眩しい太陽が雲の切れ目から僅かに覗く。
暖かな、と言うよりも暑い日差しに火照る肌を薙ぐように、冷たい風が吹き抜けた。
それが肌に心地良い。
雲一つ無い、とは言えない天気だったが、出掛けるにはこの位の陽気の方が過ごしやすい。
釘を刺されたため、早めに来たのだが、早すぎたのか、あまり人の姿は見えなかった。
ぽつりぽつりとした人の影。
チェリオは適当な場所に身体を預け、くつろぐ。
――さて、どんな格好で来るか。
今日の行動の中身より、少女の外見の事に期待しながら青年は小さく唇の端を上げる。
元より整った顔立ちに長身。そう言う笑みをしても、不思議と似合っていた。
街角で腕を組むその姿は怪しいが。
怪しい事この上なかったが。
本人は特に気にした様子も見せず、含み笑う。
早朝なのが救いだった。
昨日話した中身はこうだ。
「そうだな、人に頼むにはそれなりの対価が必要だな?」
「た、対価って……お金とかそう言うの?」
横目で見るチェリオに、憮然とした顔でクルトは呻いた。
「いや、行動で補って貰おう」
「……やっぱり発言が変態よね。言い方が凄い嫌なんだけど」
怪しい光を湛えた 瞳を見、頬を掻く。
「どの辺りが変態だ」
「全体的に雰囲気が」
僅かに眉を潜めた青年の言葉を即座に返す。
不愉快そうにため息を吐いたのち、チェリオは腕組み、
「誘うのか挑発するのかどっちかにしろ」
そう言って睨み付ける。
少女は慌てたように大きく手を動かし、
「いやいやいやいやいや、もう、本当。誘ってるのよ本当ほんとうだって!?」
瞳を潤ませ、ふるふると首を振り、マントを握りしめる力を強めた。
「対価というのは……」
ため息を一つ。
彫刻か細工物のようなしなやかな指先を少女に向け、
「言う事を聞く代わりに、一つだけ条件をのめ」
「その言葉の響きがやっぱり普通じゃないのよね……」
すぐさま帰ってきた彼女の返答に眉をかすかに跳ね上げ、
「今すぐに立ち去っても構わんが。俺は」
首を軽く斜めに傾け、告げる。
「う、嘘嘘。冗談よ。そんな本気にならないでよ〜 で、なにが交換条件なの?」
口元まで寄せたマントの下から、うるんだ上目遣いの瞳で見つめてきた。
また嘆息を一つ。
片手で少女の手から白いマントを取り上げ、軽くシワを伸ばす。
「対価は、そうだな」
尋ねられたが、ソコまで考えずに紡いだ言葉。
無論、答えなど用意できているはずもない。少しの黙考ののち、閃いたモノをそのまま口にする事にした。
意外と良いかもしれない。
もしかしたら相手の方から断るようなアイディアだった。
「そうだな、簡単だ」
僅かに瞳を伏せ、言う。
警戒したようにクルトは首をかしげ、
「簡単? そう言うのに限ってやばかったりするのよね」
睨み付けてくる。
いつも思うが、その姿は威嚇してくる猫そのままだ。
「ああ、俺を誘うんだ。それ相応にたまには女らしくなれ」
しばしの沈黙が落ちる。
「おんな…らし…く」
いつもであれば鉄拳制裁が下るところだが、感情のいまいち乗らない声で、クルトは呻くように呟いた。
目が完全に泳いでいる。
「ああ、格好のみならず行動もなおさんと帰るぞ」
「う……女の子…らしく…」
「で? どうする?」
意地の悪い、ある意味挑発的なその台詞に、
「や、やる! だから付き合ってね」
頬をふくらませ、クルトは勢い込んで答えた。
思えば自分も馬鹿な挑発だか回避案だかを取ったな、と思う。
だが、暇な事は暇だし、そう言う滅多に見れない姿をからかうのも楽しいではないだろうか、
と悪魔のような性根の腐りきった考えで納得をし、性には合わないが待ち合わせ場所まで素直に来た。
