封印せしモノ-1





「だから、この組み合わせだと制御が難しいでしょ。何度言わせればわかるんだよ」
 緋色に染まる教室で、少年はノートの文字を指で弾いた。
 不機嫌そうに白い獣毛に覆われた犬のような片耳が動いている。
「うーん。でも頑張って押さえ込めば何とかなるんじゃ」
 ペンの背を軽くくわえ、少女は往生際悪く呻く。紫の髪が朱に照らされ、藍色に見える。
「クルト。相変わらず力押しだね。でもそんなコトしたら防御の術ならともかく攻撃用の呪文だと詠唱している方が一撃でへばっちゃうよ」
 無理だよ、と断言しかけた少年の言葉に横合いから苦笑気味の声が割ってはいった。
「あ、そっか」
 む、と眉を寄せクルトは納得したように頷く。
「って、ルフィ何時の間に」
 首を傾け視線を向ける。空色の瞳が嬉しげにやんわりと微笑んでいた。
 軽く腰をかがめ、少女と視線を合わせる。短く整えられた空の髪がふわりと跳ねた。
「今来た所。すっごく熱心だね」
「あ、あはは」
 女であるクルトの目から見ても愛らしいと思える笑顔に、反射的に笑みを返す。
「兎に角」
先ほどルフィに中断された言葉を続けるように少年がたん、と指先で文字を叩く。
「相反する属性を掛け合わせるなんて無茶苦茶。出来ないことはないけどリスクが高すぎるね。実際にやろうとする人がいたらお目に掛かりたいよ」
 今現在やっている講義……ではなく復習は魔術の掛け合わせ方法。
 クルトは掛け合わせを何度も独学でやっているが、更にバリエーションを広げるために相反する属性の組み合わせを提示してみたのだ。
 一例として『炎』と『水』を。そして返ってきたのが長々とした説教じみた説明。
 触れてはならない、と言うよりも基本から外れたことを聞いてしまったようだ。
 少年に言わせると水の中で炎を出す方法を聞かれている様なモノらしい。
(……上手くいったんだけどなぁ。しかもお目に掛かるも何も此処にいるんだけど)
 彼の言うリスクの高い事柄を人生の中である一時期、やってしまったことがある。
一度ではなく何度も。
 全ての属性を掛け合わせるだけではなく、一つの属性を除いて幾つもの属性を無理な詠唱で具現させた。その一つの属性自体もあやふやで危なかった。
 事情が事情だったため無理矢理完成させたが、次に上手く出来る自信はない。
 あの時はもう一度やれ、と言われたら軽い返答一つで『任せてよ』と詠唱を唱えただろう。
 だが、今は違う。一つ返事で詠唱を唱える勇気は無い。
「やっぱりアレは無謀だったのかぁ」
 聞こえないように小さく呻く。知識が無かった時は分からなかったが、危うい橋を渡って居たことが現在では理解できる。目の前の少年に過去、無知は罪と言われたことを思い知る。
『無知は罪だよ、知らないことが悪いとは言わないけどね』
 誰でも最初は無知ではないかと問いかけたクルトに、少年はそう言った後、
『知る術があるのに知ろうとしないことが罪だと思うよ』
 冷たくそう続けたのだ。その時は自分のことを言われたのだと思った、だがよく考えれば少女自身を指していたわけではなかった。
 知ろうとしない全てに対しての言葉だったのだろう。
「何が?」
 聞こえないように呟いたつもりだったが、耳の作りが違うせいか聞こえていたらしい。
 蒼の瞳を細め、訝しげに尋ねて来た。
「……別に。ただ、その」
ペンを指先で弄びながら天井を眺める。ちらりと横を見ると面白そうに青年が瞳を細め、意地の悪い笑みを口元に貼り付けていた。
 短い栗色の髪に同色の瞳。鼻筋の整った顔は秀麗と言っても過言ではない。
 ある事情があったとき、間近で少女の無茶苦茶な詠唱をみた唯一の人物だ。
 余裕ある瞳に小さな敗北感と一抹の悔しさを覚えながらゆっくりと舌先に言葉を乗せる。
「あたしって、勉強不足なんだなぁって思っただけ」
『…………』
溜息混じりの呟きに、その場に居る全員が沈黙した。
「どういう風の吹き回し。勉強が好きになったの?」
「勉強とかは変わらず苦手だけど、覚えていて悪いことはないかもと思っただけ」
 瞳を細める少年の言葉に苦笑混じりに肩をすくめ、頭を掻く。
 確かに無知であれば躊躇いを覚えずに詠唱が出来る。
 恐怖も無く。責任も、義務も何も考えなくて良い。
