Small consideration/小さな思いやり-3






 五人目の落第者が決定したところで大きくため息を吐く。
「居ない……」
 そう呟いて天井を眺めていたクルトの耳に、またあの少年とおぼしき声が聞こえてきた。
「コレとコレで……良い、んでしょうか?」
 注文の品を届けるための確認だろう、少年は僅かにぎこちなく尋ねる。
「ああ」
チーフの声がしばらくの間をおいて聞こえてきた。恐らく頷いたのだろう。
 ソコまで聞き、クルトは僅かに眉をひそめる。
「……なんか、今の声。緊張でぎこちなかったと言うより……」
 慣れない言葉を言い、突っ掛かった風にも聞こえた。
 そっと顔を上げ、間仕切りの向こうに見える顔を覗こうとする。
 しかし、黒髪だけが僅かに見える程度で、顔は到底見れそうになかった。
「じゃあ、運んできます」
 小さく礼をしたのだろう、一拍おき、靴音がこちらに向かってきた。
 慌てて首を引っ込め、壁に身を寄せる。
 少年はこちらには見向きもせず、銀のトレイを片手に隣のテーブルへ注文の品を持っていった。
 だが、僅かだったがその姿を視界に捉えたクルトは頭を振る。
「いや…まさか。そんな」
 この店に来てから「まさか」や「いや…」と言う言葉をよく使っているような気がする。
 ある可能性を否定し続けるクルトの耳に、その少年の声が入る。
 食器を並べる音と共に、聞き逃し掛けたが、席に座る客の小さな息をのむ音が聞こえた。
「お待たせ致しました。ご注文がお遅れして大変申し訳ありません。
 これはお詫びを含めた、当店のサービスになっております」
 そこで言葉が一旦途切れる、カタ。と小さな何かを置く音が聞こえた。
 陶器の器に小さく響く粘性のある音と甘い蜜の香り。
 そして、僅かな酸味のある柑橘系の匂い。
 蜂蜜にレモンを漬けた物だとクルトは瞬時に判断した。
「それでは、ごゆっくりおくつろぎ下さい」 
客に礼をし、少年は軽い足音を立てて戻っていく。
 そう、こちらへと向かってくる。
 もう、姿は元より先ほどの声で決定的だった。
自分が間違えるはずはない。
 軽く息を吸い込み、間仕切りの外へ(もちろん作った)少し大人びた声をあげる。
「私の頼んだ『フルーツパフェ』まだ来ないんですけど」
「あ、済みません。今おもちします」
 相手が慌てたように厨房へ行き、程なくしてから戻ってきた。
「大変お待たせ致し―――げ」
 途中までは普通のウェイターの見本のような言葉だったが、少女を視野に入れたとたん、それも崩れた。
「『げ』じゃないわよ。お客様には「どうぞ」でしょ?」
少年より少し早めに先手を打てたクルトは、会心の笑みを浮かべ、チッチと人差し指を軽く左右に揺らした。
 彼の漆黒の瞳が驚愕に見開かれている。
「お、おま……なっ」
「何しに来たかって? そりゃ『ぱふぇ』食べに」
混乱と焦りのあまり言葉にならない少年の胸中をあっさり見抜き、素っ気なく答える。
「というよりあたしの方が『何してる』って聞きたいわよ。
 アンタこそ何してるのよ。スレイ」
ソコまで言って、軽く両手を広げる。
 少年は困ったように顔をしかめ、気が付いたように少女の手を見た。
「いや、その……バイト。なんだその手」
「ん」
 何かを言いたげにスレイを睨み、クルトは手を再度広げる。
「???」
「ぱふぇ」
 疑問符を浮かべるスレイに、半眼で請求する。
「あ、ああ。そっか」
 気が付いたように片手に持った銀のトレイからパフェを取り、クルトの前に置いた。
 少女は口をとがらせ、
「さっき言ったじゃない『ぱふぇ食べに』って。
 言わなきゃ気が付かないんだから、鈍いわねー。溶けちゃうわよ」
ため息混じりにパフェにスプーンをつけた。
「あのさー…」
「あにお(何よ?)」
 不意に呼びかけられ、口にスプーンをくわえたまま返答する。
 今の言葉で会話が通じるか一瞬疑問に思ったが、そんな考えも杞憂だったらしく、
「チーフに話し付けて休憩入れてもらうから、ちょいまっててくれねーか?」
 そう頼み込むように言ってきた。
 取りあえず少し首を傾けた後、
