大地と水晶-2





 魔物と戦うことは命を賭けた賭博。最悪の事態はいつでも想定している。
 だが、幾ら戦いをそこそここなしたとはいえ少女はまだ未熟な魔術師見習い。生憎魔物との喧嘩は想定しても人間は想定外だった。更に言うならチェリオを動揺させるためだけに、無関係かも知れない自分を狙うほど見境無い奴だというのも想定外。
 きちんと現状を把握して対処しないと本気で殺されかねない。いや、ためらいなく相手は殺しに掛かる。魔術の連発なんて言語道断だ。
(……ここは勝負の賭けどころ、か)
 心の中で小さく呻く。賭け事は好きではないが、最近無駄に命を張ったギャンブルをしている気もする。
 心中で憂鬱な溜息を一つ。だが、やることとやれることも限られていた。
 ――取り敢えず勝算を上げるにはアレしかないか。
 答えは幾つもあった。確実性を考えるなら掴むのはこれだ。すう、と息を吸い。覚悟を決める。
「おい、どうす―――」
 肩に手を伸ばし、声を掛けようとする青年の言葉を阻むように、
「いやぁっ。私この人とは何の関係もないんです。この男はどうなってもいい! 殺さないで下さい。見逃してお願いしますっ」
 涙を浮かべ、クルトは懇願した。知人が見たら笑い死にそうな位大仰にかぶりを振って頼み倒す。大きく体が震えていたりもする。
「おい」
「嫌ぁっ。触らないで! 死にたくないいっ!」
 半眼になって突っ込もうとした青年の手を振り払い、ヒステリックに叫んだ。
 力一杯の拒絶。怪訝そうに僅かに眉をひそめ、
「ああ、そうだな。邪魔だ邪魔だ。あっちに逃げろ」
 ようやく少女の意図に気が付いた青年は笑いもせずに無情な言葉を一つ。
「そんなこと言われなくても!」
 半泣きになったクルトは大きく頷き、走り出した。剣士の脇を掠めるコース。
 素人か玄人か判断しかねていた相手の剣先が鈍る。近くに通った少女にまず狙いを定めたところで、
「うだわあああ!?」
 クルトは大きく腕を振り回し、土を跳ね飛ばしながら派手に転んだ。
「い、いったあぁぁ。何でこんな所に石があるのよっ」
 真っ黒になったブラウスの土を払い、地面に八つ当たり。舞い上がる土埃に姿は霞んで見えないだろうが、流石に呆れたのか相手の攻撃目標がずれる。
「石はちゃんとひろえってみんなに言ってるのにっ。怠慢よ怠慢っ。
 あ痛!? 埃が〜〜」
 ぱんぱんとスカートを手の平ではたきながら、瞳に入ったゴミを取るような仕草で、青年に軽く片目を閉じた。
「痛いー。痛いー」
 酷く情けない台詞を吐き、瞳を擦る。まだ目が痛むのか座り込んだまま動かない。
 注意深くクルトに視線を向けていた剣士だったが、反射的に刃を下ろし、絶句する。
「な、っ」
 彫像にも思える整った顔立ちの青年が、刃を振り上げる直前、まさに紙一重の状態でかわす。
「ちっ。やはり一撃でしとめるのは無理か」
 チェリオは端正な顔を微かに歪め、間近で悔しげに吐き捨てて、距離を置く。
 ――土煙に紛れて近寄っていたのか? 僅かに剣士の脳裏に少女の姿が映し出されたが、その原因は疑問が肥大する前に次の行動を移す。
「ああもうこんな所ヤダあっ!!」
 泣き出しそうな顔になって、クルトはだだっ子のように喚くと駆けだした。
 転んだ痛みは何処に行ったんだという走りっぷりだが、目前の敵に気を取られて彼は少女の行動を注視していなかった。クルトは心の中で拳を握る。歓声は上げない。
(上手くいけ。もう少し!)
 勿論今までの動揺も転倒も相手を攪乱する作戦の一部、だが。本格的な賭は今からだ。
 足をもつれさせ、また転ぶ。