 けれど、それはただ知らないだけだ。それにまた同じ状況に陥れば少しは躊躇うだろうが同じ事をするだろう。
(あたしって学習能力無いのかもしれない)
 内心小さく苦笑する。どうせ結果は同じなら、知識の手を広げても良いだろう。
 数ヶ月前なら『別に知らなくてもいい』で済ませた。でも、無知という言葉を盾にして逃げるような事はしたくない。
「それに、選択肢って多い方が良いでしょ。とは言ってもあたしは物覚え悪い方だから時間掛かりそうだけど」
 伺うようにそう言った後、『駄目かな』と言うように軽く舌を出す。
「明日は赤く溶解した土塊が降ってくるな」
 何処か感心したような青年の言葉。
「素直にマグマって言いなさいよ……って、どういう意味よそれは。あたしがこう、興味持ったら駄目なの!?」
 人差し指を振りながら言葉の訂正をし、気が付いたように机に手をつき、険のある眼差しで青年を射抜く。
 二人のやりとりを横目で眺めながら、少年は蒼い瞳を細めて唇を開いた。
「良いんじゃない? 興味を持つのは良い傾向だよ。それに、物覚えは悪い方じゃないと思うし」
 静かな泉に落ちる一滴の雫のような、静かで涼やかな台詞。
 先ほどの喧噪が嘘のように辺りが静まりかえる。
 大きく紫の瞳を見開いたまま、少女は乾いた唇を唾液で湿し、震える声音を紡ぎ出す。
「……レム。何て言った?」
「興味を持つのは良い傾向だと思うけど」
 聞き返され、軽く腕を組み、首を傾ける。海色の尻尾髪がゆらりと揺れた。
「その次」
 首を左右に振り、ずい、と近寄って潤んだ眼差しでレムを見つめる。
 そのうち肩でも掴まれそうだと思いつつ少年は端的な言葉を発した。
「物覚えは悪くないんじゃない」
 言われた言葉にクルトはしばし硬直し、
「ほ、褒められてるのよね。裏に色々な意味とか含んでないのよね。素直に受け取っちゃっていいのよね」
 瞳を輝かせ、余程嬉しいのか感極まったように机の上に置かれていた少年の片手を掴む。手の平から落ちたペンが軽い音を立てて机の上を転がっていった。
 大粒の紫水晶を陽の光に透かし見ても此処まで輝きはしないだろう。
 先ほどの僅かな沈黙は色々な前例があるために言葉を素直に受け取るか迷っていたためか。
 掴まれた片手をゆっくりと振るが、手は離れそうにない。 
「いや、実は裏の意味があるんじゃないのか」
 青年が疑いの眼差しでレムを眺める。
「軽いねぎらいの言葉とか」
 まあまあ、と言うようにルフィは首を振り、フォローとも言えないフォローをした。
 人の言葉を比較的素直に受け取るルフィにすら疑惑の眼差しで見つめられ、レムが僅かに眉をひそめる。
「……一応褒めたつもりだけど」
 手を振ることは止めず、取り敢えず肯定をする。
 強めに振ったものの、肯定の言葉で少女の指先に更に力がこもった。
「や、や、やったぁっ。レムに褒めてもらえたああ、もう感無量。我が人生に一片の悔い無しッ。今ならチェリオの主軸の抜けた言葉にも笑顔で応対できるわ」
「おい」
 反射的に青年が突っ込む。だが、無視。
 正しく狂喜乱舞。その一言がふさわしい喜びよう。
 迷惑そうに手を振り解こうとするレムの姿は目に入っていない。
チェリオの場合は当然のごとく爽やかに無視されている。
「そこまで喜ばれても」
 流石に不快に思ったのか冷たく少女を眺める。
 動揺を抑えるように両指を絡め合わせ、
「だ、だだだってレムが、レムが褒めるなんて数年に一度あるか無いかで。お祭りと誕生日と更に豊作が一遍に来るくらいおめでたいのよ幸せなのよ珍しいのよ」
 ふるふると首を振った。
「…………」
 レムの瞳が更に半眼になった。
 鼻歌交じりにぱん、と両手を打ち合わせ、
「今日は御馳走ね。うん決まりだわ」
 花でも散らしそうな勢いで天を仰ぐ。多分脳みその中では蝶々が舞い踊っているに違いない。
「それ以上騒ぐなら金輪際褒めたりしないよ」
 いい加減苛立ち始めたのか、冷たくそう告げる。クルトはその一言に素早く反応し、弾かれたように顔を少年に向け、嫌々と首を振る。
「えっ。それはイヤ。駄目。騒がないから数年に一度でも良いから褒めてっ」
 褒められる事に飢えているのか、レムの言葉が余程珍しいのか。恐らく後者だろうが。