そう言うわけで、考えつつ含み笑いがこぼれる。
(さ、て……どんな姿を見せるか)
空を眺める。日が昇り、人があふれはじめた。
約束の時間は僅かだが、もう過ぎているはずだ。
「……自分から約束しておいて遅刻か?」
顔を少ししかめる。
あの少女の性格では、人を待たせたりはあまりしないはずだ。
「あの、すいません♪ お兄さん誰か待って―――」
掛かる五月蠅い声に目もくれず、向こうの通りを眺める。
知り合いの声でもない。恐らく人違いだろう。
「……シカトしちゃって、失礼ね!」
しばらく耳元で五月蠅く騒いだのち、何故か烈火のように怒り狂い、それは去っていった。
何だったのだろう一体。
いつもの事だが、迷惑な事この上ない。
女連中は人の顔や名前を覚えるのが苦手なのだろうか。
などと少しずれた事を考えている内に時が流れていく。
「結構待たされている気がするが。いや、俺が早く来すぎたか……」
恐らく時間の流れが遅く感じるのは早めに来すぎたせいだろう。
後、先ほどと似たような勧誘まがいの連中が入れ替わり立ち替わり声を掛けてきたのが原因ではあるかもしれない。
「おーーーーい」
遠くから、聞き覚えのある声が掛かった。
高く、澄んだベルを鳴らすようなコロコロとした元気な声。
「漸く来たか」
空を眺めながら、疲れたように嘆息する。
「ゴメン、遅れちゃった」
装飾の音だろうか、カチャリとした音に混じって足音が聞こえてきた。
いや、それはどうでも良かった。
何か言葉が聞こえた気がし、顔を上げる。
「チェリオ〜」
紫色の髪、小さな身体。
間違いなく知り合いの少女だ。
兎の耳にも似たツインテールをなびかせ、これ以上遅れてはいけない、と言うように息せき切って走り寄ってくる。
「おーーい」
淡い桃色の服。胸の部分に丸い穴が空き、白いブラウスが見えている。
穴自体が装飾なのだろう、縁には黒いライン。
大きく手を振る。二の腕の部分にも切れ目が入っているのか、白いブラウスが覗く。
ふわりと広がるスカート。
前面にはやはり切れ目が入り、空いた部分から見えるのは表の丈夫な素材と違い、白い柔らかなレースがついていた。
胸と同じように、文様にも見える黒い刺繍の円が横に入っている。
そして、服の付属なのだろう所々に付いた細長い三角を模した金属のアクセサリー。
見た目とは違い重みはそれ程でもないのか、軽快な足取りで駆けてくる。
靴は服と揃いなのか、明るめの茶色い靴には三角形の飾りが付いていた。
髪には蝶々結びにされた黒いリボンが巻き付いている。
可愛らしさを前面に押し出したような格好だった。
これを女の子らしくないと思う輩がいれば、それこそ神経がどうにかなっているのだろう。
流石にチェリオもこの格好の少女をけなす事は出来ない。
だが、やはり格好よりも先ほど聞いた言葉の方が気になった。
大きく片手を左右に振り、人々の視線を集中するのも構わず、声を張り上げる。
「お待たせ〜」
可愛く微笑んで。
「…………」
外野が僅かに「おお」とざわめきを漏らしたが、一瞬走った目眩を気のせいにし、もう一度見る。
すぐ側まで近寄ってきた少女が、
「えっと、待った? ち、遅刻しちゃった…」
などと絵にすら描かれていそうな表情でバツの悪そうな顔をする。
他人から見たら恐らく可愛いのだろう。
だが、見慣れた少女のこの行動は青年に目眩と頭痛しかもたらさなかった。
「あー……」
「何?」
チェリオが呻きを上げるのを見、両手を合わせ、何かを待ち望むような無意味に輝いた瞳で見つめてくる。
そう、彼が言った通り、女の子らしい。
女の子らしすぎる仕草で。
「…………いや」
人類の滅亡だろうか。
それとも天変地異?
