封印せしモノ-10




「じゃ、宜しくね」
 彼は釘を刺すように念を押し、(ほうき)に手を添えたまま(また)がずに横座りする。
「お、おっけー。レムも宜しく」
 クルトは少しだけ声をドモらせつつ、強く頷いて片手を上げると、言葉代わりにレムも軽く片手を上げる。横座りは跨いで乗るよりは難度が高い。が、制御力が高いレムには何座りでも関係ないのだろう。
「ん……じゃ、出来る限り早めに」
 呟くと羽毛が舞い上がるように柔らかな動きで箒が浮き上がり、太い紐で引っ張られるように勢いよく空に向かい跳ね上がる。
「…………」
 少女は黙したままそれを見つめる。
「は、早すぎなんじゃ、ま、まあ……レムだから何とかするわよね」
 いい加減首が痛くなり始め、正面を向く。かなりの不意打ちだったが、落ちてこない辺りは流石と言えよう。あれが少女だったら確実に墜落している。
 空を眺めると箒の締め上げに成功、ではなくスピードの調整に成功したのか、先ほどよりも安定した角度で村の方に向かっている。 
「にしても、どうしよ。ああいっちゃった手前、無理でしたーなんて言えないし。ま、頑張ってみますか」
 軽く背伸びをして心機一転。自分に活を入れるため、かけ声を上げ掛けて硬直する。
 金属が擦れる小さな音。
 クルト自身でも驚くような反射速度で横に飛び跳ね、身体ごと振り返る。
 これで少女の姿が影となり、致命的なモノは見えないだろう。
 ノブに手を掛け、押し開けた格好のまま、その人物は黒い瞳でクルトを見つめていた 
「お、おおおおおおおおお母…さん。い、いつのまに」
引きつった声を上げ、無理のある体勢で苦労しながら崩れかねない笑みを保たせる。
「あら。どうしたの、クルト。新しい体操?」 
 長めの黒髪を一纏めにし、肩の辺りで垂らしている。クルトと並んでも少し年の離れた姉妹にしか見えないが、目の前の女性、レシス・ランドゥールはれっきとした少女の母親だ。
 頬に手を添え、力が抜けるほど柔らかな声音でレシスはしとやかな笑みを浮かべた。
「た、た……体操というか。うん、そんな感じかなー、あはははははははは」
 乾いた笑い声を上げ続ける娘とは対照的に、のんびりと首を傾け、
「うふふ。そうよね。クルトは、お母さんに見られて困るモノなんて、無いものね」
 いきなり核心に触れる言葉を紡ぐ。
(ぐっ……) 
吐き出し掛けた悲鳴を何とか堪え、横目で空を仰ぎ見る。どうやら大分遠くに行ったのか、箒の姿は見えない。
「そうよー。無いわよ! やだなぁ」
隠していた背後からさり気なくずれ、崩れかけた体勢を正す。
「そうよね。ないわよね、ところでクルト」
 レシスは相変わらず笑顔のままだ。表情が変わらないので何を考えているのかは分からない。妙な威圧感に背筋を伸ばし、カタコトで返答する。
「は、ハイ。何でしょう」
「お母さんお掃除をしていたのだけれど、箒、知らないかしら」
 困ったように眉根を寄せ、ここに立てかけておいたのよ、と玄関の側を指さした。
「ほ、箒? ど、何処行ったんだろうね、うん」
 実はさっきあたしが魔力込めたもんだからウネウネ動きまくって、更に空飛べるようになっちゃったのよねーこれが。等と言えるはずもなく知らないふりをして言葉を濁す。
「困ったわ。お掃除、途中だったのに」
 ふう、と吐息を漏らし、僅かに木の葉がつもった庭を見つめた。
「あ、あの。見つけたら持ってくるから」
(借りてるだけだからレムが持ってきたら元に戻しておけばいい、わよね)
 困り顔で清め掛けの庭を眺める母親に、恐る恐る声を掛ける。
「あら。クルト有り難う。良い娘を持ってお母さん幸せだわ」
娘の言葉に彼女は嬉しそうに微笑み、頷いた。
「そ、そう?」
原因が自分にあるとも言えず、素直に喜ばれ、ちくりと少女の良心が痛む。
 母親は思い出したように人差し指を唇に当て、
「でも……」
 考え込むように首を傾けた。
「ん、何」
 クルトが不思議そうな視線を注ぐと、軽く両手を打ち合わせ、