「ああもう、なんで校舎こんなに遠いのよ!?」
額に地面をすりつけ、呻く。演技は演技だったが、後半部分は本音だ。校舎が遠い。焦りそうになる気持ちを無理矢理落ち着ける。
 倒れたまま動かない少女を心配してか。にじり合うような攻防に僅かに嫌気が差したのか、
『助かった。だがしとめ損なった』
 飛び退いていったん距離を取り、目立たないように後退してきた青年が小さく囁いた。
『いいのよ。それも予想してたし』
強がりではなく本心。確かに土を舞い上げることでいくらかの行動は制限できる。
 不意を突けるのも予想通り。だがそれは相手とチェリオの実力が拮抗していない場合の話。予想通り、予想以上にチェリオとあの剣士の腕は互角だった。
『策はあるのか』
『策とは言えないけどね。あたしは逃げる。以上』
 ぐったりした格好のまま、宣言。声は潜めつつ、青年が呻く。
『おい』
 冷たい眼差しに視線はそらさず、剣士の動きをはかりながら、クルトは疲れたように顔を上げた。今にもパニック寸前、という様子にも見えるが、出てくる声は平坦だった。
『チェリオ。あんた僅かにでも遠距離から攻撃できる。魔術師。それが補助が出来る程度でも。実力が肉迫している剣士の真横に術師がいたらどうする』
 固い問いかけに、僅かにチェリオの口元が歪む。
『……殺す、と思うが』
 微かに迷ったようだが、青年は少女の望む言葉を紡いでくれた。
 残酷だが冷静な判断だ。熟練した剣士には弓兵は無力でも、矢が気をそらす役割は十分持つ。変化球の出来る魔術なら、それ以上の事も出来る。魔術は、使用者の機転によって弓以上にも弓以下にもなるのだ。
 足を掬う石を全て取り除けば転倒はしない。つまり、そう言う事なのである。実力云々ではなく、敗北する可能性を取り除く。それは生き抜くための必須条件であった。
(化け物か、こいつは)
 短期の間に戦闘を幾つかこなしたとはいえ、先ほど刃を振り下ろされかけた少女が数瞬で下した判断に、青年は舌を巻いた。判断能力が前から高いとは思っていたが、ここまでだとは。
『そう言うこと。取り敢えず、危なそうだから、で殺される気はないの』
 青年の驚きを無視し、少女は淡々と言葉を呼吸に合わせて転がした。息切れしながら喚いているように見せるために。
『盾に取られる心配もなくなるしな』
 僅かな答えに、少女が薄く笑みを浮かべた。地面の土を軽くかきむしり、
『分かってるなら良し。無理そうだったら強行突破。後フォローして』
 よろめきながら立ち上がる。チェリオは手を貸さなかった。
『言われなくても。出来るか?』
 代わりに言葉をはじき飛ばす。微かに少女は双眸を細め。
『微妙ね。やらなきゃいずれあたしは盾にされるのは分かるけど』
 嘆息した。唇から出る答えが重いのは、気のせいではないだろう。
 だが、少女はもう決めていたらしい。立ち上がると、青年を睨み付けた。
『決定か』
 演技続行。呟くと、肯定の目配せ。
『決定よ』
 悪戯っぽい台詞に、緊張が混じる。数拍ほどの口早なやり取りだが、相手が不審気にこちらを見た。 
『というわけで素人が突っ走るのは笑って見逃して』
『フォローできるかは保証せんぞ。俺は』
『知ってるわよ。色々喚きまくるから覚悟してね』
青年の冷たいささやきに、クルトは不安を蹴り飛ばすように、小さくウインクした。す、と息を数度吸い、そして。
「だいたいアンタのせいじゃない。何で私まで巻き込まれてるの!?
 責任取りなさいよ責任。せめて私を巻き込まないところでやって頂戴よ!」
 宣言通り喚き散らす。本気が幾らか混じってるのでわざとらしくはならなかっただろう。