今この瞬間に国が沈んでも驚かない自信があった。
(新手の拷問にしてはむごすぎるな……
コレが新たな攻撃手段だとしたら、毎回喰らうと俺は死ぬぞ)
こういう攻撃を喰らうなら、魔物に素手で向かう方がまだましのように思える。
くいくいと袖が引っ張られる。
「チェリオ、ねえ。チェリオ」
「何だ?」
出掛ける前に憔悴しつつ、生返事を返す。
クルトは軽く口をとがらせ、
「チェリオは服着替えなかったの?」
不服そうな顔で少し睨んだ。
彼女の言う通り、チェリオは何時もと変わらぬ服装だった。
深緑色のシャツに、白いマントを巻き付けた格好だ。
洒落たとは言えない格好だったが、顔のせいなのか鋭い雰囲気がそうさせるのか、特に不格好と言うわけではない。
僅かに乱れた栗色の短髪。
同色の瞳は、今は陽を受け、黄金色に染まっていた。
無造作に剣を差した姿は、寧ろ、王子様然とした雰囲気すらある。
「別に、このままでも良い」
「…………せっかく頑張ったのに」
人にそれらしい格好をしろと言っておいてこの不条理。
クルトは見えないように俯き、小さく頬をふくらませた。
「……で、凄まじく遅かったが何をしていた」
「そんなに待たせた?」
「ああ。骨や化石にならないのが不思議なくらいだ」
『何千年後の話よ!! そんなに待たせて無いわッ』
と言う言葉を受けるのを覚悟で言葉を紡ぎ、さり気なく身構える。
「もう。失礼しちゃうなぁ〜。あたしは、そんなにお転婆じゃないもん」
無邪気な輝かんばかりの笑みが返ってきた。
後ろには花でも背負っていそうなキラキラとした空気。
頭を振り、確認してもやはり実際にはそんなモノは見あたらない。
「…………」
ともすれば砕けそうになる腰を無理矢理立たせ、
「俺が悪かった。ある種の儀式だな。世界の均衡を崩すような召還術か?
それとも洗脳して傀儡を作るのか? どうでも良いが人の脳味噌の中を、ぐちゃぐちゃにかき回すような術は悪趣味だから止めろ」
キッパリと告げる。
一瞬クルトは目を点にし、
「何よ失礼ね、なんなのよその言いぐさ! 術なんて使ってない!
大体アンタが言い出した事でしょうがそれを―――――ぅ」
そこまで言って慌てて自分の口を両手で塞ぐ。
「魔界の門を開くのか。俺の言葉が口実となり、魔の軍勢が移ろう空間を渡り、世界へ牙を剥くんだ。きっとそうだな」
彼女の言う通り、自分で言っておいて何だが、何故か安堵しつつ詰まらない軽口を叩きながら少女を見る。
自分の口を両手で押さえ、文句を言いたそうな目で見ている。
仕草を変えていたが、やはり、見覚えのある。馴染みのある少女の姿。
「で、その行動の参考書は何だ」
「ふも?(その?)」
紫の瞳を瞬かせ、くぐもった声で首をかしげる。
まあ、くぐもっているのは自分の両手のせいなのだが、少女の頭には手を外して話す、といった項目が抜け落ちているらしかった。
「……ああ、お前の何時も言う『乙女』とやらの参考だ。
乙女というのが《実際に》存在していればの話だが」
空を軽く切る音に反応し、伸ばした人差し指で静かに相手の攻撃を止めた。
白い少女の指先が自分の眉間に鋭い速さで叩き込まれかけたのだ。
何故か人差し指だけだったが。
「で、その乙女という生き物は人を無闇に攻撃したりするのか?
その辺りをじっくり話し合いたいと常々思ってるんだが」
細めた瞳を向け、ゆっくりと言う。
クルトは寸止めされた自分の指先を見るでもなく、不思議そうに首を傾け、
「もうv そんな事言っちゃ、めっ」
と子供のような無邪気な声で。
子供そのものの瞳で言ってきた。
「……め……?」
言われた言葉の中身が分からず、警戒心が薄れる。
その刹那の隙を逃さず、
「すきあり!」
ぱちん、と背伸びした彼女の指で額が弾かれる。
弾かれた額を軽く抑え、空を見た。
特に致命傷でも決定打でもない。
怪我とも言えないし、戦闘を想定するならば、子供が目一杯。死にものぐるいで攻撃する方がまだ殺傷力があった。
「…………」
訳が分からない。
沈黙が流れる。
それを機嫌が悪くなったと取ったのか、
「あれ? おかしいなぁ。お手本に寄れば『この行動で彼のはーとは0.3〜5割程度は鷲掴み! ……かもしれない』とか書いてあるのに!」
分厚い、やたらと派手―――と言うより桃色や白の散りばめられたメルヘンチックな……と言えば聞こえのいい、
ある意味あっちの世界に行ってそうな配色の本をパラパラとめくって難しい顔で唸る。
(なんだその数値は)
5割の部分はともかく、0.3の部分は聞き捨てならない。1割にすらなっていないではないか。
それに、間の『〜』は一体何なのだろう?