「お母さん、ウネウネ蛇さんみたいに動く箒は使いづらいから、別のが良いわ」
 笑顔でそう言ってくる。ざく、と身体が抉られるような音が聞こえた気がした。
「……っ」
息が口元でせき止められ、酸素が肺に届かない。喉に詰まった空気の塊を吐き出し、酸素をむさぼる。
 乱れた呼吸を整え、母親を見るが、相変わらずほわんと笑みを浮かべたままだ。
「お、お母さん。あの……ウネウネって」
 クルトはともすれば地面に這いつくばりそうになる身体を叱咤しつつ、声を絞り出す。
「ちょっとだけ、見えたのよ。うねうね動く箒。 
 少し目を離した隙にあの箒、元気になっちゃって。もう、お母さんびっくりしたわ」
 びっくり、で済ませられるような問題ではないのだが、この母親的には少しびっくりした程度で済んだのだろう。
「うう。分かったわよ……後で買い換えて渡すから」
 頭痛を抑えるように額に手を当て、ぐったりと呻く。
 余りの箒などを持っているはずもなく。箒を買う他手だてはない。
 財布が少々痛むが、今は少年を連れてくる事も出来ない。しばらくすれば戻っては来るはずだ。が、前回の事が少々トラウマになりかけている彼をこの母親の前に突き出すというのも酷な話だろう。学生の身分とはいえ、箒程度くらいなら自腹出来るほどのお金はある。
(魔力を込めたのはあたしだけど、実験したのはレムだし。
 ま、代金は後でレムに請求すればいいか) 
 そんな考えを巡らせていると、
「あのね、クルト」
無意味ににこやかな笑みを浮かべたまま、レシスが口を開く。
「な、なに」
 幼少時から母親に味あわされた色々な手伝いの体験ゆえか、思わずビクつきながら無理矢理笑顔を浮かべる。
レシスはちょん、と娘の額に人差し指を突きつけ、
「クルトが買い換えるんじゃ駄目よ?」
 小さな子供に言い聞かせるような口ぶりで、『めっ』と微笑んだ。
「ぅぐ」
 痛恨の指摘に、ごく僅かな悲鳴が少女の唇から漏れた。幾ら長年の付き合いとはいえ、我が道を突き進む少女も母親にはペースを乱されっぱなしだ。今の力が抜ける注意のせいで身体からやる気や反論等、そう言うモノが勢いよく抜け出ていく。倒れそうになった身体を安定させるため、玄関の壁により掛かる。
「お母さん、飛んでいく姿をちらっと見たんだけど、クルトじゃなかったわ。
 ああ、よく考えたら今クルトはここにいるわね」
 休む間もなく、言っている本人自身は意識していないであろう追撃が少女の鼓膜に突き刺さる。鋭い指摘にびく、と少女の肩が大きく跳ねた。
(み、見られてた!? あの短い時間に)
 この母親は見ていないようで肝心な部分は見ているらしい。恐る恐る上目遣いに眺めると、
「その人じゃないと、お母さん泣いちゃうから」
 うるうる黒い瞳を潤ませ、口元に手を当ててそんな事を言ってくる。
「うぅ」
 詰まるクルト。更に追い打ちを掛けるようにレシスは自分のエプロンを持ち上げ、
「二人で共謀してお母さんだまそうとするのね。そうなのね。
 酷いわ」
 嫌々をするように首を振りつつ、エプロンの端で目元を押さえた。
 今は少しすねているだけだが、長年の付き合いから察するに、すね始めた彼女をこのまま放っておくと『お母さんの事がキライなのね』から『お年寄りはお邪魔という事なのね、そうなのね』というよく分からない方向に話が展開するだろう。確実に。
「わ、わわ分かったわよ! その、ちゃんと弁償させるから」
 付き合う気力や根性。更に時間的余裕も無いためそれだけは阻止しなければならない。ばたばた両手を振り、仕方無く折れる。
「あらそう? 楽しみね」
 娘の一言に一転して笑顔となった。両手を軽く合わせ、とても嬉しそうに微笑んでいる。
 恐らく相手に頼む用事でも考えているのだろう。恐らくレシスの前に現れたが最後、弁償だけでは済まず、丸一日拘束の身になるに違いない。
 弁償と言うより、生け贄の『贄』に近いような気もするが、レシスに姿を見られたのが運の尽き。ここはもう彼に諦めてもらうしかないだろう。
