正直頭を抱えたかった。周りの男子はあんぐり口を開けているし、スレイは誇張無しに腹を抱えて笑っている。チーフに至っては全く気に病んだ様子も見せずに似合っているの一点張り。泣いて『こんなのこんなの私に似合うわけ無いんです。元の服にしてください!!』と同情を引く作戦も考えてはみたが、現在の状況では別の方向に盛り上げかねないので却下。無駄に恥ずかしがるのも更に外野が喜びそうだ。
考えたあげく。
「こんな服で仕事は無理です。絶対無理です動きにくい!!」
正論、かつ可愛さを目立たせないように怒ってみた。
「いや、似合うよ」
のほーんとした返しに思わずこめかみがひくつく。
「似合う似合わないじゃなくて。この服接客に全然向いてないです。
こんな重たい服で素早い動きも出来ないし、汚れを落とすのも一苦労じゃないですか。その苦労考えたら今までの服の方が何割かマシです」
苛立ちを隠すことはせず、片手を広げ言い聞かせる。
「いやー。全然平気そうに見えるんだけど」
「すっごい動きにくいです。ヒラヒラしてて」
二跳びほどズレた返答にこめかみどころか口元すら引きつらせ、クルトは微笑んだ。声に含まれた何かを感じ取ったのか、スレイの顔が青ざめてくる。
「そこは見た目重視と言うことで」
学園で訓練を受けている少年とは違い、ド素人のチーフに僅かな空気の変化が見抜けるはずもない。いや、見抜けないからこその一言だ。クルトは「やってられるかぁっ!!」と力の限り暴れようとして、止めた。平静に、落ち着いて、話し合わねばならない。ここで切れても店を潰すだけだ。
「いえ。味です。
店は味を重視で行くべきだとこの間会議をしていたのを、脇に立ってちゃんとこの耳に刻み込んであります」
冷静に言う間にも口元がちょっと痙攣を続けていたりする。スレイの目に怯えが走る。
「でもさ。クルトちゃんは似合うんだから良いじゃないか。まあ、もう少しボンってしてたほうが見た感じはもっと良いかな」
胸板辺りを抑え、丸い何かを形作るチーフ。今まで平静を保っていた少女の眉が、ぴくーん、と跳ね上がった。スレイの肩も跳ね上がる。
「ボン。ぼん……」
自分の胸元に手を当て、言葉の意味を探る。何度か咀嚼し、味わって。
ぶづり、となにかが切れた。細めの糸ではなく粗めの縄だかを切断するような鈍い音。ソレが脳みその奥で聞こえる。
ドッス。
微笑んだまま、響くほどの音響で壁を片手で打ち、首を傾け、
「ボンキュッボーンなんて出来ません。大体胸が大きくてウエスト締まってお尻が大きいなんて幻想。大事な内蔵やらの臓器に骨まで入ってるんですよ、ある程度以上の細さになんて出来るわけ無し!! そう好きなところ大きくできたらみんなスタイル抜群です。現実はポンキュッポンかキュッキュッキュッが関の山!! ほとんどがゆめ、まぼろし、うたかたッ」
現役魔術師の特権でもある早口で、素晴らしい速度で舌を噛まずに一気に言い切る。
中にどうしても大人っぽくなれない少女の血の涙とか滲んでいたりもする。
目はもう笑っては居ない。台詞は殺意にまみれてドロドロだ。
「ああ。そうかもしれないけどクルトちゃんなにもそう言い切らなくても。男の夢や野望とかを崩すなんて酷くないかい」
「そんな野望や夢消え去ってしまうといい。きえされ」
目が据わっている。スレイは特に胸辺りの大きさにはこだわらない方だったが、幻影を抱く男子は少なくはなかったらしい。ごてごて、と何か響いた。
「おお。すげえ……何人かの奴が倒れた」
鈍い音に振り向くと、打ちひしがれた様子で数名が地を這っている。