「ううわお? えつい(いーわよ? 別に)」
答える。
 いっていたクルト自身でさえ、『あたし何言ってるんだろう』と思ってしまうほど解読に難を要する言葉だったが、
「そうか。助かるー。ちょっと待っててくれな」
 スレイはそう言って席を立った。
 幼なじみ同士だと、思った以上に相手の言葉が的確に分かるらしかった。
 似たような事を他の幼なじみにやった事はあるが、ここまで体感できたのはコレが初めてだった。
 取りあえずスプーンをくわえた間の抜けた格好のまま頷いておく。
 それを確認して、スレイはチーフの所へ消えていった。


そう経たずに戻ってきたスレイは、席に着くなり真顔で口を開いた。
「で、だな。話って言うのは他でも無――」
「パフェ一つ」
皆まで言わせず、パフェを軽く口に運び、告げた。
「は? いや、オレの話まだはじまったばっかだろ」
「どーせ、『みんなにはナイショにしてくれ』とかそう言うのでしょ。
 パフェ一つ」
 お冷やを一口含んで喉を潤し、横目でスレイを見る。
 当たらずとも遠からず、と言ったような表情で少年はクルトを見た。
「む……相変わらずオレの考え先に読むな。お前」
「何年アンタの幼なじみやってると思ってるのよ。ま、見つかったのがあたしで良かったわね。
 このパフェ奢ってくれるだけで良いから」
 少年はパフェを口に運ぶ少女を何か言いたげな目で見、
「まあ、確かにそーなんだけどさ〜。お前、深く考えた事あるのか?」
 そう言って小さくため息を吐く。
「んー? 何が」
 どうでも良い、と言うように適当な返事がクルトから返ってきた。
「この期に高い物食べまくってやろうとか。一生奢り続けてもらおうとか」
「別に無いわね。アンタが奢ってくれるって言うなら食べるけど」
 そこまで言って、考えたように少しパフェを眺めた後、
「あ。でも沢山は要らないわ。お腹そんなに空いてないし、何より入らないもの」
 軽くスプーンで僅かに液状になってきたパフェの器をかき回し、スレイを見る。
「おまえってさー。オレが見ても、やっぱちっと変わってるわな」
 少年は机の上に頬杖をつき、呻くように呟いた。
「はいはい……で、他になんか用あるの?」
 それに適当に相槌を打ちながら、ちらりと目線を彼に合わせる。
「んー。それ、なんだけどな」
 彼にしては珍しく、歯切れの悪い言葉を紡ぐ。
 そこで漸く、クルトはスプーンを置いて彼に向き直った。
「どうしたのよ。アンタが言い淀むなんて珍しい。
 いつもなら、要点だけスパッと言っちゃうのに」 
性格的にも性質的にも。良くも悪くも直線型のスレイは何があっても一直線。
 自分の思った事は建前、と言う言葉の柔らかなオブラートで包む事はあまりせず、本音をぶつけてしまう。
 まどろっこしい言い回しや、含んだ言い方は彼が一番苦手とするところだ。
 その彼が、何かを言いづらそうに頬を掻いて押し黙っている。
 どうやらパフェをのんびりかき混ぜている場合ではない、とクルトは判断した。
 スレイはもごもごと口を動かしていたが、少し決心を付けたように口を開き、
「んー、と。そのな」
 そこまで言ってクルトに向き直った。
「うん。その?」
しばしの沈黙を挟み、真摯な瞳で少女に告げる。
「…………みんなにはこのこと、秘密にしてくれないかなー? って」
「いや、あたしさっき『パフェ一つ』って言わなかったっけ」
僅かに肩を転けさせ、クルトは呻きながら体勢を立て直した。
「いや、そっちもなんだけどな。みんなに、黙ってて欲しいんだよ」
それを見ながら、スレイは続けた。
 言葉の意味が良く飲み込めず、クルトは僅かに首をかしげる。
「みんな…?」
「ああ。弟……つーか、マルクとケリーにも秘密に出来ないか?」
 少女の言葉に小さく頷き、そう言って頭を掻く。
 少し付いていけずにクルトは一拍おいて声を漏らした。
「え?」
「コレ、あいつらにも秘密にしてるんだよ」
口元で「しーっ」というように指を立てる。
「……何でよ。そんなに悪い事じゃないでしょ」
 寧ろ、褒められる事だ。
 学業と副業とは言え、アルバイトを両立させているのだから。
