愛してない贈り物-1



  

 

 日差しがしぼみ、暖かさが薄れ始める頃。大都会ではないこの村でも、日暮れのにぎわいというモノは変わらない。壁の向こうで市場の喧噪や人々の笑い声がこだましている。
 子供の甲高い会話は大きな鐘のよう。それぞれの店主達の客寄せは、拍手みたいで。
 あたかもカーニバルのど真ん中にいる錯覚を起こさせる。路地を歩けば自然と足が弾み、腕は大きく振り回されて、鼻歌が漏れる。さっきまではそんな空気を目一杯吸い込んで、少女自身もはしゃいでいた。 
 けど今は。 
 耳鳴りがする。耳奥でごうごうと荒々しい波が立ち、鼓膜にぶつかって飛沫が散る。
 荒海だ。もしくは大嵐の前触れ。更に後ろに絵でしか見たことのないでっかいクラーケンが対になって触手を広げている。怪獣大戦。そんな感じの危機迫った部屋の空気。
スカートを抑えるよう揃えた両手が知らぬ間に拳を握り、ふるふると震えている。少女ご自慢の艶やかな髪が肩を滑り、憤りを訴えるかのように何度も何度も跳ね上がった。
 濃厚な魔力が辺りを飲み込む。
 壁一つだけの境目は大きく。こちらだけ閉ざされた、切り取られた世界のようだ。
 虚ろな眼差しを外に向け、クルトは皮肉げに笑った。
「うん。似合うよクルトちゃん。いやあ、女の子が居ると空気が違う。栄えるねぇ」
 人が力の限り黄昏れているというのに、チーフであるその人は陽気に声を掛けてきた。
 腰を軽く二、三度叩き、にやりと笑う。コレがいやらしい笑みであれば即刻踵落としを味あわせる所だが、そんな後ろ暗い色は何処にも見えない。
 口を半開きにし、突っ立っていた黒髪の少年も、ようやく気が戻ったか、ぱち、と瞳を瞬いた。気が付いたのは良いが。少女の心情的には半永久的に遠くの方に魂を追いやっておきたい気分である。
 少年の無表情だった顔に徐々に赤みが差していく。顔の左半分は未だにぴくりとも動かないが、右半分の口元。唇の端辺りが奇妙に引きつり始めた。そう経たず、糸で引っ張られるように口元が歪みはじめ、そして。
「うっわ。笑える」
 開口一番の台詞がこれ。痛むらしき腹を隠すことなく両手で押さえ、過呼吸みたいにゼハゼハと息を漏らす。時折身体をずらすのは、背を曲げた体勢だと黒いスーツが窮屈なせいか。怒りもあったが、羞恥のために滲む紫の瞳で、ぎん、と幼なじみの少年を威嚇した。
 が、全く動じた様子がない。むしろ笑いによる震えは酷くなる一方だ。
「ぷっ。く……いっ、いや。うん、似合うんじゃねぇ? つーか、その姿で怒られても怖くないし」
 涙なんぞを滲ませながら左右に手を振る。大笑い一歩手前の様子に、少女の機嫌は傾きを加速させる。
「屈辱。クツジョクだわ」
ぎゅ、とスカートの裾を握りしめ、赤くなった顔で怨嗟の声を吐き出した。
「うわ。ヒラヒラだヒラヒラっ。オレ初めて見た」
 同僚の一人が物珍しそうに声を上げた。率直な内容に少女の頬に更に赤みが増す。
 言われたとおり、彼女が身に纏った服はなんというか、かなりヒラヒラと頼りなく。そのくせスカートははけるギリギリの絶妙な長さを保っている。
 都会ではなんと言ったか。まにあっく? そんな感じの服装だった。
 まだ外には出ていないが、更衣室から出てきただけでこの反応。恐ろしい。
「おー。良かったなクルト。注目の的だぞぉ」
 意地の悪い台詞を吐いたスレイを軽い裏拳で黙らせ、
「なんで、なんで。あたしがこんな服着なきゃいけないのよ!!」
 ごってりフリルのエプロンを翻し、クルトは悲痛な顔で指をわななかせた。