(御免レム)
 売りたくて売ったわけではないが、売ったようなモノなので取り敢えず心の中で謝っておく。
「あの、お母さん」
「ふふ。なぁに」
クルトが声を掛けると、レシスはにこにこと穏やかな笑みを浮かべたまま首を傾けた。非常に機嫌が良い。機嫌が良すぎて逆に恐怖すら感じる。
「来るように言っておくけど。その」
 少年を酷使しないように釘を刺したいところだが、『脅えるからあんまりこき使わないでね』という台詞を吐き出すだけ無駄だ。確信犯には多少効果はあるだろうが、不幸な事に少女の母親は全く悪気がない。
 裏を返せば、こき使う等とは次元が違うのだ。押し付ける激しい労働も彼女的には普通の手伝いを頼んでいるつもりなのだろう。
「あんまり体力無い方だから、無理な肉体労働させないでね。
 ぶっ倒れたら困るし」
「あら、そうね。分かったわ」
 思いつく限りこの位しか被害を軽減できる手だてはない。気休め程度だが、言わないよりはマシだろう。言葉の中身はともかく、取り敢えず緩和策をとった後思い出したように、
「あ、そだ。えと、今日は良い天気だから、買い物でもしにいったら?」
 ぱん、と両手を打ち合わせて母親を見た。封印を再度施すまで、暫くこの家から離れていてもらった方が安全だ。買い物でも何でもさせてこの場から引き離す必要がある。
「……え。そうは言っても、今特に必要なモノはないわね」
 いきなりの娘の提案にキョトンと瞳を瞬かせ、人差し指で自分の頬に軽く触れた。
 唐突な勧めに不思議そうな顔でクルトを見ている。
「そ、そうそう。思い出したわ。今日はなんか市場とかが大セール中なのよ。出血大サービスだとか、ほら、コレはもう行くしかない!」
 クルトは少し無理のある明るさでグッと拳を握り、村の方を指さした。
 最近は景気が良いのか、村の市場はセールが多い、大セールというわけではないが確実に値引いて貰えるので嘘にはならないだろう。それに、レシスが『今日お財布あんまり余裕無いの、困ったわ』等と漏らせば何処の店でもほとんど出血大サービス状態だ。
 ほわほわした空気か、それとも話すタイミングが良いのか、値引きが上手というよりも店側が勝手に値引いてくれるのだ。
「まあ大変。クルトは行かないの?」
 頬に手を当て、こくんと首をかしげてそんな事を言ってくる。
「え」
「欲しいモノ、無いの?」
 穏やかな笑みをたたえたまま。口を開け、固まっている少女に、にこりと尋ねた。
「いや、その、えっと、今日は忙しいのよ。
 たまには村の方まで降りてきて買い物とかどう? お母さんなら荷物持ってくれる人とか居るだろうし」
 右や左。果ては地面等、良く分からない方向を指差した後、誤魔化すように空笑い。
「…………」
 じっと、見つめたまま微笑んでいる母親に気圧されつつもう一押し。
「……ど、どう」
 流石に自分でもあからさまだと思ったのだろう。少女にしては控えめな勧め方で首を傾け、そっと同意を求めた。
「ふふ、そうね。たまにはそうしようかしら」
「そ、そう。善は急げよ。早くしないとセールが終わるかもしれないし、今からいってきた方が良いわ」
「…………そうね。じゃあ、行こうかしら」
「う、うん」
 レシスはしばらく黙したまま娘を眺めていたが、追求する事はなくにっこり微笑む。
 何となく安堵に胸をなで下ろしていると、
「クルト。無理はしないで頑張りなさいね」
「え。あ、うん」
 そんな言葉が聞こえてびくりと肩が震えた。
「じゃあ、行ってくるけど。たまには顔見せてね。お母さん寂しいから」
「うん。行ってらっしゃい」 
 母親の後ろ姿が見えなくなるまで玄関に身体を預け、
「気が付いて、たのかしら。我が親ながら、油断できないなぁ」
 クルトは小さく吐息を吐いて、僅かに苦笑した。





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