「青いわね」
倒れた生きた屍を見下すように。二つ括りにされた髪を揺らし、悠然と佇む少女。
ふんわりとしたスカート。腕は細く折れそうなほど。本人も気にしているように豊胸ではないモノのほっそりとした体つき見合った肢体。しかし、傲然とした態度が可愛さを打ち消している。
(黙ってりゃまだいいんだけどなー)
幼なじみのかわいげのない様子を感慨深げに眺め、変な趣味の奴が見たら喜ぶかもなあ。と思いつつ、一応注意しておく。
「お前も歯に衣着せろよ」
「事実でしょ。事実なんだからしょうがないの」
はっ、とクルトが失笑を漏らしてスレイを睨むと同時。
ドサドサドサ。芋を詰めた袋が何個か転がるような音。
「あ、更に被害拡大」
視線を向けると倒れる人、人、人。今の少女の一言がトドメになったか、また何人かが脱落したらしい。
『男の夢…夢が』
大分見通しの良くなった廊下に、うなされているかのような呻きが響く。
「捨てろそんな夢」
少女の声には微塵の優しさも残っていない。接客用の猫かぶりもそこそこに抑え、
「というわけで。絶対に無理なので、外での接客は諦めて――」
腰に手を当て、迫力満点の睨みをきかせようとしたところで激しいタックルを受ける。
倒れ込みそうになったところで反対側からトドメの追撃。
『うわなにそれ』『みせてみせて』
まだ来ていなかった遅刻気味の男子店員の襲来だ。黒い制服は大人びていて女性客に人気だが、中身は少女や少年と一、二年ほどしか違わない。
「おっわ。あぶね!?」
雪崩じみた勢いに、それなりの背丈があるスレイでさえ押し流されそうになる。
少年の非難も何処吹く風。
『女子用の制服だって』『可愛いー』『あれでもクルトちゃんこんな性格だったー?』
わいわいがやがや騒がしくなり始める廊下。中心部にいる小柄なクルトはたまったモノではない増えゆく人の波に押し流れそうになり、何とか踏ん張る。
「いやあの、ちょっと。だから、コレで仕事は無理。エプロンほどけるー!!」
物珍しげに誰かがエプロンを掴んでいてひっぱるものだから今にも外れそうだ。滑り落ちそうなエプロンを押さえ、半泣きで喚く少女。邪気のない行動は魔物よりも恐ろしい。彼女の強気な態度は突撃を受けたと同時にどこかへ飛んだ。
「いいじゃんいいじゃん。やんなよクルトちゃん」
「そうだよちゃーんとフォローしてあげるから。あ、なんか踏んだ。ま、いいや」
(あーあー…)
スレイの間近で哀れな生きた屍が踏まれているが、誰も気が付いた様子はない。水溜まりのごとく無造作に踏まれ続けている。多分死んではいないと思うが起きて文句を言わない辺り気絶しているのか。
「そ、そういう問題じゃなくてこんなカッコで接客なんて。げほ、苦し……つ、詰まってる詰まってる!」
文句を紡ごうとしてバタバタ腕を振り、暴れる。更に人口密度が増えて無理矢理廊下に詰め込まれている。
(確かオレ含めると、二十人位だっけ? もちっと少なかったかな)
指を折って考えるが、面倒なので少年は考えることを放棄した。数名が言葉の刃物で倒れたが、後から来た遅刻組が一気に出てきたと言うことか。一気に来すぎている感もあるけれど、まあ、たまにはそう言う日もあるだろう。
クルトは苦しんでいるが、辺りの対応は和やかだ。半泣きになった少女の頭をグリグリ撫で回し、
「大丈夫大丈夫似合ってる似合ってる。もーぜんぜん変じゃない」
平然と微笑んでいる時点でスレイには付いていけない世界だが、拍車がかかりつづける。
「そうそう。お客さんももう一杯だし見せびらかしに行こう」