 今通っている学園に、『アルバイト禁止』と言う取り決めはない。
 校長の『自由』というルールはこういうところにも現れていた。
 その辺りはクルトも感心している。
「うーん……理由言わないと駄目か?」
 困ったように、と言うよりも弱ったように頭を掻き、クルトを見る。
「まあ、無理に聞きはしないけど。気になりはするわね」
 彼女は少年を見、小さく肩をすくめて笑った。
 クルトを見て、決心がついたのか、スレイはポツポツと語り出した。
「オレの家ってさ、弟含めて結構多いだろ」
「そうね。結構大所帯ね」
 取りあえずスレイの言葉に頷き、相槌を打つ。
 少年はそこまで言って、上手い言葉を探すように辺りを見回し、
「だからさ、その……」
 ポリポリ、と言うよりもいささか荒く自分の頭を掻きむしる。
「その……?」
 苦悩する彼を見ながら、小さく言葉を促す。
 少し落ち着いたように小さく嘆息し、
「今は平気だろうけど、何時か『あいつら』が大きくなったら、学費とかで金が足りなくなると思うんだよ」
いつもの彼の素面とはかけ離れた言葉を紡ぎ出す。
 あっけにとられているクルトを尻目に、話は続いていく。
「まあ、オレがいちおー一番年上な訳だし、まあ……稼げる時に金でも稼いでおくかなーと。思ったわけ、で。
 取りあえず人づてで親しかった奴に、新しい店が出来るからって。
 人手が足りない時の穴埋めみたいなモンだけどな。
 給料も悪くなかったから……ここに」
 そこまで言って、僅かに赤みの差した頬を見せないためなのか、後ろを向き、
「だけどさ、そのー。そう言うの話すのって……なんか照れくさいだろ。
 だから、アイツらにはさ、黙っててくれないか? 頼むよ」
振り向きざまに両手を合わせ、拝むようにクルトを見る。
 呆然としていたクルトだが、少し考え、
「そうね…ぇ。パフェ一つ」
 先ほどと同じような言葉を紡いだ。
 吃驚したようにスレイは目を瞬かせる。
「へ? ンなもんでいいのか?」
「良いわよ。ただし」
 彼にスプーンの柄を突きつけ、不敵な笑みを浮かべる。
 僅かに後退し、
「ただし?」
 聞き返すと、クルトは軽くウィンクをしてあっさりと答えた。
「コレ食べたらあたしも手伝うわよ」
「……は?」
 かなりの間をおき、疑問符を浮かべたスレイに、クルトはクスクス笑いながら言葉を続ける。
「アンタがウェイターなら、あたしはウェイトレスするの」
「って、待て待て。だから、オレは臨時雇いだっつっただろ! 
 それに、給料はもう払えないから雇い手はもういらねーって」
 片手を左右に振り、クルトの言葉を押しとどめる。
 予想済みだったのか、慌てず騒がず少女は続けた。
「タダならどうよ」
「は? な…」
「タダで雇ってって言ったらどうなるかしら」
それはとんでもない提案だった。
 無邪気に続ける彼女の言葉に、スレイは目を白黒させ、
「いや……それなら何とかなるだろーけどな。お前に、なんか得でもあるのか?」
「無いわね」
 あっさりと答える。
 そして、こうも続けてきた。
「幼なじみのためにあたしが一肌脱いであげようと言ってるのよ。
 喜びなさいよ」 
「え? オレ?」
 自分を指さし、呆けたような声を上げ、クルトを見る。
 少女はフルフルと首を横に振り、
「アンタはともかく、弟を思いやるその気持ちにあたしは感動したわ。
 一応兄としての自覚はあったのね!」
 そう言って頷く。
 スレイは少し半眼になり、
「オレはともかくなのか」
 小さく呟いた。
 彼女は自分の腰に両手を当て、
「特別にタダで雇われてあげる。まあ、暇な時にしか来れないんだけど。
 あ、言っておくけどスレイのためじゃないからね」
そう告げ、スプーンの柄をクルクルとスレイの目の前で渦状に回した。
「サンキュ。じゃ、ちょっと話通してくる」
「OK。結果は言われなくても分かってるけど」
 席を立ってチーフに伝えに行くスレイを横目で見、辺りの目回るような忙しさを眺めて、独り言のように小さく呟いた。


 




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