 涙をこぼさんばかりに瞳を潤ませ、片手で掴んでいた少年の手を両手で握りしめる。
 その時点で振り解くことを諦めたのか、片手を上下に振る動きが止まる。
 ルフィがちらちらとクルトの手元を見ながら何か言いたげに口を動かしていた。
 何が言いたいのかは何となく理解できるが、少女は頼み込むことに気を向けているせいか、視線には全く気が付いていないようだった。
(なんか偉い言われようだね)
 物言いたげな視線は特に気にせず、少年は心の中で疲れたように小さく零し、少女を見る。絶対言ってやらない、等と言おうものなら泣き出しそうな気配だ。うゆうゆと瞳が揺れている。
「はいはい。分かったから泣きつかないでよみっともない」
 呆れ混じりに肩をすくめて折れる。
「うん、泣きつかないわ。機会があったら褒めてね」
 泣きそうだった顔が一転。満面の笑みに変わる。
 勢いよく頷いたため、二つ括りにされた髪の毛が犬の尻尾のように激しく揺れた。
「…………機会があればね」
 あからさまな喜びの表情が直視できなくなったのか、レムは僅かに視線をずらし曖昧に言葉を濁す。
「やっ……」
 嬉し気にガッツポーズを取ろうとしたところで廊下から聞こえてくる大声に動きを止めた。廊下へと続く扉の向こうから聞こえてくるばたばたと騒がしい足音。
「だあぁぁぁぁ」
 耳を澄ますとこちらに向かっているようだった。声は聞き慣れた少年の声。 
「んえ?」
 クルトは間の抜けた声を上げ、首を傾ける。
(変がどうしたって?)
 足音に紛れて聞き取りにくいが『変』という言葉は僅かに聞こえた。
「たっ、たっ、たっ……」
声が扉の前を通り過ぎ、慌てたように引き返す。いきなりスピードを緩めたのだろう、靴の裏が擦れる嫌な音。
「何よ騒がしいわね。人が幸せに浸ってるのに」
 気分をそがれ、ぶう、と唇をとがらせた。
「大変だっ。大変だーーっ」
 ガタガタと扉から喧しい音が鳴る。音に合わせて扉が激しく揺らされた。
「は?」
思わず惚けた声が少女の唇から漏れた。
「あれ。えーっと……開かね」
 余程混乱しているのか横引きの扉をガタガタと前後に揺らしている。
「な、なんだ。鍵か、鍵が掛かってるのか!?」
 混乱ついでに妙なことも口走っていた。無論鍵など掛かっていない。
「だ、大丈夫かしら……スレイ」
「あんまり大丈夫じゃないと思うけど」 
 思わず心配そうに眉を寄せるクルトの言葉の後に呆れたようなレムの声。
「というか毎日開けている扉だろうがアイツ。引き戸だと言うことに気が付け」
 色々な意味で感心した様な顔でチェリオが呻く。
 この時点で常識的な人物なら扉を開きに行くものだが、常識人であるルフィは呆然と固まっている為開く者は居ない。
 レムも常識人の範疇に入るが、わざわざ他人のために扉を引きに行く性格でもない。必然的にスレイの動向はそのまま放置の方向になる。
「こぉの、大変な時に、開けー開けーっ。あーけーってんだろーがッ。
 ああもう。ぶっ壊そうか。こん、の……扉」
 だん、と床を苛立ち混じりに踏みしめる、硬質な音。
「…………」
 妙な沈黙が落ちた。沈黙、と言うより、何かタイミングを計るような気配。
 本気で破る気だと感じ取り、クルトは慌てて椅子を蹴立て、立ち上がった。
「ス、スレイ。ちょ、ちょっと落ち着きなさいよ壊さなくても開くってば」
「…………おぁ」
 大声に驚いたのか、扉が大きく揺れる。前後に揺れた扉から、バキリと音が漏れた。何処か慌てたように扉ががちゃついて、先程の騒ぎが嘘のような静けさで扉がすべるように開かれる。
「げ。やば。って、……なんだ引き戸かぁ」
 勢いで開いたのだろう。少年は目を点にしたまま、気が抜けたような顔で扉を見、がしがしと頭を掻く。腕の動きに合わせ、纏った朱のマントが揺れた。
 半眼になったまま、腕組んで少女は少年を見る。
「阿呆発見」
「うっ、うるせーな! ほっとけ」
 流石に先程の行動は恥ずかしかったのか、むっとしたように口をとがらせた。
 漆黒の瞳が気まずげな色を含んでいる。
 少年のつっけんどんな対応に少女は呆れたような顔で、
「ほっとけ、って。今、バキィとか不吉な音が聞こえたんだけど」
「う」
