愛してない贈り物-10



  

 


 変化し続ける季節とは対照的に、何時までも変わる様子のない雑踏と、夕暮れの賑やかさ。
 平穏の続くこの村では、記憶が掠れてしまうほどに続けられる緩やかな日常。
 しかし、村の一角にある商店、店舗では緊迫した空気が漂っていた。
 否、この時刻はほとんどの店がもみ手をし、頬の筋肉をほぐして客を迎え入れる準備に入っている。
 クルトの勤める店も例外ではなく、厨房で怒号が響く。
 強く結びなおしたエプロンが小さく鳴いた。脇に挟んだ銀のトレイが眼が痛くなるほど輝いている。
「リボン良し、結び目良し、皺無し。トレイも持った。体調も万全。後は、と」
 ふっ、と呼気を吐き胸元のリボンを正す。緊張した面持ちを即座に切り替え、
「いらっしゃいませぇっ。お席にご案内いたします。本日は日当たりも良いのでテラスがお勧めですよ――笑顔はこんなモノでどうかしら」
 別人としか思えない明るい笑顔と弾む口調で『接客基本マニュアル』の一文をひとしきり言い終えると、即座に笑顔を捨て去って近くにいた三人に尋ねた。毎回のごとく大きめの制服を気にして居たのか、俯きがちだったエルトが慌てて顔を跳ね上げ、微笑む。
「あーうん。良いんじゃないかなあ。新客十人は確定だね」
 側では黙々とラファンが果物の選別を続けている。完全に職人モードに入っていて尋ねられていることに気が付いていない。バツ、マル、バツ、マルマルと、呪文のようにぶつぶつ口の中で呟いている。
「何だその気迫。何処に戦争し掛ける気だよ」
 スレイは一瞬、ラファンを気味悪げに眺め。幼なじみの少女の並々ならぬ気合いと、微妙な不安に後押しされ、呻く。
 彼女は向けられた険のある視線に反論することもなく指先を下唇に当て、
「戦争ねぇ。当たらずとも遠からず、と。気迫も肝心よね、それじゃあ張り切って行きますか!! お客様の歓迎へ」
 小さく肩をすくめた後トレイを胸元に抱えなおし、満面の笑みを浮かべた。
「……はぁ? マジで客蹴り倒したりするんじゃないだろうな」
 少年の頬が一段と引きつる。後々の業務に支障がきたしそうなほど、一抹の不安、どころか、心内の大半を占めるのは不安と嫌な予感だ。
 眉間に皺を寄せるスレイとは対照的に、
「うん、クルトちゃん。今の時間帯は戦場だから頑張って。応援してるよ。ほらほらっ、スレイも馬鹿なこと言ってないでクロス替えてよ」
 と、エルトは愛くるしい表情の割にはスレイのことを邪険にかわした後、きっちり仕事を押し付けてきた。
「馬鹿って言うな。またオレがテーブル整えるのかよ」
 刹那、かわいげの欠片もない一番末の弟の顔が脳裏によぎり陰鬱な気分になる。口の端を歪め、言葉を吐き出すが拒絶はしない。
「プリン」
 隣で選別を終えたラファンが意味不明な呟きを漏らす。スレイはプリンてなんだよ。と深く追及したい衝動に駆られたがぐっと飲み込んで意識を向けないように奥歯を噛んだ。
 今現在黙考しているであろうラファンに質問をぶつけることは無意味だ。目の前に置かれた素材から導き出される様々な芸術品と閃き――デザートの試作品の構想を練り上げているに違いない。
「いや。この場合ゼリーか」
 また何かボソボソと自問自答を繰り返す。
 時折ふと、訳の分からない台詞を漏らすのは彼の癖だ。端から見るとどれほど奇異に映っても、本人は大真面目である。
 下手に追及しようものならいきなり菓子作成に適した室温。飴細工の可能性。果実を使ったクリームで出来る彩色の範囲。等とよく分からない領域の質問に連れ込まれかねない。
 ある種マニアの領域だが、菓子狂い?とエルトに無邪気な顔で問われ、『はっはっはっは。人聞きが悪いぞぉ』と笑いつつも声が笑っていなかったので深くは聞けない。事実エルトはそれ以来深くは尋ねなくなった。
「僕だと上手くできないんだし、近場にいるスレイに頼むしか。というわけでお願い」
 重々承知の面々はあえて触れずに会話を続ける。仕方ねぇなあ、と少年が頬を掻く。
「次々ケーキ全般回すから宜しく〜。あ、今日はショコラが良い出来だから勧めといて」
 ふいに、ラファンは没頭していたとは思えない程表情を緩ませ、いきなり振り向くとクルトに付け加える。ぽつ、とエルトが『あ。戻ってきた』と呟く。誰しも同じ気持ちだが、口には出さない。少女はビシ、と敬礼でもしかねない程に背筋を伸ばし、大先輩に頷いてみせる。
