力をこの手に-1





 木々を縫って風が走り抜ける。
 (なぎさ)潮騒(しおさい)にも似た音が辺りに響いた。
 とは言っても、海から少し遠いモーシュ村だとその表現ではあまり上手く伝わらない。
 澄んだ空気。柔らかな日差し。
 校庭に出た生徒達は思い思いに走り回り―――
「さあ、覚悟しなさい。今日こそ息の根を止めてあげるわ」
「ふっ、それはこちらの台詞だな。今までの屈辱、今日こそは晴らしてやる」
 和やかな空気を裂く甲高い少女の言葉と、嘲るような青年の声。
 一拍沈黙を挟み、何処か慣れた様子でその場にいた全員が声から離れていく。
 そして残るのは対峙した二人。
 一人は背の低い小さな少女、一人は対照的に背の高い、青年。
 二つに結い上げられた彼女の紫の髪と身に纏った緑のマントが、風になぶられる。
「よぉし、言ったわね。言っちゃったわね」
 何か危ないモノを含んだ声で、少女は笑みを浮かべた。
 即座にそれを感じ取り、青年が眉を僅かに跳ね上げ、
「ああ、いったがそれがどうし……待て、その魔法だけは止めろ」
 詠唱の中身を確認し、整った顔を僅かに歪め、少女から数歩離れる。
 ついでに周りの生徒も、彼の倍の距離をもの凄い速さで後ずさった。
 手の平を掲げ、不気味な程楽しげな微笑を少女は浮かべて含み笑う。
「うっふふふふ。もう遅いわよ超特大の行っちゃうわよ」
「また校舎ごとぶっ飛ばす気かお前!? というか俺の事殺す気なのか?」
 気のせいかなりふり構っていない少女を見、青年は喚いた。
 他の者が言った所で冗談にしかならないが、前科が幾度もある彼女の言葉には説得力がある。
 ……いや、確実にやる。
 それに少女はニッコリ微笑んで、
「多分大丈夫」
 無意味に大きく断言する。
「無責任な」 
 引きつった声で呻き、静かに剣を引き抜く。
 銀光を目ざとく見つけた少女は口をとがらせ、
「あーあーあーあーーー! 女の子に対してためらいなく刃物向けるんだ。刃物!
 うっわ最低。というかやっぱり暴力的な変態だけはあるわ」
「……ためらいなく生身の人間を校舎ごと吹き飛ばそうという奴より、なんぼかマシな気がするが。それに何度も言うが変態ではないぞ」
もの凄い勢いで次々と飛来してくる言葉に顔をしかめ、青年は至極もっともな事を呟いた。
「むむ、生意気な。チェリオはお仕置き決定! 灼熱の波よ、我が言葉によりて」
 耳に入ったのか、険悪な表情で少女は唸り、本格的に魔術の構成を練り上げ始める。
「おい、いつも何もしていなくてもやる癖に今更」
「たゆたう現世(うつしよ)狭間(はざま)に姿を現し」
 ボソリとつぶやいた彼の言葉に、少女は微かに眉を跳ね上げた。
 表情は変わらなかったが詠唱に力がこもっていく。
 この状態になってしまったら、もう二人を止められる者は限られている。
 彼女の幼なじみルフィと、
「はいはい。二人ともそこまでですよー」
 対峙した二人の前で、気楽な顔をしてパタパタ手を振るこの青年のみ。
 にこやかな笑みを浮かべたまま手を振っている青年を、キッと少女が睨み付け、
「とめないで、社会的に滅びと破壊と秩序の狂いを、生み出すこの極悪変態剣士をこの世から今まさに抹殺しようとか崇高(すうこう)なる使命を果たそうとしているのに。邪魔しないで!」
 一気にまくし立て、ぜえはあと息を切らす。
「チェリオ君に用が……ああ、そうなんですか」
「そうなのよ」
「じゃあお邪魔ですね。では」  
 真顔で頷く彼女の台詞に頷き、あっさりと言葉を引っ込め、(きびす)を返す。
「待て! 普通に去っていくな。一応校長だろう。というより用はどうした!?」
流石に静止の声を上げ、チェリオは歯の根を軋ませるように呻いた。
「あー…そういえば。チェリオ君に大事なお話があったんでした」
 校長――レイン・ポトスールは蒼い瞳を瞬き、思い出したようにポン、と手を打つ。
 本気で大事だとは思えない仕草だった。
 それを見ながら、彼女は腰に手を当て、
「もう、邪魔しないでよ。だから言ったでしょ。
 この最悪最低色情魔ボンクラ剣士に正義の鉄槌及びに乙女達の怒りと憎しみとえーと、あとは適当に何だか色々知らないけどこもった念をぶつけるのよ!」