 希望的観測。始まりの導火線にはもう火がついている。もう躊躇う時間はない。
「どいて。どいてよっ!!」
 腕を振り回し、チェリオを突き飛ばすように躰を後退させ。闇雲な動きであえて相手の懐を狙って走った。合わせて青年が僅かにたたらを踏む。
 ナイス演技。協力どうも! 胸の内で二度ほど手を打ち、駆けた。
「止まれ」
 恐怖に駆られて走り出し、止まれと言われて止まる一般人は余り多くない。更に足に力を込め、地面を蹴る。
「止まらないと斬る」
 ―――斬れるモノなら。
 心中で皮肉を交え、口の中で呪を呟く。
『母なる大地 たゆたう風よ 岩より鋭き力  風より速く駆ける力 我が力に  我が願うは幽玄(ゆうげん)なる力 全ての母なりし力よ 我の求めに応じ  ()の大いなる力を示せ』
 潜めているとはいえ、これだけの長さ口を動かせば普通の状態ならば気が付かれる。
 だが、先ほどから喚きまくったせいで。恐らく目の前に立ちふさがる剣士の頭の中では『一般人の少女の呟き=愚痴』なる公式が出来上がっている。
 予想違わず何もしかけては来なかった。堂々と呪詛を呟いて、真正面から駆け寄る。
 素人相手に実力を全て出すほど無情ではないだろう。それになにより側にはチェリオという強敵が居る。体力は保持したがるはずだ。
(避けられる早さならいいんだけど)
 先ほど自分を襲った銀の刃。前のクルトなら無理だったが、幾度かチェリオの太刀筋を見、戦いを繰り返したおかげか見えないほどではない。
 全力で神経をとぎすませば避けられる。絶対に。
 相手が少女を甘く見れば見るほど可能性は跳ね上がる。
 こんな作戦を瞬時に組み立てる自分も嫌だと思いつつ、クルトは躊躇わなかった。
駆ける足をゆるめず、徐々にスピードを吊り上げ姿勢を低くする。
「女。邪魔だと」
 素人相手には早すぎるほどの大振りの一撃。繰り出された攻撃は鋭かった。だが。
 ――いける!
 なんだかんだ言いつつ毎度のことチェリオの真横にいた少女には、遅く見えた。
 相手の懐に潜り込んで、地面を削り、滑り込み気味にかわす。 
 刃が額を掠めて通り過ぎた。
「なに!?」
 相手の驚愕の呻き。ずぶの素人がやるには素早すぎる対応に、動揺が隠せないらしい。返す刃はかなり鈍い。
 かわせたからと言ってクルトは油断しなかった。随分前先走って攻撃を仕掛け、カウンターを喰らい死にかけた記憶がある。
「破腕脚」
 最後の呪を吐き、跳躍した。頬を切る風、足下を流れる木立。重力から解放される浮遊感。宙に身をゆだねる刹那の快感。
 術無しでは到底走っても飛び上がっても無駄な空中で、鼓膜を掠めた声に背筋が凍る。
『ルア……』
聞き覚えのある言葉だが、聞き覚えのない声。まずい、と反射的に振り返り、後ろからの衝撃に一瞬意識が吹き飛ぶ。地面に落ちたのか、続けざまに強い衝撃。幸か不幸か術の副作用で結界が張られているため、気絶はしなかった。警戒してこの術を選んだのは正解らしい。
 くらくらする視界を元に戻す前に、大きく腕を折り曲げて、何度か勢いよく転んだ際に握っていた石ころを投げ飛ばした。
「ぐっ!?」
 固い手応えと予想よりも近い呻き。よろめく躰を宥めて出来る限り距離を取る。
 何が起こったかは分からないが、良くない状況であることは確かだ。
「くそ、結界か」
 吐き捨てられたチェリオの声に何が起こったか瞬時に把握した。立たされた状況も。

 




戻る  記録  TOP  進む


 

 

inserted by FC2 system