「はい。了解しましたっ。え、と。イチゴはないんでしょうか。イチゴショートとかイチゴパフェとか」
 が、すぐに伺うような表情になって首を傾けた。もうずっと前から仕込みが終わった厨房からカスタードやバターを焦がす香りが鼻孔をくすぐる。幾ら気合いを入れても甘い誘惑にはどうも勝てないらしい。胸元にトレイを挟み、両手を合わせて子供が甘えるみたいな眼差しを向ける。本来ならば契約上クルトの食事は思いのまま。なのだが、台所……いや、厨房のあるじと化しているラファンのご機嫌が良くないとそれもままならない。
 女性相手に彼の機嫌が悪いことなどは滅多にないのだが、上機嫌の時はやはり味にも影響は出るし、それになによりおまけが豪勢だ。最近繁盛気味なので売り切れ御免の品も、取り置きして貰える。
「残念。本日はベリーとチョコの日だ」
 キラキラした期待の眼差しを穏やかな微笑みがはじき返す。 
「ええっ。がっくりぃ。帰りに食べたいと思ってたのに」
 口に出さずとも分かりやすいくらい身体ごと意気消沈し、少女はがく、と項垂れた。瞳の端から涙があふれ出そうだ。ラファンは箱の上に置いてあったシミの一つもない真っ白なエプロンを広げると、ゆったりとした動作で着込む。そしてクルトの百面相を暫し眺め、
「良いイチゴが入ったらイチゴの日。
 その時は一人分残しておくから、今日はバシバシ頑張れ」
 不敵な笑顔。大人びた顔立ちのせいか、彼の口調が静かなためか、微妙に不穏な空気を感じる。
「本当!? あ、でも今日は食べられないのか。やっぱりがっくり」
 菓子の前ではそんな空気も些細なことでしかないのか、ぱっ、と少女は喜色を表し、希望の品を口にすることが出来ないと思い至ってまたガクリと俯いた。
 ラファンは軽く瞳を瞬いて、大仰な位の動作でかぶりを振り。
「……売り上げ伸びたら上手くできたの一つだけ取っておこうと思ってるから、頑張った人にあげようかな。っと、思ったけど――頑張らなかったら自分で食べるかなぁ。そんな虚しくてわびしいことさせたりしないよねぇ、クルトちゃん」
 どうもわざととしか思えないずらし方で言葉を吐き出すと、ちら、と期待のこもった目を向ける。
 何が言いたいのかは言わずもがな、だ。クルトはその台詞にはっ、と息をのみ。
 拳を握ると、
「うわ。が、頑張らせていただきます!! 食べたいし」
 内に込められた色々なモノに気が付かず、食欲に釣られ迷わず即答した。
 紫の瞳が潤み、輝いている。どう見ても菓子を釣り餌にして子供を弄んでいるようにしか見えない光景にスレイの瞳が半眼になる。
「つーか、クルトお前そんなので毎回良く転がされるよなあ。ラファンもこいつからかって遊ぶのやめろよ」 
「だって美味しいんだもん。…………遊ばれてるの?」
 ラファンは若いが常連客が出来るほどの腕はある。甘いモノ好きのクルトが肩を持とうと頬を膨らませるが、毎度の穏やかな対応が嫌な予感をかき立てる。
 もしやまたしても子供扱いされているのでは。菓子を口実に弄ばれているのでは。
 的確、かつ実体験が豊富に含まれた予感が胸によぎる。
 少女の迷いを感じ取ったのだろう。ラファンは僅かな不安に陰った眼差しに暖かな微笑みを向け、
「素直で結構。スレイ並みに素直さが無くなると先輩的に詰まらないしなぁ。ああ、うん。勿論遊んでないよ。取り敢えず限定品とショコラと季節モノは押しておいてね」
「は、はい。肝に銘じておきますっ」
元気よく返答し、トレイを抱え少女は軽やかな足取りでテラスに向かった。途中一瞬動きが止まったが、首をかしげつつ外に向かう。
「……丸め込まれてやがるし」
 ある程度の顔見知りには無防備な少女にこめかみが痛む。ラファンがにまにまと人の悪い笑みを浮かべている。やはりワザとか。
「クルトちゃん可愛いー。変なところに鈍いしなあ」
「やりすぎると泣くからな」
 もしくは暴れるか。口が裂けても言えないので胸の奥に押し込めておく。
「胸に留めておく。ん? その時には忘れてる可能性もあるか」
くっくっ、と堪えきれない声を漏らす意固地の悪い同僚にスレイは渋面を向け。
 表情が消える。彼の……いや、彼らの上司がそこにいたからだ。
 彼が浮かべた以上の渋い顔をして。そして紡がれた言葉に彼ら一同が呆然となった。 




 

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