なんだかんだで大騒ぎする数刻ほど前。
 少女はただぶらぶらと路地をゆっくり歩いていた。
「甘〜。この独特の酸味と蜜の口溶けがたまらない。はあ。なんか今年は美味しい果物が多いわね」
 批評混じりの感想は、果実をかじるたびに弱々しくなり、最終的にはうっとりとした恍惚の溜息が漏れる。少々小腹が空いたので近くの店の果物を買いあさって道々かじる。いわゆる買い食いと言うやつなのだが、上品とは言えないので人様には言えない行為だ。
 人に堂々と言えない背徳感も後押しして、居心地が微妙に悪い癖に、普通に食べるよりも美味しく感じる。『美味しそうに並んでるから我慢できないんだもの』不良の言い訳みたいなことをぼやきつつ、口の中に最後の一欠片を放り込んだ。
 その道すがら、その品が目にとまったのは多分偶然。
 指に付いた甘い果汁を丁寧に舐め取る。もう少女の意識は美味しい食べ物ではなく、屋台の一点にはり付けられていた。
 鮮やかな布地の山に埋もれる。白い。白いただの布。
 特に目立ったところもない無地の布で。特に材質が良いわけでもない。
「ねえ。これ、幾らかな」
 ふと気が付くと。少女はそう尋ねていた。


