愛してない贈り物-2



  

 


 背丈の低い少女の頭三つ分くらい高い鉄色のロッカーが軋む音を立てる。窓から漏れる光は鈍い紅が混じり始めていた。
いつものように片手を中に突っ込んで、いれてあった制服をたぐり寄せる。たぐり――「あれ」
 腕を引っこ抜き、プラプラと指を動かす。もう一度手を差し入れてみるが手応えはない。「無くなってる? まっ、まさか」
 消えた女物の制服。男性ばかりの店。そして他は荒らされた形跡の見あたらないロッカー。ここで正しくは「変質者」「泥棒が出た」と叫ぶべきだが、少女は別の可能性にたどり着いた。
「洗濯中!?」
鍵を掛けていなかったのも悪いのだが、それはそれで嫌な結論だ。普段は容赦なく知人に突っ込みをいれている彼女だが、一人になると呆ボケ要素をフル活動させるらしい。
「でも仕事を普段着でやるわけには」
 またずれたことを良いながら、顎に指を当てる。勘違いが更に酷くなる前に控えめなノックが少女の鼓膜に入り込んだ。更衣室から無防備に「はいー」と顔を出すと、
「あ、クルトちゃん。制服勝手に回収させて貰ったんだけど」
 そんな言葉が返ってくる。僅かに視線を移動させると、白い清潔そうなエプロンが目に入った。更に少女は視界を上へと吊り上げる。気難しそうな四十ほどの男が目の前に佇んでいた。余り濃くはならないのか、薄めの髭が顎を覆っている。眉間にはいかにも頑固な職人と言わんばかりの皺が寄せられているが、気さくな口調から分かるとおり、外見通りの人物ではないことを少女は心得ていた。
「あ。チーフ」
 アルバイトと言う建前はあれどほぼ無償で働いている。が、一応上司なので礼儀は忘れない。更衣室から身体を出し、後ろ手で閉め、向き直って再度尋ねた。
「あ。そうなんですか。でもどうして?」
 女子更衣室のロッカーから無断で服を持ち出した。という並の女子なら血の雨が降り注ぎかねない事態だが、僅かに疑問を滲ませたのみ。
 特に警戒するべき相手で無い限り、クルトという少女はその辺り、無頓着を通り越して大雑把な性格だった。呪術に使われるわけでも無し、服を回収するのは別に構わない。けれども彼が制服を回収する理由が見あたらない。特別不具合があったわけでも酷い汚れがあったりしたわけでもなかったからだ。
 チーフは気難しいように見える顔を更にしかめ、少しだけ困ったように呻く。
「あれは間に合わせの制服でね。今日女の子用の制服が届いたんだよ」
初耳だ。
「本店と同じ奴だから、きっと気に入るし、似合うよ」
 更に初耳。確かに男子用の制服があるのなら、女子用の制服があってもおかしくはない。自然な流れか。給料関係で、元々女性店員をいれるつもりは余り無かったのか、この店にはクルトが入る前は、男子しかいなかった。
 お金が余っているわけでもない、居ない分の制服は無駄でしかない。
 男子の制服のみに絞って取り寄せた。だから間に合わせの制服しかなかったのだろう。
 そこで疑問が更に一つ増える。
(今からあたしに配給する理由は?)
 それだ。今まで支障がなかったし、誰も気が付かなかったのだから別段統一する理由はない。少女がアルバイトを始めてから長いとは言わないが、それなりに月日は経っている。
 お金に余裕もないことだし、勝手に入り込んで働いている少女にそんなコトをする必要性はあるのか。
 戦闘なれした少女の脳はウネウネと言葉を紡ぎ出し、螺旋状にネジ合わせる。このままグツグツと自分の中で煮立てていても仕方がない。思い切って口を開こうとして――
「へェ。そうなんですか〜」
「わ、スレイ。居たんだ」
 肩にのせられた掌にぎょっとなり、真後ろから聞こえた声に身体を揺らす。
 考え事に没頭していたせいか、全く気配に気が付かなかった。