 力強く拳を固める。拳で器用にも『許せない』と語っている。
 熱く語る少女の話の合間に、妙な違和感を感じ取り、
「何なんだそれは。
 意味を聞きたいような聞きたくないような台詞が混ざってなかったか」
 ため息混じりにチェリオは呻いた。
 その横で、何処か遠くを見るような目で青年を凝視していた校長はポソリと、
「……否定はしなくなっちゃったんですねぇ。チェリオ君」
 ゆっくりと頭を振る。まるで、『分かっていましたよ』と言わんばかりに。
 何が分かってるんだと言いたかったが、誤解を解くのが先決だ。
「……いやする。勿論するが……って、用があったんじゃないのか?」
取り敢えず否定しておいた後、チェリオはもう一度疑問符を浮かべた。
「ん〜そうですねぇ」
「うりゃ」
 のんびりと考え込む校長の横から、伸び上がるような少女の蹴りが青年の顎を狙う。
「ああ」
 スッと体を軽く傾けただけでそれをかわし、頷く。
「うーんと」
 少し思い出すように、二人の小競り合いを校長は眺めつつ首を傾ける。
「たあ! やあ! えいっ!」
 抉るような突き。すくうような回し蹴り。叩き付けるような拳打。
「ん…… 思い悩むなそこで」
 それらをことごとく避けながら、チェリオは半眼で校長を眺めた。
「ぜえ、ぜえ……当たらないーーー」
「そうですねぇ。クルト君、攻撃するのを止めて頂かないと、とても喋りにくいんですが」
 今気が付いた、と言うように校長はせわしなく肩を上下に動かす少女を眺めた。 
「ぜえ、はあ……はあ……」
 どうやらスタミナが切れかけているらしい。先程から乱れた息を整えようと体を軽く脱力させている。
「何で…よ」
「無駄ですし、それに辺り一帯吹き飛ばしたら補習に色々と色を付けて差し上げようかと」
「あう」
 言われた言葉にクルトはのけ反った。
 鋭い刃の一撃に匹敵する一言。
()え無く陥落し、少女は沈黙した。
「で、何のようだ」
 腕を組み、三度目の質問。いい加減苛立ちが言葉に混じっている。
 だが、校長は気にした様子見せず、
「例の話なんですけど」
笑顔でのたまった。
 一瞬、理解出来ず青年は眉を潜めた後、
「……例。ああ……給金の話か」
 心当たりがあったのか、そう言って首を縦に振った。
 ―――― 給金。
 彼の台詞にぴくり、とまだ無言のままで居たクルトの体が反応する。
 柔和な笑みを崩さず校長は頷き、
「そうとも言います」
 拍手をするように二、三度手を叩き、同意した。
『給金、て事はお給料の話』
 二人の会話を聞きながら、クルトは小さく呟く。
 耳には入らなかったのか、会話は続く。
「アタリは付けたのか?」
「ええ」
 アタリ、というのは大体の金額の上限なのだろうか。
 それに校長が頷く。
「ふむ、今回はどんなのだ?」
「いやもう今回は大奮発しちゃいましたよー」
どんなの、と言う事は給金の他にもボーナスが出るのだろうか。
 大奮発という事は、それなりに凄いモノが渡されるのかもしれない。
 などという言葉が頭の中で左右に行き来している少女の横で、話は続く。
「ほお、で。今回は手渡しか?」
 やはり給金には校長の手渡しと、銀行(クレオット)が間接的に渡すのと、両方あるのかもしれない。
「いや、地図渡しますから勝手にとって来て下さい」
 そう言って校長は古びた茶色い地図をチェリオに差し出した。
今回は銀行に決まったらしい。そのための地図が今まさに手渡されようと―――
「……ちょっと古めの遺跡ですから注意して下さいね」
「ああ」
「ちょっと待たんかおのれら」
 平然と交わされる二人の会話に、少女は思わず崩れた言葉で突っ込みを入れる。
「ん? クルト君どうかしました?」
「言葉遣いが何時になく粗暴(そぼう)だぞ、お前」
「どうかしました? じゃないわ! 粗暴もどーだって良いのッ」
「チェリオ君。クルト君はどうして怒ってるんでしょう。
 やっぱり剣五本は少し奮発しすぎてるかなーとか言いたいんでしょうか。
 学園の財政面を心配しているとか」
「いや、それだけはあり得ないだろ。コイツは無意味に修繕費上げてる代表だしな。
 む。確かに……五本は大奮発だな」
「でしょう♪ もう、出血大サービスですよ」