 鋭い指摘に一歩引き、呻く。扉に外傷は見られないが、内部にヒビでも入っているのかも知れない。
「あんたねぇ。壊したら弁償モノよ」
 呆れたように見つめる少女を睨み付け、
「そーゆー台詞は破壊常習魔のお前に言われたか」
「おほほほほ。何か仰って?」 
 紡ごうとした言葉をふさぐようにクルトが口を開いた。
 やんわりと声を潜めていたが、言葉の端々に冷たいモノが潜んでいる。 
 ふう、と大きくため息をつき、
「何不気味な言い回し」
相手の姿を確認したと同時に、言い募り掛けた言葉がとぎれる。
 少女は不気味なほどに満面の笑みを浮かべながら、しっかりと両手で椅子を掲げ持っていた。紫の瞳は、『これ以上言うと、殺ル』と告げている。
「……いや、何でもないから椅子はおろせッ」
 背筋に悪寒を感じ、慌てて大きく手を振る。
「うん。素直が一番よ、何事も」
 クルトはゆっくりと椅子を地面におろし、良い子ね、とでも言うようににこりと微笑んだ。
「……危うく殺されるところだった」
「いやだなースレイったら、そんな訳ないじゃない」
 額の汗を袖で拭い、安堵の息を吐くスレイに笑いながらぱたぱたと手を振る。
「そ、そうかぁ?」
「そうよ。ただ、ちょっとだけ昏倒させようかなぁ、とか思っただけなのよ」
 不審気な少年の言葉に大きく頷き、えへ、と可愛く首を傾けた。
「鈍器でか」
 先ほど掲げられていた木の椅子を眺める。
 簡易的に組み上げられているとはいえ、太さもそれなりにあり、見た目の貧相さとは裏腹に頑丈に出来ている。殴られれば昏倒は免れないだろう。
 少女は頬に手を添え、
「乙女の奥ゆかしい照れ隠しって奴よ。これ以上言わせたら野暮ってものだわ」
 照れたようなそぶりを見せる。表情と先ほどの行動が妙にアンバランスで違和感を覚えた。
 落差に疲れを感じつつ、
「長年つきあってるけど、オレはお前がわかんねーよ。本気で」
自分の黒髪を乱し、呻く。
 唇に人差し指を当て、
「女の子には秘密が沢山ね」
 小リスのような仕草で首をかしげた。
「ちがうっつーの」
 力の抜ける動作にどっと疲れを感じつつ、力なく手のひらを振る。
 ルフィは思案するように少女とスレイを見比べ、
「……多分違うと思う。クルト」
 首を傾け、困ったように眉をひそめる。
 動きに合わせ、柔らかな空色の髪がゆわりと揺れた。  
「まあ、こいつが意味不明なのは今に始まった事じゃない」
 青年はその様子を眺めたまま、腕を組み、呆れたように呟く。
「…………」
 誰も否定はしない。
 あまりといえばあまりの言葉に、クルトはぶう、と頬をふくらませ、
「そんな、みんなしてあたしを変な奴扱いしなくても良いじゃない」
 腰に手を当て全員を睨み付ける。
「僕は何も言ってないけど」
 今まで無言だったレムが口を開いた。
 クルトは考えるようにしばし少年の顔に視線を注いだ後、
「無言の肯定って言葉、あるわよね」
 ぽつりと一言。
 反論するかと思いきや、少女と窓の外を交互に眺め、
「…………」
 無言の肯定。
 仰け反るように後退り、
「ひ、酷いわ。こんなに、こんなに普通の女の子なのに」
 顔を覆い、ふるふると首を振る。
 少年は片耳を軽く立て、冷たい視線に嘆息を交えつつ。
「その部分については即刻否定しておくけど」
 完全否定。
 ぴく、と肩が震える。顔から手を外し、
「……どういう意味よ」
 口をとがらせた。
 その仕草に冷たい視線を注ぎつつ、
「ふーん。普通だと思ってるんだ」
 少女の言葉を吟味するようにゆっくりと反芻し、もう一度窓の外を見つめる。
「う」
 クルトも習うように景色を眺め、苦しげに呻きを発した。
「普通、ね」
 呟く視線の先には、破壊の跡。
 毎度の事ながら派手にクレーターが出来上がっている。
 作った少女自身としては現実逃避に走りたいのであまりじっくりと見たことはない。
 今回はちょっとやりすぎたせいか、大きさは倉庫ほどで水を流し込めばそのまま池として通用しそうだ。穴の幅は一軒家なら半分ほどが入るだろう。 
 のし掛かるような沈黙に首をすくめ、
「だ、だってその。つい、エミリアと一緒に熱くなって。
 あたしのこと幼児体型って言ったのよ。幼児体型って! 
