愛してない贈り物-12



  


「みてみてスレイ。どんなモンよすっごい効果!!」
「あんだけ脅せばなぁ。ついで見せしめの意味もあったし。お前、やっぱエグイ性格してるよな。チーフから聞いた時思わず耳を疑ったぞ」
トレイを片手にきゃいきゃいはしゃぐクルトに若干疲れた面持ちのスレイが答えた。
「失礼ね。エグイなんて、そんなこと無いわよ。短時間で店の損害も減るし、結構みんな度胸座ってるから『お金払えば大丈夫』とも思うだろうし、ある種の見せ物みたいにして気にしないはずだし」
 胸を張った拍子にリボンが揺れる。
「……提案するお前も凄いが、それを実行に移すチーフもすげーな」
 もう何も言うまいとスレイが大きく息を吸い込んで、吐き出そうとしたところで来客を告げるベルが鳴った。慣れたものでぱっと少女は顔を跳ね上げ即座に可愛らしく手を合わせ、
「あ、はい。いらっしゃいませぇっ。こちらがメニューになります。何をご注文いたしますかァ!?」
 語尾が奇妙に反り返った。硬直した笑顔のまま停止する。
 おおよそ客を出迎える声じゃないな、とスレイが眉をしかめ掛け。
「とても独創的な取り決めがあるんですね。……その。似合いますよ、クルトさん」
 穏やかな台詞に少女の動揺の理由が理解できた。
「ああ。兄さん」
 気配を悟ってこめかみが痛んでいたが、年の近い弟の挨拶にスレイの顔がますます渋面になる。身内だというのに腰を丁寧に折り、静かに笑みを浮かべる。年下だというのにこの貫禄の違い。
「うっあ、とうとう来たかケリー」
「驚いた、兄さん」
 はっ、と口元に手を当て驚きを露わにする次男にクルトを見、頷いてみせる。
「うん、こいつの服装だろ」
「そうしてると兄さんも普通の人みたいですね」
 眼鏡の奥の瞳に邪気はない。満面の笑み。
「オレは普通の人間だ!」
 さらっと失礼な台詞を吐く弟に兄のこめかみが引きつる。この手の格好を好まないとはいえ暴言この上無い。
「兄さん。一応客としてきてるから余り怒らないでくれますか」
 しれっとした返答に更に場が険悪にならないうちメニューを差しだし、
「そ、そうそう。そうよスレイ。お客様に失礼でしょ。うん、気を取り直して。
 何をご注文なさいますか」
 接客用の微笑みでもって和ませる。
「ええっと、じゃあパスタセットお願いしますね。あ、クルトさん」
 メニューにチラ、と視線を落として。すぐに少女に顔を向けた。
「分かりました。少々…え。はい?」
 丁寧に頷いて対応していたクルトが続きを聞き取る為に小首をかしげた。
「他の方々も連れてきて良いですか。お二方ともとても素敵な制服ですので」
 にっこりと人畜無害な笑顔を浮かべてとんでもないことを言うケリー。
『それは駄目』
 異口同音。二人の台詞は見事に唱和した。




月と星の街灯が薄く手元を照らす。光源は窓と鍋を沸かす為の火のみ。
「我ながら意識がイッたかしら」
 闇に慣れはじめた眼を瞬いて、グリグリとかき混ぜる。
 大体香辛料が薬草の代わりになるのは良いとして、成功する自信はどこから来たのか。
「貴重品は貴重品。やるだけやってみて。駄目だったらその時考えるか」
 薄く色づいた鍋の中身が透明になり始めた。ここまでは何度も見た成功の足がかり。
 正解を掴む前に毎回途中で滑り落ちてしまう。
「でも後がないわ。お願いだから成功して」
 口の中で呻き、粘りを持ち始めた液体をかき混ぜる。
 シンクの向こうに無惨に溶けた鉄の残骸が幾つも散らばっている。なけなしの家庭用品はほとんど全滅。残すところとっておきのパスタ鍋。正真正銘最後の一個これが無くなるとスープも温められなくなる。
「月の光。定められた材料。沸騰寸前の火加減」
 これだけ揃えても失敗する。どんなに計算しても上手くいかない。
 後残す道は、未知の材料にゆだねることか。
「希望はこの香辛料達。入れ時を間違えちゃ駄目ね」
でも入れ時って何時だろう。大きな泡が弾けたとき?
 色が変わり掛けたとき? それとも今この瞬間か。
「経験、感、センス。んなの知らないわよ十幾つの人生なのよ。
 ええい、あたしの根性に気合いよ! こんな時に発揮しないでどうする。野生の感!!
 とっとと良い具合になる辺りで発揮しろぉっ」
 焦げ付きそうになる思考と鍋の中身にやけくそで喚いた声が闇にこだまする。怪しい煙が立ちこめて、いい加減液体にも変化が起こり掛けている。
 涙がにじむのはきっと煙が瞳に掛かったせいだ。そうなんだ。
 そうに違いないんだと言い聞かせ、ふと落とした視線に香辛料の袋が映る。
 一抱えほどの箱に詰め込まれた拳大の袋の集団。倍量ほどあるオレンジの袋を手に取る。
 世界で一番辛い香辛料。店にあっても使い切れないので多めに渡されたというか押し付けられたのだが。
 やけっぱちになりかけた脳みそに悪魔が囁いた。
 いれちゃえと。
 流石に恐ろしいことになりそうなので躊躇うが、悪魔の追撃は緩まなかった。
 世界最高の香辛料。新しい物事には刺激は必要だと思わないか、と。
「そーかも?」
 眠気と苛立ちが混ざり合って思考が緩和状態になる。
 かき混ぜる指を止め、ぼんやりきつく戒められた紐を解く。 
 煮え立つ鍋に躊躇なく袋を近づけ。
 斜めに傾けると砂が零れるみたいな音がして、粉末が流れ落ちた。

