魔力がこもっている。爪、指先、髪の毛。
 そして、血の一滴に至るまで。
 召還の場合、強い魔力の持ち主であれば下手な道具や供物を使うよりその人物の血液を使った方が遙かに強力な魔物を呼び出せる。ただし、移動用の方陣や強力な竜等を呼び出すには一人分の血液では恐らくまかないきれないはずだ。
 そこで、昔の魔術師は、他の魔術師の身体を切り刻み、散らべると言う正気の沙汰とは思えない力業に出たのだろう。
 何人の魔術師が供物がわりになったのか、考えただけで胸がむかつく。
 幾ら魔力が簡単に手にはいるといえど、安易な手段に走りすぎている。 
「やな事思い出しちゃった」
ため息混じりに近くにあった草を掴み、気を紛らわそうと引きちぎる。
指先に熱い痛み。
「痛っ。指切った。うう、もうこんなのばっかり」
どうやら不用意に引きすぎたらしく、薄く赤い線が指先に引かれていた。
 かすり傷程度のせいか、痛みよりも、痒みの方が勝る。うっすらと血の滲む指先を軽く振り、
「カミラ先輩に何か材料もらいに……行ったら今やってることが無駄になるわね。
 大体先輩が来る間の時間稼ぎをしてるんだから、あたしがここ離れたら意味無いし」
自分に言い聞かせるように口の中で呟き、
「う。少し血が出てるー。乙女の柔肌に傷がー」
血が浮かび始めた指先の傷口を口に含む。
「…………」
そこで、少女の表情が一変した。一瞬驚いたように指を眺めた後、何処か真剣な表情でぺろりと傷口を舐め取る。唾液(だえき)で濡れた指先を軽く拭い、
「これならもしかして……」
クルトは何処か不敵な笑みを口元に浮かべ、立ち並ぶ木々をもう一度見つめた。





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