 確かにそー育ってないかもしれないけど、あんまりじゃない失礼だと思わない!?」
 初めは指を合わせながらボソボソと言葉を紡いでいたが、話が進む内に怒りがこみ上げてきたらしく、まくし立てるような勢いで最後まで言い切り、拳を握りしめた。
「それで?」
 同意も否定もせず、机に手を載せたまま蒼い瞳で冷たく促すようにクルトを見る。
 勢いのある言葉は、冷水をあびせ掛けられたように萎んでいく。
「えと。うううう……すいません。ど、どうせあたしは普通じゃないわよッ」
 刺すような視線に小さな敗北の声を上げ、少女はふて腐れたように腕組んだ。
「やっぱり自覚あるんだね」
「レムがいじめるぅ」 
 意地が悪い言葉に両手で顔を覆い、さめざめと座り込む。
 目元に手を当てているが、雫の一つもしたたり落ちない。
 面倒臭そうに少女の姿を眺めつつ、
「お前が泣き崩れたところでかわいげがない。と言うより気持ち悪いぞ」
 瞳に掛かった栗色の髪を指で外し、青年は呆れたように肩をすくめる。
「はり倒すわよ」
 少女はすぐさま反応し、顔を青年の方へ向け険悪な表情で唸った。
 頬には勿論のごとく涙の跡さえ付いていない。
 二人の言動をしばし考えるように見つめていたスレイは、はっとしたように頭を抱え、
「……はり倒す。て、あーーー」
 辺り構わず絶叫した。
「ど、どしたの」
「あ、危うく目的を忘れるところだった。だから、大変なんだよ」
 驚いたように瞳を瞬かせる少女にかまわず、ばたばたと腕を振り回し、まくし立てる。
 少女はその様子を眺めながら、
「スレイの脳みそが、修復できないレベルのお馬鹿っぷりで大変なのはもう揺るぎない事実というか、みんな諦めてることだから今更大騒ぎする事じゃないわよ」
 うんうんと納得したようにしみじみ頷いて、少年の肩を軽く叩いた。
「その辺りは同意だな」
 それに青年もコクリと同意する。
「あー。そうかぁ」
 釣られるようにスレイも同じように頷き掛け、
「って、違う! つーか普通に失礼だろそれは」
 気が付いたようにびし、と掌を薙いだ。
「自分で納得しておいて」
 口元に手を当て、不満げに見つめる少女の胸元に指を突きつけ、
「突っ込むな半眼になるな茶々入れるな。オレの話真面目に聞けッ」
 叫ぶ。クルトは胸元に当てられた指先を見、
「ぶー。で、本当のところ何なのよ」
 頬をふくらませ、漆黒の瞳を眺めた。
 嘘やからかい。見返して来た少年の瞳にはそんなモノは見いだせなかった。
 見ていて疲れる程に真剣味を帯びたその色に、小さくため息をついて、
「まどろっこしいのはナシで、単刀直入に言いなさいよ」
 手の甲でゆっくりと、突きつけられた指をずらし、尋ねる。
 スレイは言葉を探すように口の中で幾度か呟いた後、
「あー、うん。何というか……樹が無くなる」
 偉く真面目な表情でそれだけを言い切った。
「…………」
 一瞬少女は目を点にして幾度か口の中で呟いた後、確認するように何度か頷き、掌を机に添えゆっくりと立ち上がる。
 僅かだが、口元が引きつっている。
「待て、落ち着け。ゆーっくりオレの話を聞け!」
 暴れ馬を制するように両手で宥めるジェスチャーをする。その仕草を見つめつつ、少女は気を落ち着けるようにゆっくりと息を吐き出し、
「何事かと思えば、樹が無くなるって、落雷でもあったんでしょ。何よ人騒がせね」
 苛立ちを隠さず、乱暴に椅子に座って少年を一瞥した。
(くっ……コ、コイツを心配したあたしが、馬鹿だった)
 無駄な心配をした自分が妙に滑稽で苛立ちが募る。
 少女が心の中で拳を固めているのを見越してか、それとも全く気が付かないのか、
「いや、そうじゃなくて、クルトお前ん家の裏に林があっただろ」
 何処か思案するように首を傾け、口を開いた。