「おう。今ついたー。女用の制服ってアレじゃなかったのか」
漆黒の瞳を好奇の色で輝かせ、少年が頷く。学園からそのまま寄ったのか、赤いマントを羽織ったままだ。少女は少女で新緑色のマントを引っかけた状態なので言えた義理でもない。
「そうだ。いままで男所帯だったから必要なかったけどね」
「うん。そうだ。男所帯でムサかった。コイツに女ケがあるかはまた別の話だけどなー」
 にゃははは、と笑うスレイの脇腹に無言の肘打ちが入る。
「サイズが合わなかったら取り寄せ直すから。あと、色も幾つかあるから好きなのを使ってくれて良いよ」
 ぐほっと息を漏らすスレイに構わずチーフは笑って大きめの袋を見せる。
「うっそ。ズル〜。オレ達は一種類しかないのにさ」
「はい、これ。好きなように組み合わせて良いから。
「クルトちゃんのおかげでかなり助かってる。頑張っているご褒美代わり、にならないか。これじゃあ」
「いえっ。もう全然大丈夫です。なります、なりますよっ。あたし嬉しくてもっと頑張っちゃいます!!」
 半分浮かれながら少女は慌てて首を振り、紙袋を受け取った。
 ご褒美。
 なんと甘美な響きなのか。
 ごほうび。
 思わず口の中で復唱し、紫の瞳を感動で潤ませる。滅多に耳に出来ない貴重な台詞だ。
 勉強を頑張り体術を磨いても身近な男子から呆れや驚愕を向けられることは数あれど、褒められることは滅多にない。なさ過ぎて心と耳が砂漠化しそうな勢いだ。
 だが今しかし、彼はなんと言った。『偉いね』『頑張ってる』あまつさえ『ご褒美』!?
 いきなり砂漠の中にオアシスが生まれ、周りに植物が生えてきたような奇跡。
 単純な言葉。全ての魔術も難解な哲学書も、単純な言葉が複雑に絡み合った集合体だ。
 変わり者と呼ばれるクルトも単純な行動を脳が組み合わせて動いているに過ぎない。
 つまり、幾ら変人と呼ばれても、クルト・ランドゥールという人間は一人の少女に過ぎないのだ。
 幾ら戦闘時の判断力が優れていても。掃いて捨てるほどの魔力を持っていても。親しい人間から褒められて喜ぶ位の素直さと単純さを持ち合わせている。
 女の子が新しい服をプレゼントされて嫌がる道理は余り無い。
ただただ普通に、根っこの部分はちゃんと女の子であるクルトはそれを喜んだ。
滅多にない贈り物に口元がにやけ、相好が崩れるのを抑えられない。
「へえ。組み合わせ変えられるんだあ。じゃあさっそく着てみますね」
 袋を抱きしめ、言葉を跳ねさせる。こうなると新しいオモチャを与えられた子供そのもの。視界の端でスレイが半眼で溜息をついていたがそんなモノはどうでも良い。
「ふふ。楽しみにしてるよ」
「着替えたら早く出てこいよー」
 くるくると回転したくなる衝動を抑えつつ、
「はいはーい。覗いたらダメだからね」
 一応釘を刺す。
「オレお前タイプじゃないから覗く気ねぇし〜」
 似合わない赤いマントを軽く翻し、黒髪の少年は鼻で笑う。
 何だかむかついたので鼻先を掌で軽く潰し、更衣室の扉を閉めた。
『ってー!? 痛いなこら。ったく。オレも着替えてくるか』
 向こうで文句は聞こえたが扉を開く度胸はないらしい。
「失礼な奴。ええっと……どれどれ」
 ふ、と息をついて貰った袋を眺めた。端あたりに寸法が書き込まれている。
 今まで着ていた服と同じサイズ。大きさは、問題ない。
 面倒なので袋を逆さまにして取り出そうとして、やめた。プレゼントはリボンを静かに解いて包装をゆっくり剥がすのも楽しみの一つだ。
 膝を折り曲げ腰を据え、袋の中に手を静かに差し入れて、取り出す。大きな袋から中位の包みが一つ。二つ。三つ。四つ。五つ。小さな包みも一つ二つ。
 ちょっと多すぎないか?
