愛してない贈り物-9



  


 廊下の変わらぬ景色。反響し続ける甲高い靴音。
 古びた本を開くよう。記憶が埃を舞い上げて巻き戻される。
 数日前の、彼とのやり取り。
 記憶の頁が静かに捲れる。静かに。ふわりと。
 
 ゆったりとした時間が好きなわけではなかった。ただの平凡さも望んでいない。
 少しだけ冒険が欲しい、僅かなときめきを味わいたい、だけなのに。最近はどうして目が回るくらい忙しいのか。
 大魔導師だって夢なのに、実戦等向けの体術だけが磨かれていく。
 上手くいかないってこういう事か。紙面みたいに上手く事は運ばない。
 巧妙に組み立てられた物語の勇者になろうとは思わないが、もう少しどうにかならないモノか。というよりも、どうして自分はココまで労力と時間を惜しまずこんな作業に没頭してるんだ。
 そこではた、と気が付いて止めていたペンを慌てて上げる。
「あ。ああああああ」
 ちょっとだけ、物思いにふけっている内に滴り落ちたインクは書きかけだった術の構成に雨を降らせた。しかも致命的な分量で。
「次から次へと。くぅぅ」
 黒く染まった紙を両手の平で握りつぶし、半泣きの呻きを漏らしていたところで声が掛かった。
「こんにちは。上手く……いってませんねその様子ですと」
 片手に分厚い辞書を抱え、にこと微笑む。
「あ。通りすがりのケリー。こんにちは、と。
 何度目のこんにちはなんだかもう。良く通りがかるのね。こんな端に」
 ぽい、と空いた空間に瞬時に紙くずになってしまった紙を放り。近くにある本を一冊抜き出して復習の意味もかねてゆっくりとページを捲る。
「ええ。クルトさんがお使いになる『腐れ縁』なのかもしれません」
 悪態を笑みで返されぐぅの根も出ない。兄の方ならその場で怒りそうなものなのだが、下の弟たちは本気で血が繋がっていないんではないかと思うほどに頭の回転が良い。ついでに口も達者だ。
「はあ。あたしが悪かったわよ。八つ当たりです」
 溜息混じりにクルトは呻き、ぶす、と頬杖を付く。ケリーは気を悪くした顔も見せず、むしろ可笑しそうに笑うと。
「よっぽど上手くいってませんね」
 痛いところをついてきた。本に没頭する振りをして無視を決め込むクルト。
「お悩みのクルトさん。本当はいけないんですけど。面白いお話聞きますか」
 ちら。と視線を向ける。眼鏡の向こうの瞳が肯定と取ったか、話を続ける。
「通りすがりの戯言です。材料をちょっと変わったモノにしてみるという手もありますよ。何が起こるかは保証しませんけれど」
 少女が本を閉じた音が、やけに大きく響いた。
「たとえば――草を別の草に変えてみるとか。通りすがりの戯言ですよ」 
念を押された言葉に小さく頷き、礼をして消える背中を見つめながら他の本に手を伸ばした。その時は、少し気に留めるだけにしていた言葉だった。



 変わったモノ。
 足が速まる。
 変わったモノ。
 アレしかない。
 変わったモノ。
 絶対間違いないに違いない。
 確信に近いことを感じつつ、ばん、と扉を開く。
「チーフ。お願いがあります!」
「な、なんだね。クルトちゃん」
 帳簿を付けていた手を止め、まさしく転がるように駆け寄ってきた少女と音に表情を固める。
「香辛料ちょっと分けてください!!」 
 だんっ、と勢いよく机に両手の平を置き、間髪入れず深々と頭を垂れる。蓋の開いたインク壺が跳ねる。
「はっ!?」
 デスクにめり込みそうなほど下げられた頭部を眺め、当然ながらチーフが間の抜けた声を漏らした。構わず少女は頭を下げ続ける。今にもひれ伏さんばかりの勢いだ。
「あの、ちょこっとだけで良いんですっ」
 必死な様子と、時間が落ち着きを与えたのかチーフが大きく息をつく。 
「スレイと同じ所に通ってるらしいがそんなモノも使うのか?」
 向けられた視線と抑揚のない声に両手をこわごわと引き、走った時に解けたリボンを結び直し服の乱れを整える。相手が頷いたことを確認し、
「いえ。使うことは使うんですが、あたしの個人的な研究というか。
 出来ることなら何でもしますからお願いします!!」
 先程よりも丁寧に頭を下げた。
「そこまで大事な研究なのか」
「意地とプライドと乙女心に関わるんです」
 もう研究材料。いや、あの調合に馬鹿にされ続けたままでは気が収まらない。魔術師がどうの、腕がどうの、ではなく既にプライドの戦いだ。調合の術式に舐められっぱなしでは人間の尊厳に関わる。
「香辛料が貴重な品だと承知の上かい」
 静かな声音にぎく、と肩が跳ねた。海を経由して持ち込まれる香辛料は魔道具並の高級品。下さいと言われ、ハイそうですか、と渡すお人好しは居ない。
 つまり、それなりの交換条件はあるのかと問われているのだ。
 恐る恐る顔を上げると、鈍い光をたたえた瞳と眼があった。
 数刻ほどの重たい沈黙。鉛のように飲み込みにくくなった唾を無理矢理飲み下し、相手を見据える。
「し、承知の上です。無論、タダで……等という厚かましい真似は一切いたしません」
 ここからが本当の正念場。勿論無料でくれるはずがないと分かっている。
 これは言わばビジネス。いや、取り引き。
「どういう事だ」
 食指が動かされたか、チーフの眉が微かに跳ね上がる。
「言うとおりにしていただければ出来る限り最小限の被害でもって、悪質なお客様を効率的に排除出来る秘策があります。どんなお客様にも笑顔のサービスを続けます。それと、プラスでそちらの用件を飲むという形でどうです」
 ひと区切り、ひと区切り聞こえやすいよう言葉を紡ぐ。その間視線はそらさなかった。
「良いだろう。日替わりで服の交換も希望しよう」
 重い……重すぎる一言にクルトは沈痛極まる表情で暫し止まった後、
「分かりました。では、本日からそうすると言うことで」
鋼の意志で微笑むとこくんと頷いた。心中では七転八倒を繰り返している。
「では、その方法とやらを教えて貰えるか」
「ええ。手はずは――」
 相手の耳を包み、そっと言葉を投げる。チーフの口元がゆっくりとつり上がった。
「成る程。採用しよう」
 自分も似たような表情をしてるだろう、と少女は思いつつにっと笑う。
「約束の品は明日頂きますので」
 どちらからともなく腕が差し出される。ふっ、と同時に相好を崩し。
 交渉、成立。とばかりに二人はがっちり握手を交わし、邪悪な笑みを浮かべた。

 



 

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