「買っちゃった。はあ……あたし何してるかなあ。こんな大きな布買ったってどうしようもないのに」
 購入した布は少女がぶつくさ言うほどの長さはあった。小柄な少女を二巻き……三巻きくらいに出来るのでは無かろうか。安いとはいえ学生の身にはちょっと痛い額だった。
 口の中で様々な文句を並べても、答えを知るのは自分の心。分かってはいるのだ。理解はしている。ただ、認めたくないだけで。
 正直買い食いだって気を紛らわせる理由も付いていた。元から好きじゃないかと問われれば反論のしようもないが。
 ここ数日知り合いの剣士である青年……チェリオはマントを身につけてこない。
 前、川に予備も流したというのは嘘ではなかったらしい。
 マントは威圧のためだけに使用する場合もあるが、野営の場合別の目的でも使われる。
簡単に言うと風や雨しのぎである。
 買い直したらどうかと尋ねたら『高いから今は無理だ』とのあっさりした返答。
 防水加工の施されたマントは普通の布に比べて値は張るが、青年が買えない額だとは思えない。ならば答えは一つだけ。
 今まで身につけていたのは魔術的付与のされた特殊なマントで、見た目だけのマントは必要ない。魔剣士である彼がこだわるのも納得だ。
魔術付与の施された素材は用途事に分けられる。単なる観賞用。実用品。その他。
 観賞用は、壁に文字を描く。目立つようにその場所だけ色を付けておく。光り輝くだけの服。無意味に波打つマント。等が挙げられる。
 実用品は、主に攻撃用の魔術を軽減したり、炎その他を防ぐ。場合によっては剣の攻撃すらも緩和する。
 更に高性能なものは修復用の力が込められていて少しの傷は放っておいても直る。なんていう主婦も喉から手が出したくなるほどの便利品。
 恐らくチェリオが使っていたマントも実用向けで、荒事の多い彼には重宝するシロモノだったのだろう。
 良いことずくめのそれらだが、ただ一つの欠点があった。
 高い。
 洒落にならないぐらい高い。
 本ぐらい、いやいや。宝石くらいか、まだまだ。家とか、ああその位かも。
 魔術に関する品全てに言えることだが、魔術的付与のされた服やマントは、冗談では無く高価になる。実用に耐えうる品であればあるほど、性能が良ければよい程値がつり上がる。学生の身分では手が届かないどころではなく、雲の上の更に上の星々を採取するべく脚力だけで挑もうとする程に遠いお値段だ。チェリオが身につけていたマントも炎を軽減したりという軽いモノだろう。それでもかなり値が張るが。その予備すら流してなくす辺り青年の無頓着さが伺える。
 そんなにも便利な品、どうして安値にしない。とも思いたいのだが、単純なコストや魔導師不足。魔術ではちょっとしたことにも特殊な儀式や薬草を用いるコトも多い。それにしては高すぎるだろう。で、次に出てくるのがどうしようもない問題だ。
 後の値段上昇理由は魔導師連中のプライドの関係だ。腕のある魔導師程渋みの入りすぎた老人である。単純に読書量や積み立てた知識の違い。
 上の魔導師は年寄りがほとんどだと断言しても良い。
 見習いの魔導師位なら安い駄賃程度の額でも『仕方ないなぁ。見習いだし』で引き受けてくれるだろう。しかしながら偉い方々はそうも行かない。確かに魔術を辺りに広めはしたいが『偉い儂をこんな薄給で顎で使う気か』との心の声がジャマをする。
 湖ほどに広い『人を思う気持ち』が、海より深い『自尊心』で横に蹴り飛ばされるのだ。
 なら新しく『人材』から作ればいい。とも思う。が、世の中上手く回らないもので、なにかと秘密主義の魔導師しか知らない謎の配合とかが必要になる部分もある。魔導師の調整はかなり緻密な計算とカンで成り立っているため、素人が勝手に配合の割合を変えたりしようものなら大惨事になりかねない。魔道具を作る会社も、仕方がないので取り敢えずご機嫌を取りながら仕上げをベテランにやって貰っているという次第である。
 ついでに泣けてくる話だが、使うつもりのない貴族や珍しい物好きな富豪が持っていると言うのが現状だ。
「うー」
 そして、なんだか布を買った後から記憶が内側からノックどころか体当たりを繰り返している。何を意味しているのかはよーっく分かるため、少女は不機嫌な呻きを漏らした。
 前……いつだったか忘れたが、魔術的付与のされた布地を見つつ、わざわざ魔力を込めながら織物をしているのが大変そうだ、と少女が漏らしたとき。幼なじみの少年は空色の瞳を瞬かせ、『うん。確かにその方が威力は落ちないけどね。あのね、普通の道具や布にも魔術付与は出来るよ。ちょっと手順は複雑だけど、家で出来ないことはないかな』穏やかに微笑んで、そう言った。
 流していたはずの記憶は、しっかりと必要だと杭を打たれて奥辺りに残留していたらしい。喧しいほどに『作れるよ』『家でも』と頭の中で繰り返されている。
 つまり何か。青年に手で作って渡せと。その程度の自己満足くらいしろと言ってるのか。自分の脳みそは。少女が頭の中に尋ねると、映像がぴたりと止まる。肯定らしい。
「仕方ないわね。買っちゃったんだし、マントが無くて寂しいあの変態のため、優しいあたしが一肌脱ぐか」
 虚しい。買った行為が虚しいんではなく、ここにいない人物に向かってまで言い訳をしている自分がただひたすらに虚しい。
「……ふんだ。別にいいわよ。感謝されたいワケじゃないんだし、宣言なんてしてやる義理も理由もこれっぽっちもないんだし。そりゃ確かにあたしも足手まといで使えなかったのは認めるけど。チェリオの怪我だって大したこと無かったんだから。その、回復祝いと称して無くなったマントの代わりを贈ったって何の不思議があるのよ。無いわ。無い、絶対にない!!」
 なんだかもう後半当たりは誰に怒って居るんだか怒鳴って居るんだか自分でも分からなくなりつつ拳を握る。罪もない野良猫が毛を逆立てて逃走し、隣にいた人々がぎょっと目を剥く。
「ってだから誰に言い訳してんのよあたしは!?」   
 平静になるために取り敢えず自分に突っ込んで、
「はあ。まあ今から学園に戻っても図書室はもうすぐ鍵閉めるだろうし。バイトに励むとしますかぁ」
色々な意味で切れた息を整え、伸びをすると、少女は先ほどより重くなった足を引きずり店に向かった。

 



 

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