(あー。そういえば、色も色々あるって言ってたっけ)
 包みの一つを取り上げ、側面に書き込まれた文字を見る。【エプロン・白】
「ほー。エプロンも色々あるし。シャツとスカートも好きなように選べるんだ。
 えっと、わあ。リボンも色々ある。靴は黒なのね」
 紙で軽く包んでいるだけなので、靴はすぐに見つかった。
「無難に黒と白にしておいて……と。組み合わせはそう言う感じで実物はどんなの」
 色を決め、包みを軽く開く。まずはシャツ。
「…………」
 ぱっと見は普通の白いブラウス。しかしながら襟元に黒いリボンと更に袖口に細やかな刺繍やレースがあつらえてある。躊躇するほどではないが、少々可愛すぎないか。
 いや。こう言うのもアリだろう。わざわざ取り寄せて貰ったんだし。よし、気を取り直して次のスカート。先ほどよりも重たい感触に、一瞬指先を止め。一息で引きずり出す。
「………………」
 絶句したままソレを見る。何というか重いのは道理で、両腕を軽く揺らすと幾重にもされた漆黒のスカートが花のように広がる。足下辺りにレースっぽい飾りがあるのは目の錯覚か。しっかりとした作りで安物ではないと伺わせる。
 けれども、これは。
 いやいやいやいや。全体でみるとそう凄くもないんじゃないだろうか。
 ご褒美だ。ご褒美なんだからそう悲観してはいけない。最後のエプロンを取り出して。
「……………………」
少女はがく然と頭を垂れる。今までの上下の飾りを嘲笑うかのように、純白のそれは目を背けたくなるほどの可愛さだった。レースたくさんフリル一杯。ついでに女の子らしさも満点。
 全てを合わせたときの破壊力は想像に難くない。
 震える指先を宥め、フリルのお化けを凝視する。
 着れと。着れと言うのか。
 このとんでもなく恥ずかしい服を着なければいけないのか。
 身震いが止まらない。鳥肌が収まらない。両肩に爪を立て、何度も摺り合わせて肌を引き裂きたい衝動に駆られながら膝に置いたエプロンを眺めた。
「おいクルト。まだ着てないのか」
 苦悩し続ける少女の耳に、脳天気な声掛かる。着たくないところが本音なのだが相手側はそうでもないらしい。もう着替えて『まだか』と急かしている。
「あー。うん、仕事の時着なくちゃダメかしら」
 見えていないのは分かっていたが、にこ。と微笑んで首をかしげる。
 心の中では『こんなモン着てられるかァ!!』と吼えてるのだが、口内にたまった唾と共に嚥下する。
「あったり前だろ。ちゃんとルールは守れよなぁ」
何も知らないスレイから率直な台詞。確かにこの店の規則で店員は制服を着用する義務がある。堅苦しい服を好まない彼が渋々着ているのもそう言う理由からだ。クルトだけを特別扱いするわけにもいかないだろう。
(この服を。着て。接客)
 ありえない。
(でも制服)
 このヒラヒラフリフリははたして制服といえるのか。
(ご褒美)
 ご褒美の名を借りた罰かなにかか。
心が葛藤を繰り返す。
 正直、崖の上から命綱無しで飛び降り、更に本の中身を暗記しろと言われる方が楽だった。この服を着るかどちらかといわれたら迷わず飛び降りを選ぶ。
 少女趣味の制服は、身体の線が出る露出度高い服を着るよりもキツイ。
 知り合いに見られたら即死できる自信がある。どんな顔をして会えば良いんだろう。
「面倒くさがらずに着ないとダメだからな」
 プライドを取るか。恥を捨てるか。
「分かったわよ。着るわよ。きとけばいいんでしょ」
クルトは心で涙しながら、恥を捨てた。着てみれば……着てみれば意外と似合うかもしれない。希望的観測ではあるが。
「くれぐれも。覗かないでね。ついでに死を見せるから」 
聞こえた大げさな溜息に、突っ込む気力は残っていなかった。

