大地と水晶-4





 見えたのは紅蓮。そして閃光が網膜を白く塗りつぶす。間近で聞こえる爆音に耳が拒否反応を示したのか、轟音は響かず酷い耳鳴りがした。身体に走る振動が衝撃の強さを物語る。
(直撃した!)
 刹那の間、瞼をきつく閉じてはいたが、すぐに開く。一時的にでも永続的にでも目が多少不自由になる事より、幼なじみの安否が気になる。焦る気持ちとは違って、白濁した視界と上がる土煙が鮮明な景色を伝えてくれない。ぼんやりと辺りの輪郭が現れる。
「―――っ。吃驚したあ!? 何。何事。え、えっと。手伝った方がいいの!?」
 両掌を顔まで掲げ、引きつった表情でルフィが声を上げた。恐るべき早業だったが、奇襲に近い今の攻撃を寸前で防御したらしい。微かな炎が結界を舐め、地に散っていく。紺色のローブが結界の向こうから吹く風を受け、揺れる。
(落ちてくるのは小さな炎の固まり? 楔形でなくて拡散系統で助かったわ)
 少女は胸中で呻いた。半分パニックに陥りかけていたために忘れていたが、よく考えれば当然だった。一点集中型の魔術や技というものは、作用する空間が限定されているために激しい閃光は伴わない。酷い閃光が目を焼いたと言うことはそれだけ術が散発、もしくは拡散している事を表す。勿論、普通なら拡散型でも十分以上に致命傷だが、防御壁を張った状態では散発か一点集中型かが重要になる。幾ら厚い装甲でも重い鉛を一点に絞られて何度も発射されれば崩れるように、いまの威力を固めた一点集中型であれば結界は簡単に瓦解する。慌てて張ったのであれば尚更だ。
 まともな魔術ならまだいいが、相手は余程の手練れらしく先ほどの一撃も恐ろしい威力だった。時間がなかったせいか相手側が選んだのが拡散型の術だったのは幸運としか言えない。
 一瞬下唇を噛み締めて。牙を剥いた魔剣士に紫の双眸を強く細め視線を触れさせ、
「いらない。校舎からみんなを出さないように。絶対よ。お願い!」
 クルトは弾かれたように幼なじみに振り向くと、首を横に振る。
 断定的な少女の台詞に、空色の瞳が困惑に揺れる。
「う、うん! そうする」
 クルトとチェリオを何度か見つめ、逡巡し。問答無用の攻撃で相手の無差別さが身にしみたのか、ルフィは強く頷くと。指先を数度動かして何かを呟き、きびすを返す。
 追い打ちの一撃は、先ほどよりも強い結界に弾き散らされた。追加の呪は結界を強めるためだったらしい。
「時間稼ぎか」
 意外と頑丈な結界に舌打ちする相手の魔剣士。瞳には爪先ほども良心の呵責はない。
「まさか。あれだけ派手にやっておいてみんな聞いてませんでしたー。ていう程うちの生徒連中は平和ボケしてないわよ。様子見って奴? でも来たのがルフィで良かったわ」
「うむ、他の奴なら瞬殺決定だな」
 剣を構えたままのチェリオの肯定に暫しの間を挟み、
「ま、一応あたしもこの学園の生徒であるわけです。なわけで一応礼儀を尽くさせて貰うわ」
 クルトは唇を開いて言葉を紡ぐ。いつもの少女の声とは違う、妙に固い声。
「ん?」
 眉根を寄せる青年に構わず、新緑色のマントを翻し、
「魔剣士チェリオに仇なす者よ。我らが聖地と知っての暴虐と承知した。 
 生徒の一人として。この大陸に住まう者として楽観視はしない。
 学園に牙を剥く者、生涯にわたり追われる身と覚悟せよ」
 掌を掲げ朗々と告げる。まるで死刑を宣告する死神。だが艶やかな紫水晶のツインテールがなびく様は幻想的にも映る。
「……どうした。偉く難しい言葉を使って」
 色々言うことはあったが、チェリオは取り敢えず突っ込んで置く。クルトは瞳を瞬くと、困ったように頬を掻き、
