愛してない贈り物-5



  


  ココは変だ。絶対おかしい。
 手伝いはじめて数ヶ月。気が付いたのは遅すぎるくらいだった。
 集団「おっといけない」連中の後は、「ああっしまった。失礼しました」が流行した。 クルトの行く手を大男が遮れば、何故かタイミング良くペンキの塗り替えをしていた従業員がバケツをひっくり返し。パフェの中に虫が入っていると典型的な嫌がらせをしていた客にアイスを落とす。
 ここまで行くと鈍い鈍いと言われる少女でもおかしいと思う。
 現在進行形で「ああっ、しまったあ」と言いつつレンガが投下されているわけだが。
 確かに絡まれたし、集団で『家に来ないか』などと妙な口説きをかけてきたけれど。幾ら何でもやりすぎではないか。おかげで蹴りを入れてストレス解消も出来ない。
「ねえ。スレイ、ここって何か変わってるのね」
 微妙にコワイ事を考えつつ、クルトは隣で植木を移動させているスレイ目を向ける。
「んー。まあ、な。こっちで店開いた当初はかーなり金の面とかで苦労したらしくてさ。
 おかげで規則が厳しいのなんの。
 前からこんなモンだけど、今まで客少なかったからこう言うの見てなかったろ」
 少年に掛けられた台詞に、休憩がわりに花壇に水をやっていた手を休める。止まりきれない水がぼたぼたと土を濡らし、浅く抉った。
「……見てなかったって。確かにこんな対応は初めて見るけど。
 そんな規則厳しかったっけ。制服は絶対厳守なのは聞いてるわね」
「あ? お前規則知らないのか。っかしーな、ロッカーに貼ってるだろ」
 落としかけた鉢を静かに置き、少年は両手を叩いて土を払うと首を傾けた。
「全然。対応とかのやり方は一通り教わってるけど、どんな規則なの?」
 ジョウロの位置を元に戻すと、小範囲の雨が花々を揺らした。水の粒が夕日を含み、オレンジに輝く。丸く切り取られた世界の中に歪んだ少女の姿が映り、葉がしなると共に滑り落ちる。
 湿った地面に視線を落とし、
「知らない奴にアレ教えるのも良心が痛むというか何というか。けど知らないとそれはそれで刺激が強そうだなー」
 スレイは珍しく難しそうな顔をした。
「シゲキ?」
 疑問に傾く相手の顔を見ながら、少年は迷うように自分の頬に指を何度か滑らせ、
「うん、じゃあ規則をザッと――」      
絞り出し掛けた言葉が停止する。
 指先を目元でちらつかせても続きの言葉は出ない。
 硬直したスレイの視線をたぐると、ひどく、酷く冷たい台詞が鼓膜の中に入り込む。
「ではお客様。どうしてもお払いにならないと仰るのですね」
何時も笑顔で『またいらっしゃいませ』と客を送り出す受付係の同僚が、感情を伺わせない笑顔で。上手い表現が当てはまらないが、嬉しさも怒りも感じさせない平坦な笑みでもって口を動かす。
「そうですか。どうしても、お払いならないのですね」
 踏み倒しか。
 そう感じた刹那。
 背後から感じた指先まで凍りかねない殺意に、弾かれたように少女は振り向く。 
 何時の間に来たのか、気配すら感じさせずチーフがそこに立っていた。むっつりとした顔には愛想の欠片も見えない。今まで作業をしていたのか、片手には泡立て器が、もう片手にはケーキをカッティングするナイフが握られている。泡立て器やナイフには生クリームが付いていて、イチゴソースでも掛けてあったのか、赤い色が付いている。派手にこぼしでもしたらしく、エプロンには赤い斑点。
「え、あっ。チーフ。いらしていたんですか」
 声を掛けるも、返されず、静かな足取りで受付へと進む。
 ぼた、と生クリームが地に落ちた。
「あれ。あの……チーフ」
 様子がおかしい。ふらりとした歩みなのに、真っ直ぐ進んでいくのがなにやら気に掛かる。それに何より、先ほど感じた強烈な殺気は何だったのか。
「はじまるのか。哀れな」
手を合わせて沈痛な面持ちで受付の方を見やるスレイに疑問をぶつけるより早く。
 すさまじい音が響いた。
 雪も降っていないのに近くの木々が白く染まっている。
『オンダラアアアアア!! 金がねえとはどういう事だああああ』  
 おまけに何か恐ろしい言葉遣いとかも耳に入る。夕焼けを受けて赤く染まっていた梢が白い雫を滴らせる。少女が水をあげた花壇とは反対側で、水が届くわけもない。
「え、と」
 力の抜けた指先からジョウロが落ちるのが分かった。ゴン、と床で跳ね返り、辺りに水をまき散らす。
(幻聴が聞こえるし、幻覚も見えるなあ。やだなー、疲れてるのかも)