にっこにっこ笑う仲間を横目で見ながら、スレイは心の内で『こいつらを今度からユウシャと呼ぼう』と誓った。
「見せびらかし!?」
悲鳴を上げるクルトは既に及び腰。突破口はないかと必死に藻掻いているが楽しそうに笑う若者達に憐憫の欠片もあるはずがない。がしゃがしゃ下から潜り込もうとする少女を微笑ましそうに眺め、ぴょんぴょん跳び上がる頭を背の高い男子店員が抑える。子供と大人の攻防戦だ。
「こんなに可愛いんだったら客もぐーんと増えるね。よっしゃあ」
「新たなる客層の獲得か!! 燃える!!」
「いえあの。勝手に燃えないでよッ。チ、チチチーフ!!」
拳を握りしめる男達。事態悪化。
妙な熱気がこもり始めたことを察し、少女が助けを求める。が、世間の波は厳しかった。
「うーん。ま、上司命令と店舗のルールだから諦めなさい。と言うことだな」
荒波が鉱石すら削るように、サラリと返す。顔色を失わせるクルト。
「そ、そんなーーー。いや、マジメに行くの!? ねえっ。ちょっと押さないで待ってっ」
呆然とする間も与えず、少女を囲んでいた連中は廊下の先へと流れていく。言うまでもなくその先は仕事場。
急流に流されまいと身体を壁にへばり付かせる少女。瞳の端には涙が微かに浮かんでいる。
『おっしゃ上司許可も出たぞ』『野郎共仕事だー』『オー』
諦めの声は上がらずに、更にヒートアップする。
「仕事!? 冗談でしょ!? あの、皆さん血気盛んなのは分かりますけど落ち着いて」
喉の奥で掠れた悲鳴を漏らし、半ばパニックに陥る。慌ててなだめすかそうとも、今や彼女は祭りの会場に放り込まれたメインディッシュ。
『このままじゃ時間掛かるよね』『うし、抱えろ』『押せー押せー。面倒だから持って行けー』
無駄ににこやかな会話がかわされ、
「やだ出たくない。いやちょっ、きゃーーー無理矢理連れて行かないでえぇぇぇ!?」
大勢の力もあるが、小柄な少女の身体がいとも容易く宙に舞う。手首を効かせ、先へ先へと投げ飛ばされ、冗談抜きでクルトの声に涙が混じった。天井すれすれを行きながら確実に外へと近づくフリルの物体。
(アイツら。作業するときは力がないから樽や箱は持てない。とか言ってた癖に何軽やかに連れて行ってんだよ。明らかにアッチ(クルト)のが重いだろ)
スレイは心の中で毒づいて、頬を掻く。もう大分彼女の姿は見えなくなっている。
「…………」
ちら、とチーフに視線をやる。返る咳払いには誤魔化すような曇りがこもる。
「売り上げを伸ばすための人身御供だ。彼女には可哀想なことをしたが。
商売は常に戦争。大人の世界という奴だ」
うっすらと生えた顎髭をなで上げようとして、指先に余り引っかからなかったのか、数本の先端を少しだけつまむと窓を眺め、何か渋く決めている。
釣られて外を眺める。無邪気な子供が蛇を放り投げて近所の少女を虐めている。
「つーことはあれか。制服は嘘?」
相手の女の子は大げさな悲鳴を上げて泣き叫び、イタズラ盛りの男の子は更に数匹の蛙を放つ。幼い愛情表現を温かい気持ちで眺め、視線を戻す。
「いや。あれは本当に制服だ」
髭をつまみながらにやりと笑う。あっさりとした反応に少年は暫し沈黙し。
「……チーフ。意外に大物かもしれない。
敵に回すのはやめとこ」
生きた屍以外、誰もいなくなった廊下で笑う上司を見ながら、スレイはそっと呟いた。
遠くの方で哀れな少女の悲鳴が途切れて消えていった。
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