「いうなれば、この男がどうやってここに来たか。とても気になる。なんか色々ぶった切ってきたのは分かるから有罪決定。更に言うなら決闘は好き勝手にしていいけど無関係な奴盾にしようとか知らない人様に危害与えようとかして「ごめんなさぁい」で済むと思わないでね。という事よ。つまり」
 ちら、と視線を別に向けた。彼女の言う通り様々なものが一直線に切り倒されて凄いことになっている。青年のお気に入りでもある裏庭の森林に大きな獣道。
「率直に言うなら」
 確かに有罪だとチェリオは納得し、もう一度尋ねる。少女は深い溜息を吐き出し、
「こっちまで殺すつもりなら全力抵抗する。ということ」
 半眼で右腕を準備運動するみたいに軽く振った。
「俺は」
「知らない。あたしまで巻き込むな個人的な決闘に」
 冷たく突き放されて青年は恨みがましそうにちょっとだけ栗色の瞳をクルトに向けた後、沈黙する。正論は正論だ。
「甘い。魔術師は嫌いだと言ったはずだ。そこの男に肩入れする者は特にな」
「いや。肩入れはしてないわよ。むしろ今勝手にやって勝手に倒れろと突き放したばっかりなんだけど」
 険悪な視線と冷ややかな相手の言葉に、口元に指先を当て、眉を寄せる。
「話しかけているという事実だけで、側にいる者と言うだけで虫酸が走る」
 抜き身の剣を少女に向け、剣士は顔を歪ませた。
 その瞳を見つめた後、しばしの間を置き、
「あのね、そんなこと言ってたらその内チェリオの側を通りすがる人達片っ端から切り捨てなきゃいけなくなるわよ。そうなりゃ決闘じゃなくて辻斬り。標的は絞りなさいよね」
 嘆息混じりに肩をすくめる。
「五月蠅い。通行人ですら時たま切り刻みたい衝動に駆られるんだ」
 恐ろしいことをのたまう。だが、視線や声音は迷いすらない。本気だ。
 クルトは自分の紫の髪を爪先で微かに弄び、
「ねえ、チェリオさ。どうやったらそんなに嫌われることが出来るのよ」
 青年に冷ややかな視線を送った。
「知るか。真実と嘘が織り混ざって妙に捻れているフシがあるからな。
 心当たりがないとは言わんが」
 完全なる否定はしないらしい。栗色の瞳を軽く伏せ、吐息を吐き出す。
 紫の髪を揺らし、少女は空を見上げた。未だきわどい状況にかかわらず、いつものように澄んだ蒼だった。
「ふう。じゃ、あたしもその標的の一人か。ま、覚悟はしてたわよ。だけど喧嘩売るって事はそれ以上の覚悟を、そっちは持ってるのよね」
 数拍ほど沈黙を挟み、正面の現実に目を向けた少女の顔は普段と同じ。明るくのんきで不敵な、表情。それが逆に違和感となった。
「どういう意味だ」
 チェリオが問いただす前に剣士が口を開く。身体を動かした拍子に紫水晶を思わせる髪がゆったりと揺れる。
「あたしはさっき言ったはずよ。我らが聖地を踏み荒らす者、見過ごさない。
 建前はどうであれ、学園の生徒に傷一つでも付けてみなさい。その時は遠慮無く。善悪、生死関係ない。本気で、全身全霊を持って叩く。よおく、刻み込む事ね。
 そして、あたしの幼なじみに攻撃を加えた罪は重いわ。でも今はまだ我慢してあげる」
 少女の唇から出た吐息は、緊張ではなく呆れに近かった。土の付いた人差し指と親指を擦り合わせ、落ちていく砂を眺めて紫の瞳を細めた。
「感謝するのよ、とっさに防いだルフィに」
 掌を広げる。意味のない仕草。攻撃の素振りすら見えない。だが、声に含まれた冷たさに少女を除いた二人はぞっとなる。
 恐怖だろうか。それとも反射的になのか、相手の魔剣士が刃を翻す。