「うん。山のように」
 眉を寄せ、尋ねるスレイの言葉に半眼のまま小さく頷く。
 山のように、というより山なのだが、微妙な語弊があるとはいえ、樹があるのでどちらでも一緒だろう。
「その辺りで、なんか王家からの命令とかで大幅な伐採があるらしいんだ」
 相変わらず妙に真剣な眼差しで少女を見つめ、
「どうだ、ものすごおぉぉく、大変だろ!?」 
 この上なく重大だ、とばかりにクルトに向き直る。
 何故か熱血しているスレイへ適当に相づちを打ち、
「……まあ、このごろカルネも都会化してきてるものね。
 自然環境の悪化は由々しき事態だけど」
 頬杖をついて、生返事を返す。
 少年は勢いよく両手を机につき、
「ちっ、がーーーーう」
 気のないクルトの返答に苛立ったように何度か机を叩きつけた。
 万一にも一緒に叩かれないよう腕を引っ込め、
「どしたのよ大声出して。多分村の人工が増えたから建物を増やすために敷地の拡大を図るんでしょ。ここ数年で大分人が増えたからねー。
 で、王様のご命令で木々を伐採してる、と」
 指を折り、確認するように呟いて、スレイを見る。
 その言葉に、もう一度叩きつけようとした手の動きが止まった。
 間を置いて、指先が痙攣したように震え始める。
 いや、指先だけではなく何かを堪えるように全身がブルブルと震えている。振動は小さいモノではなく、少年の黒髪がざわめくように揺れる。
 近くにいたルフィはその様子が目に入ったのか、不安げに眉をひそめていた。
「確かに環境破壊は良くないけど、まさか殴り込みで業者とか蹴倒すわけにも行かないし。スレイ、あんた意外と自然に優しい奴だったのね」
 ルフィとは違い、小さく震える少年の姿が目に入らないのか。少女は組んだ掌で頭を支え、感心したような言葉を漏らす。
「お、おま……お前。本気で忘れたのか」
 あっけらかんとした少女の台詞に、スレイは愕然としたような表情で身を引き、数歩後ずさる。
「へ?」
 その反応に間の抜けた声がクルトの唇から漏れ出た。
 尋ねるより早く、スレイはグシャグシャと自分の黒髪を乱暴にかきむしり、
「あぁぁぁぁぁっ。マジで忘れてやがる!! お前の記憶力はオレ以下かーーー」
 絶望的な声を上げる。 
 激しく聞き捨てならない台詞に机へ手を付き、
「ちょっ、失礼なこと言わないでよ。何がどうしたって言うのよ。
 樹がちょこっと切られるんでしょ」
 大げさに頭を抱えるスレイをむっとしたような紫の視線が射抜く。
 少年は漆黒の瞳を呆れたように細め、
「そーだよ、最深部に近いところがな。こ、れ、で、も、思い出さないのか!?」
 言葉に合わせるように人差し指を動かし、腕を組む。
 彼が腕を動かすたび、あまり似合っているとは言えない深紅のマントがばさりと揺れた。
「……熱い。何故アイツはああも熱くなって居るんだ」 
 二人の繰り広げる熱い戦い、というよりも暑苦しい光景を眺めながら、ウンザリと青年は呻いた。
 火照りそうな程の熱気に、普段面倒くさがりなチェリオでも思わず空気の入れ換えをしたくなる。
「さ、さあ」
 迷惑そうなチェリオの台詞に、未だに状況を把握できないルフィは事の成り行きを見つめつつ、首を傾ける。
「どうでも良いけど、耳が痛い」
 熱気も二人の会話も話の中身も『どうでも良い』とばかりに小さく嘆息し、レムは耳鳴りのする耳を押さえた。 
 聴覚の鋭い彼にとって、騒音に近い怒号が鳴り響くこの空間は地獄なのだろう。
 しかも声の大きさと肺活量では学園一と噂されるスレイが喚くのだから、迷惑加減は最高値だ。
 自分の研究で大音量に慣れているためか、鼓膜が破れていないだけ幸運なのかもしれない。
 周りの迷惑やウンザリした顔を尻目に、少女は思案するように眉根を寄せた。
「あたしの家の裏手、最深部。奥の……大きな樹が……ん?」