「ああもう! だからそうじゃなくて……って、剣五本?」
 辺りに花でも咲いていそうな程和みまくった校長の言葉を、両手をフルに活用して煙かハエのごとく振り払い掛け、思わず聞き返す。
「五本なんて大サービスですよねぇ。普通なら一本なんですけど、今回は五本一セットでお渡ししようかと思います」
 まるでどこぞの勧誘か、簡易露店のお兄さんのような口調で、校長は片手を高々と空に掲げた。何処を手で指しているのかは良く解らない。 
 その内放っておけば『この包丁とまな板がセットで何とお得な価格!』とか言い出しそうな雰囲気だ。本当にし始めれば奥様方に大繁盛するだろう。多分。
 まあ、恐らく言わないだろうが。
「剣はともかく給料でどうしてその話になるのよ」
 半眼で見つめる少女の言葉に、校長は軽く指を左右に振り、
「慈善事業じゃないんですよ〜」 
 柔らかく微笑んだ。
「どういうことよ?」
 腰に手を当てたまま良く飲み込めない、といった感じの少女を眺め、
「ソレ相応の事をして頂かないと、モノを差し上げるというのは出来ませんからね」
 何処かで聞いたような台詞を吐いた。
「つーことは、アレよ。うん、ちょっと待ってね」
「ええ」
 ポリポリと頭を掻き、頷く校長を置き去りに、クルトは虚空をしばし見つめ……
「……と、つまり。何? 給料は剣を渡す事で支払ってるとか。しかも剣だけ」
「ああ」
 校長の代わりにチェリオが言葉を紡ぐ。
「……………」
 何の迷いもない返答。
 クルトはたっぷりと十秒以上は沈黙し、
「阿呆かーーーーーーーーーーー」
 チェリオの胸ぐらを気が付いたら掴んでいた。
 その隣で、さもありなん、と言った顔で校長が重々しく頷く。
 相変わらずの笑顔のせいで、その重々しさは半減どころか三分の一もないが。
「むう、クルト君の言いたい事はもっともです。ですが、人によっては金銭よりも大事なモノがあるんですよ」
「って、最もらしい事言って誤魔化すな、この馬鹿校長は!
 そりゃそーでしょうけどねぇ、一銭も渡さないなんてご飯すら食べれないじゃない!」
何故か青年の胸ぐらを掴んだまま、校長にまくし立てる。
 物理的な攻撃は、青年に向けないと気が済まないらしい。
「ああ、それは……平気……だが。たまに……働けば」
 苦しい息の下、途切れ途切れの言葉でチェリオが反論してきた。
切れ切れなのは無論胸ぐらを絞められているせいだが。
「それで……それでアンタはたまにフラリと副業に行くのね」
 何時か見たその光景を思い出し、僅かに顔をしかめる。
「らしいので平気です」
「アンタが言うな!」
 爽やかな笑みを浮かべる校長の言葉に、手をわななかせ、クルトは歯を剥く。
 束縛を解かれた青年が鈍い音をたてて地に落ちるのが視界の隅で見えた。
 特にどうという事でもないが。
 校長は全然悪びれない顔で、
「まあまあ、悪気はないんですから怒らないで下さい」
 パタパタと手を振る。
「だか……ッ。ああもう良いわ……相手するの疲れてきた」
 叫び掛け、倦怠感も露わに少女は呻く。
 その言葉に校長はフルフルと首を横に振り、
「うう、構ってもらえないと寂しいんですが」
 悲しそうに言ってきた。笑顔は崩さずに、だが。
「じゃあひたすら無視するとして、その地図の場所は遠いの?」
「あう゛。クルト君がつれない……」
 サラリと無視され、地面に「の」の字を指で書きながら、落ち込む。
 重い影を背負い、ぐりぐりと地面を削るその姿は、悲しみのあまり地に埋没(まいぼつ)しそうな雰囲気だ。
「ん……ああ、そんなに距離はないな」
 どんよりと重たい空気も気にならないのか、チェリオは少女の言葉に頷いて地図を広げる。
「うう、チェリオ君まで」
視線すら向けない青年の仕草に、校長はとうとう地面と一体化した。
「…………」
 一瞬。チェリオの手元の地図を凝視していたクルトの瞳がキラリと光る。
「……まさか」
その光景に、既視感を覚え、チェリオは軽く悪寒に見舞われ、立ちすくむ。

嫌な、予感が……脳裏をよぎった。

 




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