大地と水晶-8





 ざまあない。嘲笑が耳奥を叩く。
 歪む視界に影がぶれる。彫像のように整った顔を僅かに歪ませて青年が双眸を細めた。栗色の髪が揺れる。
 余裕を見せて刺されただと。魔剣士が笑わせる。
 髪がふれあうほどに近いはずだが、吐息が全く掛からない。皮肉気に笑う顔が自分自身だと気が付き、チェリオは大きく息を吐いた。
 ――全く。返す言葉も出んな。
 肯定を心の内で吐き出したとたん、かわいげの欠片もない幻影は蒸発するように消え去った。
 腕が上がらない。意識の糸はまだ切れていないが、指先はぴくりとも動かなかった。
 抉られては居ないせいかさほどの痛みは無い。ただ、腹部が熱い。
 喉の奥に違和感を感じる。鼻孔に広がる鈍い錆の香り。
 息が上手く出来ずに大きく咳き込むと、思いの外多くの血が唇から流れ出た。
 ――浅いとは言えない、か。
 足下に落ちる血の量を考えると勝てる見込みが薄い。呆然と佇む少女に、逃げろと言ったつもりでも言葉が上手く紡げない。
 いったん下がって様子を見ようにも、身体が言うことを聞く素振りを見せない。
 一瞬視界に入った校舎で、窓の外を眺める校長の姿が見えた。
 いつものようにおだやかに微笑んで、動揺を微塵も表さない。確実に視界には入っている。だが、青年が生きようと死のうとどうでも良いかのように手に持っていたカップを口に運んだ。助けは期待していなかったが、ここまで薄情だとは思わなかった。
 いや。薄情ではなく……使えないモノは切り捨てるのか。
 唇から滴り落ちる血の量が増える。
 ――終わり……か? ざまあない。
僅かに身体が軽くなる。次いで激しい痛み。
風が頬をなぶった。
大きく咳き込むと、刃が肌を抉る感触はなく、そっと背に柔らかな何かが添えられた。
 それが手の平だと分かるのに僅かな時間を要した。
 見上げた少女の顔は柔らかく微笑んで。あたかも慈愛に満ちた聖女のような表情。艶やかな髪が風に揺れ、頬をくすぐる。しばらくじっ、と青年を眺め、
「死んじゃダメよ。アンタが死んだら一体誰があたしを守るって言うのよ」
 クルトは変わらず柔らかな笑みを向けた。
 感慨をぶちこわす冷酷な一言に、肩の力が抜けそうになる。少女は滑り落ち掛けた青年の身体を支え、
「良い? もしも死んだら許さないわよ。地獄の底まで追いかけてアンタの魂引きずり出してくれるわ」
 一転して眉を吊り上げ、獣の唸り声を錯覚させる低い呻き。
「お…前。それが……重傷の人間に掛ける台詞か」
 虫の息ほどではないにしても、息も絶え絶えになりつつ抗議を吐き出した。
 傷口からは相変わらず血が吹き出ているわで余り元気とは言えない状態にむごい仕打ち。
(こういう場合は泣いて縋りつく位の女らしさが欲しいんだが) 
 だが先ほどよりも頭の中はハッキリしている。同時に痛みも激しくなった。
 彼女が縋りついたところで意識がここまで回復はしていないだろう。冷徹な仕打ちは冷水よりも効き目がある。あまり素直に感謝が出来ないのも事実だが。
「うん。だから頑張って生きてね」
 非難の視線に返される輝かんばかりの笑顔。
「……相変わらず……無茶言う」
 ぐったりとした呻きに少しだけ掴まれた腕が痛んだ。
「死んだら。……殺すわよ」
 語尾に混じった掠れに、ようやく少女が強がっていることに気が付いた。口調は強くても顔が微かに強張っている。そう言えば今までの笑顔も少しだけ顔をそらし気味だった。
「かわいげのない女」
精一杯に敬意を表し、深く唇を噛んでいるのは見ないふりをする。
抱えている腕が僅かに震えている。恐らく深手の人間を見たのは初めてなのだろう。
「全く。おちおち休んでも居られんな。放せ」
 腕に力を込め、起きあがろうとするが意外と強い力で押し戻される。
「あら。寝ておけば。良いわよ役に立たない誰かさんは放っておいて、あたしが見せ場を独り占めしちゃうんだから」
 口元に手を軽く当て、クスリと笑う。仕草はいつもと変わらないが強がっているのは見え見えだった。
「そうはいくか。コレは俺の問題だ。お前に負担を負わせるわけにはいかない」
「うるっさいわね。変なプライドは捨てて大人しく寝とくの!! この辺りであたしの実力をとくと思い知らせとく必要があるんだし。あたしに力で押し負けてる時点で充分体力削られてるってアンタだって分かってるはずでしょ!?」
 紡がれる正論。だが青年は引かなかった。
「プライドのない魔剣士はタダの駄犬だ。邪魔だ退いてろもう治った」
 見栄ではなく誇りの問題。ある程度の腕を持つ剣士や魔術師なら時には命よりも尊いもの。熟練した剣士ならば尚更に。
 見習いとはいえ少女も魔術師の端くれ。思案するような素振りを見せるが、
「………………わかった」 
今度は腕に力を込めることなく頷く。
「助かる」
「信じてるわよ。死ぬほど馬鹿じゃないって。あと、あたしは傍観は嫌いだから」
 軽い返答に鋭い紫の視線。
 要約するなら、取り敢えず死ぬな。無茶したら容赦なく妨害を入れる。と言うことらしい。青年は答えの代わりに腕をちいさく掲げ、肩をすくめる。 
「命拾いしたな」
「しぶとくて悪いな」
言う間にも傷口から血があふれてくる。今までよりも量は少ない。微かに相手の顔に険が差す。
「傷口が狭くなっていることが不思議か? お前も運が悪い」
指先に付いた自分の血を舌で舐め取り、薄く笑う。
「つい最近この程度は出来るようになった。前なら動けないで居たが、な」
 滴り落ちていた血液は言う間に落ちる間隔を大きく開けていく。 
「ルール違反はお互い様だ。魔剣士である時点で」
 相手が何かを言う前に口元を吊り上げ、手元の獲物を地に落とすと収めていた剣を抜く。今までとは違い、剣先は鈍い銀光を宿していない。溶けそうなほどに赤い、朱が輝く。
「さて。それでは俺も本気で掛かるか。お前の検討に敬意を表し」
 血に染まったマントをなびかせ、青年は場違いに楽しそうな。
 それで居て寒気がするほどに妖艶な笑みを浮かべた。

 




戻る  記録  TOP  進む


 

 

inserted by FC2 system