(なにか、忘れてるような)
 口の中で呟き、引っかかりを覚える。
 何か、とても重要なことを忘れている気がした。
 クルトは記憶の隅から、埃にまみれた記憶を必死に探り出す。
 おぼろげに思い出されたのは木々に囲まれた森。
 小さな自分と、小さな少年。疲れたように少女は一本の木に手を当て、
『よし、これで良いわ。ぜーったい忘れちゃ駄目よ、スレイ』
 念を押す。
『絶対絶対忘れちゃ駄目なんだからね、やくそくよ』
 更に念を押す。
 忘れている方が念を押しているのは何とも皮肉なモノだ。
 思い出した一つの事柄から、連鎖的に前後の記憶も浮かび上がり始める。
 小さな自分は、何故か不釣り合いな分厚い魔術書を持っていた。
 そうだ、あのとき自分は――
「…………」
 そこで、
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!? 嘘ーーーーーーーーーーッ」
 事態を理解し、少女は悲鳴を上げた。
「な、何だ。どうした」
 いきなりの大声にチェリオは頬杖を付いたままの格好で椅子からずり落ち掛け、呻く。
「ク、クルト? ど、どうしたの。顔、青いよ」
「う、うそうそ。嘘でしょ!?」
 心配そうに首を傾けるルフィの姿すら目に入っていないのか、少女はスレイに顔を向けしきりに『嘘!?』を連発している。
「残念ながら大マジだ」
 あわてふためくクルトをよそに、スレイは違和感を覚えるほど神妙な顔で頷く。
「なっ、なっ。何あんたのほほんとこんなところで突っ立ってるのよ!」
 いやに冷静な答えに、クルトはもつれそうになる舌を宥めながら、力一杯少年のマントを引っ張った。
 それを迷惑そうに見、
「忘れてたお前に言われると、なんか腹立つなぁ」
 指先でぽりぽりと頬を書く。 
「ああもう。そんなんどうだって良いじゃない。ちょっとレム!」
「何。大声出さなくても聞こえてるよ」
 叩きつけるような声にだろう。迷惑そうな顔をしてため息一つ。
 鼓膜に物が挟まっているような違和感があるのか。しきりに白い毛に覆われた自分の獣耳に指を入れている。
 もどかしげな顔をして、素早く彼の手を取り、
「付いてきて。スレイ、あたし先行くから」
 説明すらせず、ぐいと引き寄せる。細腕に見合わない力強さに、レムは一瞬本気で自分の腕の処遇を心配した後、 
「え、何」
 呻きのような疑問の声を漏らす。
 返ってきたのは望むような返答ではなく、
「ん、分かった」
「説明宜しく!」
 交わされる二人の妙に息のあったやり取り。
 浮遊感。レムが疑問を口に出すより早く、身体が更に引き寄せられる。
 いや、少女は走り出していた。それに引きずられ無いように足が必死でついていこうとしているのが分かる。 
「ちょっ、引っ張らないでよ」
 声を張り上げると「まあまあ」と言うように少女が視線を寄越してきた。
 更に紡ごうとした言葉は。
「え。オレ一人でか!? せ、説明しろと!?」
 面倒ごとを押しつけられ、おたおたとするスレイの一言に塞がれる。
 そして、声が薄れていく。
 後方から聞こえる大きな音。転ばぬよう振り向くと、閉じられた扉が見えた。
 無機質な色合いの床。何処までも続くような錯覚を覚える程、長く延びる廊下に、流れゆく教室の扉。
「クルト君。廊下、走ったらいけないんですよー」
前方から掛かる間延びしきった平和そうな青年の声に、少年は顔を正面へ向ける。
 肩程まで伸びた金髪に、柔らかな蒼。始終変わらぬ微笑みをやはり変えぬまま、まるで子供をたしなめるように「駄目ですよ」と首を傾けている。
 僅かに速度を落とし、全く悪びれない様子で、
「あ。校長。うん。ごめん」
 まるで友達か何かにでも言うように、クルトは小さく片手を謝るように口元に当てる。