かもしれない、の部分を見てもかなり適当だ。
いっそのことキッパリ「効かない」と書かれてある方が数十倍はマシだった。
だが、何処をどう見ても信頼性に欠ける本を少女は凝視し、首をかしげている。
もう、大まじめな顔で。
今までに見た事もないほどの真剣な瞳。
恐らくこの光景を見れば、学園の教師は違った意味で涙するだろう。
「――なんだそれは」
漸く開いた唇から漏れたのは、自分でも笑いたくなるほどの掠れた声。
少女は特に気にせずに、
「うん。見ての通り」
「どう見ての通りなんだ」
文句を言いつつも、彼女の手に納められた本をとりあえず眺める。
柔らかな、とはほど遠いけばけばしいピンク。
そしてあちらコチラに花だの星だのの形が描かれている。
視線をそちらに移すだけでも膨大な労力が必要だった。
出来る事ならば、長く目をやるのだけは避けたい。
触れる事すら拒絶反応が走り、肌が粟立ちそうだ。
それらの渦巻く感情を押し殺し、題名を眺める。
『―― 乙女のための乙女のキソク☆ 乙女を知りたい全ての人に捧ぐ ――
リース・バーン著』
と、妙にへなへなした書体で書いてある。
並の神経で有れば、本棚に置いてあっても触れる事すらしないであろう。
そんな怪しいオーラが本から立ち上っている。
彼女の言う乙女とやらにはそんな常識や気配は通用しないのか、
「友達がね、貸してくれたの」
ニコニコと笑みを浮かべた。
「ほー」
「あたしにはあんまり肌に合わなかったから、読まなかったんだけど。
チェリオとデートするっていったら、是非にと」
「…………」
その友達とやらは恐らく致命的な勘違いをしているであろう事は明白だったが、反論したり撤回するのも面倒だ。
浮ついた噂やその手の情報は特に気にはならない。
などの理由から噂を否定した事は一度もない。
そのせいで不名誉な身に覚えのない噂まで好き勝手に横行している事に、青年は気が付いていないようだった。
「とりあえずその本の参考通りに行動するのは止めろ」
「いや」
キッパリ否定された。
「…………」
「交換条件だし。今日一日はコレを通させて貰うわ」
言って本を仕舞う。
「そうか…やはり魔界の軍勢が徒党をなして着々と大陸を進行する準備を始めているんだな。
それに弓引くためにはどうしてもその奇妙な振る舞いを止めるわけにはいかない、と。
やはり目の前にいるコイツは魔王の落とし子とかそう言う奴なのか」
取り敢えず、無茶だろうと何だろうと、そう自分を納得させる。
その姿を少女は半眼で見つつ、
「……何言ってるか良く解らないけど早く行きましょ」
肩をすくめ、嘆息する。
「何処に行くんだ?」
そう言えば聞いていなかった。
少女はパチリと瞳を瞬き、
「だから、ここに行くの」
ピシッと指に挟んだチケットを見せた。
年代を感じさせるような茶色い上質の紙に、流れるような文字で書かれている。
あまりにも達筆すぎて、模様のようにも見えた。
少々苦労してその文字を読みとる。
「アクール?」
よく知られている古代文字で直訳するならば、至高。
意味が分からずもう一度紙を眺める。
紙はやはり紙のまま。穴が空くほど見つめても、答えはもらえない。
少女に視線をずらす。
視線を受け、うんうんと、何か心得たとばかりに満足げに頷き、
「そう言うワケよ」
どういうワケかは知らないが、そう言うワケらしい。
大抵彼女がそう言った場合、目で見た方が早いと言う事だ。
――ああ、コイツの思考にも大分慣れたというか、読みとれるようになったな。
嬉しいのか悲しいのか良く解らない。
不意に手首が、力強く引っ張られる。
「さ、いこう!」
「あ、おい。歩けるから引っ張る――」
抗議の声をあげるいとまも与えず、クルトは青年を引きずるように走り出していた。
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