 入れた。

 入れてしまった。

 絶対に一握りくらいは入った。

「あっ。や、ああああ。やばっ」
 ごぶり、鍋の中身が抗議の音を漏らし。少女は自分のしたことにようやく気が付く。
 燻るような紫色の煙が、黄に染まり。異臭、ではなく。刺激なんぞという生ぬるい言い方では収まらない攻撃的な殺傷力のある香りが鼻孔と喉、ありとあらゆる粘膜を蹂躙する。
「窓全部空けてない。げっほ……溶け、て。ぎだ……うあ眼がいたい。間に合わない結界。頭だけでも結界。隔離、隔離ー!!」
涙を流し、片手をブンブン振り回して何度か構成をしくじらせながらも結界を張る。
 ぎゃいぎゃい喚きつつもかき混ぜる手を休めなかったのは魔術師としての意地か。
喉の刺激がようやくひりつきに収まった頃だろうか。
変化が見られたのはまず空気。ねっとり覆われていた不気味な煙が薄くなり、鍋の上で渦を巻くと水の好きな魚みたいに潜ってしまった。
 透明だった液体が徐々に赤みがかり、青く染まり、怪しげな紫に変わって、初めのどす黒い草色に戻って、また透明に戻る。幾度かそれを繰り返し、透明なまま音沙汰が無くなった。
 恐る恐る結界を解く。
 異臭はない。
 鍋に異常もみられない。火に掛けられた鍋からは平和そうなグツグツとした音が響くだけ。
「出来た……?」
 いつになくシン、と静まりかえった室内に。呆けた声が滞空する。
「でき…た…」
 ぱちん、と泡が弾けたのを合図に火を止める。
「う、うう。けどでも。まだ油断は出来ないわよ」
 高鳴る胸を押さえ、じっと鍋を見つめる。こ、ここでいきなりべろんと溶解したり。
 しない。
 嘘だ。実はなんか次は『友』とか書かれた文字が無数に浮き上がったり。
 してない。
 息が荒くなるのを堪えつつ、恐る恐る鍋の取っ手を掴みテーブルに持って行く。
 置いたとたんに周りに火が移ったり。中が砂に変わったり。
 かたん、と乾いた音がして無事木のテーブルに底が着く。
 ……してない。
 じゃあじゃあ、中を良く見ると恐ろしい色合いであるはずだ。
 確実に疑心暗鬼に陥った頭でそんなことを考えて強めに発光させた灯りを浮かべる。
 水面は薄い月の色を映し、鍋の底が近くに見えるほど透き通っていた。
 何度も何度もその光景を確認し、こくんと喉を鳴らす。
 これは。
 間違いない。
 興奮のために瞳が潤む。
 間違いなく。
「……できたあああああ!! 有り難う香辛料神様お星様お月様ぁっ」
 半泣きで両手を合わせ、月に向かって諸手を挙げる。
「信じる者は救われるのね!? 香辛料万歳ッ」
 くじけそうになったが、ここしばらくの夜更かしと図書室通い詰めが報われた瞬間だった。今日くらいはみんな見逃して……イヤ、もう慣れた頃だろう。
 闇に響く歓喜の声にフクロウが唱和した。明日は静かになると喜ぶかのように。



 

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