 指先が悪いクスリの常習犯みたく震えている。袖口の薄いレースが揺れた。
 自分を落ち着けるために呼吸を整え、ロッカーの扉に指をかけて深呼吸。
 扉の裏側。姿見用に取り付けられた鏡は、扉と同じほどの大きさ。いつもは全身見られて便利だな、と軽い気持ちで眺めていたが、今となっては良いのか悪いのか分からない。
(落ち着け。落ち着くのよクルト。どんなのが出ても叫んだり喚いたり泣いたりしちゃダメ。発狂なんてもってのほか。良いわね、よし!!)
 自分にかつを入れ、悲愴な決意でもって鏡を見据える。
 取り敢えず、目眩を抑えるのに気力の大半を使い、何とか倒れずに済んだ。
 鏡の中には上から下までぷりてぃに染まっている少女が居た。映っているのが見慣れた自分の顔なので笑うに笑えない。足下に逃げ場を探すが、重圧なスカートがどうそらしても目に入り、逃避を中断させる。
(このまま恥ずかしさで死にたい)
 顔を押さえると、鏡の中の彼女も顔を押さえる。一層現実味が増してきて寒気が酷くなった。ご丁寧なことに髪に結ぶリボンまで用意してあって、それもことごとく繊細なレースがあしらわれていた。
(だっ、大丈夫。きっと大丈夫。だから落ち着こうあたし)
 にこ、と笑ってみる。映った少女は引きつった笑みを浮かべている。次は、ぐに、と頬を横に伸ばし、出来うる限りかわいげのある仕草で笑ってみた。
 花を辺りに散らしそうな極上の微笑みを浮かべた少女が、曇った鏡の向こうにいる。
 可愛くないわけではない。自画自賛みたいな言い方だが、そこそこ見られる姿ではある。
 いや。むしろかなり似合っているのでは無かろうか。
「はあ……」 
 微笑んで自分を和まそうしてみたが、気分は全く変わらない。ますます落ちただけだった。
(あーもう。脱いじゃおうかなあ。脱いで合いませんでしたって言おうかしら)
 ぐ、と襟元に指をいれ、胸元のリボンを乱そうとして理性が待ったを掛ける。
 サイズが合わなかったら違うのを持ってくると言っていた。どうあがいても大きめか小さめの同じ服が出てくるだけだろう。それに折角貰った服にケチをつけるのもどうか。
 あのチーフのことは嫌いでもないし、せっかくの厚意を無にするのもレディ的にいたたまれない。
 趣味が違うからと言って制服を突き返すというのもソレはソレでお高くとまった嫌な女ぽくもある。
 ぽりぽりと頬を掻き。沸騰しそうな頭を振り、
「いやいや。でも意外とイケるかもしれないわよ? ほら、きゃるーんて」
 そんなことを言って励ましてみた。鏡の向こうでなんかお馬鹿なポーズを取る自分。知らない人が見ればまあ許容範囲ではあろう。が、知ってる人から見れば大爆笑必須の姿と仕草だ。泣けてくる。
「無駄に似合うのがもの凄い腹が立つ。童顔なんて童顔なんてぇぇ」
 あわない人にとっては嫌みにしか聞こえない発言だが、本人にとっては死活問題だ。
 可愛い服は無論嫌いではない。控えめな品なら喜んで着るし、眺めて可愛いと呟いたりもする。けれども、ふりるドカドカ。レースバリバリは流石にまずい。 
 昔から夢に見るほどオコサマであることをからかわれるので、童顔であることを引き立てないよう引き立てないようその手の服は害虫のごとく避けて居たし、これが似合うだろうと過剰に飾り立てた服を示して言われても悪鬼の如き視線で打ち落とし黙らせてきた。
 だが、こんな状況でこんなコトになろうとは。今まで避けていたツケが一気に来たようなフリルの大サービス。気分は看守付きの死刑囚だ。
 上から下まで一滴漏らさず可愛い格好。これを悪夢と言わずして何を悪夢と言おう。
 悪魔でももう少し慈悲があるはず。
 やっぱり嫌がらせか。いやだがあの人の良いチーフに限ってそんなことは。
 少しはそんなことありそうだが、オトナの裏側を知らない少女はぐるぐると悩む。
『こぉらあ!! まだかよ。ていうかもう着替え終わってるだろ』
 爪を立てて扉を木くずにしてしまいたい少女の心境とは裏腹に、スレイのせっつく声。
 結構時間が経ってしまったのではないだろうか。
「いや、あのね、えっと、もうちょっと」
 着たは良いが、衝撃のせいか一歩も動けない。脱ぐのもままならない状態だが、外に出るのも絶対避けたい。
『あーもう。開けるからな!! 早く出てこいって』
 宣言通りガチャンとノブの回る音。不用心この上なかったが、またしても鍵をかけ忘れていた。外の世界の光が更衣室に侵入する。
「ばっ。ちょっ……ぎゃー本気で開けないでよーーー」
 慌てて扉を押しとどめようと伸ばした腕は、がっちりとつかまれ。
 固まった思考が動き出す前に引き込まれる。
「うら。とっとと出ろ!!」
「ひゃ!?」
 引きずり込まれ、飛び出た身体。後ろの方で跳ね返った扉が閉まるのが分かった。
 辺りにはどこからか聞きつけたのか、他にも数名の男子店員が首を揃えている。腕からは手は放されていたが、気持ちは緩まない。
 硬直するスレイを見て絶望が鎌首をもたげる。見物客に囲まれて、泣き出したい気分を抑えた。外で楽しそうな子供の笑い声が聞こえる。
 かくして――めでたく冒頭の状況が出来上がった。

 



 

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