 絶対に校長へ向けて言う謝罪の台詞ではない。だが、
「うんうん。良いんですよ。分かってくれれば」
 そんな一般的な常識が通用するはずもなく、あっさり許す校長。
「あ、そだ。レム借りるわね」
少年を目で指し、まるで荷物のような言い方で、取り敢えず了承を求める。
「あ、はい。でも、早めに返してくださいね」
 頷き、旅行へ行く知り合いへ『おみやげもねー』とでも言うような気軽さで言葉を紡ぐ。
「OK。善処するわ」
 そんな適当な言葉を二言三言交わしただけで、どうやら許可が下りたらしい。
 教師が早退する場合、病気ややむを得ない事情……すなわち急用でもないのならば、書類や証明等ややこしい手続きを踏まねばならないのだが、この二人はそれをすっ飛ばして会話の中で決めてしまっている。
 無茶苦茶だ。
「…………」
(間違ってる)
目の前で繰り広げられるある意味衝撃的な展開に、突っ込みすら入れられぬまま、レムは心の中で小さく呻いた。


 残されたスレイは困ったように二人を見、
「えーと。説明しないと駄目か?」
出来れば遠慮したいなぁ、と頭をかく。
 青年は腕を組み、
「何を今更。アイツの意味不明な行動に興味があるはず無いだろう」
 疲れたように瞼を落とし、頭を振る。
 ぱちりと瞳を瞬いて、
「へ。えーと、じゃあ言わなくても良いんだな」
 スレイは首を傾け、チェリオを見た。
 何処か嬉しそうな視線に、まだまだ甘い、とでも言うように片手を動かし、
「まあ、話は最後まで聞け。あいつの行動には興味はないが、お前の言ってた妙な話の中身には興味がある」
 瞳に掛かった栗色の髪を指先で静かに退かす。
「チェリオ……それって、興味あるって言わないかなぁ」
「ま、どちらでも良いだろう」
 眉根を寄せたルフィの呟きに、小さく肩をすくめる。
 話を整理するようにスレイは片手の指を折り曲げつつ、
「えーと。アイツのやってることはどうでも良いけど、オレの言ってた話の中身がとっても気になるんだな」
 幾度か唸りながらしかめっ面で尋ねる。
「ああ」
「って、結局説明しなくちゃならねーのか!?」
キッパリと頷くチェリオに反射的に突っ込みを入れ、疲れたように肩を落とす。
「そうだな」 
  全く悪びれない青年の返答にこめかみに指先を押し当て、
「頼むからさ。もう少し簡単に言ってくれよ。
 こー、説明してくれとか。事情が聞きたいとか」
 ため息混じりに言葉を吐き出す。
 チェリオはしばし思案するように首を傾けた後、何か納得したようにぽん、と手を打ち、
「分かった。言え」
 迷わずそう言い放つ。
 ルフィはそのやり取りに思わず脱力しながら、
「チェリオ……あの。違うと」
 困ったように微笑み、頭を振る。
「違う? なら」
 数秒ほど、考えるように間を置き、
「言え。十を数える内に言わんと、舌がなめらかに動くよう助太刀してやっても」
 僅かに声を潜め、抜き身の剣の切っ先を少年の喉に当てる。
 「これでも言わないのか」とばかりに皮一枚程の距離を保ったまま、時折急かすように刃の腹で喉元を軽く小突く。
 もし青年の手元が狂い、刃が爪先ほどでも肌に食い込めば、鋼は手応え無く少年の肉を切り裂くだろう。
 剣の刃先はそれほどの鋭さを宿していた。
「うぉわ!? や、やめ、やめろって。喉に食い込ませたらしゃべりにくいだろう。こらオイ、ルフィこいつ止めろーーーー」
 ほとんど悲鳴に近い声を上げ、少年は身をこわばらせながらルフィに助けを求める。
 その、何処か見慣れた光景を眺めながら、
「……チェリオ、脅しは駄目だよ」
 ルフィは小さく苦笑し、青年を止めるために口を開いた。

 




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