 泣きたい気分で空を見て、もう一度視線を戻す。
 本来ケーキを切り分けるナイフが振り回されている。生クリームや卵白をかき混ぜる平和な役割を持つ泡立て器が踏み倒しを強行しようとした客の頭を殴打する。弾みで飛んだ生クリームが辺りを個性的に飾っていた。 
 固くなった首を無理矢理向けると、スレイは重々しく頷き。
「鉄則一。金を払わない奴には死を」
 どこのヤクザな金貸しか。突っ込みたいのだが、乾いた舌はぴくりともしない。
 更に今度は熱された飴が飛んだ。絶叫が聞こえる。
 誰も止めない。どころか、『チーフ助太刀します』とか聞こえてくる。
 今度はドタバタと騒がしくなり、風のように誰かが脇を通り過ぎた。
(なにもこっち来なくても良いじゃない。ああ、み、見たくないーー)
 そして、少女の心の叫びも虚しくチーフ達の視線もこちらに向くのが分かった。 
 敵意はないのは分かるのに、気迫をぶつけられるだけで息が止まりそうになる。
『待てやうらああああああ』『捕まえろーーー』『そっちいったぞ!!』
 目を血走らせ、痛んだ泡立て器とケーキ用のナイフを片手に爆走するチーフ。先陣を切る形で男が走っている。限界ギリギリなのか顔は真っ赤で今にも破裂しそうだ。肉食獣から追われるような必死の走り。恐らく食い逃げ犯の一人だろう。
 みんなの形相を考えると、どちらかというと逃げ出している方に同情したくなる。
「鉄則二。ただ食いは死刑」
 側の樹にナイフが突き刺さり、フォークが地面を抉る。
「あの、あの〜」
 戦場さながらのテラスの様子に、強気なはずのクルトも口が挟めない。おろおろと左右に揺れていると逃げ出している男に、どん、とはじき飛ばされた。
「きゃっ!?」
 べちゃ、と冷たい感触に僅かに顔をしかめる。水溜まりに運悪くはまってしまったらしい。立ち上がるのも気が重いが、何とか身を起こす。
「あ、クルトちゃんが。大丈夫!?」
「は、はい」
 ドロドロで酷い有様だったが、怪我はない。
 チーフがこっちを見て、肩を震わせた。
「く、くっくく。よりによって我が店の従業員を地に這わせるとは良い度胸。
 今日は刃が冴え渡る……」
 紅の光を受け、手元のナイフが鈍い光を放つ。
「チ、チーフ。あの、あたしは転んだだけですから。なんていうか、穏便に」
 おっそろしい事をのたまうチーフに普段歯止めをきかされる側の少女が突っ込みを入れる。くわっ、と彼は目を見開き、
「甘いことを言ってはいけない!! 火花を入れる不届きモノには滝を流して制するのみ!!」
 泡立て器を振る。残っていたクリームが花びらにまき散らされた。
「いえ、それ明らかにやりすぎでは」
「ふふふ、先ほど立てたクリームは素晴らしい出来でね」
「は、はい?」
「純白のクリームには、真っ赤な。真っ赤な何かに良く合うと思わないか」
 呆けたように首を傾ける少女に向かい含み笑い、なんでかナイフの刃に舌を這わせ、クリームをなめ取る。
「そうですね。そのイチゴソースなんかが良いんじゃないですか?
 ケーキを切ったときに付いた奴でしょ」
 人差し指を立て、先ほどから思っていた言葉を並べてみた。チーフが狂戦士化を一瞬解き、きょとん、と瞳を瞬いた。
「……イチゴソース?」
 奇妙な間が開く。
「えっ……。違うん、ですか」 
 嫌な寒気を感じつつ、乾いた声で尋ねた。顔の側にあった指もいつの間にかスカートを握っている。
「さあて、次の獲物をさっさと仕留めなければ」
 答えはなく背を向け、チーフは獲物へと向かう。足早に去っているように見えるのは気のせいか。
「えっあの、やっぱりそれ……それって」
 ソース以外の赤の可能性を探り、すぐに出た凄惨な答えに頭を振る。
 ココは戦場ではなく、ごくごく普通の店のはずだ。
「鉄則三。店員に手を出す奴には死」
 だが、スレイの声が現実に引き戻す。収まらない寒さに自分の両肩を掴んだまま、潤んだ瞳で彼を見る。
「あたしもしかして大変なトコ入った? みんな実はあんなのなの!?」
「諦めろ。安請け合いしたお前が悪い」
 肯定の瞳。 
 側を掠めるバターナイフやフライパン。小麦粉煙幕が遠くで着弾したのを確認し。
「いやーーーーーこわいーーー」
 とうとう抑えていた弱音が口を突いて出た。

 某月某日。人の二面性を思い知らされ。オトナの世界をかいま見ました。 

 



 

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