 風は少女の頬を掠め、近くの空気を切り裂いた。濃紫の瞳は揺れない。
「ねえ」
 紫の髪を風になびかせ、明るい微笑みをたたえたまま。ゆったりと魔力を風に乗せる。
「忠告は。した、わよね」
 頬を掠めた刃にぴくりとも眉を動かさず、柔らかな問い。だが、冷ややかさは拭いきれないほどに増していく。指先に魔力を集め、どろりとした水飴のように弄ぶ。
 色のない水飴は体積を増していき、辺りに張りつめた空気を蓄積していく。少女は笑顔のまま。
「魔剣士だからって調子に乗るんじゃないわよ。住みかで暴れられた魔術師の怒りを身に刻むと―――」
「俺が相手だろう。コイツまで巻き込む必要はない」
 涼やかな声と何かが擦れる音が響く。刃が握り直された音か。
「……何よ。いつもはこういうとき見捨てる癖に」
 金属音に集中力が途切れたのか、それともやる気が失せたのか。クルトは僅かに相好を崩し、開閉を繰り返していた掌を握る。集めていた魔力が解け、空気にとけ込んでいった。
 張りつめていた緊張の糸も微かに柔らかくなる。
「頭を冷やせ暴走女。敵うと思って、いや。敵う手だては辺りのことを考えた手なのか」
「…………」
 鋭い双眸に見据えられ、少女はふ、と吐息を漏らした。先ほどの魔力の濃さが嘘のように、辺りの空気は緩やかになっている。
「逃げておけ。どうせこういう類は俺の身から出た錆。自業自得だ。付き合わなくて良い」
 目の前の少女が臨戦状態を解いたことを確認し、青年は呟いた。
「逃げられればそうしてる」
 掲げかけた掌を下ろしたとはいえ、返ってきた答えは、いつもの軽口とは違う別人のような端的な返答。声は氷のように冷たく固い。
「無いなら作れ。いつもの気迫は何処に行った」
 ニコリとも笑わずに、青年はぽつりと零す。少女の肩が揺れた。
「……っ」 
 ゆるみはしても未だ張ったままの緊張の糸をつつかれ、身体の中の張りつめた空気が少しずつ漏れていくのを感じる。クルトはこめかみに指先を強く押し当て、唇を噛んだ。
 落ち着け。落ち着いて。取り乱さないで平静を保つ。
 ギリ、と耳の奥で歯の根が軋む音が聞こえる。いつの間にか自分で掴んでいた襟元が、爪に強く掴まれて肌を擦る。強張った指先を無理矢理引きはがし、
「く、う……ああもう! 大体アンタが不甲斐ないからこんな。落ち着く、そう。落ち着けば良いんでしょ。出来るわよ、その位出来るんだからね。
 それから、それからあたしはこの魔剣士嫌い! ダイキライ! 
 あたしの幼なじみに手を出す大馬鹿者はみんなダイキライよ」
 大きく手を振り回して喚くと、大きく息を吐いた。肺から、怒りと苛立ちも吐き出ろとばかりに。
「よし、戻ったな。やることは一つだ」
 冷静なチェリオの台詞に自分への苛立ちがまだ残るのか、軽く爪を唇に触れさせ、
「分かってるわよ。この手でしとめられないことには心底腹が立つけど、敵は討ってね」
 肩をすくめる。
「余裕があればな」
 冗談の混じらない返答。それだけではなく、何かを含んだ声の調子に、少女は訝しげに眉を寄せた。
「……?」
 何か、嫌な予感がする。何時も当たらなくて良いときに当たる予想。その類。
 身体の奥底から感じる警鐘。なにかが、まずい。
『ルア』
 尋ねる前にチェリオが動く。長い指先を剣に添え、真正面を見据えた。
「フレアブレイク!」
 始まりは何時も突然。少女が鼓膜に突き刺さった声に反応する前に、閃光が視界を焼き、轟音が聴覚を狂わせた。

 




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